第四話 小さな有能サポーター
白と青を基調とした清潔感に溢れつつも眩しくない色使い、ほんのりと鼻につく部屋中に充満する消毒液の香りも特に嫌いではない。
まずはと案内されたのは青海研究所の医務室……つまりは帆吊の職場だ、学生の頃に見た保健室や病院とは明らかに雰囲気が違うし、全身がスッポリと収まってしまいそうな大きなカプセル型の設備など見た事もないものも多いが、少し離れた位置に書類の積まれたデスクに座ってあくびをしている帆吊の存在もあり他の場所に比べて何だか落ち着く気がする……眩しい程に白いテーブルに座る俺と向かい合って先程から延々と質問を投げかけてくるラブの存在が無ければ、だが。
『これまで何か、食物や薬剤……他の要因に関するアレルギーを発症した事はありますか?』
「いや……そういうのは無い、かな」
『なるほど……念の為に少量の採血をしてもよろしいですか?』
「いいけど、別に俺は……痛っ」
促されるがままにテーブルの上に右手を乗せると即座にラブの体から伸びたアームの針のような先端が一瞬だけ突き刺さると即座に引っ込み、別のアームで消毒液を染み込ませたガーゼで僅かに血の滲む傷口を拭き、手際よく小さな絆創膏のようなものを貼り付けた。
「……アレルギーは無いって言ったのに」
「あははぁ、塩見さんの認識ではそうでも食べた事の無い物や肌に触れた事の無い物も沢山ある筈ですからねぇ? 世界に存在する全ての物を食べて全ての物に触れた人なんて、まぁまずいませんしー」
「それは、確かに……ところでついでにもう一つ聞きたいんですけど、このラブさんの姿って……何なんですか? 鳥にしては、妙に艶やかだし」
そう言ってテーブルの上に鎮座するラブの姿を指差すと、伸ばした人差し指の先端にラブから伸びた体の一部が優しく絡みつき、握手をしているような格好になった。体長ははせいぜい20センチほど、全体的に青っぽい体色をしており体のラインを沿うように黒色の筋が走ったその姿は蜘蛛とトカゲを足したような不思議な姿をしている。
「それはアオミノウミウシの原生種ですよー、可愛いでしょ? わたしの好きな海洋生物なんだ」
「可愛い……はぁ、まぁ確かに綺麗な色ですよね」
自然の青というよりはどこかメタリックな青色をしており可愛いかはさておき色は綺麗だ、褒められたのが嬉しいのかラブはヒラヒラと体を揺らして舞うようにその色鮮やかな体を見せつけている、ただの管理AIにしては驚くほどに会話が自然だし独特な仕草も相まって本当にそういう生き物のようにも見えてくる……それに先程の俺の指に絡みついた際の感覚、滑らかではあるが皮膚のそれとは明らかに違う……イメージとしては、砂鉄や磨いた泥団子のような感触だろうか? つまり、立体映像の類ではないという事でもあり……考え込む俺を目の無いトカゲのような頭部で見つめ、ニコリと笑った……気がした。
『どうか私の事は気軽にラブと呼んでください、これから様々な面で塩見さんの事をサポートさせて頂きますので話す機会も多いでしょうし』
「……じゃあ俺の事も修吾でいいよ、よろしくラブ」
『ええ! こちらこそよろしくお願いします、修吾』
「あーそこだけ仲良くなっちゃって羨ましい、わたしとも仲良くして欲しいなぁ?」
『では質問を再開します、高所恐怖症などの恐怖症はもっていますか?』
「いや、特に無いかな……突然の雷とかはさすがに驚くけど」
すっぱりと帆吊を無視してラブが質問を続けた、帆吊は心底不服そうだったが俺もどう返答したものか困っていたので正直助かった……。
「……にしても凄い質問数ですね、もう百問ぐらいやってません?」
「大変かもしれないけど大事な事だからねぇ、塩見さんの体調や思考方向に加えて精神状態や心理分析なんかの意味も含まれてるんですよー」
『それにまだ88問です。全部で420問ありますのでまだまだ先は長いですよ、修吾』
「げっ……マジ?」
衝撃の宣告に青ざめた俺とは対照的に帆吊は花が咲いたようにケラケラと声を上げて笑い声を上げ、座り直した椅子の背もたれに寄り掛かり金属の軋む音を鳴らした。
『89問、今まで何人の異性と恋愛関係になりましたか?』
「……ぐっ」
『安心してください修吾、事前に預かった貴方の多機能携帯電話から得た情報で最低でも四年は誰ともお付き合いしていない事は分かっていますので』
「プライベート駄々洩れかよ……ていうか、勝手に見るなよ……」
気がつけばテーブルに突っ伏していた、地獄だ、ここは地獄の拷問所に違いない……! こうなれば緊張も何もあったものではない、不機嫌さを隠さずに文句を言ってもみるがラブはどこ吹く風と受け流し、結局は更に一時間以上も質問が続く事となる。
