第五十六話 見据える者達
『着いたぞ、衝撃で舌を噛まないようにしろよー』
きっと俺に向けられて放たれたのであろうその言葉と同時に車内に一瞬軽い衝撃が走った、いつまで俺はからかいの対象になるのだと思いっきり顔をしかめてみせると、それを見た青海が愉快そうに笑みをこぼした。
「それにしても……車が空を飛ぶ時代になっても駐車場は地上なんですね」
「ふふっ、それだと高所から延々とエレベーターなどで降りる事になるからじゃないですかね?」
「ああなるほど、それは確かに……かなり怖そうですね」
空飛ぶ駐車場から細いパイプのようなエレベーターで降りる事を想像して思わず苦笑する、高所恐怖症などでは無い俺でもそこまでいくとさすがに怖い。
「仮に作られるにしてもまだまだ先の話だろうなぁ、今だって景観が失われるだの何だのって言って車の飛べる区画を作るのに苦労してるみたいだって聞いたぞ?」
「テレビでもたまに取り沙汰されていますね、区画問題もそうですが地上道路との兼ね合いや空中標識など……考えるだけで頭が下がりますね」
困ったように笑う青海を見ていると先日何気なく食堂で見たテレビの内容を思い出した、飛行可能車の飛行区画を巡っての反対運動……時代は進んでもこういう光景はマンションの建設反対運動時代と何も変わらない、人間ってやつは全会一致が最も難しい生物なのだと改めて実感させられたのをほんのりとだが覚えている。
「……それじゃあまぁ、俺達は地上に感謝して歩くとしますか」
資料の入った鞄を掴み一足先に車から降りると続けて青海が、最後に宇垣が車から降りた。
久しぶりの外……という訳では無いがあくまでも出不精の俺からするとそう思うだけで一般的には久しぶりなのかもしれない、駐車場の建物に差し込む眩しい光を見て今からあそこに出るのかと思うと少し気が滅入ってくるが……今日ばかりはそうもいかない、目的地は少し離れた場所にあるらしく俺では道が分からないので宇垣を先頭に青海と並んでついて行く事になった。
「それにしても俺、マリンタワーって初めてなんですよね。二人は来た事あります?」
「ああ、まぁ……その時も遊びに来た訳じゃあなかったがな」
「以前討論会に出席する為に渚も連れて三人で来たんですよ、明彦おじさんともそこで再会しました」
ハッキリ頷く青海と対照的に宇垣は言葉を濁している、どうやら良い思い出……という訳でもないようだ。
「以前は内々の会議だったが今回は報道陣も詰め寄る大舞台だ……いかん、俺の方が緊張してきた」
「しっかりしてくださいよ、宇垣さんが出る訳じゃないんですから」
顔を青くして自らの胸元を掴む宇垣の背中を叩きながらケラケラと笑ってみせるが俺だって緊張してない訳じゃない、気分を変える為に青海から別の味の飴でも貰おうかと視線を移すとそこでようやくマリンタワーのすぐ近くまで来ている事に気が付いた。
深海などに棲むちょっと変わった海洋生物を取り扱っているアミューズメント施設で有名なマリンタワーだが一般人が入れる階が決まっており、そこから上は俺達のような専門の研究者のみが立ち入れる施設となっている。
以前から気になっていた事もあり正面から入って少し散策したいのは山々だが今の俺達はちょっとした有名人だ、深海に興味を持ったファンや熱心な記者に捕まるなどのトラブルを避けるために事前に連絡していた裏口への道を進む事にすると正面入り口で鳴り響く愉快な音楽が遠のいていき、少しだけ寂しい気もする。
「──博士だ!」
「え……?」
裏口のある路地へ入ろうかという時に甲高い声が鳴り響いた、静かな路地によく響くその声の方へ反射的に顔を向けるとそこにはジュースの缶を抱えた少年が立っていた。
