加護無し伯爵は蒼の獣人を拾う
朝方に少しだけ降った雨が、日の光を浴びてキラキラ反射する。
国境に出現した魔物を駆除し終わるのにかなりの日数を要してしまった。
同行した騎士たちは平気そうな素振りを見せているものの、やはり疲れているのだろう。皆、口数が少なく活気がない。
「エルヴィス様、やはり魔物討伐棟で一旦休息を取るべきでは?」
「そう、だね。トーチは皆を連れて魔物討伐棟に向かって。おれはこのまま屋敷に向かうから」
この辺りは危険が少ないと言っても、安全とまでは言いきれない。
消耗した騎士たちではいざというときの対応が遅れる可能性がある。
「エルヴィス様を置いて行けるわけありません。エルヴィス様がこのまま進むなら、我らも付き従うまでです」
「うーん……。おれは今日の夕方には屋敷に帰り着かなきゃいけないけど、皆はゆっくりでいいんだよ? おれは強いし、いざとなったら神術使ってでも逃げ切れるから……」
神術の制御が効かなくて辺り一面不毛の地にしてしまうけど……。
ここはカエルレウム家の領地だし、領民も寄りつかない森の中だから、たぶん大丈夫だ。
「うーん……、じゃぁ、ちょっとこの辺で小休止でも……。たしか、この近くに水場があったはずなんだけど――っ!? なにあれっ! ひとっ!? 人が落ちてきてる!?」
「エルヴィス様っ!? どこへ――っ?!」
現在地を確認するため、ふと見上げた空に似つかわしくない蒼が舞っていた。
時折急に進路を変えるそれは、目に視えない力に押されているようで……。
行き着く方向を予測して駆ける。
きっとあの先はこの森で一番大きな湖だ。
空から落ちて地面に直撃なら助からないかもと諦めきれるけど、向かう先が湖なら話は別だ。
もしかしたら、助けられるかもしれない。
駆ける足に力を込める。
神術は上手く制御出来ないおれだけど、体内の神力を制御して身体能力を飛躍的に向上させるのは得意だ。
この状態のおれには、獣人であるトーチでも追いつけない。
木々の合間を抜け、開けた場所に出るのと空から舞い降りた子が水面に吸い込まれていくのはほぼ同時だった。
急いで後を追うも、何故か思ったように身体が動かない。
まるで水の中を進むように足取りが重くなる。
不可視の空気を振り払うように、体内に巡る神力を外に放出する。
これだけで多少の陰の気を祓うことができる。
「あれ……? 楽になった……」
あっさりと自由を取り戻した身体を水中に踊らせる。
精霊の加護を得られていないおれでも、水神を祀る一族としての性質なのか水中が苦手ではない。
自由にとまではいかないが、他の人よりも早く動くことができるし、深く潜ることもできる。
視界が遮られないも特徴だ。
(どこだ? 絶対にどこかに居るはず……)
素早く救助して適切な処置をしなければ助かる命も助けられないままになってしまう。
湖の中程まで進んだところで、底の方に似つかわしくない蒼が見えた。光の届かない深い青の中でキラキラと美しく輝く蒼色。
呼吸を整え、身体を沈める。深く深く確実に。けれど、できうる限り迅速に。
靡く蒼に近付くにつれて、淡く輝く光がさぁっと退いていく。まるで意志でもあるかのように。
(わぁ……、きれいな子)
おれに視線を向ける彼女の瞳は、これまた見事な碧色で。
彼女が水神様である、って言われても疑う余地のない程だ。
こちらに向かって口を開く彼女に驚き、我に返る。
こんな水中でそれは自殺行為だ。
急いで彼女の腕を掴み、水面に向かって泳ぎだす。
いくら水中で常人よりも活動できると言っても限界がある。そろそろ本格的に苦しくなってきた。
おれでさえこんなに苦しいんだから、先に入水したこの子はさぞ危険な状態に違いない。
限界が到達する本当にギリギリのところで水面にあがることができた。
頬を撫でる風の心地よさに安堵する。
水面から顔を出すと、トーチがちょうど到着したらしい。これで彼女を助けることができる。
安心させようと発する声が切れ切れで、これじゃぁ逆に心配させてしまうかもしれないなぁ。
