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第五十話 ルシッド・ドリーム

「ん……む……?」


 重い目を擦りながらベッドから体を起こし、大きなあくびを一つ……随分と大きなベッドだ、キングサイズというやつだろうか? 多分このまま体を横にしても足がベッドから飛び出る事は無いだろう。シーツにしても枕にしても詳しい事はさっぱりだが触り心地に馴染みが無く、高い事だけは何となく分かる……というか天蓋(てんがい)付きのベッドなんて映画でしか見た事が無い。

 更にベッド以外にも視線を向けてみるが……周囲には何も無い、小ざっぱりした部屋だとか生活感の無い部屋だとかそういう意味ではなく、壁も無ければ床も無い……本当にただただ真っ白い空間が広がっている。そんな空間のど真ん中にこの大きなベッドが一つポツンだ、空間を贅沢に使っているにしても程がある。

 しかし不思議と驚きも無ければ困惑する気持ちも無い、状況だけで言えば周防(すおう)研究所の……何とか言う博士に捉えられた時と殆ど同じだが柔らかい衣服に着替えさせられている点といい、どちらかと言えば居心地の良さすら感じる。


「もう少しビックリすると思ったんですけどね、向こうの海で驚く事には慣れましたか?」


「ラブ……いや、多分驚いてると思うんだけど……それ以上に安心するんだよね、ここ。何が何だかさっぱりなんだけどさ」


「ふふっ、そうでしょうね。私が修吾を怖がらせたり不安にさせる事なんてする筈がありませんから」


 一体いつからそこにいたのか、何かがいれば見逃す筈の無い空間で突然隣に現れたのは人型のラブだった。優しく微笑む彼女から発される声はいつもよりも更に柔らかく心に届く気がする、これもこの空間の影響なのだろうか? ふと視線を下げてラブの足元を見つめてみると……白く光る床に彼女の足が僅かに滲んでいる。


「……ちなみにそれって飛んでるの? 俺がベッドから降りても落ちたりしない?」


「ええもちろん、怖いなら手を握っていてあげましょうか?」


 差し出された手を見つめ……少しだけ悔しい気もするが素直にその手を握ってベッドから降り立つと何も無い空間に立つ事が出来た。ただし床を踏みしめた時のような密着感は無く、どこかふわふわとしている気がする。


「で、ここは……どこなんだ? 俺達は何でここに?」


「そうですね……一言で言うならここは修吾の夢の中です、この空間の中では何でも修吾の思い通りになりますよ」


「あはは、そりゃいいな! じゃあ俺がもしラーメン食べたいって言ったら……は?」


 ラブが至極真面目な顔で言うものだからつい吹き出し、両手を広げて願いを口にするとすぐ近くに豪勢な食卓セットが現れ、テーブルの上では美味しそうな一杯のラーメンが温かな湯気を上げている。

 あんぐりと口を開けながらラブを見つめると彼女は小さく笑いながら頷いた……恐る恐る食卓に置かれた椅子の一つに腰掛け、ラブもまた向かいの椅子に腰かけた。


「ん、箸が無いな……で、やっぱり出てくるのか」


 少し箸の事を思い浮かべただけでラーメンの隣に割り箸ではなく家に置きっぱなしにしている使い慣れた箸が現れた、信じ難い事だがラブの言う通りに思い描いた出来事が起きている。


「……これ、食べても平気なのか?」


「どうぞ? 残念ながらお腹は満たされませんが、修吾が一番美味しいと感じる味の筈ですよ」


 恐る恐る箸を手に取り、一口分の麺を掬い上げると何度か息を吹きかけ……啜る。するとラブの言葉通り舌に広がるラーメンの味は昔好きでよく通っていたラーメン屋の味そのものだった、残念ながら何年か前に店が潰れてしまった為に長年口にしていなかったが……懐かしさからか夢中で麺を啜る俺をラブは静かに見つめ、時折視線を上げるといつもどこか嬉しそうに微笑んでいた。




「美味かった……けど、本当に腹は満たされないんだな。夢の世界って事は、俺は今寝てるのか?」


「ええ、それはもうぐっすりと。修吾は明晰夢(めいせきむ)というものを知っていますか? この世界はその明晰夢に限りなく近づけた空間なんですよ」


 聞き慣れない言葉に首を振って答えるとラブが丁寧に説明してくれた、専門的な言葉はよく分からないが……要するに物凄くリアルな夢の事らしい。何でもかんでも思いのままに出来るとは、それこそ夢のような話だ。


「……思い出した、何故か肩が凄い色になってて……じゃあ今は手術中なのか」


「麻酔を使う事も検討しましたが、修吾の状態が分からなかったので安全を重視して今は私と神経を一時的に直結して意識のみをこの空間に飛ばしているんです、神経からの信号を制限しているので今は痛みを感じないでしょう?」


