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第四十二話 ゲイザー・キャンサー

「なぁイサナ、本当に駄目か?」


「絶対ダメ! もし本当にあれが最近落下してきた物だったら今後も降ってくるかもしれないんだよ? 便利だし高性能なのは分かってるし落下物に当たる可能性の方が低いのは分かってるけど、しばらく様子見をして安全が確認されるまではトリトンスーツの使用は絶対にダメだからね!」


「分かった、分かったって……それにまぁ、金属板なんて集めても仕方ないと言えば仕方ないしな」


「そういうこと、とりあえず一枚は回収出来たんだし……どこかが崩落してあのコケラが飛んできたんだとすると、他にもいるかもしれないしそっちの方が危険だよ。調査の為に来ているとはいえエイトの縄張りを抜けたら、それこそ巨大深海魚と接触する危険性はグンと上がるしね」


 前回の島亀が出現した際にはエイト以外の巨大深海魚の姿は見なかった、つまり大雑把に考えても観測所から約ニ十キロの範囲はエイトの縄張り圏内であると考えてもいい筈だ。

 とはいえ俺達だってこの海で漂流しているのとそう変わらないのだし、トリトンスーツだって万能ではない。それは俺だって分かっているが……どうにも歯痒い気分になってしまう。


「だな……そう考えると、あれだな。俺達って実はとんでもなく幸運な状況なのかもしれないな」


「今頃気付いたの? ふふっ、そうだよ。ここはこわーい海なんだからね」


「……ホント今更だけど、イサナはよく俺を拾い上げてくれたよな。そのまま放置されたり、カプセルごとエイトの餌にされたっておかしくないのにさ」


「まぁ……ね、寂しかったってのもあるけど……なんだろ、予感みたいなものを感じたのかも。僕を孤独感から解放してくれる、みたいな」


 どこか遠くを見つめるように顔を上げたイサナが座っている椅子に片足を乗せ、ポツリと呟いた……深く寄り掛かったからか椅子からは小さな軋む音が鳴り、静かな室内ではよく響く。


「……イサナ」


「ふふっ……でもまさか、会っていきなりゲロぶっかけられるとは思わなかったけどね!」


 思わずがくりと肩をすくめてしまい操縦中のドローンも合わせて蛇行運転になってしまう、そういえばあれがファーストコンタクトだったのをすっかり忘れていた。


「いやあれはカプセル酔いが……いやでもそうだな、すまん」


「謝らないでよ、あれのお陰で人見知りとか変な遠慮みたいなのが一気に吹き飛んだんだし……弱ってるシューゴを見て僕の中に今までに無い感情が生まれたんだしさ、庇護欲(ひごよく)……みたいな?」


「うぐ……なんか情けないな俺、うっしそっちもリベンジだ! 次なんかあったら、その時は絶対俺が助けるからな!」


「あはは、頼もしいね。でも……気を張る必要なんて無いよ、だってシューゴはもう十分過ぎるぐらいに僕の支えになってるからさ」


 いつの間に隣に来ていたのか肩に彼の小さな顎がそっと乗り、ほんのりと温かくなるのを感じた。


「……そうか」


 恥ずかしさを誤魔化そうにも視界に広がるのは一面の静かな海のみ、何か無いかと目を凝らしてみるが……やはり何も見つからない、気の利いた言葉も浮かばずぶっきらぼうに返事をする事しか出来ない自分がほとほと嫌になる。


「うん、シューゴが来てくれて本当に良かった」


 先程よりも近くなったイサナの声、それ以外に耳に届くのはドローンの小さな駆動音のみという静かな空間だが居心地は悪くなく……このまま時が止まってしまってもいいとすら思えた。




「ん……? イサナ、あれって……」


「……みたいだね、もう……なんでこんな事ばっかり」


 更に十分程移動した時だっただろうか、まだかなり遠いが明らかにこの海のものではない何かが浮いているのが見えた。カメラの最大倍率で見てもはっきりとは見えないソレは明らかに建物然としていたが周囲には俺達に向けて飛んできたものと同じ材質と思われる金属板があちこちに浮いており、破損状態が俺達の想定を超えている事は一目で分かった。


