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第九話 乾いた心

「じゃあ……なんですか、今回の僕がやる事は青海さんのお父さんの弔い合戦って事ですか……?」


「……青海誠一郎氏は海洋調査における大きな結果を残した方でな、この業界ではかなり発言力のある存在だったんだが……さっきも言ったように晩年はオカルト方面に傾倒しきっていてな。それまでは彼を慕い、研究を共にしていた者たちまで徐々に彼から離れていき……元々多かった敵と共に口々に彼を異常者と決めつけ、嘲笑し……俺も当時の記事をいくつか見た事があるが、見るに堪えない酷いものだったよ」


 噛み締めるように息を吐いた宇垣が言葉を一度区切り、唸りながら口元を手で覆った。ありのままを伝えるべきか、それとも言葉を濁すべきか迷っているようにも見える。


「修吾君は今、弔い合戦だと言ったが……ハッキリ言って、俺たちがやっているのはそんな綺麗なものじゃあない。俺達がやっているのは……これからやろうとしているのは誠一郎氏の事が大好きで、最後まで味方だった所長の意地の張り合いだよ。二度と口を開けなくなった誠一郎氏を死後も(なぶ)り続けた他の研究者達を彼の説を証明する事で見返す……子供じみた理由だが、有無を言わせぬ決意のこもったあの迫力に惹かれて俺達は今日まで所長について来ているんだ」


「なら……その意地の張り合いのせいで、俺はこれから誰も行った事のない海に飛ばされるんですか?」


「耳の痛い言葉だが……その通りだ、返す言葉も無い」


 ばつが悪そうに頭を掻く宇垣を見ていると今まで感じた事の無い強い感情が胸を抉った、嫌悪感? それとも極めて純粋な怒り?……どれも違う、全身がざわつくような悲しみにも似たこの感情は……そう、疎外感だ。


「……所長と話してきます」


 呪いのような名前の書かれた書類を握りしめ、立ち上がる……ハッとして驚いたように目を見開きながら俺を見上げた宇垣は何かを言いたそうではあったが、すぐに開いた口を閉じ……最後は静かに頷いた。




「青海さん! 青海さんいますか!?」


 気が付けばコピーされた書類を握りしめた俺は食堂を飛び出し、所長室の扉を乱暴に叩いていた。先程からラブも付いて来てくれてはいるが一言も発さず、傍にいるだけで俺を止めようという素振りは見せない。


「わぁ怖い顔、こういう時はラブが止めるんじゃないのー?」


 怪しむでもなくあっさりと開かれた扉から現れたのは帆吊だった。息を荒くした俺の態度にも気を悪くした様子は無く、笑顔を浮かべながらラブを指でつついている。


『……今回の場合、修吾には全てを知る権利があると思いましたので』


「なるほどなるほど……うん、ラブと塩見さんを一緒にしたのは正解だったみたいだねぇ」


「それで……青海さんは部屋にいるんですか?」


 ばつが悪そうに俯くラブに帆吊が嬉しそうに口角を上げて納得したように頷いた、彼女から漂う洋菓子のような甘ったるい匂いも間延びしたのんびりとした口調も普段であれば好ましいが、今この状況に置いてはどれも神経を逆撫でする要因にしかならない。


「いるよー、そんなにトゲトゲしなくてもわたし達は塩見さんの味方だってばー……なーんて、今の状況じゃ信じろって方が難しいよねぇ」


 困ったような笑みを浮かべ、後ろ手に手を組みながら奥へと引っ込んだ帆吊に続いて部屋に入ると投影機の前でまっすぐに立ち、こちらを見つめる青海と目が合った。彼女の傍らには湯気を立てるカップや食べ掛けのケーキがテーブルの上に並んでいる……どうやら、二人の優雅なティータイムを邪魔してしまったらしい。


「……塩見さんにそんな表情をさせてしまったのは、その握っている書類が原因ですか?……少し、見せてもらっても?」


「は……はい」


 勢いのままに来てしまったが、いざ本人と相対すると自分はとんでもない事をしているのではないかという不安が一気に襲いかかってくる。書類を握った手を前に突き出しながら、ぎこちなく歩み寄ろうとする俺よりも早く青海がすぐ目の前へと辿り着き、くしゃくしゃに握りしめられた書類を優しく俺の手から受け取った。


