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第29話「魔狼の王」

 凄んだところで女一人を恐れるはずもなく、男は拳を突き合わせてへらへらと笑う。僅かな魔力の波に、彼が肉体を強化する魔法を使っているのだと分かる。洞窟のような行動範囲の限られた場所では、それなりに有効な戦い方だ。


「どうどう、落ち着きな。どっちの状況が悪いかなんて見りゃ分かるだろ? へへっ、安心しろって。大人しくしてりゃあ俺も加減くらい──」


 ヒルデガルドは男の言葉を最後まで聞こうともせず、不愉快そうに眉をひそめて腕を伸ばし、彼に向けて指をぱちん、と鳴らす。


 突如、男の全身が炎に包まれる。「ひっ!? な、なんだこれは!」と驚き、今度は熱さにのたうちまわる。しかし、ものの数秒で炎はフッと掻き消えた。最初から何も起きていなかったかのように、男は火傷ひとつ負っていない。


「今のは警告だ。これに懲りたら二度と余計な気は起こすんじゃない。もちろん、洞窟から出たあともな。でなければ痛い目に遭うくらいでは済まないだろう」


 ぜえぜえと息苦しそうに膝をついたままの男を横切り、仕方なく洞窟の奥へ進む。迷宮洞窟はいくつかの通路が一か所に通じていたり、交差していることが殆どなので、イーリスと合流するのは難しくない。


「……っ、の……馬鹿が!」


 男が咄嗟に立ち上がって背後から飛び掛かる。身体強化なら、一瞬の隙さえ突ければ勝ちの目はある。──相手がヒルデガルドでなければ。


「──滑稽だな」


 男の足下から突き出してきた土くれの巨腕が彼をがっちりとつかんで放さない。ヒルデガルドは歩みを止めることなく、男に振り返って。


「ピグラットは人間でも餌にするが、息を潜めていれば腕が守ってくれるから安心したまえ。せいぜい助けが来るまで大人しく反省でもするんだな」


 男の命乞いのように繰り返される戯言など彼女は聞き入れない。容赦なき者には同じく容赦はしない。かつて旅の中でそうしてきたときと変わらず、牙を剥く者には牙を。恩恵には恩恵で返す。それがヒルデガルドの〝戦い方〟だ。


 いつまでも響く怒り混じりの助けを求める声を無視して洞窟を進む。足は自然と速くなり、イーリスとの合流を急ぐ。幸い、彼女は魔力を感知できるので、遠くとも道なりに辿っていけば確実に出会うことはできる。しかし、奇妙なことに気付き、徐々に速度は落ちた。


「なんだ、この嫌な気配と獣臭は……まさかとは思うが……」


 進んだ先でがり、ごり、と不気味な音が壁伝いに流れてくる。魔力の灯りをさらに大きくして先を照らすと、広い空間を見つけた。何十人いてもまだ余裕のありそうな場所は天井までの高さもたっぷりある。ひとつ不満を言うとするなら、入った瞬間にひどい血の臭いで満たされていることだろう。


「なるほど。君が例の討伐対象(コボルトロード)か」


 不気味なほどぐんと曲がった背中。地面に刃を深く突き刺した戦斧。一見すれば細身だが引き締まった筋肉質の身体は毛深く、ゴツゴツした手は牙のように鋭く分厚い爪が伸びている。ぎらりと光った瞳が強い敵意を持ってヒルデガルドを捉えた。


『グルルル……』


 握りつぶすような低い唸り声。口から零れたのは、よだれではなく血だ。彼の手に握り締められているものは骨と張り付いた僅かな肉だけで、何を食べているのかは分からない。だがヒルデガルドは即座に理解して怪物を睨む。


「うむ、あまり信じたくはないが……共喰いをしているのか?」


 立ち上がった怪物は背中が曲がっているにも関わらず、ヒルデガルドよりもふた回りは大きい。戦斧を引き抜いて両手に構え、唸り声をあげながら地面を強く踏んだ。ゆっくり、敵対する相手の様子を窺っている。


 そのうち怪物はにまあと笑って、流暢に人の言葉を話した。


『雑魚を喰って何が悪い?』


「悪いとは言わないさ。君たちも本能に従って生きているだけだ。それ自体には何の否定的な言葉も持ち合わせてはいない。だが、しかし──」


 コボルトロードに向けて指をぱちんと鳴らす。


「看過も出来ない。悪いが、君にはここで死んでもらうことになる。共喰いまでする個体なら、そのうち人間にも手を出すだろう? 被害は最小限にしておかなくてはな」


 凄まじい冷気が洞窟の中を駆け抜ける。ゴブリンたちを凍らせたときと同じように、コボルトロードも冷凍するつもりだった。だが獣の判断力と俊敏さはときに常軌を逸したもので、『ロード』の名を冠する怪物は一筋縄ではいかない。


 戦斧の一撃が地面を叩き割り、怪物は軽々と大きく砕けた瓦礫を持ち上げ、冷気などものともせずにヒルデガルドへ向けて思いきり投げつけた。魔力によって生み出される冷気は、瓦礫を躱して中断せざるを得ない状況になり、ぴたりと止む。怪物の嘲りが低く不愉快に反響する。


「……フ、意外とやるな。だが遊んでいる暇はなくてね」


 翳した手の中で蒼白い光が輝き、花火のように散った瞬間、彼女の手には巨大な翡翠の宝玉が嵌め込まれた大きな杖が握られていた。


「──少し本気でやろうか、魔狼の王(コボルトロード)よ」

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