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エピローグ『終焉を目指す者』

────ゴブリンのいた(・・)洞窟。かつては冒険者たちの間でよく知られた場所だった。複雑に入り組んだ洞窟の内部は、暮らしていたと思われるゴブリンたちが掘り進んだであろう、いくつかの部屋へ繋がっている。


 その中でも、最も大きく広い最深部。今では誰も近寄らない場所は、ゴブリンの死骸などひとつもない。詳しい調査も終え、ギルドから立ち入り禁止の令が出ているその場所で、ひとりの男が椅子に座って、酒の瓶を片手に寛いでいる姿がある。傍には灯りを焚き、自室のように家具をあれこれ持ち込んでいた。


『おやおや、こんな陰気臭い場所がねぐらだなんて、大賢者でもしないよ。呼ばれたから来てやったのに、もうちょっといいところ用意してよ。ワタシはてっきり、首都の真ん中にある美味しそうなケーキが並んでる店とか想像してたんだけどなァ』


 影の中からぬっとあらわれたローブ姿の何者かに、男は苦笑いを浮かべて「ここも悪くないと思うんだけど」と冗談交じりに言ったが、何者かは良い反応を示さず沈黙する。それから小さくため息が聞こえた。


『それより、あれから二ヶ月。飛空艇での死傷者は最小限に終わったわけですけども……。クレイ・アルニム、おまえの計画は本当に成功するのかね? ワタシとしては、これ以上の退屈は見ていられない。手を貸す気にもならん』


 クレイは酒瓶の中身が空になったのを覗き込む。


「たしかに、あれは想定外だった。実験的とはいえ、そこそこに強い魔物たちを差し向けたのに、俺の考えを上回る規模で冒険者たちの抵抗は激しかった。クリスタルスライムがいれば乗客を皆殺しにできるはずだったんだよ?」


 瓶を足下に転がして踏み砕き、チッ、と舌打ちをした。


「でも、ヒルデガルドが弟子を取っていたのは分かっていたけど、まさかクリスタルスライムを排除できるほどの魔導師だとはね。……しかし、だ。お前こそ接触しておきながら、わざわざ始末もせず、何の成果もないまま戻ってくるなんて」


 嫌味たらしく言われて、アバドンがローブからぎらりと、両目の空洞を丸く、真っ赤に光り輝かせた。


『腹が立って仕方がねえ野郎だな。おまえ、ワタシの立場がまるで下にあるとでも思っているような言い方をするじゃァないか。怒らせるのも大概にしておけよ、若僧。この世界でワタシを殺せる奴なんてのは、一人しかいないんだから』


 どす黒い殺意。粘着いた液体のような滲んだ気配に、クレイはぞくりとする。デミゴッドの中で最も得体の知れないアバドンに、これほど面白い魔物が他にいるものかとうきうきして、ご機嫌を取るように言葉を返す。


「ハ、冗談じゃないか。最初から俺たちはあくまで共闘する契約を交わしているだけの仲だ。ちょっとお前好みの返答を模索してみたんだよ」


『ならやめておいたほうがよろしいですよォ、ワタシはおまえなんぞと手を繋いで花畑を歩くほどの懐の広さはしていないんだから』


 彼はクレイが気付かぬうちに髑髏の杖を持ち、石突で壁をこんっ、と叩く。壁は次第に黒い渦が広がり、そのうち草原の景色を映し出す。


『ワタシが望むのは愉悦。ただひたすらに、ワタシが望むものがそこにあるというから来てやったんだ。飛空艇のつまらない茶番劇のために手を貸しているわけではない。美しい絶望。その顛末にこそ、人々の命はより輝くというもの』


 開いたのはポータルだ。彼は首都近くの草原へ繋がるポータルを潜ろうとして、ぴたっと止まった。


「……なんだよ、まだ何か言いたいことでも?」


『そうそう、ひとつ聞き忘れていました』


 指を立てて、アバドンはクレイに振り向き。


『おまえの夢はなんだ、クレイ・アルニム』


 その問いはヒルデガルドにもしたものだ。アバドンは、どのような答えが返ってくるのかに興味を示してクレイにも同じ質問をした。


「そんなもの決まってる。理想の世界だ。そして、俺はただ欲しいものを欲しいと思えば、手に入るような世界を目指す。欲望の叶う、俺のための世界だ」


 アバドンの指がぴくっと動く。


『……そのためなら、何千、何万の人間も犠牲にすると。永劫に手に入らない、あの女ひとりのために、世界を壊すというのかね』


 椅子からたちあがったクレイが、何を聞かれているのかと呆れた顔をしながら、彼を押し退けて先にポータルを潜った。


「手に入らないからこそ手に入れる価値がある。その過程に必要なら、俺はいくらでも犠牲にするよ。ヒルデガルドよりも尊い命なんてありはしない。少なくとも俺にとっては、手に入れてから全てが始まるんだから」


 一度は殺そうとしたくせに、とアバドンは退屈そうに。


『下らない思想すぎて、あくびが出そうですねぇ……ふわあ。あ、出ちゃった』


 ポータルを潜った先で首都を前に、背にした大多数の魔物の軍勢を見た。コボルトやゴブリン、その上位種に当たるメイジやロード、中にはスライムのような知能を持たない魔物まで、それらすべてを配下にクレイは進撃するのだ。


「アルニム様。進撃の準備が整いました」


「ご苦労、ディオナ。ようやくこれで計画が進む」


 強い風が背中を押すように吹く。これが好機だと言われているふうに感じて、クレイはにやりとした。


「さあ、首都陥落は目の前だ。行こう、夢の実現のために」


 魔物たちの咆哮。狂気。支配された雄叫びを、聞くに堪えない、とアバドンは指先でこめかみをとんとん叩く。


『中々に壮観ではありますけど、物足りないなァ』


 本来ならあるはずの気配がない。アバドンは全て知っている。クレイたちがシャロムに襲い掛かったことも、あの白狼のデミゴッドが死んでいない(・・・・・・)ことも。


『なるほど、どおりで死神の臭いがしたわけだ』


 アバドンが一歩下がり、その体を黒煙のように散らせた。


『すみませんが、少々やるべき仕事を思い出しましたので、ワタシはいったん下がらせてもらいますよ。──面白いものを用意して参りましょう』


 ディオナはなんとなく不穏に感じたが、クレイがまったく気にする素振りもみせないのでそのまま見送った。


「アバドンは俺たちには想像もできない奴だ、放っておけ」


「……アルニム様がそうおっしゃるのなら。それでは、」


「ああ、もう待っている理由もない」


 腰に提げた剣を手に、空高く切っ先を掲げて──。


「いざ進撃! 首都の人間を一人残らず抹殺せよ!」

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