夏至1 モンタージュ
小高い丘は大小の岩と緑に敷き詰められていて、淡いピンクのアマリリスがひときわ映えている。人に食べられなくてゆっくり版図を広げる花は、本格的な夏の到来を歌う鮮烈な陽を浴びて、風向きがいっとき変わる正午、湿った空気にほのかな甘さを乗せてリコピン村に運ぶけど、ほとんどの人は気付かない。花を愛でる文明開化はまだ遠い。
「……クンクン、ミツ?」
「はいライちゃんアウトー」
鼻の効くライが清涼感のある匂いに反応した瞬間、リコピン村のシノビマスター、チュンリに肩を触られてゲームオーバー。
ライは三メートル程桃の木に登って隠れていたけど、身体を隠すほどの葉は生い茂っていないからかえって目立つ。
ちなみに幼木の細い枝に立つ五歳児の背後に突然現れた大人という構図は非日常感があるが、リコピン村では日常である。
「ちぇー、うまくかくれてたのにぃ」
「見た目より意識ね。なにかに気をとらわれたでしょ。あーいうのスキだらけで危ないのよ?」
ライはするすると木を滑り降り、そこから離れた地に一本立つ幼木を何気なく見つめながら文句を言い、チュンリは苦笑しながら指導した。
そう、これはかくれんぼとおにごっこの遊びではあるが、同時に訓練でもある。
今日の保育士係はチュンリ。遊びながらサバイバル技術を仕込んでいた。
敵より早く敵を見つけ、敵の目から隠れ、敵の死角に移動する。狩人には必須のスキルといえる。
リコピン村は強者だらけだが、始めから無敵の強者なんていない。狩りをしていれば身の危険は常につきまとう。
そのあたりの心得は誰もが口を酸っぱくして語るから、子供たちも真剣に遊んでいる。
「オレがいちばん早いのナットクいかねー。セナと姉ちゃんは……」
チュンリの庭は果樹園になっていて隠れやすい。ライがキョロキョロ見回すと、視界の端でちぎられたっぽい草が風にあおられフヨフヨ舞っていた。怪しい。
周囲をうかがいながら、ライはそろりそろりと足を進めた。草が流れてきた方向は多分こっち。
さらに一枚、二枚と細長い葉が埃のようにノンビリ漂っていて、鼻息荒くライは確信した。はいダウトー。こんなん姉ちゃんの魔法に決まってんじゃん。
ライは名探偵気分を味わって脳汁出たけど、姉は何故そんなことをしたのか、意図は見抜けなかった。
「そんなんじゃ動物にも勝てないわよ」
「わぁぁっ」
背後から姉にソっと首を絞められてライは悲鳴を上げた。隠れる側が隠れるだけと誰が決めた? ルール無用の残虐ファイト、サイレントキルされても負けるお遊び。修羅教育はすでに始まっているっ。
「ヒメちゃん視線誘導上手。それ実戦でも使えるわね」
チュンリに褒められヒメはコクンと頷いた。口の端がちょっとつり上がっている。それから思い出したようにキョロキョロ見回した。
ライも離れて立つ幼木をぼんやり見ていたが、姉につられてキョロキョロした。
「セナどこ、まさか遠くに行ってね?」
「ククク、アーハハッ」
姉弟の首振りを見てチュンリは堪らず噴き出した。意味が分からずシンクロして首を傾げる二人に人差し指を突き出して答えを教える。
お分かりだろうか? 分かるわけないが、実はセナはずっとみんなの視界に映っていた。
チュンリの指す方向に立つ幼木、その横にセナは立っていた。両手を頭上で合わせたタケノコポーズで、ガッツリ身体ははみ出た姿で、途中で疲れたのか木に寄りかかって。それ隠れているつもり? と誰からもツッコまれそう。
ライもヒメも笑いたいのに笑えない。見えた今は愛らしいかくれんぼだけど、いると教えられるまで見えなかった。ナニコレ。
「セナちゃんは木になりきっていたのよ。自然に溶け込む、ベテランでも難しい域に達しているわね。まぁなりきりすぎて他全部忘れてるのは減点だけど」
肩を触られて我に返ったセナも合流してひとやすみ。
家に入れてお昼寝タイム、の前になにかお話をとせがまれて、チュンリはぼんやり天井を見上げながら思案して、軽い調子で話し始めた。ヒメはともかくセナにはまだ早いかとか悩んだけど、正解が分からないことを考えても無駄と割り切って。
「魔物の話でもしようかしら。気になる魔物はいる?」
「ドラゴンっ」「ハーピーのオス」「ごぶごぶ」
ライ、ヒメ、セナの順に流れるように。