外見からして小学校高学年ぐらいだろうか? まさか迷子かと思い周囲を見てみるが親らしき姿は無い……戸惑っている俺達を尻目に、少年はこちらに向かって駆け出してくるではないか。
「……青海さんのファンですかね?」
「いえ、あの子の視線は貴方に釘付けのようですよ?」
その言葉通り少年は俺の目の前で立ち止まると嬉しそうに両手を広げて飛び跳ね始めた、額からは爽やかな汗も一緒に飛び跳ねている。
「博士だ! テレビの人だ!」
その手に持っているジュースは炭酸飲料だろう、大丈夫なのかという明後日の心配をしつつ少年をどう扱ったものかと頭が真っ白になる……子供が嫌いという訳では無いが、予測がつかないという意味では嫌味な大人に囲まれるよりもやり辛いかもしれない。
「えーっと……テレビ、見てくれたのかな?」
「見たよ! 大きな魚カッコよかった! 博士の説明は難しかったけど、なんか好きだった!」
「そっか、それなら良かったよ」
以前どこかで見た子供との対話方法に覚えがあったので少年と視線を合わせる為にしゃがみ込み頷いてみせる、ちなみに俺は博士では無く主任研究員なのだが……まぁそんな事をこの少年に言ってもきっとピンとこない、ちょこちょこテレビに出ては怪獣のような魚の話をするおじさん……そんなところだろう。
「今日もテレビ見るよ! どんなお話するの?」
「あはは……それは内緒かな、でも……きっと驚くよ、君だけじゃなく日本中……いや、世界中の人達がね?」
わざとらしく大きく身振りをしてニヤリと笑ってみせると少年の期待が大きく膨らんだのがその表情からもよく分かった、これで無難に済まそうという逃げ道は塞がった……小さな約束だが、逃げ癖のある俺には丁度いい発破剤になる。
「──っ! 頑張ってね博士! これにサインして!」
「これ……ってこの缶に!?」
差し出された缶には水滴がつきまくりでペンの字を何度も浮かせられ、青海と宇垣の笑い声を背後に四苦八苦しながら書ききると少年は満足そうに正面入り口の方へと走って行った……まさかここで俺達を待っていたのだろうか?……いやそれこそまさか、だ。
重い扉を押し開くと大きなホール状の会場が広がり、普段は静かなのかもしれないが今日は沢山の関係者が詰め寄り大賑わいとなっていた。
深海研究の関係者よりも遥かに多い記者などのテレビ関係者のせいで討論会の会場というよりは記者会見のようになってしまっており、呆気にとられながらも俺達の待機する椅子を探そうと周囲を見回していると一人の記者が俺に気付いたようでマイク片手に勢いよく詰め寄ってきた。
「塩見主任研究員ですよね? 事前の告知でもありましたが、今日の討論で出す情報の一部だけでも私達に教えてもらえたりしませんかね?」
「へ?……あ、いや」
「はいはいダメダメ、質問は討論や発表の中で受け付ける時間を作ってるんだからその時に頼むよー?」
俺の口から漏れる吐息すら聞き逃すまいと向けられたマイクに思わず仰け反っていると、俺と女性記者の間に割り込むように滝谷が姿を現した。
「ですが、国民には知る権利があるんですよ?」
「だからこの後話すって言ってるでしょー? それとも君達に情報を横流しして独占させろって? それこそ後で問題になるんじゃなーい?」
「っ……」
背後からでも滝谷がニヤリと笑ったのが分かる、わざと嫌がる言葉を使われ女性記者は渋々マイクを下ろすと自分達のカメラなどがある場所へと戻っていった……負けてないと言わんばかりに最後に俺を睨みつけて、だが。
「……これだから僕は報道陣ってやつが好きになれないんだよなぁ、ああこれ内緒だよ修吾君?」
こちらに向き直りニコリと笑う滝谷だが内緒と言う割に声量は落としておらず、近くにいた記者の耳にはバッチリ届いている筈だ。
「ダメじゃないか宇垣君、ああいうのから修吾君を守るのが君の役目だろう?」