「ん……帆吊さん、塩見さんの怪我の手当てをしてあげてください」


「はーい、少し待っててねぇ」


 テーブルの上を片付けながら返事をする帆吊を見つめながら首を傾げ、何の話だろうと青海の目線を追って視線を落とすと書類を握っていた手のひらの数か所に爪が食い込んでいたのか僅かに血が滲んでいた、全くの無意識だったが相当に強く握っていたらしい。


「このぐらい何とも無いですよ、それより……」


「塩見さん」


 怪我を隠すように握り拳をつくり、話しの続きを促そうとするがゆっくりと首を振り俺の胸元に手を置いた青海によってあっさりと遮られてしまった、言葉が出ず口を開いたまま目を見開いているとそれまで真剣な表情だった青海の表情にふと小さな笑みが浮かんだ。


「貴方の為であれば私はいくらでも時間を取ります、焦る必要はありません……まずは柔らかいソファに座ってその手を消毒し、何か温かい飲み物でも飲みながら話をするとしましょうか」




「すこーし沁みるよぉ」


「はい……うっ!」


 その言葉通り傷口に消毒液の染み込んだ布が押し当てられるとじんわりとした熱の後に針で刺されたような痛みを感じ、思わず顔をしかめるとそれを見た帆吊が何故か嬉しそうに笑って……いや、ニヤついている。


「……その帆吊さんの性癖については諦めてください、私も小さい頃に随分やられましたから」


「ひどいなぁ、琴子ちゃんとの経験があったから医者になろうーって決めたのにさぁ?」


「所長、です帆吊さん。今は塩見さんがいるんですよ?」


「もー……堅いなぁ」


 消毒布を押さえる係をラブと交代し、ソファに腰掛ける青海の後ろに素早く回り込んでその無防備な両肩に手を乗せ、ぐっと顔を近付ける帆吊にため息をつきながらジトリと呆れたような視線を返しているが、振りほどくような素振りは無い。話に聞いていた通り、二人は相当に仲が良いようだ……まぁ幼馴染な上に同じ研究所に一緒に住み込みで働いている時点でその点は疑いようは無いのだが。

 ふとむず痒さを感じ、怪我をした手に視線を向けるとラブが爪の間にこびり付いた血を拭き取って綺麗にしてくれていた、しかしそれもすぐに終わったのか手持無沙汰とばかりに汚れを探すように手の周りを飛び回っていたので小声でお礼を言うと彼女も俺が落ち着きを取り戻した事に安心したのか何度も頷き、寄り添うようにそっと肩の上に乗った。


「はぁ、騒がしくてすみません塩見さん……では、本題に入りましょうか」


 咳払いをしてくしゃくしゃになった書類をテーブルの上に広げると書類には数か所に俺の血の跡が付いていた、そんな紙を触らせて申し訳ない気持ちが湧き上がったが当の青海は気にする様子も無く書類の文章を指でなぞっていく……その細い指は最後に彼女の父の名が書かれたサインで止まり、凪いだ海のような彼女の静かな瞳が僅かに細められた。


「宇垣の独断にも困ったものですね……一度に大量の情報を塩見さんにぶつけて混乱させたくなかったのですが……」


「んー……逆じゃないかな? あいつも随分彼の事が気に入ってたみたいだし、小出しにされて不信感が爆発するよりはーって思ったんじゃない?」


「なるほど……確かに、塩見さんが知るべき情報をこちらが選ぶべきではなかったかもしれませんね」


 帆吊の言葉に納得したように頷くと俺にも見えるように書類を反転し、書類のサイン部分を指でトントンと叩いてみせた。


「塩見さんの聞いた通り……青海誠一郎は私の父です、彼もまた深海の研究者で……この青海研究所の前所長を務めていました」


「え……この研究所のですか?」


「はい、深海研究の凍結解除後もここは長く閉鎖されていましたが……私の深海に関する論文が賞を取った際に取引を持ちかけられ、賞金の変換と次の論文を代筆する事を条件に、所有権を譲ってもらったんです」


「ここの所有権を持っていた教授がこれまた強欲な奴でねぇー……よーするに優秀な琴子ちゃんにお金と名誉の匂いを嗅ぎつけたってワケ、廃棄されて長い研究所……立地も悪いから土地の価値も他の研究所に比べたら雀の涙、とは言ったって大学生三人に出せる額じゃ到底無かったからねぇ」


「業腹でしたが仕方ありませんでした、長期間放置されていたので中はひどい状態でしたが研究の成果で得た報酬や伝手(つて)を使って少しずつ直し……こうして、見ての通り観測員(あなた)を迎える研究所として最低限の体裁を保てる程度にはなりました」


