第四十四話 静謐なる水の底で
「……シューゴ、この絵って……エイト、だよね?」
「多分……な、同じ種類ってだけかもしれないけど……そっくりどころじゃないよな」
壁画全体に何か蛍光塗料のようなものでも塗ってあるのだろうか? 淡く光っている壁画全体を改めて眺めてみるが何度見てもエイトと、エイトを崇める信者のようにしか見えない。
「これ……エイトが神様だったって事、かな?」
「描かれている事をそのまんま受け取るならそういう事なんだろうな……文字も書かれているようだけど俺達には読めないから真実は分からないが、少なくとも人間と……エイトそっくりな種族がここにいたってのは間違いないだろうな」
「じゃあ……本当にここには過去に僕達が知らない文明があったって事なのかな?……どうしよう、驚きすぎて考えがまとまらないや」
考えがまとまらないのはこちらも同じだ、エイトが神様? この海には過去、地上には無い文明が広がっていたって?……オカルトにも程がある、だが否定する材料を俺達は持ち合わせていないし……そもそもとして、異邦人なのは俺達の方だ。
「とにかくとんでもない発見な事だけは間違いない、そっちの映像もこっちに転送してるんだよな?」
「うん、さっきからずっとリアルタイムで転送してるよ。ねぇシューゴ、他のところも見てみない?」
「そうだな……ああくそ、こうなってくると持ち帰れないのが余計にもどかしくなってくるな」
その後再び広間に戻った俺達は周囲を調べて他の場所に通じる道が無いか調べると、壁の一部が閉ざされた石の扉である事が分かった。ドアノブなどは無く、何かの仕掛けで開くようだが俺達には皆目見当もつかず……忍びないとは思いつつもドリルで小さく破壊しようとすると石の扉は脆くなっていたのかあっさりと崩れ、奥に広がる光景が俺達の前に広がった。
「は……はは、なんだこれ。ホント、とんでもないところに来ちまったな……」
扉の奥は三方向に分かれた天井の高い通路だった、点在する柱は中に何か入っているのかオレンジ色の光を煌々と放ち、壁や床には磨かれた石が使われているのか柱の光を何重にも反射して複雑に輝いている。
床の端には背の低いサンゴのようなものが生え、これもまた淡いピンク色に光っており通路全体の引き込まれるような幻想的な雰囲気に一役買っている。
「これ……現実なんだよね? 僕達、揃って幻を見てるって訳じゃないん……だよね?」
「幻って言われた方が納得出来そうだけどな……こんな光り方をする柱なんか、見た事あるか?」
光る柱をアームで軽く突いてみたが広間の壁と違って崩れた形跡はおろか海水による浸食も受けておらず、かなり頑丈そうだ。それよりも柱から発せられるオレンジ色の光も電球の光のように一定のものでは無く、ムラがあるとでも言えばいいのか波があるとでも言えばいいのか……とにかく光そのものが生きているかのように眩しすぎず暗すぎず、温かな脈を持った光という印象を受ける。
「柱も不思議だけど……この石の壁も、床も天井も継ぎ目が無いよ? 一体どうやって作ったんだろう……」
「ここまでくると魔法や超能力ですって言われた方が納得しちまいそうだな……他も見てみよう、どの道がいい?」
「ん……じゃあ、こっち!」
イサナの決めた道を少し進んでいくと不意に天井が吹き抜け、二階も作られている事が分かった……異様に天井が高いとは思っていたが、想定していたよりも随分と大きな建物のようだ。
上には上がらずに直進し、元々は扉があったのであろう枠組みを抜けると俺達が出たのは大きな屋敷にあるような二方向に分かれた大きな階段の踊り場だった、どうやら俺達が出た場所が既に二階だったらしい……エントランスの中央には先程の光る柱に囲まれた背の高いステージのようなものが設置してあり、今にも色鮮やかな魚や人魚が魅惑的な踊りを始めそうな気すらしてくる。
「……シューゴ、ここから出られそうだよ」
「んっ……? あ、ああ。今行くよ」
すっかり魅力的な海底遺跡に目を奪われていた俺の耳にイサナの声が届きハッとして視線を下げると、恐らくは入口だと思われる大きな両開きの扉の前にイサナが移動しており、こちらを向いていた。
「大丈夫?……気分でも悪い?」
「いや……むしろその逆っていうか、ワクワクしてる?……違うな、なんだろ……ようやくこの海のとんでもなさに実感が追い付いて来た、みたいな?」
両アームを伸ばして手のひらを上に向けながら指をせわしなく動かし、何とか伝わるように脳内を様々な言葉が巡るが上手く感情を表せずもどかしい……! そんな俺をしばらくポカンと見つめていたイサナのドローンが不意に俺の伸ばしたアームを掴み軽く頷いてみせた。
