大暑2 ゴブゴブパニック 裏
リコピン村から西へ遠く遠く離れた森の中、湖畔を囲うようにゴブリンの国が広がっているが、ほんの十年前までそこには何もなかった。しかし、ひとつの変化が起きた。
森に隣接する地域から来る狩人が減った。
誰も何も気にしない変化。予見は難しい惨劇の原因。ハンターが減ったことで、ゴブリンが増え、ゴブリンのエサが増え、さらにゴブリンが大繁殖した。
森に隣接する面が最も多い人の国、サキーカという都市国家に毛が生えた程度の小国が気付いて対処しようとした時には遅かった。才のある上位種が際限なく産まれ、数の暴力も備えた魔物を駆逐する戦力は、サキーカにはなかった。
ではサキーカはどうしたか? 呆れたことに、森の境界に堀と壁を築いた。増えすぎて食料難からの自滅というシナリオを期待して。さらに大きな声では言えないが、壁を避けたゴブリンが隣国に流れるのを期待して。森に火を放つ暴挙も案としては挙がったらしいが、ゴブリンその他の魔物や半魔が捨て身で襲ってくる危険性に怯えて却下された。
ゴブリンたちは人の意を汲んで壁の向こうを無視した。アチラからも来れないのだから、自分たちの脅威にならないと判断して当面安心出来る。
この段になるとゴブリンキングと呼ばれる最上位まで誕生して、産めよ増やせよ食い散らかせの集団にも秩序が生まれた。
王の命令の下、木を切り倒し、湖畔に国を築き、出生数をコントロールしながら内政にチカラを注いでいたが、やっぱりと言うかそこはゴブリン。ポコポコ増えてしまう。
ゴブリンの寿命は上位者ほど長く、末端は十年もない。
だから毎年秋になると、北の大山脈を縄張りとするワイバーンの群れに戦争を仕掛け、多大な犠牲と引き換えに大量の肉を確保して、より質の高い精兵に鍛え上げ、春になると、戦力外の末端を大量に東に向かわせた。口減らしが目的ではあるが、威力偵察の意味もある。ゴブリン王国はどこまで版図を広げられるのか?
結果は信じられないものだった。
始めの一年二年は東から音沙汰なしを笑って済ませた。これだから統率のとれない集団はダメダメだな、と。
しかし毎年進展なしは王もキレる。今年はダメ集団の後方にエリート偵察兵をつけた……、らとんでもない報告が。
『悲報。荒野で待ち伏せ、十人くらいに瞬殺された。アレ絶対戦闘狂だし、暴風操る魔神も見たンゴ。ワイ膝ガクブルクソワロタ』
オーガは額に一本か二本の角を生やし、身長は二メートルを優に超える。人と似てはいないがこの偵察ゴブリン、怯えて近寄らなかったから分からなかった。エリートとは?
王は報告に舌打ちした。まさか西にオーガが群れていたとは。ヤツは稀にゴブリンから派生する思春期(一歳〜二歳)に拗れたタイプだ。拳一つで成り上がるとか、使命のないお前らは呑気でいいなとか、右目に封印されし漆黒のイカヅチに灼かれる前に失せろとか謎の台詞でイキり始め、身体強化しか使えないくせに詠唱しながら雨を避ける訓練とか、とかく意味不明の行動を繰り返した果てに本当に肉体というか種族が変わって群れを去る不思議ちゃんだ。
オーガ同士なら気が合って群れるのだろうか。ひょっとしたら国が……? ともあれ性格はメンドく、戦闘力は王の自分は別として大抵のゴブリンより上。関わらないほうが良い。
王は東征路線の中止を決断した。それが春のこと。
そして今、ヒグラシの合唱に包まれ夏の終わりを感じ取り、新たな決意を固めた。そろそろ縄張りを広げなければジリ貧だ。
『安価で壁の向こうに行くぜ。いつがいい? 3』
『イッチ行動力高杉』
『ワイが永眠してからオナシャース』
◎『いつ逝くかと聞かれたら今でしょと答えるしかねーじゃん』
『壁の向こうに異形の巨人の群れいそう』
『イッチ兵長、心臓を捧げるであります』
『巨人を愛しー、巨人に愛されたゴブー』
『『『Yeahがージャスティース』』』
『よし、コレが終わり次第行動開始な。あと質問にはちゃんと答えろ。攻める数はどんくらい? 2』
『ひとりで逝ってクレメンス』
◎『御託はいい、全員でかかってこい、とか言われそう
だからお言葉に甘えて』
『いや多すぎー、てニンゲンの言葉誰か教えてもろて』
『うっは、全員確定ってマ?』
『まぁワイらノリだけで生きてるカスですしお寿司』
『海苔を愛しー、海苔に嫌われたゴブー』
『『『サンシャイーン、逝ーけー』』』
ゴブリン会議、ゴchは速やかに終わった。ステータスオープンがあったら絶対「かしこさ」が低く、享楽的で刹那的、目の前にぶら下がった欲望に忠実な、愛すべきクズども。なんでもふざけるゴブリンの民、略してなんg民はこの日、全員一丸となって西へ侵攻した。
