第三十五話 過去の罪
「ま、待ってください! それはおかしくありませんか!?」
衝撃の事実に私達が言葉を失っている中で真っ先に声を上げたのは意外にも恵ちゃんだった、焦っていたのか勢いよく立ち上がってしまっているが滝谷は今度は驚かず、むしろ嬉しそうに笑って片手を恵ちゃんに向けて差し出した。
「いいぞ、ようやく会議らしくなってきた! 気を使う必要も敬語も必要無い、君の言葉で君の意見を聞かせてくれ」
「……貴方は誠一郎氏、所長のお父上が存命な頃から調べていたと仰いましたが少なくとも我々が発見する事の出来た資料からはあの海域に関するものは一つとしてありませんでした、だというのに既に知っていたというのはあまりにも……」
「無理がある、かい?」
滝谷の態度に面食らったのかしどろもどろではあるがその内容は同意できるものだった。ぎこちなくではあるものの頷いた宇垣に滝谷は苦笑するように息を吐き……頷く。
「そう思うのは無理もない、僕らが見つけた……あーややこしいから君達と呼称を合わせようか。僕らが見つけた転移地点は君達の発見したものよりも遥かに微小だったんだ、特定の地点において機器に異常をきたすほどの磁場の異常が発生するとか不自然な海流が発生するとか……言ってしまえばその程度だが、僕達だって研究者の端くれ……『何かが』そこにあるという事だけは共通の認識を持っていた、その中でも誠一郎のやつだけは僕達よりも遥か先を見通していたようだけどね」
巨大深海魚、異なる世界の海……確かにどちらも晩年の青海誠一郎氏が強く提唱していた内容だったが、いわばオカルトに精通しているなら辿り着いて当たり前の結論と決めつけて気にもした事は無かった……しかし仮に、私達よりも圧倒的に少ない情報量でその答えに辿り着いていたのだとすると……真に世界を案じて声を上げ続けていたのは彼という事になる。
「恐ろしい男さ、同じ研究所……同じ学校で共に学んでいた筈なのに、研究者としての格の違いってやつを見せつけられてる気分になる」
私の考えている事に察しがついたのか茶目っ気たっぷりにウインクしたかと思えばどこか遠くを見つめるように顔を上げた滝谷を見ていると思わず唇をきゅっと閉じてしまう……私も同じだったからだ、傷つく事も恐れずに突き進む琴子ちゃん……危うさはあるものの彼女の一歩は同期の誰よりも力強く、私など他分野にまで手を伸ばしてようやくどうにか掴んでいた手を振り払われずに済んだというだけ、純粋な才覚に関して言えば研究者として私は琴子ちゃんに大きく劣っていると言わざるを得ない、滝谷と同じく間近で見ていたからこそ分かる青海の血筋に感じる天才という安っぽい呼称……思わず苦笑するとそれに気付いた琴子ちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「……とにかく、僕は最後まであいつの味方で居続けてやれなかった事を酷く後悔した。だからあいつの死後は研究のテーマを引き継ぎ、あらゆる手を尽くして今は三号観測所及び四号観測所の管理を任されている」
「四号の……? ではこれから遺族への報告などで忙しくなるのでは……?」
恐る恐るといった様子ではあるが恵ちゃんがある意味で当然の疑問を口にした、テレビでも放送されているように現在投下中の観測所はその全てが有人だ。その中の一つが消失したとなればおよそ十名前後が行方不明になったという事になる、だとすれば必然的に疑問が一つ浮かぶ……何故彼はここにいられるのだろう? 十名もの人員が消失したとなれば当然追及は責任者である彼に及ぶ、実験には調査のメスが入りマスコミ等からは熾烈な追い込みがかかり……ネットでは酷いバッシングを受ける可能性だって十分にある、だというのに彼はどうして涼しい顔をして笑みを浮かべているのだろう?