 試しにと腕の皮膚をつまんでみるが……確かに痛みなんて感じない、近くに鏡を出現させて改めて自分の姿を見てみるが壊死している様子が無いので何故かと聞くと、今のような意識のみの状態だと自分で最も自身を認識している姿になるかららしい。


「って事は……ラブも意識のみなのか? 今なら一緒にご飯食べたり出来るのかな?」


「嬉しい提案ですが残念ながらそれは出来ません、私は私自身で意識的に食事は摂れないと認識してしまっていますので」


「残念、せっかく貴重な体験をしているんだし手術が終わるまでお菓子パーティでもしようと思ったのに……」


「本当に残念です、それでもこうして意識を共有しているだけでも私は嬉しいですけどね」


 昔よく食べていたもの、大きくなってから好きになったものなど様々なお菓子を抱える程に出現させてニヤリとしてみるが、やや寂しそうに笑うラブにこちらもお菓子を消して小さく笑って返し……しばしの沈黙が辺りを包み込んだ。


「……この空間で流れる時間は実際に感じている時間よりもかなり引き延ばされています、つまり手術が終わるまでかなり時間に余裕があるので……今の内に修吾さんが体験した話と、こちらで判明した事を摺り合わせませんか?」


「分かった、それじゃあ……あー……どこから始めたものか」


「まずは肩がああなってしまった原因から突き止めましょう。こちらへ引き上げられた時、修吾はトリトンスーツを身に着けていたと聞いていますが……向こうで肩部に何かしらの損傷を受けましたか?」


「一気に色々起きたもんだからあの時はちょっとパニックになってたけど……確かに、引っ張り上げられる直前の俺は肩を怪我してたよ」


 それから俺はエイトが鹵獲機に捕まったあの日の事をややかいつまんで説明した。

 トリトンスーツを装着して荒れ狂う海に潜った事、エイトの拘束を解いている最中に弾けたワイヤーによって肩を怪我した事……あの時は必死すぎてすぐに痛みも忘れてしまっていたが、肩を怪我したとすれば間違いなくあのタイミングだ。


「……なるほど、他にも色々聞きたい事は増えましたがその際に怪我を……つまり肩のあの部分だけが露出していたという事ですね?」


「そう、だな……でもだからって何でその部分だけあんな風になったんだ?」


「当然の疑問ですね、では今度はこちらで得た情報と現在我々が辿り着いた結論を話しましょう」


 ラブの口から語られた内容は、俺がいない間に青海研究所で判明した出来事だった。あのマントル海域では地上と比べて数倍の時間が先行したり逆行したりしている事、そしてどちらに転んでも帰還した際に起きる肉体へのダメージは避けられず……唯一ダメージを回避出来る可能性を秘めていたのは巨大深海魚の皮や鱗に守られたあのトリトンスーツのみだったという事など、あまりにも現実離れした話だが実際に自分の体に起きた事を考えれば納得せざるを得ない。


「……つまり、あのクレーンに引き上げられた時に肩の部分だけが露出してたからあの部分だけ時間のズレによるダメージを受けた……って事でいいのか?」


「はい、今回私達の目を盗んで強行された鹵獲装置による調査……正直に私の気持ちだけを述べて良いのであればあまりにも腹立たしく、乱暴な確認方法でしたが……とにかく、結果として帆吊さんの仮説が立証されたと考えていいと私は思います」


 ……ではもし、もし仮にトリトンスーツを着ていない素の状態で引き上げられていたとしたら……? 酷く変色していた肩の状態を思い出しながら手を伸ばすと背筋が寒くなり、大きく身震いしてしまう。


「じゃあ……逆にマントル海域に入った時にその時間のダメージが無いのは何でだろう? 同じ理屈が起きてもおかしくないよね?」


「これも仮説に過ぎませんが……あちらで流れる時間があまりにも可変的だからだと思います、常にズレていると言えばいいのか……故に向こうではズレている事が当たり前であり、どのような時間軸から来たとしても先行及び逆行によるダメージが発生しないのかと」


「あの海では個々の時間を矯正する必要が無いって事か……確かに、あの海には独特の時間が流れていたからなぁ」


 結論としては時間のダメージというのは時間の流れが一定であるが故に個々の時間を矯正しようとした際に起きる事象だという事であり、加えてダメージが発生するのはあの転移地点を抜けたその一瞬のみ……そしてそのダメージを防いでくれるのがトリトンスーツ、もとい深海魚の皮ないし鱗という訳だ。


「そっちの話については改めて時間をとって皆の前で話してもらった方が早いでしょう、しばらくは右腕を上手く動かせないと思うので生活については全面的に私がサポートします」


「ああ、また迷惑をかけるよ」


「何を言ってるんですか、前にも言ったでしょう? 私は修吾のパートナーなんですからね」


 胸を張る彼女と笑顔で握手を交わし、その後は目が覚めるまで関係無い事を話したり明晰夢の空間をこれでもかと楽しんでいた。

 ──そんな中でも振り切れない思いが一つだけあった、俺は一体いつまたあの海に……イサナの元に帰れるのだろう、と。

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