「疲れた……なんだろう、普段仕事をしている時の何倍も疲れてる気がする……」
結局今日やった事と言えば例の質問の山に答え、血液検査の結果も踏まえた健康診断だけだった。その後は帆吊に案内された食堂で食事をとり、食後に渡されたカードキーを使ってラブと共に今後俺の部屋となる宿泊棟の一室に入るやいなや、ベッドに倒れ込んでしまった。
『慣れない環境ですからね、それに本来は二日かけて行う質問を数時間で終わらせたのでそれもあるのかと』
「……二日?」
『はい、質問に答えるだけとは言ってもその間脳を常に使っているので意外とエネルギーを消費するんですよ、加えて観測員という未知の立場に置かれた心労もありますから』
「じゃあ何で一日に詰め込んだのさ……!」
『ああっ、ごめんなさい修吾! でも修吾は最後までハッキリとした受け答えをしていましたし、非常に優秀だと私は感じましたよ? なのでその、つい私も興が乗ったと言いますか……』
興が乗るAIってなんなのだという言葉が口から飛び出しかけたが、それすら面倒になり拗ねて掛け布団に包まった俺の顔の近くに慌てて飛んできたラブが頬をペタペタと触りながら必死に慰めている、それにしても医務室でも思ったが一体どんな構造なのか……外見はともかく、頬に触れる両手……ヒレ? はひんやりと冷たく柔らかい、それになにより空中を飛ぶのだ……鳥のように風を切るというよりは空中を泳ぐようにフワフワと浮いている、これが立体映像であるなら全てに説明がつくのだが……モゾモゾと布団から片手を伸ばしてラブの体に触れるが、嫌がる様子も無く色鮮やかな青い体が俺の指に絡みついた。
『……それに先程の所長の問いかけにキチンと返答したのも凄いと思います、普通は……いえ、誰かと比較するような事ではありませんでしたね』
「あんなの……嘘だよ、嘘っていうか……ただの見栄っていうか、恰好つけただけっていうか……断る勇気すら無かっただけで。初めて会った人で……もし断れば今後一生会う事も無い人達なのに、それでもガッカリされるのが怖かったんだ」
『であれば尚の事……普段よりも沢山頑張りましたね修吾、私はそんな貴方を高く評価しますよ』
「えっ……?」
思いがけない反応に掛け布団を払い除けて体を起こすとラブが俺の目の前をゆっくりと旋回するように飛び回った、まただ……表情など分からない筈なのに、優しく笑いかけてくれているような気がしてくる。
『私は貴方を気に入りました、と言ったんです。ここの人達は私が口を挟む暇も無く自分たちで色々と済ませてしまうので貴方の方がサポートし甲斐がありそうですしね?……さぁ今日はもう温かいシャワーを浴びて疲れた体をゆっくり休ませましょう、着替えやタオルは私が用意するので修吾はそのまま入っちゃってください』
そういえば疲労のあまり碌に部屋を見ていなかったが確かに改めて歩き回ってみると入口の脇にシャワールームへと続く扉があった。脱衣所の近くのテーブルにはドライヤーなどもあり、水中なので当然窓は無いがそれを除けば広めのビジネスホテルの一室という印象を受ける。
「……ありがとう、じゃあそうさせてもらおうかな」
温かいシャワーを浴びると疲労とまどろみで鈍っていた思考が若干明瞭になってきた、冷静に考えてみれば俺は人工知能相手に愚痴をこぼして慰めてもらったのか……恥ずかしいような情けないような、しかし不思議と悪い気分ではない。
『着替えとタオルを籠に入れておきますね、シャワーしか無いので普段よりもゆっくり入ってしっかりと体を温めてください』
「ありがとう……ところで、ずっと一緒にいてくれるけど大丈夫なの? ここの警備システムとかもラブの仕事なんだよね?」
『全く問題ありませんよ、確かに私はマザー……つまりは本体から分離した存在ですが、同時に存在する私達は完璧に並列処理が出来ています』
「そっか、なら良かった」
正直後半は言葉が追えずどういう意味なのか分からなかったが、とりあえず大丈夫という事だけはよく分かった。
『ふふっ、心配しなくても私は常に貴方の傍にいますし貴方にとって不利益な情報を外に流したりもしませんよ』
「うっ……重ね重ね、ありがとうございます」
『はい、どういたしまして』
つまりここにいる間は常にラブがサポートしてくれるし、さっきのように心情を吐露した事も黙っていてくれるという事だろう……そういう存在が傍にいてくれるだけでもかなり心強い。
……本気でそう思っていた。翌朝起床し、用を足そうとした俺の局部から健康管理という名目で直接尿を採取しようとするまでは。