「シューゴ、あの状態じゃ生存者は……見つからなそうだね」


 イサナが俺の考えを代弁してくれた、言葉にせずとも誰が見てもあの建物は最早ただの鉄屑だ……何の目的で建てられたものなのか、どこから流れ着いたものなのかも分からないが今はただ哀愁だけが漂っている。


「あれを壊したの……エイトだと思うか?」


「……分からない。もしあそこに生存者がいたとして、エイトを見て驚いた人達が早々に攻撃しちゃったならあり得る話だとは思うけど……エイトがやったとは思いたくない、かな」


「俺もだ、このまま引き返しても良いが……何かあるかもしれないし、少し探索してみないか? 食料とかもあるかもしれないし、映像記録が残ってれば何があったのかも分かるかもしれない」


 俺の言葉にイサナは少し黙り込む、そもそも人も一緒に落ちてきたのかは分からないが……どちらにしても気分のいい行いではないのは俺も同じだ、とはいえただ見逃すには目の前の出来事は大きすぎる。


「だね……このまま放っておいても他の魚に食べられるだけだし、少しでも何か回収しよう」


 ──速度を上げて破損した建物に向けて移動を開始して数分、海中にちらほら破損した機械の部品のようなものが目につくようになったが依然として一番見たくない人の死体が見つかっておらず、時折大きな部品の影を誤認してドキリとはしつつ慎重に前進していく。


「シューゴ、海鉄とは重量が違うから積載量に気を付けてね」


「分かってる、それにこの辺にあるもので使えそうなのは小さいメモリースロットぐらいだしなぁ……やっぱり大元に行かないと駄目だな、そっちのドローンの燃料はもちそうか?」


「あと三時間ぐらいは余裕だよ、あの建物までは数分も行けば着く筈だけど……あれ以上沈み始めたら、ちょっと分からなくなるかな」


「……しまったそうだった、忘れてた」


 周囲に浮かぶ残骸を回収する手を止めて小さく悪態をつく……すっかり頭から抜け落ちていたがこの海では深ければ深い程距離感があやふやになっていくのだ、今はまだ建物の残骸が海面に浮いているので見えている距離で間違いない筈だが、このまま沈んでいけば辿り着くのに余計に時間がかかる事になってしまう。


「すまん、急いで奥に向か……イサナ、何か揺れてないか?」


「……ホントだ、地響き?……違う、まるで海全体が揺れてるような……」


 移動を中断し周囲を注意深く観察してみる……揺れ自体は小さいが強くも弱くもならず波のように断続的に続いている、俺達は今ようやく気が付いたがどこかで潜んでいるであろう深海魚たちはいち早く反応したからここまでの間で見かけなかったのだろうか……? どちらにしても、嫌な予感がする。


「イサナ、ここにいても仕方ない。何が起きるか分からないしさっさと向かって取れる物を取ったらさっさと帰ろう」


「ん……そうだね……っ! 止まってシューゴ!」


「っ!?」


 イサナが叫ぶのと周囲にとてつもない轟音が鳴り響くのはほぼ同時の出来事だった。

 ──激しく舞い上がる土煙に一瞬で視界が覆われ、俺達は身動き一つとれなかった……そして、今まで開けていた視界一杯に巨大な壁が立ちふさがるように現れた。


「……なに、あれ」


 無意識でこぼれたのであろうイサナの言葉に俺は返事が出来なかった……が、アレが何かという答えに関しては心の底でお互いに同じ答えを持っていた……巨大深海魚だ。

 エイトよりも一回りほど体が大きく、この海では目が痛くなるほどに目立つ白い皮膚……そして最も特徴的なのは体色とは対照的な蟹のそれに酷似した真っ赤な脚が長く伸びた尾の方にまで等間隔でびっしりと並び、黒く塗りつぶしたかのような目は何かを探しているかのようにせわしなくギョロギョロと動き続けており、歪な形状の頭部からは頭頂部と顎の下にそれぞれ二本ずつ大きな鋏が生えている。


「イサナ……あいつは見た事あるか?」


「無い……あんなの見た事無いよ、ヒレはあるみたいだけど魚っていうよりは虫みたいだね……」


 圧倒的な存在の前にドローンを操作する事も忘れ、ただ眺める事しか出来ない……しかし巨大深海魚の方も何をするでもなく静かに佇み、ひたすらに目を動かしている。


「僕達に気付いてないのかな……?」


「じゃあ何で現れたんだ……? いや待て、動き出したぞ」


 このまま睨み合いが続くのかと思われたが、不意に巨大深海魚が四本の鋏をどこかへと伸ばし始めた……何をしているのか最初は分からなかったが、すぐに見るも無残な残骸と化した建物を食べているのだと分かった……図体に対して口は小さいらしく、鋏で器用に小さく切ってはせっせと口へと運んでいる。


