立秋1 ヒトガタ頂上決戦
キリギリスやコオロギの鳴き声がどこか遠くから響いてくるように感じる深山幽谷。
リコピン村のご意見番四天王、幻影の血だるま、サホーリーは樹齢何百年かも分からない巨木の間をにこやかに闊歩していた。
頭上は遥か高く枝で覆われ、隙間から覗く木漏れ日は僅か。そのせいか雑草はまばらで、代わりに苔がやたら目立つ。発光する種もあるらしく、岩に絡む根の下、地層が盛り上がった崖に入った亀裂の奥、そういった小さな暗がりにホタルのような光が見えて、非日常感が強い。
最近リコピン村にファッションが芽生えた影響で、彼女も以前とは装いが一変した。
灰色と白のマーブルな袖無し武道着。亜麻色の生成りを墨で黒に染めようとして失敗した。これはこれで味があって気に入っている。
足元は革のブーツ。足裏は鍛えられた年季による分厚い皮膚に守られているとはいえ、森に入る時は必需品である。
背中にはナイフや火打ち石などサバイバルセットが入ったリュックサックを背負っている。綿毛のような何かでデコられた小熊のぬいぐるみ状で可愛い。隣村に嫁いだ息子夫婦からのプレゼントだ。近隣も今は変化に適応中らしい。
身長百八十センチを超え、二十歳三周目くらいだがシワは目元のみ。常に細目の笑顔がかえって危険人物感を高め、白髪を無造作に刈り上げていて、服越しに威圧する僧帽筋、丸めた肩袖から覗く上腕二等筋は「気をつけ」が出来ないくらいパンパン。
トドメに右手に握っているのは骨製棍棒。
こんなのと森で出会ったら熊も死んだフリしそう。
ちなみにセナの夢の中に時々登場するボディビルダーニキのモデルは彼女です。ネキな。
サホーリーは特に目的地を決めて歩いていたわけではないけど、薄暗い森の中、珍しく陽光の差す一角が視界に入って進むと目当ての相手を見つけて立ち止まり、身体強化の待機状態、静かに長く長く深呼吸をしてから一歩踏み出した。
瞬間、虫が鳴き止み、陽光の中心で苔むした岩に腰掛け、力尽きた戦士のように項垂れていたオーガが顔を上げた。
「まんだ朝だども、寝すぎだっぺ」
サホーリーの気安い挨拶を受けて、オーガは少し首を傾げた。
目元だけはゴブリンの名残りを感じる真っ黄色。同じく黄色い角が一本額から生えていて、肌は赤銅色、ちょっとヌメヌメあぶらぎっていて不潔感。身長二百五十センチを超える体脂肪率絶対一桁のボクサー体型。
自身の隣り、岩に立て掛けられた、石を成形した身の丈を超す大剣は少年が夢見るネタ武器、ドラゴン殺し。
オーガは大剣を握って立ち上がり、返事代わりに一閃した。
ボッ
ゴブリン時代はおしゃべりだったとしても、一匹狼が普通のオーガは無口になる。無口なクールキャラ教に宗旨替えする。この魔物の内面はとことん拗れる。
ロマンを求めてトガっていたら本当に種族が変わって居場所が消えて孤高の道を歩むしかなくなった。望むところと啖呵を切りつつ、失ったものに苛まれもする。
しかしそれはそれ。タイマンは大好物だ。
「んじゃ、いざ尋常に」
サホーリーは身体強化の暖機運転のまま、両膝の力を抜き、地に落ちる速度を前に傾けて一瞬で距離を詰めた。筋力によらない挙動。原始武術の歩法、縮地。
オーガも一流の反応速度で大剣を袈裟斬りに振り下ろしたが、そこでサホーリーは一歩、左大腿筋をパンパンに膨らませて身体強化のフルスロットル、筋力頼りまくった踏み込みからの棍棒下からフルスイング。石の大剣は木っ端微塵に爆散した。
即座にバックステップして距離をとったオーガを追撃はせず、サホーリーは詠唱開始。
「わぁのはんかのめぇでおま、なちょっどりゃせんぞ……」
詠唱の雰囲気を感じとったオーガは、前方の空気ごと押し潰すような迫力で前進、右フックを放った。
サホーリーは上体を反ってかわすと、紙一重で通り過ぎるパンチの風圧に巻かれるように回転して、その勢いのまま棍棒を横薙ぎに。
オーガは咄嗟にパンチの方向に身体を流しながら左にジャンプ。回避は無理だったけど、ダメージを分散させた。それでも脇腹に一撃を喰らって吹き飛ぶ巨体。
「そぉごにはんかはねぇってっぺ、んだがらちょらぁっぺって……」
背中から地に衝突と同時に両手は水平に受け身をとり、なおもベクトルがかかる頭の側に動かし、両足を揃えてくの字に曲げて、反動を利用して起き上がりながら前屈してダッシュ。オーガは明らかに剣術より体術が上手かった。
「さうずんどんどなちょへばじぇ」
