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第五十七話 繋がる海

 会議、討論会に発表会……名前だの呼び方だのなんて何でも良いが、要するに向こう様の聞きたい事は「最近どうですか? これからどうしますか?」だ。

 これ以上無いくらいにシンプルな質問、しかしこのシンプルな問いかけに明確な答えを用意できるかというとそれはまた別の問題が発生してくる、これは深海研究が特殊な分野だからという訳では無く……どの職種であろうとも言える事だと思う。

 この例を今回の俺達に当て嵌めてみよう。論争相手である周防研究所の主張によれば巨大深海魚の危険性は過去の例を見ても計り知れない、故に捕獲機を使って一体ずつでも排除すべきであるとの主張に加えてマリンドローンの映像に映っていたレドの死体が追い風となり世界に最もありふれた毒……空気を使った巨大深海魚専用の殺傷兵器の案まで出てきた。使用するのは空気なのだから環境破壊などの観点からも問題は無いという主張だ。野蛮な上に強い言い方をすれば侵略者のような考えだが恐らく若者には受けるだろう、それにレドの所業を記憶に深く刻み込んでいる世代の中にも巨大深海魚を問答無用で殲滅させたいと考えている者は少なくない、事故とはいえ被害者の無念を思えば思わず頷いてしまいそうになる……が。


「あはぁ、清隆センセーは相変わらず守銭奴だねぇ……ま、ある意味ブレなくてこっちは助かるけどぉ」


 ボソリと呟かれた帆吊の言葉に心の中で頷く……そう、この案の一番の問題は時間がかかりすぎるという事だ。捕獲装置の開発、テスト……全てが順調に進んで実行されたとしてもあの海に棲む巨大深海魚が何体いるのか想像もつかない点を踏まえれば殲滅と一言口にするのは簡単だが、あまりにも軽い……会場内でも同意する声がいくつか挙がっているが、清隆の目的が開発資金で私腹を肥やし、作戦の実行や責任を次以降の世代に押し付けようとしているのが何故分からないのか? 恐らくはこれが耳障りの良い言葉の利点というやつなのだろう。


「私達は私達の言葉を伝えるだけです……行きますよ」


 一方で我ら青海研究所の主張はマントル海域への干渉は最低限にすべきであるというのが主な内容だ、レドの一件はあくまでも空気がレドにとって有害だっただけで他の深海魚にも有効かどうかは分からず、引き揚げた巨大深海魚に空気が通用しなかった場合過去以上の被害が出る可能性がある点を強く推す。

 俺達の主張の主軸はマントル海域との調和や共生……周防研究所と比べると会場内の同意が多いがこれは彼らが重い腰を上げる必要が無いからだろう、この討論番組を見ている者達の目には俺達が弱気な臆病者のように映っているかもしれない。


「……塩見さん、貴方は周防研究所が開発した捕獲機を破壊したと聞いていますが事実ですか? もしそうならそれはあまりにも浅慮だったのでは? 新たな巨大深海魚の情報を得るチャンスを無為にした訳ですよね?」


「っ……あの時捕獲機が拘束していたのはあの辺り一帯を縄張りにしていた強力な深海魚でした、縄張りの主が消えるという事は即ちあの海域のパワーバランスが崩れると判断しての行動です」


「そんな事言って、本当は研究を横取りされるのが嫌だっただけじゃないんですか? その場にいたという巨大深海魚の存在そのものが嘘の可能性だってあるわけですよね?」


 この薄暗い会場でも分かるぐらい脂ぎった顔を光らせる記者が意地悪な笑みを浮かべる、記者への質疑の時間は後半にとってあるのだから今は黙って俺達の話を聞いていて欲しいものだ……とはいえ事前に周防研究所やマスコミ関係者にマリンドローンの記録映像の一部をリークしておいた効果は出ている、長い時間をかけたのだ……今更グダグダと他の巨大深海魚の存在の有無そのものを言い合っている時間など無い。


「……ふぅー……」


 視線をこちらに向ける青海の瞳が熱くなるなと物語っている……全く持ってその通りだ。緊張した宇垣をからかっておきながら、舞い上がっていたのは俺の方じゃないか。

 ──忘れるな、俺達の相手はあんな記者一人じゃなく今も生放送で流れているこの討論を見ている人間全てである事を!