「待ってください……明彦おじさん、まさか四号機の消失は……わざとですか?」
「……その通りだよ、さすがに君達は賢いね。さすがはアイツの娘と……その仲間たちだ」
「そんなバカな……」
まずはわたし、そしてすぐに琴子ちゃんも気付いたのか目を見開き……少し遅れて恵ちゃんも呆然とした表情を浮かべながら椅子にへたり込んだ、驚きのあまり敬語なんて使う余裕もなかったが滝谷は微塵も気にする様子もなく小さく拍手し……頷いた。
「現在三号機、そして四号機に搭乗している観測員は全てラブ君のような人工知能搭載のロボットだ。三号と四号、そして君達の六号機を除く他全ての観測所の投射地点はどこもマントル海域とは関係の無い座標ばかり……ああもちろん彼らの頑張りは無駄なんかじゃあないよ? そもそもこの世界の深海の研究だって殆ど進んでやしないんだからさ」
「……ラブはこの事知っていたの?」
『いいえ……投影機にデータディスクが挿入された時点で私には全てのデータを見る事が出来たので、先程初めて知りました』
琴子ちゃんとラブのやり取りを片耳で聞きながら所長室の出入り口の扉へ目を向ける……書類やデータを改ざんしての完全機械化観測所、技術や資金面で彼がどんな手を尽くしたのかは想像するしか無いが……青海誠一郎氏と真逆の事をやってのけた彼もまた、事実が公になればただでは済まない事だけは間違いない。
──真面目な恵ちゃんにとっては少々飲み込みづらい事だったのだろう、それでも必要な時は呼べと言っていたので進み続ける青海の船から降りる気は無い気持ちが伝わりホッとする。
「明彦おじさん……ではテレビなどで取り上げられる深海から帰還した観測者の皆さんは……?」
「今言ったようにマントル海域ではなく通常の深海での任務を終えた人達だよ、勿論最大深度での作業だし十分に偉業と言えるが……残念だけど巨大深海魚についての調査という意味では殆ど成果は無いね」
「……そもそも巨大深海魚の基準が曖昧ですからねぇ、ダイオウイカやメガロドン……だだでさえ深海って生物が巨大化しやすい環境ですし、巨大深海魚の調査と言ってもギリギリ嘘じゃないというかぁ」
思考が柔軟、というよりは狡猾だろうか? あくまでもレール上で戦おうとしている琴子ちゃんとは違ういわばアウトロー……この二人が手を組めばどのような化学反応が起きるのだろう? 納得出来ない恵ちゃんの気持ちも分かるが、どちらかと言えば研究者寄りな私は興味の方が勝ってしまう。
「先程の彼には少し時間が必要なようだが……話を続けてもいいかな?」
私と琴子ちゃんが頷くのを確認すると投影機の映像を切り替え……次に現れたのは白い丸と黒い丸が不規則に並んだ奇妙な図だった。
「これは消失……つまりマントル海域へ転移させた四号機のロボットに繰り返し送信させていた同じ内容のメッセージだよ、ここから……ここまでだね。全部で九文字の短いメッセージだが見ての通り受信内容はバラバラ……データが破損し文字化けしている点は共通しているが正しく送れている場合もあれば意味の無い文字列になっている時もある、これについて何か意見はあるかな?」
不規則に並んだ丸の列を指でなぞりつつ丁寧に教えてくれたが生憎光信号の読み方なんて分からない……が、この不規則性には見覚えがある。
「……いいよね、琴子ちゃん?」
「はい、お願いします」
琴子ちゃんの言葉を受けて立ち上がりラブの元へと歩いていく……もう出し惜しみをしている場合ではない、私達は既に彼を向こうへと送り出してしまったのだ……何としてでも彼を無事に帰還させなくては申し訳が立たない、例え全てを投げ打つ事になってもだ。
「ラブ、修吾君からのメッセージを全て表示して」
『了解、破損状態を解析中のものを除き最新のメッセージまでを表示します』
ラブに指示すると投影機の映像に今まで届いた修吾君からのメッセージが並べて表示された、以前恵ちゃんにみせたものよりも一通メッセージが増えている。
「これは……驚いた、そうか……これがラブ君が修吾君の無事を信じる理由だったんだね」
食い入るようにメッセージを眺めながら滝谷がポツリと呟いた、他の事への衝撃で忘れていたが修吾君の無事が確認出来たと言っていたのだったか……理由までは言っていなかったようだがラブが思わずこぼしたのだろう、彼の事を気に入っているようだし無理もない。
