第四十五話 ディープ・シー・ボトルタウン
「お、おいイサナ……あんまり近付くと起きるんじゃないか?」
「大丈夫、レドはもうとっくに死んでるよ……もし生きてたら上にいる時から僕達の事を見つけて、襲いかかって来てる筈だもん」
「ほ、本当か……?」
恐る恐るレドの表皮を突いてみるが確かにピクリとも動かない、それはそれとして今この状況においては俺の反応の方が正しいのだと少し離れた位置で大笑いしているイサナに誰でもいいから伝えてやって欲しい。
「……にしても、ここまで来れたって事はきっと死ぬ前に戻って来られたんだね……良かった、どうせなら知ってる海で最期を迎えたいもんね」
ドローンのアームでレドを撫でながら慈愛の言葉をかけるイサナはさながら死者に寄り添うシスターのよう……改めてイサナの優しさを実感し、ほんの少しだけ湧き上がった嫉妬の心を誤魔化すようにレドの体を観察しているとある事に気が付いた。
「なぁ……レドは一体いつ死んだんだろう? これだけ綺麗に体が残ってるって事は、最近って事になるよな?」
レドの体は皮膚にも弾力があり生き生きとしている、死んでいると分かってはいるが今にも起き上がって襲いかかってきそうな程で……あまりにも綺麗すぎる。
「多分だけど……かなり時間が経ってると思うよ、死後も再生能力が残ってるのはシューゴのトリトンスーツで証明されてるでしょ? だから腐らないだけじゃないかな……きっと治癒しきる前に地上の空気による蝕みで体力が尽きちゃったんだね」
「レドほどの能力をもってしてもか……地上の空気ってそんなに深海魚にとっては毒なのか……」
「僕達はすっかり地上の空気の濃さに慣れてるけどね、それでも更に濃度を増すと僕達にとっても毒なんだよ? それに老化も呼吸によって空気を取り込む事で肉体が酸化していくのが原因……なんて説もあるぐらいだしね、空気って実はす……っごく遅効性の毒なのかも」
「神様が人間に宿したリミットってか?……怖い話だな」
生きる上で無くてはならない呼吸という行為が実は常に毒を飲み続ける事だったなんてあまりにも皮肉が効きすぎている、哲学的ではあるが……ゾッとしないのでこの話はここまでにしておこう。
「怖いね、ま……今の僕達には神様なんかよりも先に自分たちで決めたリミットが迫ってるんだけどね?」
「俺達で決めたリミット?……ああ、燃料の事か」
あまり気にしないようにしていたが、ドローンの視界を映す画面に表示された燃料残量を表すゲージは甘く見積もっても残り三割といったところか……だが今回の探索で得た情報量はこれまでと比較しても十分過ぎるぐらいだろう。
「残りはどうする? あの民家を一軒一軒調べて回っても良いけど……戻って遺跡の中をもう少し調べるか?」
「どっちも魅力的な提案だけど、回収した情報量と残りの燃料を考えると……一度引き上げて、改めてもう一度来よう」
「……は? 今引き上げるって言ったか?」
何を突然言い始めるのか、確かにここは開放的ではあるがあくまでも海底の更に下だ……依然として閉じ込められているという事実にはなんら変化はない。その事を伝えてもイサナは自信満々に頷き、出られると更に繰り返した。
「だから、俺らはあの蟹……海老か? ええいどっちでもいいけど、あの深海魚に落とされてここまで来たんだぞ? それに海底が割れてたのは多分あの辺りだけだったし、って事はこのまま上に上がってもいずれ岩の天井にぶち当たるだけだろ?」
「そうだね、もしかしたら今はあるのかもしれないけど……だって人は飛べないからね」
「?」
「ふふ、行こう。こうしてる間だって燃料は使うんだからさ、説明は移動しながらするよ」
「え、あ……おい、待てって!」
当てがあるとでも言いたげに迷いなくどこかへ進みだすイサナを慌てて追いかける……少し進んだところでふと背後が気になり振り向いたが、レドは最初に見た時から寸分違わぬ姿勢のまま眠り続けていた。
「……それで? こっちに出口があるっていう確証はなんだ? 中腹ぐらいまで戻って来たけどまだ天井も見えないぞ?」
レドの死体から離れ、遺跡とは反対方向に進みだしたが一向に話し出さないイサナに焦れて切り出す……周りの景色は相変わらず不変の美しさを放っているが、今はイサナの話の方が気になって仕方ない。
「まず一つにここにいたかもしれない人達は石の加工が得意だったと思うんだよね、遺跡の中の壁をシューゴも見たでしょ?」
「ああ、確かに継ぎ目も無いし見事な作りだったよな……あれには驚いた」
「僕もだよ、それでね? この海って危険な魚が多いでしょ? シューゴを襲ったハイエナ魚もそうだし……当然エイトのような巨大深海魚もね? でもここの人達は岩山の岩壁に住んでる……これっておかしくない?」
「……まぁ、確かに。もし襲われでもしたらひとたまりもないだろうな」