「……塩見君、一ついいかな?」


 ハッとして顔を上げると俺達と同じく壇上に上がっている周防所長が手を挙げてこちらを見つめていた、俺の様子を窺っているようにも見える。


「はい」


「先の記者からの質問にもあったように君の言う大きな縄張りを持つ深海魚だが……仮に近海のパワーバランスを保つ為だったにしても、君が無事だったのはどういう理屈だい? そんなに強力な深海魚が近くにいたのであれば君が過ごしたという観測所が無事だったのも疑問だな、たまたま流れ着いた島を観測所と呼んでいるのであればまだ分かるがね?」


 そうだそうだと周囲から小さな野次が飛ぶ、喉を鳴らして笑いながら紡がれる彼の言葉は癇に障るが……一度冷静になった俺の心は凪いだ海のように揺れず、小さな波が白い泡を立てる事すら無かった。


「改めて宣言させて頂きますが件の巨大深海魚は実在します、加えて何故私が無事だったかについてですが……この深海魚は非常に友好的であったと、この一言に尽きます」


「……ほう、では何かね? 弱肉強食の野生を撮影するカメラマンに懐く野生動物がいるように、君は巨大深海魚に懐かれたとでも言うのかね?」


「その通りです、私が助けた深海魚は言葉こそ持ちませんがこちらの意志を理解しているような仕草をし、危険な目に遭った時などは私を助けてくれました」


「──バカバカしい、映画じゃあるまいし」


 記者たちの席から口汚い悪態が飛んでくる、カチンとくるが理解出来ない気持ちもまぁ分からないでもない……俺だって実際に体験してなければ信じたかどうか……。


「……君も知っての通り巨大深海魚はいわば生きる災害だ、本能のままに暴れ回り……喰らう。我々が路肩の蟻を気にしないように彼らにとって我々も同じなのだろうが、そういった意味ではなく……あくまでも友好的だったと、君は言うんだね?」


「はい、間違いありません」


「……ふむ」


「す、周防博士! あんな荒唐無稽な話を信じるんですか!?」


 周防の隣に立つ疲れた表情の研究員……確か枝先といったか? その男が焦った様子で甲高い悲鳴を上げていた、資料によればそもそも巨大深海魚の捕獲機を提案したのは彼だった筈だ。


「静かにしなさい、少し考えている。うむ……しかしやはり君の話は突拍子が過ぎる、夢のある話ではあるが……災害を未然に防ぐという意味でも我々から打って出る方が確実なのは間違いないだろう」


 帆吊が彼を狸と呼んでいた理由がようやく分かった、会場の空気も相まって今や彼の演じる大舞台となってしまっているではないか……ホッと項垂れる枝先の背中を撫でながら向けられた俳優様のいやらしい視線には、自然と指先がピクリと動いてしまう。


「いいかい塩見君、それからこの放送を見ている皆にも伝えておきたい事だが……我々が巨大深海魚の捕獲、もしくは殺害を提案しているのはあくまでも我々人類を守る為だ……それ以上の理由なんて無い。本来私達は海が、そして海に住む生物が大好きなのだ……もし彼の言うように友好的な深海魚が存在するのであれば、もし共存の道があるのだとすれば……私だってそちらを選びたいとすら思えるよ」


 マイクを手に舞台の中央へと移動し、まさに独壇場……今自分がポーカーフェイスを貫けているかどうか、自分でも分からなくなってしまった。


「だがそれはあくまでも私個人の考えに過ぎない、君の話を信じたい気持ちはある……だが真実かどうか分からぬ話に人類の命運を賭ける訳にはいかないのだよ」


 その言葉については全く正しい、言っている事自体も裏の狙いを除けばそう間違っている事を言っているようにも聞こえない……青海とは違う方向だが、彼にも一種のカリスマ性というやつがあるのかもしれない。


「どうかね? まさかこの場において空想という訳はあるまい、君の言う友好的な深海魚とやら……その証拠は何かあるんだろうね?」


「もちろんです、今日皆様に集まってもらったのはその為ですから」


 彼にとっては必殺の一言だったのだろう……これでダイビング体験よろしく色とりどりの小型深海魚に餌を与えている様子など流せば冷笑必至、出来る限りの笑顔を周防の方に向けながら手元で素早くマグフォンを操作する……頼むから震えてくれるなよ、俺の手。


