第五話
〝北の大地は、およそ人が住めるところではない〟
それが、この世界における常識である。過去に何があったのか、長命なエルフや竜人ですら知り得ない程の古の時代に、この大地は不毛の土地となった。
この世界に生きる全ての害となる魔物でさえ、北の大地で存在出来るのは、一部に過ぎなかった。それほどに、この大地は〝捨てられている〟場所であった。
「リュカよ、暗くなる前に拠点を作ろう。ここから先は、正直何が起きても不思議ではないだろうしな」
「あぁ、そのようだ。確かにこれは……異常だな」
ニッフォン王国を出立した調査団一行は、およそ一ヶ月の旅の結果、北の大地に降り立った。調査団一行が降り立った場所は、位置的にまだ目的となる北の大地の中心地までは、三日程かかる位置であった。
まだ日の高く、もっと近くまで移動出来なくもなかったが、飛竜騎士護送団団長であるシンと調査団団長のリュカは、それを行わず一度此処で足を止める決断に至った。
それは、北の大地をこれまで感じたことのない異様な魔力が覆っていた為であった。更にその現象は、明らかに中心地に聳える氷山に向かって酷くなっていた。その大陸の端からでも目にすることが出来る氷山が、調査団の目的地であった為、一度此処でこれからの行程を検討し直すことにしたのだった。
「シン。お前の国は、コレを把握していたのか?」
「いや……あくまで異常な魔力を北の大地から感知したとの報告だったからな。実際に、ここまで酷いことになっているとは思っていなかった。しかし、進んでみないと分からないが、もしかすると……」
「どうした?」
「いや、確かでない情報を伝えても不味いからな。一度、あの魔力を調査しよう」
霧のように揺蕩う異常な魔力を目の前にしながら、シンは考え込むように顎に手を触れた。その様子にリュカが訝しがならシンに尋ねるも、すぐに答えることはせずにシンは、行軍するようりも先ず、異常な魔力の調査を進めるべきだと考えを改めた。
そしてその結果として、霧のような魔力は〝瘴気〟だという事が判明したのだった。
「当たって欲しくなかった女王の予感が、まさか当たるとはな」
今後の方針について検討する会議の場において、シンは渋面を作りながら呟いた。
「シン。その〝瘴気〟というのは、一体どんなものなんだ」
「実際に見たことはなかったんだが、女王から伝えられている特徴と酷似していてな。瘴気は魔力を帯びた霧の様なもので、それに触れると身体に状態異常を引き起こす厄介なものらしい。事前に女王から、その可能性を聞いていて、今回の異常な魔力の観測に関してな。見た目と違って、随分と長生きだからな、うちの女王は」
苦笑しながらもシンは、女王から伝え聞いている〝瘴気〟の特徴に、目の前の霧が酷似している事から、彼も実物の〝瘴気〟は見たことはなかったが、そうであると結論付けた。
「ではシンよ。その〝瘴気〟への対抗策もまた、伝えられているのか?」
「分かっているのは、〝瘴気を体内に侵入させない〟と言うことであり、手段としては力業だが、己の魔力を常に対外へと放出し続けるということなのだが……単純な方法であるが故に、魔力保有量に依存してしまうのがな」
「調査団の中で、瘴気の中で長時間の戦闘行為も含め、活動が出来そうな魔力保有量を持っているのは、何名いるんだ?」
リュカの問いかけに、シンは即答しなかった。そして会議に参加している者が、二名を除いて、顔を下に向けていた。
「瘴気の霧の中で、問題なく活動出来そうなのは、二名だけだ。それは、リュカとフィソラ殿だ」
会議に参加していたフィソラは、シンに名指しされても、柔らかく微笑むだけで、別段驚いたり強張ったりすることなく、さも当然と言わんばかりに席に付いていた。そしてそれは、リュカも同じだったが、彼の場合は少し意外そうな表情も見せた。
「まぁ、俺とフィソラは納得だが、シンも無理なのか? それに、他の者達は全く駄目だったのか?」
「あぁ、俺も無理だな。単純に魔力保有量が、長時間活動するには足りない。飛竜騎士は、どちらかと言うと物理系統の強さに偏っていることもあってな、大量に魔力を消費しながらの戦闘行為は、無理だろう」
「そうか・・・・・・ならばノア、こちらの調査団は飛竜騎士に合わせるために、魔導師系の団員が多かったはずだが、その者達でも無理か」