急停止してのけ反り、頭をかち割ろうと振り下ろされる棍棒をかわすと、さらに縦回転を増してあびせ蹴りを繰り出すサホーリーにオーガは裏拳を合わせた。
肩に重い一撃を受けて堪らず膝をつくオーガ。相打ちの形で吹き飛ばした敵は地面に激突。土質は湿っているから土埃というほど舞い上がりはしないが、それでも一瞬、土のカーテンがかかった。
論理的に考えて、雨は避けられるはず。オーガの脳裏に幼少期の訓練風景がよぎった。走馬灯? オーガの目つきがソっと柔和に。
土のカーテンが下りると、道着は汚れ、額から血を流し、力なく垂れ下がった左腕に引っ張られるように屈み、内股で踏ん張るもフラつきそうなサホーリーが、それでもオーガを見据えてニッコリ微笑んだ。
「れば、幻影だっぺ」
一言放ってかき消えたサホーリー。敗北を悟ったオーガも苦笑いを浮かべながら、せめて一矢報いようと腰を落として力を溜めて、気配を感じて見上げると……。
三人のサホーリーが落下しながら棍棒を振り下ろそうとしていた。道着は汚れ、額から血を流し、左腕は垂れ下がって。
「ゴォッ(どこがっ)」
幻影の血だるま、サホーリー。彼女と対峙する、言葉が分からなくても通じ合える強敵は大体同じリアクション。断末魔がツッコミのオーガ、哀れ。
影の黒みが多いせいか、血に染まったように茜さすリコピン村。各家庭で庭に水をまく習慣が出来て少し過ごしやすくなったが、まだまだ暑い。
「父ちゃーんごはんだよー、てなにそれカッケー」
ムシロをひいて外で作業していたサンドをライが呼びに来て、仕上がっている物を見て目を輝かせた。
革のフルアーマー。身体を覆う箇所が多過ぎて、素人が段ボールで作ったロボットみたいなゴテゴテ感が全面に出ているけど、ライの少年心を直撃した。幼児体型のサンドが着るのもお遊戯感アップ。
「おうもうそんな時間かやっべコレ脱ぐのしんどい、手伝ってくれライのも作ってやっから」
「おおおおお、やったぁー」
「何人かにリクエストされて試作してみたけど、どう考えても暑苦しいデバフだな」
「えぇー、ぜったい人気でるって。りょーさんけってー」
首を含めた全身の可動域が狭くて見えなくて、腰のあたりに紐がどうとか指示するサンドと、はしゃいでロクに聞いていないライ。時間がかかりそう。
「骨が強力な武器になるなら、革は強力な防具になるのでは? て皆んなが思うのは分かる。俺も思ったし。でもそんなモン、とっくに誰かが試してダメだったに決まってんだよな」
「わかんね。ないよりあるほうがつよくね?」
「コイツのもとの持ち主、全身皮鎧を着た御本人を倒すのは難しいのか? 攻撃力が高過ぎて、どんな鎧を作っても紙装甲なんだよ」
道理である。皮の持ち主が魔力をまとって防御しても切り裂かれるような戦いに、紙装甲を着込んで機動力ダウン。ただのデバフだ。
「うーんわかんね。ホネをギュッとして強くなるから、カワをギュッとしたら?」
「弾力性があってギュッが出来ねぇ。出来たとしても、なめすとかの加工で皮から革って別物に変わるから魔力の通りがよくねぇ。魔力が通るとしても、武器と違って全身に、しかも自分の皮膚のさらに上を全部覆うって、そこまで器用なことが出来るなら攻撃力上げろ、だな」
攻撃は最大の防御だが、逆はねえ。防御しても敵は死なねぇぞ。そもそも攻撃の反対は防御ではなく回避だし。サンドはライの頭を撫でながら思った。やっと首が動くようになった。
「サホーリーに頼まれたんだが無理なものは無理だな。まぁ衝撃を和らげる効果くらいは期待出来るからもっと軽くしてみっか」
「サホーリーねぇちゃん? なに?」
「さぁ? なんかスゴいものとってくるってどっか行った。何日も帰ってないからオーガロードでも探してんじゃね?」
「ひとりで勝てるかな」
「ククク、ライ、覚えとけ。狩りはどんなテを使ってもいい。集団で襲っても毒を使ってもいい。まぁ肉を食いたきゃ毒はアウトだが。でもな、戦士と戦う時はタイマンだ。頑張る人ほど成長する。ベテランが強い理由だな」
リコピン村が異常に強い理由でもある。
「あとヒトガタ、うーん、お前がココロが通じると思う相手には敬意をはらえ。ケモノ相手ですら倒して肉を食べる時は、命を頂きますと感謝するだろ? 皮や骨も使う以上は感謝感謝だ忘れんな?」
骨の武器が他の地域に生まれない理由でもある。普通はアンデッドと同じく、使い手に祟る呪物になる。
「はよ来なさーい」
「ちょっと待てよ俺も美味い飯食いたくて焦ってんだよいつもアリガトな」
サンド、鬼嫁にも感謝を忘れない。