『少し早まりそうだ、そっちの準備はどうだ?』


 メッセージの送信を完了した画面にチラリと視線を落としため息を漏らす……あとは祈るだけだ。


「ハッキリと確認してもらう為に本日は大型のモニターを用意しました、他にもいくつか準備する為の時間を少々頂いても?」


「もちろんいいとも! 今から巨大深海魚たちに来てくれるようお願いしないといけないのだからね!」


 周防の言葉に会場がどっと沸く……結論は出たとでも言いたげな雰囲気の中ですぐ後ろでスタンバイしていた宇垣が投射用のモニターを持って現れた、本来は必要無いものだが……時間稼ぎの為の資料を別に持って来ておいて良かった。


「……何分稼げばいい?」


「二分、それ以上は不審がられる」


「分かった」


 すれ違いざまに宇垣とのやり取りを交わし、当たり障りの無い話題で場を濁しておく……。

 今この瞬間こそこの討論のターニングポイント、巨大深海魚という存在に対しての一つの答えが出るかどうかというタイミング……結局のところ人間というのは分からない事に対して強い不安や恐怖感を覚える、故に圧倒的な暴力の権化のような巨大深海魚を恐れてきた……しかし俺はそこに友好的な深海魚もいるという全く新しい雫を落としたのだ、つまり今は水面に落ちた雫により波紋が広がっている最中……再び水面に凪が訪れる前にこの波紋を会場にいる者達や視聴者の心に浸透させなければ今回の討論は敗北し、次からは同じ雫では波紋が発生しなくなってしまう。

 返事はまだか……マグフォンを握りしめ宇垣の方へチラリと視線を向けると無情にもモニターの設置はほぼ完了してしまっていた、最後に通信用の無線イヤホンマイクを手渡される。


「……どうだ?」


「まだ……でも、やるしかない」


 幸運を、とでも言うかのように俺の背中を叩き宇垣が奥へと姿を消した、心なしか端に立つ青海の表情も硬い気がする。

 受け取ったマイクを耳に装着し──その時マグフォンが小さな震動音を鳴らした、画面に表示された文字を見て全身から力が抜けるのを感じる。


「──皆様、お待たせいたしました。準備の方が整ったようです」


 軽く頭を下げて宣言すると会場中の視線が一斉にこちらを向いた、期待・疑惑・懐疑・奇異……舞台の上から見ただけでも人々の目に様々な色が宿っているのが分かる、この放送を見ている人達の色も合わせたらさぞや色彩豊かな絵になる事だろうとほくそ笑みながら耳に装着したイヤホンのボタンを操作する……すると舞台の中央の壁際に設置されたモニターが何重にも折りたたまれた折り紙を広げるように展開していき、やがて映画館のような巨大なモニターへと変化した。


「……驚いたな、いつの間にそんなものを?」


「恐縮です、ウチの技術主任は少々やり過ぎる節がありまして」


 ポカンとした表情でモニターを見上げる周防にニヤリと笑い返してみるが、まだまだ彼の口元には余裕の笑みが広がっている。

 大きい会場とはいえこのモニターのサイズだ、首を痛める者も出るだろうがその痛みに気が付くのはここを出てからになるだろう……青海に目配せをして宇垣と共に後方でサポートに回ってもらう事にする。


「──改めて皆様、本日はお忙しい中お集り頂き誠にありがとうございます。最初に我々が巨大深海魚に関する情報をテレビで流し始めて早三年……今日に至るまで私達はもう一つの海の存在、そしてその危険性を皆様に伝えてきました。眉唾だと嘲笑された事もありました、非難を受けた事もありました……ですが形はどうあれ、皆様の心に小さなカケラとしてでも巨大深海魚の影が残った事と存じ上げます」


 一旦言葉を区切り、会場をゆっくりと見回す……相変わらずその目には様々な色が並んでいるが誰一人として言葉を挟もうという人はいないようだ、最後にチラリと青海と宇垣の方をみると……準備完了とばかりに手を上げている。


「ですが!……本日これから皆様に見て頂くのは今まで我々が伝えきれなかった、しかしどうしても伝えたかった一つの真実になります。この日を無事に迎えられた事を、心から嬉しく思います」


