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第28話「昇級試験」

 温かい忠告だった。師も友も亡くしているヒルデガルドには、今やイーリスが誰よりも大切な存在だ。擦り傷ひとつでもされたらいやな気分になってしまうかもしれない、と不意に彼女は自分の中に芽生える過保護な感情にちくりと胸が痛む。


(良くないよな、本当は。籠の中に閉じ込めて可能性を塞ぐなんて)


 魔導師とはあらゆる可能性に飛び込んでいくものだ。命の危険を顧みずなところは、ヒルデガルド自身もまたそうであった。でなければ世界を救うなどと大それた話を聞いて旅をするはずもなく、しかし胸に抱えた死への恐怖を克服するために霊薬の研究を続けてきた。それが完成した今、自分はともかくイーリスはただの魔導師で、強い魔物と出会えば触れたら砕ける硝子細工のように繊細な命でしかないのだ。過保護になってしまうのも当然な部分があった。


「わかった。師匠の言葉だもの、約束するよ」


「……フッ、聞き分けの良い子は好きだ」


 命があってこそ魔導師は魔導師でいられる。それもまた事実で、イーリスは『無理のない範囲で無理をする』という、聞けば矛盾しているようで、そこそこに合理的な考え方を持っていた。


 そうして目的地へ着いた頃、既に他の冒険者たちも大勢が洞窟へ入ろうかと準備をしているのが目に入った。ギルドから派遣されてきた試験官役のゴールドランク以上の冒険者の何人かが入り口で名簿を確認し終わるのを待っているのだ。


「わあ、いっぱいだね。これだけいるとコボルトロードの討伐自体は出来そうだけど、それでもやっぱり逃げたほうが良いのかい?」


「もちろんだ。下手に数でどうにかなるほど弱いわけでもない」


 討伐はできても、その後に支障が出るほどの大怪我を負う可能性は十分にある。大勢いたとして、イーリスがそうなることも考えられるのだから、逃げた方が良いのは間違いない。「じゃあ仕方ないね」と彼女は少し残念そうだ。


「おや、これはヒルデガルドさん。あなたも試験に来たんですね」


 名簿を確認していたゴールドランクの冒険者の一人が、彼女を見つけて表情を明るくする。少し前、森での騒動で世話になった男だ。


「クレイグ。久しぶりだな、元気にしていたか?」


「ごらんの通りです。まさかここで会えるとは思いませんでした」


「アディクから特別に許可が下りてね」


「そうでしたか。お二人ならシルバーランクも確実でしょう」


 彼女たちの働きぶりはギルド内でもうわさになっている。それも、尾ひれがついて大きな話に変わっていて、コボルトに忠誠を誓わせ、シルバーランクの冒険者三人をたった一人で縛り上げた──と、報告内容とは異なったうわさだが、ときにはそれが真実であるとは誰も思わないだろう。ヒルデガルド本人は苦笑いを浮かべるばかりだ。


「ハハハ……光栄だな、まったく」


「ふふ、そのうち収まりますよ。ではそろそろ時間ですね」


 受験者たちの確認が終わり、目的の簡単な説明と危険度。また、コボルトロードの目撃情報についても再度の注意があり、それから迷宮洞窟への進入許可が出る。ブロンズの冒険者たちは我先にと支給された松明や魔法を灯りに駆けて行き、シルバーランクという目標に至るため、深部を目指す。


 のんびり散歩のように入ったのはヒルデガルドとイーリスのペアだけ。二人も魔法で小さな火を灯し、広げた紙に洞窟内部の地図を書き込んでいく。万が一にもコボルトロードと出くわして撤退する場合のための、昇級試験に従った報告書制作の一環だ。


「もう魔物が退治されてるね。ピグラットの死骸があるよ」


 豚のような鼻を持った、大きくて丸々太った鼠の魔物。ゴブリンなど以上に繁殖力が高く、数が常に増え続けるので根絶は難しいとされているが、そのぶん人間の膝ほどまでの高さしかなく、愚鈍で狩りやすい。食べると美味と言われている。しかし、他の魔物などの死骸を進んで食べる生態のためか、人気はない。


「入り組んでいるわりには大した魔物の棲み処ではないらしいな。これなら、ある程度まで進んで報告書を仕上げて帰ってもいいかもしれん」


 あくまでブロンズランクからの昇級試験なので、コボルトロード以外の危険度は極めて低い。ヒルデガルドたちには少々、楽が過ぎるくらいだ。早めに切り上げても良かったが、イーリスが「もうちょっと奥まで行って地図を作っておこうよ」という提案に頷き、二人で探索を続けた。


 他の冒険者たちも似たようなもので、引き返しているのとすれ違いながら、複雑な洞窟の地図を描きつつ進んでいく。


「……ふう、結構歩いたな。そろそろ戻るか?」


「だね。ボクたちに出来ることは殆どなさそうだし」


 少々脆く、今にも崩落しそうな場所がいくつかあった。危険だと言えるのはそれくらいで、ピグラットたちは脅威と呼ぶには程遠い。コボルトロードが現れる気配もなく、目撃情報は獲物でも探しに来ていただけなのかもしれないと結論付ける。


 もうこれ以上は進む必要もないだろう、と引き返そうとしたとき、暗がりからうめき声が聞こえて二人は足を止めた。


「う、うぅ……誰か助けて……」


 その呼び声にヒルデガルドが灯りを照らす。怪我をして倒れているのか、冒険者の男はうめくばかりで立ち上がれない。


「大丈夫か? 魔物に襲われたのか?」


 助けようと手を伸ばした瞬間、倒れていた男が顔をあげてにやりとする。その瞬間、彼女は察して「イーリス!」と振り返って叫ぶ。背後から迫った大きな火球が天井を殴りつけ、崩落を誘発した。咄嗟に名前を呼ばれて下がったイーリスは、崩落した天井によってヒルデガルドと分断されてしまう。


「へっ、楽な仕事だ。若い女の冒険者なんてツイてるぜ」


 立ち上がった男の傷は偽装したものだ。目の前にいる女の魔導師がローブの胸に着けたバッジを見て、ブロンズランクの冒険者だと分かり、余裕の笑みを浮かべる。彼も同じランクではあるが、腕には自信があった。


「イーリス、聞こえるか? そっちは無事か?」


 くぐもった声で『大丈夫、ボクもこれくらいは平気だ』と明るい返事がある。イーリスも敵を前にしているのだと思うと落ち着かず、久しぶりに苛立ちが募った。背後で待ち構える男を振り返り、彼女は強く睨みつけ──。


「冒険者を狙った強盗とは呆れた奴もいたものだ。──仮に死んでも文句は言うなよ?」

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