エリーカ王国の端、こぢんまりした城塞都市を小高い丘から見下ろして、ヨセターゲッテは安堵のため息をついた。見上げると曇天。夕暮れを飛ばして雨と夜が訪れそうだが、あと一息、閉門までには余裕で間に合う。
彼女は手頃な岩に腰掛けると、首を落として足を荒縄で縛った二羽の水鳥を地に下ろした。商売道具の弓と矢筒は背負ったまま。これらまで下ろすと疲労に襲われて立ち上がれなさそうだから。
呼吸を整え俯いた顔を上げると、ヨセターゲッテは丘から一望出来る風景を無感動に睨んだ。雲に遮られてねずみ色に覆われた一面のライ麦畑が広がり、二キロメートルほど向こうから先は延々と連なる壁を挟んで樹海。
忌々しい。ヨセターゲッテは目を細めた。森は自分たち狩人の縄張りなのに、今はもう完全に立ち入り禁止区域になってしまった。
アレは自分が十歳の時だから、もう五年も前なのか。
あの時何があったのか、ヨセターゲッテは知らないし、きっと誰も知らない。乱獲するなとか組織の利権がどうとかサッパリ分からない事情があって、今の自分のようなハンターギルドに所属する新人は森に入れなくなって、ゴブリンが増えたからやっぱり新人も入れとかウザい朝令暮改に振り回されて、異常に強いゴブリンが何体も噂に登り、何人ものベテランハンターすら犠牲になったあと、重い腰を上げて強者ぶった軍が森に入り、実質全滅してエサを供給した結果に終わり、ヒスを起こした王命によって土木工事の動員がかけられて土壁を築いた。
いや全部把握してますやん、てツッコまれそうだが彼女は人間ってもっと賢い生き物だから深いドラマが隠れていると思っている。……なんかゴメンなさい。
利権が絡むとポンコツ化はしゃーない。
軍隊もギャグ。鉄製の剣や槍、甲冑といった最新の装備に身を固めて自信に満ち溢れていたようだけど、そんな集団が森に入ったらただの目立つ的。アンデッドに怯えて戦争とは縁遠い世界において、都市に拠ってディフェンスが基本の軍にオフェンス役は無理だった。
ヨセターゲッテはよっこらと声を出して立ち上がった。近い森がダメだから遠い水場を日帰り往復する日々、なんとかして欲しいと切実に願う。
ひとりで狩りなんて非常識、それでも私はひとりで頑張っているのだから神様お願い。
右手で左胸を触って天に掌を向ける、信徒の礼をして帰路を急ごうとして、ヨセターゲッテは雷に撃たれたかのように激しく痙攣して立ち止まった。
彼女には秘密の魔法があった。本人はソレが魔法かどうかも怪しんでいるけど、誰にも相談出来ないから謎のまま諦めている。
ソレは心の声を聴く能力、もしくは呪い。
他人が思っていることが聴こえて良いことはない。普通に親兄弟すら含めて誰一人信用出来なくなる。ヨセターゲッテは美人の部類だから余計に。
ブロンド寄りの長い茶髪を紐で括ってポニーテール、ひとりで狩りを成功する運動神経の塊、スタイル抜群ときたら、近寄る男の思考なんてゴブリンと同じ。胸元への視線バレバレどころではない嫌悪しか感じない。
他人の心の声は、その人の思いの強さに比例するっぽい。心の中で大声を出せば、それだけ大声で聴こえる。もしくは遠くからでも聴こえる。
基本原則、魔法は離れて発動しないのでは? 例えば五感の強化は自分であって距離はない。彼女の場合は精神的な聴覚の獲得、といったところか。
その耳が極めて不快な雑音を拾った。
グギャグギャと、大量に重ねた耳障りな笑い声が井戸の底から響いたような。
その声を彼女は知っている。子供のころに母に従ってあの森で薬草つみをしていて、何度か聴いた。
ゴブリンを侮ってはいけない。一対一なら勝てる。ハンターとして鍛えてきた彼女なら勝てる。でも一体見たら近くに三十体はいると思え、のゴブリンを見たら━━。
ヨセターゲッテはしばらく逡巡して、逃走を選んだ。
空模様が怪しい。驟雨でもきそう。壁の向こうに信じられない数のゴブリンがいる。それは間違いない。そんなのが雨に隠れて攻めて来たら。
土壁? 城塞都市の防壁? そんな物が有効なのは普通の動物や知恵のない魔物限定だ。魔法で石を加工出来るゴブリンがいるのに、土や石の壁が何を防げると?
城塞都市に背を向けて走りながら、彼女は天に向かって下品な文句を放った。
天涯孤独の身、親しい人は誰もいないからこうも素早く割り切れるけれど、それでも見殺しの罪悪感に押し潰されて吐き気が込み上げる。
もう雨が降っていたとは。びしょ濡れで息が苦しく前が見えない。
それから五日もかからずエリーカ王国は滅亡した。