小暑1 リコピン・コレクションの兆し
朝雨、のち、視える人にだけ視える巨大な竜が天空に踊る。
トカゲに翼の生えた恐竜系のドラゴンではなく、蛇に手が生えた神竜系の竜。横に波打つ移動じゃなく重力無視の浮遊で蛇感を消す不思議な存在。
もっとも精霊に生き物の理を求めても無駄。
その竜が宙にブレスを吐くと大空に架かる虹。
竜はウネウネ首を動かし角度を変えて虹を眺め、「八十点」と言いそうな顔をしながらかき消えた。
その虹の支配下は雨季に後押しされて高温多湿。農業新入生のリコピン村は初めての問題に四苦八苦していた。
具体的には虫。益虫害虫は何? 多少は経験則から知っているとはいえ、人間にとってであって、植物にとっての良し悪しが分からない。作物がかじられてダメになってから学ぶとか、知見を深めていくしかない。
ただし、緑の指の持ち主にはこんなところにもアドバンテージがあるらしい。
例えばチュンリの庭にはムカデが寄り付かない。土作りが成功している証拠だ。さらに本人は果樹以外にも、調味料としてマリーゴールドやセージといったハーブを育てているが、天然の虫除けになっている。共生によってシナジーが発生する効率厨の菜園を勘で実践していた。カードゲームのデッキ構成がすでに上級者だった件。
そして植物の精霊に愛されたセナに至っては。
『ククク、身の程を知れい小僧。夢幻暴食』
すでに幼木に育ったセナの大切な桃の木にアブラムシがたかっている。葉や茎に群がってチューチューと。許せん。セナはかつてない覇気をまとった、つもり。
「ばんしにあたいするっ。しょうかん、いでよ、せぶんず・すたー」
アブラムシの天敵、指先に乗せたナナホシテントウを群れにポイッ。
『ピピピ、解析完了、センメツまで十二分四十一秒、デス』
『な、なんだ? コイツ、装甲が硬すぎるっ』
『ギャー、仲間が頭から食われてく。た、助け……』
「どうした? ソッチのターンだぞ」
セナは昏く笑んでチカラいっぱい見下した。
『これで終わりだと思うなよ……、俺たちを墓地に、代償にあのお方をドロー、ぐぇぇ、き、来たれっ、マスター・エメロード・ディザスター』
『ほう、美味そうなフルーツであるな。朕に献上とは殊勝であるぞ』
シュババと空を飛んで枝に着地したのはトノサマバッタ。五センチは優に超えるその迫力ボディにテントウムシは逃げ出した。
『少年よ。身分社会は絶対であるぞよ? いい勉強になったと受け取るがよい』
余裕の貫禄を見せつけながら、ライトなピンクとグリーンが溶け合ったカラフルなつぼみに歩み寄るバッタ。その足がピタリと止まった。
俯くセナの口から堪らずこぼれる忍び笑い。
「みぶんがぜったい? ケッサク。めいどのみやげにおしえてあげる。ぜったいとは、じゃくにくきょうしょくだぁ。すでにふぃーるどはととのっていた。またせたなっ、いけ、あぶそりゅーと・だぶる・ですさいず」
バッタの目の前に絶対の「死」がいた。十センチを超えるカラフルなつぼみに擬態していたのは、魔王の名を冠する昆虫界の美しき死神。
胴体から別れて宙を舞うバッタの頭が最期に見たものは、切れ味鋭いカマを一閃して血糊?を落とすニセハナマオウカマキリの寂し気な横顔だった。完、なんつって。
植物の精霊に愛されたセナは、ひとりで筋書き作って遊ぶくらい益虫も害虫も使役出来ていた。人以外の言葉にならない言葉を汲み取る感受性は、おそらく大きくなると共に失われる特質であり、幼い今がピークかもしれない。
セナは桃の木の隣りに立つ、さらに大きな謎の木を見上げた。
スーパーシゲルから生まれた木はすくすく育ち、とてつもない巨木になりそうな勢いを感じて、セナは少し不安を覚えた。近過ぎる家を潰したらどうしよう?
ま、いっか。セナは即座に切り替え、バッタを食べ終えて森に帰るカマキリを見送った。空飛ぶ魔王様カッケー。やっぱバッタのヒーローよりカマキリの魔王だよね。
しばらくカマキリを擬人化しようと盛り上がり、ふいにバテた。暑い。
まだ朝だけど陽射しは鋭く、木陰にいても炙られるよう。発汗と放熱性能が未熟な幼児にはもっとキツい。セナはさらに日陰の濃そうな家の裏側に回って地にへたり込んだ。
胸元をバタバタあおぎながらぼんやり考える。
村人たちが着ているのは貫頭衣という服だ。袋に三つ穴を開け(というか三箇所残した袋を縫い合わせ)、上から被って首と両腕を通し、腰を紐で結ぶ。下はズボン。夏は涼しい麻、夏以外は暖かい木綿を使う。男女に違いなし。
足元は草履。複雑な編み込みはなく、木枠に麻縄を巻き付けただけのシロモノ。雨の多い夏は泥水を吸って履き心地最悪だから、大人は村内では裸足が普通。
セナは眉間にシワを寄せて唸った。誰も悪くないが、この不条理感、どうしてくれよう?