リュカの隣で、静かにドラウンド王国とニッフォン王国の責任者二人の話を聞いていたノアは、問われた事に関して即答した。
「〝瘴気〟の状態異常の効果に、短時間であれば抗える者は少なくなかったですが、やはりリュカ様とフィソラ様のように、瘴気に対して問題なく行動出来るような魔力量を保持するものはおりません。力足りず、申し訳ございません」
「少なくとも、誰も挑める者が居ないという状況ではなかったのは幸いだ。それでは、俺とフィソラが二人で何とかすると言うことで良いな?」
「護送を任務としている我々としては、全く良いことはないのだが、正直二人に任せる他無いだろうな。リュカの実力はよく知っているので心配はしていないが……」
シンは、リュカから目線を外しフィソラを見ると、彼女が醸し出す覇気に冷や汗を背中に感じると、苦笑しながら言葉を続けた。
「婚約者のリュカが、フィソラ殿が同行するのを当たり前のように受け入れている時点で、リュカも認めるほどの実力者だと言うことは分かっている。何より、公爵令嬢だと言うのに、そちらの調査団の者達が一切止めようとしてないからな」
リュカは王位継承権一位の第一王子、フィソラはその婚約者であり国を支える公爵の御令嬢である。本来であれば、最も安全を考慮し、前線に足を運ぶこと自体が国の危機と言える二人である。しかし、そのことを隅に追いやる程に二人は〝規格外〟なのであった。
「フィソラは、シンの見立て通りに実力は申し分ない。この拠点から目的の氷山まで、どれほどの距離がまだあるんだ」
「頼もしい限りだよ、全く。此処からは、通常の移動であればまだ三日ほどかかる位置だが、二人っきりの新婚旅行であれば、一番の飛竜を使って最速一日あれば着くだろう。ただし飛竜も瘴気に触れることは出来ないぞ」
「とんだ新婚旅行だな。飛竜は、瘴気の届かない上空を移動し、氷山の真上まで運んでくれれば良い。そこからは、二人で氷山目掛けて落ちていく」
「上空から自由落下かよ。全く、ごり押しが過ぎるな」
呆れながらも、確かな信頼を感じさせるシンの言葉と笑みに、リュカは不敵に笑って返すのだった。
「明日の朝一番に、向かうをしよう」
「くれぐれも無茶をするなよ? 危険だと感じたら、すぐに引き返してこい」
「まるで、俺の家臣の様な言いようだな。主君を俺に乗り換えるか?」
「リュカとは、共に戦うよりも、剣を交える方が好きなんだよ」
シンもまた笑うと、再び会議は進められた。そして会議が終わった後は、出立する二人の装備品や道具の準備を進め、終わる頃にはすっかり日も暮れ、夜になっていた。
「リュカ様、少しよろしいでしょうか?」
「ノアか。構わんが、何か瘴気に変化でも起きたのか」
日課になっている就寝前の素振りを行っていたリュカの元へ、ノアが真剣な表情で声をかけた。
そのノアの表情を見ると、リュカは手に持っていた大剣を降ろし、額の汗を拭い話を聞く態度を見せた。
「瘴気には、変化はございません。しかし、私の〝先読みの幻視〟には変化が現れました」
「ほう……どうかわった?」
「リュカ様とフィソラ様の〝先の幻〟がまるで砂嵐の中にいるように、不鮮明なものとなっております」
「それは、〝死〟を意味する暗示か?」
「いえ、〝死〟を暗示する場合は、別の現象になる筈。今回の現象は、単にお姿が不鮮明となるというもので、これまでそのような事が起きたことはありませんでした」
ノアの表情は、困惑と恐れが入り混じるものとなっていた。
「今まで見たことがない現象であるのならば、考えたところで仕方がないが、気には止めておこう。話はそれだけか?」
部下の言葉に対し、まるで気に求めていないと言うよりも、〝心配するな〟と示すようなリュカの態度に、ノアは思わず微笑んでしまった。
「リュカ様には、本当に敵いませんね」
「ほほう。何だ、俺に勝つ気でいたのか?」
「ご冗談を。貴方様に勝てるとしたら……それは、フィソラ様だけでしょう」
「それこそ、下手な冗談だな。俺はフィソラにだけは、絶対に負けん!」
強く拳を握りしめ、夜空に輝く星々に向かって、吼えるリュカに向かって、隠すことなくノアは嘆息を付いた。
「昔は、あれほどフィソラ様を〝護る為〟に鍛錬し強くなられたというのに、何故今は〝倒す為〟に強くあろうとしているのでしょう……」
「この世界には、本当に理解出来ぬ事もあるということだ」
その声は、どこか寂しげであった。