「ドラゴンは私も見たことないっつーの。初代様がどうとか誰かが過去倒した伝説ならいくつか残ってるけど。ハーピーのオスてあんた……、いないんじゃない? 人間の男をさらってタネ貰ったあとは食べるカマキリ方式、ってウソかホントか言われているわね」
ドラゴンにはしゃぐライはタネがピンとこなかったものの、ムシャムシャ食べられるシーンを想像して青ざめた。それ見てヒメの口角クイッ。テクニカルな弟イジメ。
「ハーピーも山岳地帯の生息だからココとは縁がないかな。私も遠出した時に見たことしかないし。ゴブリンは……、一番ユニークな魔物といってもいいかも。雑魚モンスターの代表扱いだし実際雑魚なんだけど、絶対にナメてはいけない相手よ」
反応は三者三様。ライは首を傾げてハテナマーク。セナは実はゴブはドラゴンを倒せる、なんて熱い展開を期待してワクワク。ヒメは「数の暴力」とニヒルに笑んで呟いた。
「ヒメちゃんの答えは正しいけどちょっとハズレ。正面から戦うぶんには数は脅威ではないの。でも数が厄介なのは確か。蝗害って分かる? 何かの拍子にバッタが大量に湧いて草も木も、そして森も村も全て食べて消してしまう災害のこと。ゴブリンはコレと同じ害を招く。繁殖力が強く、悪食で、人間との共存は不可能。縄張りの中で見つけたら一匹残らず駆除しなくてはいけない。放置してたら人間は食べ物がなくなって絶滅する。そういう意味で怖ろしい魔物ってわけ」
ヒメはなんとなく理解出来たが五歳以下には難しかった。まだゴブリンを見たことがないから余計に想像がぼやける。昆虫好きのセナは大きいバッタの二足歩行を思い浮かべてテンション上がった。カッコいいかも。
「もう一つ怖ろしい点は、ゴブリンは可能性の塊ってこと。同じ人間でも私とオネー様とみんなの親と、全然同じじゃないでしょ? 当たり前だけど同じ種族だからといって同じ強さではない。それでも野生動物なんかは大きな違いはないんだけど、半魔や魔物は個体差が大きい。中でもゴブリンは突然変異が多い。数撃ちゃ当たるってな感じで、実は一番人間に近い生き物かも」
セナの思うバッタがムクムク擬人化していく。顔だけバッタ、身体は細マッチョ。シックスパック? いいですねぇ。デザイナーの要望にゴーサインを出す。脳内会議、盛り上がって参りましたぁ。
「便宜上、ゴブリンリーダーとかゴブリンジェネラルとか呼ぶ地域もあるらしいけど、人間と同じく突出した才が生まれたってことね。ずっと西に行くとゴブリンキングの治めるゴブリンの国があって、さっき言ったように繁殖力が凄いから、増えすぎたゴブリンが多分追い出されてウチに来る。それが春のゴブリンパニックよ」
集団の食料事情を考えると、冬前に強い獲物に総突撃とかでもして間引きしているはずなのに、春先に追い出されるって、冬の間にどんだけ増えるのやら。チュンリは想像してゲンナリした。
付け加えるとゴブリンが毎年大挙して来るようになったのは、西の人間の国々が何か関係しているっぽい。そう村の大人たちは勘ぐっている。
国というものについて、人伝いに入る情報は少しだから誰も詳しくない。村よりずっとたくさん集まって暮らす、という程度だ。
ただ、そちらの人々がゴブリンの駆除をおざなりにしているから、近年リコピン村が後始末をする羽目になっていると考えられる。ゴブリン襲来は今のところは春に一度だが、一年に一度と決まってないから西の監視は持ち回りで続けているし、村からするといい迷惑である。
「おそらくだけど、極稀にゴブリンの中からオーガが生まれる。あるいは進化しちゃうのかしら? 生きてる間に変化するって魔物の不思議なトコね。ある意味では人種より優れた生物といえるかも。ゴブリン、ナメちゃダメって分かった?」
「「「はーい」」」
三人は元気よく返事した。滑舌が良くなって「あいっ」を卒業したセナの中で、ゴブリンの株はストップ高を記録した。
きっとゴブキングは腰にチャンピオンベルトを巻いて、猪を乗り回して、悪の秘密結社と戦ったりするのだ。ゴブヒーロー、いや、ライダー……?
セナは興奮しながらも速やかにお昼寝に移行した。充電切れたらスコンと落ちる。
夢の中で何人ものセナがゴブライダーに左後ろ回し蹴り。ヒーロー相手でも容赦しない。悪の怪人はもっと憧れる。