「分かるよ、だってこんな綺麗な世界見た事無いもん。ここの景色だけでも二機のドローンの損失なんてお釣りがくるぐらいの何倍もの収穫だよ!」
「そう、そうだよな! だって古代の遺跡みたいな壁画に光る柱! しかも祀られてるのは俺を散々触手でもみくちゃにしたエイトだって? 訳が分からない、まるで何にも分からないけど……すげぇよここ!」
「あはは、淡々と進むからあんまりこういうの好きじゃないのかと思ってたけど……いっぱい考えてただけだったんだね。うん……本当に凄いよここは、世紀の発見と言っても過言じゃないと思う、となると……この先がどんな光景か、やっぱり気になるよね?」
改めて俺とイサナの前に立ち塞がる大きな扉に視線を向ける……ドアノブの一つが落ちてしまっているが大きな両開きのその扉は変わらぬ存在感を放ち、ところどころ錆び付いてしまってはいるが向かい合わせに金色で描かれた背の高い波の装飾の華美や絢爛さは、露ほども失われていない。
最近ではすっかり慣れてしまったが最初にエイトを見た時の事を思い出せば神格化されるのも無理はないと思う、もしかしたら俺達が見つけていないだけでこの海では様々な巨大深海魚を信奉していたのかもしれない。
「しっかしデカいな、こんなの開かないだろ。どっかに窓でもあればいいんだが……」
「んー……多分大丈夫じゃないかな?」
「……は? こんなバカでかい扉、ドローン二機程度のパワーじゃ……」
何を言っているんだと両方のアームを挙げて抗議しようとすると不意に辺りが小さく揺れた、近くにまたあの蟹の巨大深海魚が現れたのかと咄嗟に身構えるが、そんな俺にイサナは落ち着くように声をかけた。
「大丈夫だよシューゴ、この扉だけは仕掛けで開くようになってたみたいでさ? ちょっといじってみたら、上手くいったみたい」
そう言って掲げたイサナのドローンの右アーム、その先端に数度電気が走った。ハッキング……いや、単にぶっ壊しただけと言った方が正しいか。
「なんとも強引な……うおっと」
呆れつつイサナのドローンを見つめているとどこからともなく大きな歯車の回転する重く軋むような音が響き、大扉が僅かに開いた……扉が呼吸するかのように隙間からは細かい泡が大量に溢れ出し、視界を塞ぐ。
「っ……これは……!」
「すごい……綺麗……!」
やがて開けた俺達の視界に飛び込んで来たのは覆い被さるかのようにこちらに向けて湾曲した巨大な二つの山、そのほぼ垂直な山の壁面にはポツリポツリと民家のようなものが点在し、家主がまだいるかのように黄色やオレンジ色の光を放っており……よく見れば壁面には道や山間を繋ぐ橋も作ってあるではないか。今や水没都市と化してはいるがそこには人が住んでいたであろう確かな痕跡があり、人がいなくなった今は自由気ままに泳ぎ回る小さな深海魚達の住処となっているようだ。
「シューゴ……これ、本当に凄いよ……一緒に見られて本当に嬉しい」
「ああ……ああ、そうだな……」
ドローン操作用のグローブを装着したままそっと俺の手を握るイサナの手を握り返し、かつての文明の光を前にしばし言葉を失い、ただただ美しい景色を見つめる事しか出来なかった……。
「……昔の人は凄いところに住んでたんだな、上も高いけど下も随分深……い?」
周囲には沢山の深海魚達が泳いでいるが、ここの深海魚は大人しい種類が多いのかそれとも自由気ままなだけなのか、こちらには一切興味を見せず好き勝手に泳いでいるので俺達も少し警戒しつつも前進し背筋が寒くなる程に深い底に目を向け……不意にドキリと心臓が高鳴った。
──何かがいる、深すぎてぼんやりとしたシルエットのようにしか捉えられないが、巨大な何かがこの都市の底にいる……!
「……イサナ、あれ見えるか?」
「あれって? ど……れ……っ!」
こちらの言葉が海中に響く事は無い筈だが、お互いに無言で合図を交わすと慎重に潜行を開始した……巨大ではあるがここに飲み込まれるきっかけになったあの蟹もどきではない、だがあのシルエットは間違いなく見た事がある……蟹よりも、エイトよりも更に前にだ。
「……こっちには気付いてないみたいだな、寝てるのか?」
「それにしては反応が鈍すぎるような……ううん、あれはもしかしたら……」
どんどんと潜行していくとやがてはっきりとシルエットの輪郭が分かり、その威圧感と恐怖から自分でも気が付かない内に生唾を飲み込んでいた。
やはりと言うべきか、シルエットの正体は地上で最も有名な巨大深海魚……研究所でも何度もその姿を目にする機会があった……奴だ。
「……レド、こっちに戻ってきてたんだ」




