立春1 リコピン村のシャーマン
まだ溶けきれない雪が陽の光にきらめく緑もまばらな森。セナは母のアガサに手を引かれてトテトテ歩きながら、母の真似をして食べられる草花を探した。
母譲りの射干玉の髪は木漏れ日を反射して天使の輪を作り、父譲りの藍色の瞳は好奇心を剥き出しにして落ち着きなく周囲を探査して、何かを見つけて一層輝いた。
「かあちゃ、ヘイボス」
「あらあらセナったら、ヘイボスはポーションの材料でもっと奥の、てホントにあるわエモいっ」
推定三歳の息子に精一杯母親ぶっているとはいえ、推定二十歳にも満たない女性のリアクションは若々しい。数株群れる薬草のヘイボスを嬉々として採取する母の手際をセナは真剣に観察した。
「ヘイボスは葉だけを使うの。だから一株につき二、三枚摘んで、また育ったら摘むのよ。根は毒があるから触っちゃダメ」
「あいっ」
「うふふ、良い子良い子。にしてもこんな浅い場所にヘイボスなんて珍しいわね。もっと魔力の濃い」
「かあちゃっ」
セナの囁くような、けれど危険を促す声にアガサはハッと顔を上げて息子を見ると、幼子には似つかわしくない険しい眼差しで森の奥を睨んでいた。
セナの視線を追い、十数える間もなく奥から現れたのは、大人の背丈に並びそうな巨大な猪だった。
「セナっ、逃げなさい」
アガサは猪から目を離さず一声かけて、アシの背負い籠を下ろしてどけると半身の構えをとり、深く息を吐き出しながら全身に魔力を巡らせて身体のリミッターを外した。リコピン村の隠しボスの異名は伊達ではない。彼女はゴリゴリの武闘派にして脳筋だった。そしてそんな彼女の幼い息子は━━。
猪は猪突猛進の名を裏切る狡猾さを見せた。正面衝突は危険と本能が悟り、アガサの手前で進路を変えて後ろのセナに狙いを定めた。
完全なフェイントに引っかかってたたらを踏むアガサの真横を過ぎ去る猪。声にならない悲鳴を上げながら彼女が振り返ろうとした時。
突然つんのめって宙を飛ぶ猪。そのまま頭から、いつの間にか地面から斜めに生えている鋭利な土の三角錐に串刺しになって数回バウンドして絶命した。
一世一代の鮮やかな自殺を披露した猪の上からセナがキャッキャとはしゃいでいる。何故か見えない紐でバンジーしていた。
「かあちゃ、こう」
母に何をしたのか一から説明を求められたセナは、まずは草と草を結んだ。簡単な足を引っかける罠だ。ただし魔力を利用してみせた。魔力が視えなければ草がひとりでに動いているかのようにうねり、幼子では作れないような頑強な罠がセナの足元に一瞬で出来た。植物魔法とでも言うのか? アガサは知らない。
「そんでこう」
次にセナは地面から棘を生やしてみせた。これもまた魔力が視えなければ土が勝手に蠢いているかのよう。長さは二十センチ、太さは一センチ程度の小さな三角錐だが魔力を利用して金属に見えるほど硬化している。
「そんでこうーーー」
セナは頭上の枝に魔力で作った見えない紐を結んで逆バンジーしてみせた。
なるほど。アガサは納得した。足元に罠を何個か作り、数歩下がる。背後に三角錐を作り、自分の身体で隠す。猪は逆バンジーで意識が上に向いたところを足をとられて宙を飛び、なす術もなく串刺し。仮に罠が不発でも樹上に避難するから問題なし、と。
え、ウチのコ天才やん? アガサは歓喜に震えた。まだ何も教えていないのに魔力の扱い方の器用さが常軌を逸しているのも目を見張るが、なにより発想の柔軟さがエグい。フローラルの香りを撒き散らしている。
息子が将来リコピン村の何と呼ばれるのか悩みながら、アガサはセナの手を引いて村へ帰還した。
村の男衆を猪肉の回収に向かわせ、セナを藁葺きの自宅に連れ帰って留守番を頼んだあと、アガサは村長のもとを訪ねた。
「オネー様、少しいいですか?」
「おや珍しい、入っといで」
推定百歳に届いて妖精妖怪の類に近そうな老婆に促されてアガサは対面に座った。ちなみにリコピン村では歳の数え方は二十歳あたりで止まる。主に女性陣の圧でイニシエに決まったルールだが、言われてヤなことは無いことにしよう、の精神により、年齢は二十歳を越えたら無限ループに突入する。従ってコレもオババ様ではなくオネー様が正しい、とされている。父の父を意味するお爺さんなどの呼び方は普通にあるけど。苦情は今のところない。
「森の浅い場所に猪の半魔が出ました」