「……どうするシューゴ? 建物も食べられちゃったし……気付かれていないならこのままゆっくり後退する?」


「いや……多分だけどアイツは俺達に気付いているよ、何度もあの目で見られてるような気がするし……でも襲う気は無いと思う、っていうか眼中に無い感じだ」


 餌が並んでいるならより大きい方を……ってところだろう。舐められたものだが実際俺達にアイツに対抗する手段は無い、見られた以上は下手に後退して俺達の観測所の場所をバラす訳にもいかない。


「とにかくアイツが食べ終わってどこかへ行くのを待ってから移動を開始しよう、俺達をデザート感覚で食べる気じゃなければ……だけどな」




 あいつが現れてからどれだけ経っただろうか? 実際はほんの数分かもしれないが、いつあの大きな鋏がこちらに向くともしれないという緊張感からか時の流れがどんどん遅くなっている気がする……何度目かの生唾を飲み込み、それでもカラカラに乾いた喉から痛みを感じ始めた辺りで優雅な食事を終えたのか巨大深海魚の動きがピタリと止まった。


「終わった……のかな?」


「かもな……頼むからそのまま大人しくどこか行ってくれよ……」


 こちらの願いが届いたのか、それまでせわしなく動き続けていた真っ黒な目を閉じたらしく薄い殻のようなものが深海魚の目を覆った、しかし願いと違って奴はどこかに泳ぎ出すでも立派な脚で歩き出すでもなく……体を大きく捻じり、波飛沫を上げながら派手に海底に潜り始めたではないか! 再び周囲を震動が襲い、しかも中心付近にいるせいか先程よりも遥かに震動が強く、周囲の残骸に必死にしがみつくがフラフラとしてしまい視界が大きくグラつく。


「くっ……体勢を保てない……! このまま海底に引きずり込まれたらひとたまりもないぞ!」


「シューゴ、僕のアームを掴んで! 二機で連結すれば少しはマシになる筈だよ!」


 イサナにも同じ震動が襲っている筈だが器用にドローンを操縦し、ゆっくりとこちらに近付きながらアームを伸ばしてきた、こちらもアームを伸ばして掴もうとすると……不意に後ろに大きく引っ張られた。


「なにっ!? 一体何が……っ!」


 カメラを下に向けて海底を映すと既にどこかへ潜ったのか巨大深海魚の姿は無かったが、余程強引に潜ったのか海面にはパックリと大きな亀裂が走っており、次第に強力な水流を伴った巨大な渦潮へと変化したそれは大小様々な残骸を飲み込みながら俺達にも手を伸ばしてくる!

 ……もどかしい事だがやはりというべきか先に渦に掴まったのは俺だった。咄嗟にイサナの操るドローンのアームを振りほどいたので共に渦に呑まれる最悪の事態は避けられたが圧倒的な力の前に為す術は無く、視界が上下に大きく揺れる。


「シューゴ! 後ろ! 後ろ見て!」


「何だよ! これ以上何が……ってマジかよ! それはさすがに聞いてねぇぞ!」


 大渦に呑まれてしまったとはいえここは深い深いマントル海、残骸に衝突して機体が破損さえしなければどうにかなると思っていたのだが……イサナの指す渦の根元、そこには海溝のように海底がパックリと裂け、深淵が広がっているではないか、いくら何でもあんな深くにまで飲まれてしまったら戻ろうにもドローンの燃料がもたない……スラスターの推力を上げるが一向に渦からは逃げ切れず、徐々に渦の根元に広がる深い裂け目が近付いて来た……最後のあがきとアームを振り回して何でもいい、隆起した岩でも引っ掛かった残骸でも掴めないかと願ったがアームは空を切るばかり、次第に力負けしたドローンは姿勢の制御すらままならず、イサナの待つ明るい海がどんどん遠くなり……やがて振り回すアームすら見えない闇の中へと飲み込まれていった。

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