 ……自分とはまるで違う世界の話を聞いているかのようだ、俺がコンビニで大差のない新商品を手に悩んでいる間に一人は医者を目指し、一人は賞を取る程の論文を書き上げたって? 俺はそんな彼女達と自分を同じ尺度で考えていたのか、なんて思い上がりも甚だしい……一つ一つの人生として見ても圧倒的な差のようなものを感じ、彼女たちと向かい合って座っている事が堪らなく恥ずかしくなってくる。


「それ程までに今日まで走ってきて……改めて聞きたいんですけど青海さんの目的って、ゴールって一体どこなんですか?」


「ゴール、ですか……そうですね」


 受け取った言葉を噛み締めるように静かに目を閉じた青海に、俺は訳の分からない焦燥感を感じていた……駆け抜け続ける彼女の思い描くゴールは一体どこなのだろう。俺の理解の及ぶ場所なのか、そしてそのゴールに……俺の姿はあるのだろうか? やがて再び開かれた彼女は眉をひそめ、困ったような笑みを浮かべていた。


「最初は本当に、父の無念を晴らす事だけが目的でした……当時はオカルトに過ぎなかった巨大深海魚の存在や生態を証明し、父を馬鹿にした人全てに実験を凍結した事を後悔させてやろうと……ですがその前に深海魚の方から現れてしまった今では父の事は理由の一つに過ぎず、未だに未知の多い深海の真実を一つでも多く知りたいという気持ちの方が強いですね……ふふ、どうやらジタバタともがいている内に私は根っからの研究者になってしまっていたようです……深海に全てを賭けていた父のようになりたい、或いは父を超えたいとすら思っている気がします。そして私達研究者にとって一つのゴールは次のゴールへ向けてのスタート地点……塩見さんの問いへの答えとしては曖昧すぎるかもしれませんが、これが今の私の想いです」


「わたしはただ琴子ちゃんと一緒にいたいだけー、その為に大変だったけど色々頑張って覚えたんだもん!」


「はいはい、貴方にも感謝してますよ……本当に」


『……修吾、どうしたんですか?』


 人懐っこい猫のように抱きつく帆吊とそれを受け入れる青海……そんな二人を静かに見つめているとラブがポツリと俺の様子を心配するような声を上げ、続いて二人の視線もこちらに向けられた。

 雰囲気に当てられただけかもしれない、だが確実に俺の胸の中で今までに感じた事の無い感情が湧き上がっていた……野心? 野望?……違う、これは圧倒的な『渇き』だ。

 小さな変化、小さな喜びで今まで乾いた心の大地にスポイトで水滴を落として染み込ませるように自分を無理やり誤魔化し、納得させてきたがもう駄目だ。今や俺は大地の広さを知ってしまった……乾いたままでは終わりたくないと心が叫んでいる。


「この……この書類にある六号観測所の事をもっと詳しく教えてください、観測員の制度なんてもうどうでもいいです。お願いします、俺は……俺を、どうか青海さん達の仲間に入れてください……!」


 一度火のついた心は止まらない……全てを知っている訳でもないのに『あり得ない』と嘲笑される事が常となっているオカルトは真実だった、そして今俺はその世界に手を伸ばせば届く位置にいる……冒険心、好奇心……これまで必死に凪いでいると自分に言いきかせていた心が強風に打たれているかのように強く(なび)いているのを感じる。立ち上がり、前のめりになる俺に驚いたような三人の視線が集中し……最初に口元に笑みを浮かべたのは青海だった。


「……元々、私は使い捨てのように人材を扱う観測員制度は嫌いです。いずれタイミングを見計らって提案しようと思っていましたが、今出すべきですね」


 白衣のポケットから青海が取り出したのは一封の封筒だった、中身は数枚の書類……ざっと目を通すと、書類は観測員になる為の契約書のようだ。


「まずは規定通り観測員として貴方を採用し……一年の任期を終えた後は改めてこの研究所にスカウトする事をお約束します。役職は……そうですね、ふふっ……専属観測員なんてどうでしょう? それと、塩見さんは私達の仲間になりたいと仰いましたが……一緒にキャンディーを食べたあの時から、私は貴方を仲間だと思っていますよ。この研究所の進む道は相変わらず荒れた大海原ですが……今一度お聞きします、塩見さんの力をどうか私に貸してください」


「っ……! はいっ!」


 差し出された青海の手を握り返して発した返事は、その場しのぎの誤魔化しでも調子を合わせた訳でも無く……社会に出てから初めて、真に心から出た言葉だった。

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