「……メッセージの内容からも分かるように三十年前に投射された観測所の中で天ヶ瀬イサナは現在も生存しており、修吾君と合流しています。更に時間のズレが生じている旨も書いておりマントル海域では投射から五年しか時間が経過していない事がみてとれます」
「天ヶ瀬……そうか、あの時の子が……無事だったのか、良かった」
「明彦おじさんは……その子の事をご存じなんですか?」
「ああ、とは言っても誠一郎のやつから何度か相談を受けた程度だけどね。彼は当時近所に住んでいた子供だよ、ただ家庭環境に少々問題があってね……でもこういう問題は解決が難しいだろう? 何度もそう諭したんだが、娘が生まれたばかりのアイツにはどうしても見て見ぬ振りは出来なかったみたいでな」
それで本来無人で投射する筈の観測所を基準とは大きく異なる改造を施した上へ天ヶ瀬少年を乗せて深海へ……グレーどころか完全にアウト、それもかなりマッドな発想だとは思うが逃げ出したくとも逃げる先も無ければ逃げ続ける方法も持たない人はごまんといるだろう……そんな彼らに同じ提案をすれば、少なくとも私は首を縦に振る自信がある。
「同意の上とはいえ君のお父さんのした事は社会的には決して許される事じゃあない、それに直接は関わっていなくとも見て見ぬふりをした僕にだって責任はある……でもどうか、アイツの事を嫌わないでやって欲しい」
「……今はその事は一旦置いておきましょう、まずは修吾さんやイサナさんを無事に救出する方法を考えなくては」
「うん……そうだね、優先順位を間違えてはいけない。帆吊君、このメッセージは一番下が最も古いメッセージと見て間違いないかい?」
「はい、一番下のメッセージが恐らく到着直後か当日の夜に送信されており……受信したのは送信からおよそ二週間後、一番上のものが最新で三日ほど前に受信しました……このメッセージですね」
『島に擬態する巨大深海魚と接触。一時は捕食されるもトリトンスーツとナノマリナーのお陰で脱出に成功、魔改造万歳』
「……彼はその、いわゆる超人か何かなのかい? メッセージの内容をそのまま読み取るなら一度は巨大深海魚に食べられたって事になるけど……」
腕を組み、しばらく考えるがやはり同じ結論にしか至らなかったのか滝谷が困ったような表情でこちらに振り向いた……しかしこっちとしても明確な答えを持っている訳では無いので苦笑で返すしかない。仮にこの内容が事実だとすると小魚一匹に苦戦していたあの頃の彼と同一人物とはとても思えない、事前にメッセージの文字数を最小限にするよう言っていた弊害だ……簡潔すぎて気になる点が多すぎる。
『いえ、彼は極々一般的なサラリーマンです。少々精神的に脆いところもありますが、私に言わせればそういうところが逆に可愛くみえるというものです』
「……ここに来てから僕は驚かされてばかりだなぁ、ラブ君は彼の事をそんなに気に入っているのかい? というか……そういう感情があったんだねぇ」
『そう言う貴方は立場こそ上がったようですが女性の扱いについてはまだまだですね。ええ、私は彼を気に入っていますし彼の帰還を信じています、その為に力を尽くすのを惜しむ気は一バイトもありません』
きっぱりと嫌味も含めて言い切ったラブに滝谷は面食らったのか両手を挙げて苦笑するしかないようだった、ロボットには必ず人間に協力するという義務的意識が仕様として潜在的に存在するが、ラブの修吾君への気持ちの入れようは明らかにその範疇を超えている。彼女のデータを見せるだけでもロボット工学の専門家なら間違いなく度肝を抜かすだろう、人工知能の抱く恋愛感情……それもまた面白いテーマなのかもしれない。
「……なら尚の事本腰を入れて彼らを救出しないとな、僕を入れたってまだまだ手が足りないがそれでも気持ちは負けてないからやるしかない! 僕の大嫌いな根性論だ、さぁやってやろうじゃないか!」
「はい!」
ラブを含めた三人の返事が重なり、私の胸のボールペンに仕込まれた音声送信機を通して恵ちゃんにも声は届いている筈だ……課題は山積み、難易度は最高レベル……だがやるしかない、私達青海研究所から世界初のマントル海域帰還者を出してやろうではないか!