言われてみればそうだ、岩山から突き出した民家の数々は景色として見る分にはいいが防御面としては些か頼りなく……ハッキリ言ってしまえばお粗末だ、これでは襲ってくれと言っているようなものだと思う。
「でしょ? もしかしたらこの場所自体がエイトか、エイトに似た巨大深海魚を祀る為に作ったのかもしれないけど……どっちにしても同じ事だね、ここにいた人間達には石や岩を扱う技術が凄まじかった……それこそ、岩壁の中にこんな街を作るぐらいね」
「ここが……岩の中!?……待て待て、洞窟を加工したとかならまだ分かるが……ここを全部掘り進めて作ったってか?」
周囲をぐるりと見てみるが相変わらず壁面も天井も見えず、だだっ広い水中に放り出されているようにしか見えない……こんな空間をただの岩の層から作り上げたとすると一体何年、いやそもそもそんな事が可能なのかすら怪しい。しかし事実だとするならとんでもない事だ、先程はこの海底都市をお粗末だと評価したがまるで逆……砦にも匹敵する程の堅牢さを誇っていたに違いない。
「だと思う、だから安心してあんな目立つ建物を建てられたんじゃないかな?」
「……とんでもないボトルシップみたいだな」
……納得は出来る、辛うじて想像も出来るがスケールが大きすぎて理解が追い付かずようやく絞り出した答えがあまりに安易で自分で笑ってしまった。
「そんな感じそんな感じ、ボトルシティ? ボトルタウン?……いいね、どっちも響きがお洒落で好きだよ」
こんな答えでもイサナは笑って同意してくれる、不安や劣等感など軽々と吹き飛ばすそんなイサナの笑い声が俺は大好きだ。そんな事を考えながらひたすらイサナに続いて直進し続け……やがて遠すぎてモヤのようになっていたボトルシップの果てが段々と開けていき、目の前に待ち焦がれたものが姿を現した。
「あった……神様を迎えるんだから遺跡の正反対の位置にあると思ってたけど、勘が当たってて良かった」
元は大きく二つに分かれる筈の門だったのだろうが、恐らくレドが壊したのか扉は手前に落ちてしまっており今ではただただ巨大な穴が俺達の前に広がっている……とはいえ間違いない、出口だ!
「さすがイサナだな……殆ど諦めてたし、実際俺だけじゃここから脱出は出来なかった」
「たまたまだよ、それに僕達は二人で一人……でしょ?」
「……ああ、そうだったな」
どちらからかは分からないが片手を上げてハイタッチを交わす、ゴーグルを着けたままなので見えていないがそれでもどこにイサナの手があるかぐらい分かる。
「っはー! 抜けたぁ!」
想定よりも出口のトンネルが長かったが、そこを抜けると飲み込まれた位置とは別の大きな海溝のような場所に出た。周囲には妙な植物も生えておらず、ただただ広く静かな海……観測所まではまだまだ距離があるが、俺達のよく知っている海である事はすぐに分かり息を吐きながら深く椅子に座り直す。
「大きな海溝だね、こんな場所もあったなんて知らなかった……調べたいけど、うう……燃料がそろそろ本当にマズいね」
「だな、残り一割……とちょっとぐらいか。限界まで寄って……戻れたらよし、近くだったら俺が回収するよ」
「それは本当に最終手段、とりあえずは戻れるところまで戻ろっか」
ガス欠が近いせいかドローン達のポテンシャルも随分と落ちてきた、時折海流に流されそうになりながらも必死に観測所を目指していると普段の海とは違う違和感に俺もイサナも気付いていた。
「……ねぇシューゴ、気付いてる?」
「ああ……今日はいやに小型の深海魚が多いな、それに全員同じ方向に泳いでる」
いつもは同じ範囲をくるくると泳いでいるものや岩に張り付いてジッと動かないもの、群れで見かけるだけのぼんやりと光る深海魚まで今は一直線に何かを目指すように泳いでいる。
「俺達と同じ……まさか観測所を襲おうって訳じゃないだろうな」
「それこそまさかだよ、エイトもいるし今までそんな事一度も……わっ!」
驚きを隠せない俺達の横を勢いよく通り過ぎていったのは以前俺を襲ったハイエナ魚の群れだった、再び襲いかかって来たのかとも思ったがハイエナ魚達は俺達を一瞥する事無く次々に抜かしていき……やがて、見えなくなった。
「なに、一体何……が」
その時イサナのデバイスが周囲にアラーム音を響かせた、俺のもかと思いドローンを自動航行モードに変更して自分のデバイスを見るが何の通知もきていない。
「……しまった、このエリアって……!」
「イ、イサナ? 落ち着けって……今の通知ってなんだったんだ?」
何とかイサナを宥めようとするがその表情から不安が消える様子は無い、差し出されたデバイスの画面に目をやるとイサナの実験室の様子が映し出されていた。
すぐに何が起きているのかは分からなかったが、実験室に響く水音で何の異常が起きているのかが分かった……あのDNA螺旋構造を模したストームグラス内の水から溢れて吹き出しているではないか!
「すぐ逃げなくちゃ……竜巻海流が来る! それも、かなり大きいのが!」




