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第10話「ひとつだけ頼みを」

 どれほど強力な魔物であっても、状況が許すならヒルデガルドの敵には数えられない。杖を構え、クリスタルスライムが剛腕を振り下ろそうとした瞬間に、彼女は飛空艇を傷つけないために、自らの全力で迎え撃った。


「──《クリア・ゼロ》。既にデータの取れた君たちに用はない」


 眩い閃光が、あっという間にクリスタルスライムの剛腕を包み込んで黒く染まり、灰のように散って消滅させる。魔核が再び腕を創り出す間もなく、間髪入れずに打ち放った二発目の《クリア・ゼロ》で魔核など欠片も残らず、一部であった液体が床に広がり、完全に沈黙した。ものの十数秒の戦闘だった。


「……クレイグ、大丈夫か?」


 振り返り、ひとりの男の姿を目に映す。傍に置いたポーションを飲んで傷を塞いだ彼は、それでも生命力を徐々に落としている。


「すみません。ご迷惑をおかけして」


「黙れ、謝るなと言っただろ」


 杖の先をクレイグに向ける。翡翠が白く輝いた。


「救護を待っている暇はない。治癒の魔法を……」


「無理です。いくらあなたでも」


 分かっていた。治癒の魔法はヒルデガルドでさえ開拓の難しい分野だ。失った血を元に戻したり、失った部位を復元するなど、そんな都合の良い技術があれば、死人など出るはずもない。彼の身体が必要とする血液を創るのは到底無理な話だった。


「……っ! だが、試す価値は……」


 彼がゆっくり首を振るのを見て、ヒルデガルドは黙った。


「今の魔法、初めて見ました。いやあ、生きてみるもんです。……冒険者を始めた頃から、俺は、勇者様や、あなたのように、人の役に立つのが、夢でした。こうして、目の当たりにしてみて……ふふっ、感動ものです」


 疲れ切った声。弱々しくなる呼吸。


「ヒルデガルドさん、どうかひとつだけ頼みを聞いて下さい」


「なんだ。なんでも言え、私にできるなら叶えてやる」


「でしたら、お願いです。エルマに、伝言を……」


 杖を仕舞ったヒルデガルドが彼の身体を抱くように支える。


「絶対に聞き漏らさない。なんと伝えればいい?」


「……愛している。それから、俺を誇ってほしい、と」


 最愛の者へ向けた最後の言葉。自分で伝えろと言えたらどんなにいいかと胸の締め付けられるような想いに、ヒルデガルドはぽろっと涙をこぼす。


 そっと、静かに、力なく腕が垂れる。男はもう何も言わなかった。呼吸もない。命の終わった瞬間、かつて師を失ったときのような悲しみが胸に押し寄せるのを、呼吸を震わせながら必死に堪える。


「馬鹿が。何が人の役に立つのが夢だ。私に何が出来た。何を守れた。……君のような人間を死なせておきながら、私は……私は何も、何もできない」


 イーリスたちがやってくる直前に、涙を拭う。今にも大泣きしたい気持ちを握り潰して気丈に振舞い、到着した仲間たちに、辛い顔を浮かべながらゆっくり首を横にふるしかなかった。もう既に旅立ってしまった、と。


「……ヒルデガルド、クレイグさんは」


「すまない。それ以外に、言葉が出てこない」


 ダンケンが彼の亡骸に縋りつくように泣き喚いた。若者を愛する老人にとって、今ほど辛い瞬間はないだろう。特に、クレイグほど親しい相手ともなれば。


「おお~、若造よう。俺より先に逝く奴があるかよ……!」


 デッキから駆けつけてきた他の冒険者たちの中には、クレイグの友人だった者たちもいる。説明会で見た顔が何人かいて、彼らも悲しさと悔しさでいっぱいの表情を浮かべて、涙をこぼす。もう帰ってこない友人を想いながら。


「……ヒルデガルド、デッキの制圧は済んだ」


 業務的な態度を示したのはアーネストだった。しかし、決して仲間の死を蔑ろにしているわけではない。仕事である以上、終わるまでは泣いてばかりいられないからだ。それが幾百人も仲間を失ってきた男の覚悟を示していた。


「アベルは目を覚ましたが、アッシュが……」


「そうか。行こう、あとは彼らに任せて──」


 静かになったカジノエリアに、遠くからまばらに足音が聞こえ始める。部屋に閉じこもっていた乗客の貴族たちが、我慢しきれず安全になったのかを確かめに来たのだ。何が起きていたのかも知らずに。


「なんだなんだ、酷い有様だな。そこの君たち、ここは安全になったのかね? 集まっているところを見れば、なんとなく分かるが」


 ダンケンが涙を拭い、気持ちをさっと切り替えて答える。


「既に制圧は済みましたが、未知の危険がないとは言い切れません。こちらが許可をするまで自室で待機していただくようお願い申し上げます」


「さっきの、あの液体みたいな魔物はいなくなったみたいだが」


 きょろきょろと見まわしたひとりの中年の男が、ハッ、と笑った。


「冒険者ってのも役に立つものですな。あんな化け物が出たときは死ぬかと思いましたが、我々の代わりに犠牲になってくれるとは頭があがりません」


 あからさまに見下した態度。彼に同調する者もいくらかいて、視線は倒れているクレイグに向けられている。仲間たちが怒りを覚えて、売り言葉に買い言葉で返そうとした瞬間、ぴたっ、と背を向けていたヒルデガルドの足が止まった。


「……おい、そこの貴様(・・)。今、なんと言った?」

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