目の前の彼女は一言も発さず、ただこちらを見詰めてくる。じっと向けられる視線にどんな意味があるのだろう。
(獣人、なのに。おれから逃げないんだな)
水中ではよくわからなかったが、彼女の頭には立派な角が生えている。
間違いなくただの人間というわけではないだろう。
生まれてこの方精霊や獣人に悉く避けられてきたおれを前にしても、なんの反応も見せないなんて。この子は本当に獣人なのだろうか。
本当に獣人なら……。おれと、一緒に居てはくれないだろうか。
おれを見て、逃げも隠れもしなかった子は初めてなんだ。
それに、おれに触れられて正気を失わなかった子だって……、初めてで……
「エルヴィス様?」
「っ!? トーチっ! あの子はっ!? あの子はどこっ!?」
「気がつきましたか、エルヴィス様。あの者は、まだ――」
トーチの視線を追った先には、湖に浸かったままのあの子。その視線の先には数匹の白兎がたむろしている。
「ねぇっ! ほらっ! こっちに!」
おれが近付くとすぐに、白兎たちはサッと姿を隠してしまった。
残されたのは獣人の女の子のみ。
「大丈夫? もしかして自分じゃあがれない? おれの手に掴まって!」
彼女に手を差し伸べるも、困ったように視線を彷徨わせただけだった。
「あっ、ごめん……。もしかして、おれのこと、怖い? おれが、怖いなら……他の奴を、呼ぶから……」
やはり、怖いのだろうか。もしかしたら、恐怖に支配されて身動きがとれなくなっているだけなのか?
ふっ、と肩を落とすおれを見てなにを思ったのか、彼女はスッと動き出す。
けっこう本気で焦って手を差し伸べたのに、本人は平然とした様子で軽々水からあがってきた。呆気にとられるおれをよそに、水面に映り込む自分の姿を見て驚いた様子の彼女。
右に揺れたり、左に回ったり少し屈んでみたりと忙しい。粗方確認し終わったのか、躊躇いながら角と尻尾に触れて居る姿はなんとも可愛らしい。
それに、水中で見たときよりもずっと……。
「きれい。きみってなんの獣人なの? おれ、はじめて見たよ」
「エルヴィス様、おそらく、鹿、ではないかと……」
おれの問いに首を傾げた彼女に、トーチが見解を述べると目を白黒させて再び角や尻尾を確認し始めた。
それからちょっとの間を空けて、両手を閉じたり開いたりして少しだけ不服そうな、拗ねた表情を浮かべている。
トーチは梟の獣人なので、あらゆる分野の知識を幅広く有している。彼がそう判断したのなら、きっと間違いではないだろう。
(それでもおれは、伝説でしか語られていない、龍神様の化身なんじゃないかなって密かに思っておこう)
空から降りてくるときに靡いていた美しい髪も、水中で見せたあの優雅な佇まいも、すべて、とても神々しい光景だったから。
「あの、さ。きみさえよければ、ウチに来ない?」
「エルヴィス様っ?」
「見たところ誰とも契約してないみたいだし。自領で発見した獣人なんだから、別に違法ってわけじゃないでしょう?」
「で、ですが……。自出不明の獣人は争いの種となり得るのですよ?」
彼女を連れ帰りたいおれの意見にトーチが待ったをかける。
確かに血統がはっきりしない獣人はその能力や系譜によって、他領と奪い合いに発展してしまう危険をはらんでいる。
中央領には神の遺物と呼ばれるものがあり、それによって獣人の能力や系譜を判断し、相応しい領家に分配するというのが系譜不明な新種の獣人を保護したときの暗黙の了解となっているのだが。
「おれさ、初めてなんだ。こうして目を見てお話出来る子。おれ、獣人や精霊から避けられる体質らしくって……。今まであまり一緒に居られなかったの、凄く寂しくて……」
(こんな獣人に出逢える奇跡なんてもうきっと二度と無い。絶対に他所へなんてやるものか)
「だから、ね? おれと一緒に来てくれない? 絶対にきみのことは守るから」
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