機能性は行方不明。お洒落は化粧だけで服装は無頓着。
由々しき事態ですな。ないなら作ればいい。欲しい物は作ればいい。
以前からセナの中にはデザイナー人格が芽生えていたけど、ついに開花した。
いったん家に入って干からびた茎を両手にこんもり抱えて日陰にUターン。家猫の如く快適な場所は譲らん。
三往復して地面に茎を山積みにして自分も座り、いざ作業開始。この茎は散歩中に原っぱから持ち帰って少しずつ集めたセナのおもちゃだ。
リコピン村は基本何でも自分でやれという気風だから、両親もセナが遊びながら覚えられそうなことは何でも歓迎する。骨や木の加工でも、麻や木綿の繊維から糸へ、糸から布にする工程も、興味があれば何度でも見せてくれる。貴重な皮革や食料は無駄遣い出来ないけれど、そのへんから採れる材料は好きに使わせてもらえる。
振り返ると草の罠や土の棘など魔力の扱いが器用、という以前にそういうモノ作りを体験しているから魔力でもっと強力にするという発想が生まれる。
セナはまだ神経の形成も途上の三歳だから手先は器用ではない。右手と左手に棒を一本握って箸として使ってみろ、なんてお題くらい何をするのももどかしい。
でも魔力がある。身体は思う通りに動かないからこそ、思いで動く魔力の器用さが異常な練度で磨かれていく。
長く放置や天日干しにされて乾燥した茎一本を握り、繊維一本一本に魔力の糸を沿わせてフンッ。二百本くらいの半透明なウィッグに変身。
右手に十本握って高速ねじねじ。半分までねじり、次の十本を絡めてねじねじ、の繰り返しで長ーい糸一本完成。はたから見ると茎が勝手に蠢いて糸に変わるトリック映像ぽい。
糸を何本も作ると次は布にする。織り機の仕組みはセナにはまったく分からない。いや普通に複雑すぎてほとんどの人には分からないけど、布を作る仕組み自体はシンプルだ。
経糸を並べて、奇数組と偶数組に別けて、上下に位置を変える度に横糸を通せばいい。仕上がりが綺麗になるようピンと張られた状態にするとか職人技が光るわけだが、三歳児がそこまで知るか。
偶数奇数の別け方すら怪しいまま、横から見ると「く」の字の経糸がヘッドバンキングしながら横糸が高速公転、雑っ。
オーケーオーケーここからパフォーマンスは理不尽な次元へゴー。
石や木や骨ですらある程度は形をイジれるセナが、植物由来の布はお手上げとでも? 笑止。
大きな布を頭から被って魔力を通してフンッ。
貫頭衣、と見せかけてランニングシャツ完成。裁断もなく裁縫ですらなく変形と溶接。
首周り涼しいー、と満足しつつ、試作は成功したから本番いったれ。
さっきと同じ手順を、さっきより手際良く繰り返し、大きな布を頭から被って魔力を通してフンッ。
首周りがさらにスッキリと、肩は細長く、腰はゆったりと下はヒラヒラに、そう、ワンピース完成。だがまだ終わらないっ。
また家に入って小さめの籐籠を抱えて戻り、取り出したるは浅沙の花弁。これも散歩中の収穫物。森の湖沼にびっしり浮かぶ五センチもない黄色い花。乾燥して萎れているけど色味は鮮やか。
もともとファションに関するセナの感性を刺激したのはあの精霊だ。
マーメイドドレスに隙間なく葉を貼り付けたような、半透明な身体と瑞々しい葉だからチープにならない幻想級の美しさを教えてくれた精霊。
うろ覚えなイメージをぼんやり思い出しながら、まずは亜麻色の生成りを黄色く染める。染色と呼ぶのかは怪しいが、生地に花弁を融合セイヤっ。次に胸元と、裾のヒラヒラに花弁を配置。魔力を通してフンッ。一回り縮んだ代わりに瑞々しいドライフラワーって謎の飾りがついたワンピース誕生。
「母ちゃん、ハイ」
「なぁに? ……! セ、セナ……」
夕立のあと、ランニングシャツをベタ褒めされながら夕食をとり、一家団欒タイムにプレゼントされたアガサは歓喜の叫びが人間の可聴域を超えた。近くにコウモリがいたら落ちている。
マタニティ仕様のワンピース。セナは妊婦を見たことはなく聞いただけだからサイズは甘いけど、その思い遣りに溢れた気持ちに満たされて、アガサはムギューっとセナを抱きしめた。
そんな二人を微笑んで見守りつつも何ももらえず心で泣いているポアロ、ドンマイ。