「……すみません、つい勢いに呆気にとられて……いえ、もう大丈夫です」
フォローを入れようかとも思ったが謝罪を口にした後に頭を上げた時には宇垣の顔から油断の色はすっかり消えていた、それを見抜いたのか宇垣の肩を叩きながら滝谷が満足そうに唸る。
「任せたよ、僕は君達の味方だが……いや、だからこそ本番は助け舟を出せそうもない。君達二人でしっかりと修吾君をサポートしてあげてくれよ?」
「はいっ!」
背後で青海と宇垣の声が重なる、そのお陰でこんな地の利の無い場所でも心強く思え胸が温かくなる。
「……やぁ、もうすぐ開始だが……少しいいかね?」
三人で最後の確認作業をしていると不意に声を掛けられた、顔を上げるとどこかで見た顔だ……少し考え、答えに思い至りハッとする。
「周防所長……直接会うのはあの時以来ですね」
「ああ、君の最近の活躍はこちらの耳にもよく届いているよ。活力的に動いているようじゃないか」
──周防清隆、周防研究所の所長だ。
以前彼らの研究所が製作した巨大深海魚用の捕獲機を俺が破壊した際に足にワイヤーが絡まり、そのせいで強制的に地上に帰還する羽目になった元凶であり……青海研究所を青海所長の名誉と引き換えで売り渡した張本人だ。調子のいい事に今では俺達の代表を名乗り、甘い汁をこれでもかと腹に溜めこんでいる。
「ええ……それぐらいしか俺には出来ませんし、人は一度や二度……いえ、十回聞いたって忘れる時は忘れる生き物ですから」
「確かにな、ああ……確かに君の話を何度も聞いたせいで私の耳にタコが出来てるかもしれん」
「それはすみません、ですがもしタコが出来てしまったなら……俺達の狙い通りです」
「ほぉ?……くくく、それならば今回の君の発表はここにいる全員の度肝を抜くようなものなんだろうねぇ」
一瞬驚いたように目を見開いた周防だったがすぐに喉を鳴らして笑い始めた、何度かやり取りをして分かった事は彼は非常に優秀な人物だという事だ。学歴等を軽視した徹底的過ぎる程の実力主義……だからこそ俺のような学の無い人間も所属を許されているのだが、それほどまでに非常に柔軟な思考を持つ人物だからこそ自らの兵隊を作る為にしか活用出来ないという点は非常に残念でならない。
こちらも彼の影響力を利用してきているのだから文句は言えないのかもしれないが……彼の手下が作り上げた玩具がエイトを殺しかけた事はやはり許し難い、人類のみを守りたいか深海魚すらも守りたいか……どちらが正しいという話ではないが、彼らと俺達はその点で既に決定的な溝が生まれてしまっている。
その時俺と周防の耳に小さな電子音が届いた、同時に音がした方に顔を向けると先程の記者がこちらに向けてカメラを構えていた。
「フン……明日の朝刊の見出しは私が君に宣戦布告をしたとか、そんなところだろうな」
「……滝谷さんじゃないですけど、俺も報道者が嫌いになりそうですよ」
周防には笑みを作る余裕があるが俺の顔には不満の色が浮かんでいる事だろう、こればかりは年季がものを言うというやつだ。
「まぁそう言うな、あれはあれで役に立つ……それにあの男の元にいる割にあまり捻くれていない君の持ち味を生かしなさい、子供にも人気があるそうじゃないか。子供が好めば親も見ざるを得ない、今まで通り続けたまえ」
「……はい、ありがとうございます」
息をゆっくりと吐き出して顔を上げると周防が満足そうに頷いた。
「注目度が上がり、収益が増えれば研究資金も増える。我々は言うなれば共同経営者だ、では私は部屋に戻らせてもらうよ……ここは暑くてかなわん」
「──はい」
肥え太った腹を抱えながらホールを後にする博士を見つめ、彼の残り香を吹き飛ばすように強く息を吐く……最終確認を終えてしばらくすると議長役の博士のマイクから耳障りなノイズが響き、舞台の幕が上がった。