 会場を見回しながらイヤホンマイクの電源を入れる、最初に耳に届いたのは小さなノイズ音……それもすぐに消え去り耳馴染みのある音が聞こえてきた。


「……聞こえますか? 聞こえたら返事をしてください」


『はーい、聞こえるよ。こっちの声は聞こえる?』


 モニターに映るのは青い髪を揺らす青年、そしてその背後の景色に会場が一気にどよめく。

 地上の夕方とは少し雰囲気の違うオレンジ色に染まる海、その中で無機質な金属の床にソファを置いて座る美しい青年……まるでアートから抜け出してきたかのような光景に俺も思わず息を呑んでしまった。


「し、塩見君! この映像はなんだね……我々に何を見せようとしているのだ! 全世界に放映中なんだぞ!」


 てっきり周防の方から質問が飛んでくると思ったが、真っ先に声を上げたのは議長役を務めていた別の博士だった。しきりに俺とイサナを見比べ、席から立ち上がってしまっている。


「れっきとしたリアルタイムの映像です……『向こうの海』のね、何か質問があればしてもらっても構いませんよ?」


「ば……バカな……君、名前は何という? 君も青海研究所の者なのか?」


『ええと、はい。青海研究所所属の観測員……天ヶ瀬イサナといいます』


 事前に打ち合わせをしていたとはいえ何ともぎこちない言い方ではあったが会場内は再びざわめきが支配した、もはや箸が転がっただけでも驚くのではないかと思うと吹き出しそうになってしまう。


「改めて確認するが……そこはこの塩見君の言うマントル海域というやつなのか? 巨大深海魚が棲むという?」


『はい、毎日見る訳ではないですけど……ここに住み始めてからの五年間、何度も見てます』


「ごっ……!?」


 さすがに議長も言葉を失ったようだ、怪物が棲む海で五年間を生き延びる……言葉だけ見てもサバイバルなんてレベルではない事は用意に想像がつく。


「彼に比べれば遥かに短い期間ではありますが私もあの海の観測所で過ごしました、そして……先程も申し上げました通り、イサナとは別によき友も得る事が出来ました」


「……友だと、まさか……あり得ない」


 つい言葉が口から漏れたのだろう、ハッとして自らの口を覆う周防にしっかりと頷いてみせる。


「そうです周防博士、貴方も仰られたようにあの海で出会った友の存在が私の価値観を大きく変え……今ではその存在が人類と巨大深海魚の共存への道の架け橋になると信じています……イサナ!」


『任せて!』


 俺の叫ぶ声に合わせてイサナが青いハーモニカのようなものを取り出し口に当てた、そこから奏でられる音は透き通るような音色を響かせ……その美しい音色に会場は一時静まり返るが、次第に視線はイサナの背後で大きく伸びる水柱へと向けられた。


「──紹介します、我らが人類の友……エイトです!」


 一瞬で心の芯にまで届くような鳴き声を上げ、盛大に水飛沫を飛ばしながら姿を現した巨大深海魚……帯のような触手を何重にも身に纏い、頭部には二本の角……まるで鬼姫のような美しくも圧倒的な存在の登場に会場がパニックになる……かと思いきや、会場にいる人間一人残らず視線を逸らせず声も上げずにじっとモニターを見つめ続けている。

 ──エイトの姿を編集だとか、立体映像だとか言うだけなら誰にでも出来る……だがその姿を目に捉えてすぐに心で感じてしまったのだ、その迫力を……圧倒的な存在感を、思考よりも先に心で納得してしまったのだ。


「あ……あの子は大丈夫なのかね? 本当にあの巨大深海魚は……安全なのかね?」


「もちろんです、おーい! 久しぶりだなエイトー!」


 力強く頷きモニターに向けて手を振って見せる……すると声が届いたのかエイトの四つの目が爛々と輝き、首を振って俺の姿を探し始めた。

 イサナ側のモニターはあまり大きくないのですぐには分からなかったようだが、モニターに映る俺に気が付くとぐっと顔を近付けて俺に合わせるように触手を振ってみせる。


「……信じられん」


 ぼんやりとした映像を見た事はあってもはっきりとその姿を確認したのが初めてなのは周防も同じだ、目を大きく見開きその全身を捉えようとモニターに釘付けになっている。


「私は……私達はあの時、あの巨大深海魚を捕えようとしていたのか?」


「そうです周防博士、だから私は……いえ、俺は友達を助けました」


「はは……は、そうか……そうか」


 すっかり毒気を抜かれたかのように力無く椅子に腰かける周防、その行動によって今回の討論の結論が決まり──マントル海域の研究については今後、青海研究所が代表となって行われる事となった。

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