「フム、魔力の濃度が変わったか。調査したほうがいいね。厄介な」
世界は魔力に満ちているが、濃度は一定ではない。
洞窟や未開の土地は魔力が濃く、危険な魔物が跋扈して人の住める環境ではない。
そして朝霧のように移動することもあり、濃度が変わると植生も変わり、通常より大きく凶暴な猪といった変異体も現れる。
「時代が動くか……」
老婆は大きめの独り言を呟いた。言ってみただけ。何かしら変化がある度に伏線張っておけば数撃ちゃ当たり、村の衆からサスオネと尊敬される。これが年の功である。
脳筋のアガサはスルーして村長の家を辞去した。ホウレンソウを果たしただけで後は知らん。
アガサがママ友と子供自慢大会の熱戦を繰り広げていたころ。
セナは庭の世話に夢中になっていた。庭といってもセナがそう思っているだけの、踏み固められて雑草もまばらな剥き出しの地面である。家のそばに食べ終わった桃の種を埋めて、木が生えないかワクワクしながら見守っているのだ。
本人も誰も気付いてないが、実は相当革新的なことをしている。なんせ農耕は知らない狩猟採取の文明圏なもので。
もちろん種を埋めただけで成功するほど農業は甘くない。セナどころか村の誰も正しい種の撒き方も育て方も知らない。セナは草花と同じく木も芽が出るという想像をしてなくて、いきなり木が生えると思っている。
それでも、セナにはいわゆる緑の指と呼んでもいい才能があるらしい。採取目的の母と散歩を兼ねて森に親しんでいる日々も大きくプラスに働いている。
周りを観察すれば分かること。踏み固められた地面は草が生えにくい。一方森の地面はフカフカだ。原型が分からなくなるほど腐った落ち葉の積もった地面なんて特に。じゃあ多くの植物にとってどんな地面が嬉しいか、セナには経験と感覚で正解に近付ける知性があった。
種を埋めるあたりの地面は森と同じく二十センチほど下までフカフカに。三角錐を作る要領で、地中に魔力を通して固めるのではなくほぐして。水は家の水瓶から柄杓ですくってもらう。セナの身長では届かない。愛らしさに身悶えする家族に見守られながら、セナは柄杓を両手で持ってゆっくり進み、庭に撒く。そんな日課をこなし、暇があれば地面を凝視してかれこれ十日ほど。ついに変化が起きた。
地面に細かなひびが入り、芽が出てグングン伸びてつられるように無数の蔦も生えて伸びて、植物に覆われた狼のような動物が現れた。そして植物狼の隣に半透明の女性が出現。
ドレスの上から無数の葉を貼り付けたようなフォルム、腰まで届く亜麻色の髪は絹糸の如く、琥珀色の瞳は興味深そうに幼子を見つめ、アガサくらいの背丈と年齢に見える美女はふんわり微笑んで挨拶した。
『はじめまして、可愛い巫師殿。虐めるようで心苦しいのだけれど、私がチカラを貸すほどの素質があるか試させてもらいます。さあ、このコを倒してごらんなさい。て聞いてる?』
「ふぉぉぉぉ」
セナの興奮はマックスに達していた。種を埋めたらスゴいモノが出てきた。コレ知ってる、聞いたことがある。セイレイってヤツだ。なんということでしょう。遊び友達が無限増殖する裏技を発見してしまった。
幼いからちょっと数え切れないほどの勘違いをしているが、先の猪と違って敵意を感じないからセナは友達登場としか思わなかった。当然猪にしたような攻撃はしない。
セナは半身に構えてまぶたを閉じて深呼吸した。まぶたの裏に思い描くは大好きな母。酔ってウザ絡みした父を一撃で眠らせた必殺技。
「るびーしょこらしんふぉにぃふらぺちぃの」
半歩すり足で前進、その勢いを前の左足で止めて、重心は後ろの右足から右膝へ、くの字に曲げた右膝を伸ばすようにベクトルをさらに上へ、同時に左足の踏ん張りをといて自然身体はフワリと浮き、下半身のバネが腰に集まった瞬間ベクトルは上から回転運動へ、右回し蹴りのフェイントを入れて右足を折りたたんで回転を加速しながらの、左後ろ回し蹴りを喰らえぇぇぇ。
というイメージを本人はしているが、なんせ三歳。実際は幼子がピクリと動き、ピョコンと跳ね、左足を真後ろにチョコンと上げた。キメ顔だけは父を片付けた母と同じく、つまらぬものを斬ってしまった残心感を出している。
植物狼はしばらく幼子を見つめ、困り果てて斜め後ろの精霊を仰ぎ見ようとした……、ら精霊はもっと上空、薄明光線に導かれるかのように満面の笑みで昇天していた。
これが、この世界初の仰げば尊死である(大嘘)。