第三十二話 その手の温度
演台の前に立つと一斉に視線が自分へと集まるのを感じ一気に緊張感が増した、もう大人になったのだし多少はマシになっているとも思ったが……そう上手くはいかないようだ、せめてもの救いはこのホール全体が薄暗い事か。
「まず最初に……帆吊さんは厳密には研究員ではないとの事ですが、その点に間違いはありませんか?」
「はい、研究所所属ではありますが私は医師で普段は職員や観測員のメディカルチェックが主な業務内容になります」
噛まずに返答でき、ホッとしたのも束の間……離れた位置の席からざわめきや鼻で笑うような声が聞こえた。壇上に二つも演台があるので海外の討論番組のような形式かとも思っていたがそうではなく、私達青海研究所の代表と周防研究所の代表が教授や博士の質問を受ける形になっているようだ……つまり二つの研究所が争うのではなく、二つともが試されている事になる。
今回の返答で一部のお偉方からは顰蹙をかったようだが事実なのだから一々気にしていられない、ここで怯もうものならそれこそ琴子ちゃんの評価を下げかねない……とにかく今は集中だと頭を切り替えると胸を張り、堂々と司会者席の男を見据えた。
「なるほど……ですがこちらの資料によりますと貴方は医師という立場でありながら観測員に注入するナノマリナーの改良にも携わっているとありますが、その辺りについては如何でしょう? そもそも研究者でない者を関わらせる行為には違法性があるのでは?」
別にあの進行役は奥で黙って私達を値踏みしている奴らの言葉を代弁しているだけなのだからあの男だけが悪い訳ではないが……言い方ひとつでここまでカチンとくるものなのかと思ってしまう。聞きたい事があるならもっとストレートに聞けばいい、皆で協力しようの一言すら言えないのかと……だが裏を返せば出す情報を選んでいる私も同じなのだろう、どっちが先に手を出したなんて子供みたいな言い分を唱えるつもりは無い。
「……皆様がご存じの通り青海研究所は新設で人手が足りません、幸いにもわたしと現所長は旧知の仲だったお陰で知識を得る機会も多く……ナノマリナーの件もその範疇に過ぎません。加えて研究に必要な資格等は私も所持しています、この場で証明する方法はありませんが調べればすぐに分かっていただける筈です」
研究に必要な機器、或いは使用する薬剤を取り扱う上で資格が必要な事など言われなくても分かっている、無い頭を琴子ちゃんへの愛でフル回転させて死に物狂いで勉強した日々を思い出しつつハッキリと答える……が、周囲の反応は芳しくない。
「我々が聞きたいのはそんな事ではない、所詮は医師と研究者……どちらも半端者に過ぎない君がナノマリナーに一体どんな改良を加えたのかという事を聞いているのだ、君も大人なら質問の裏を読みなさい」
「っ……!」
突如降り注いだ高圧的な物言いに思わず唇を噛み締める、暗くてここからでは誰が言ったのかは分からないが小さな笑い声が響きその一つ一つが胸に突き刺さる……彼らは多少の分野は違えど同じ屋根の下で結果を残した言ってしまえば尊敬すべき先輩方なのだろうが、ならばだからこそ何故ここまで心無い嘲笑を受けなければならないのか……自分でも気付かない内に演台を掴む手に力が入っていたのか、僅かに木の軋む音が響く。
「……失礼しました。ナノマリナーの改良については極小の機械生命体からほぼ完全な生体機械へと変更した事が主な改良点となります、巨大深海魚襲撃の資料からも金属を狙う筈の彼らが血中の鉄分に反応した記録はありませんでした……が、機械であるナノマシンを注入する事で襲撃を受ける危険性を高めてしまうのでないかと思い生体機械への改良を提案し、手を加えました」
「フン……そもそも再出現の可能性すら探っている段階だというのに、ご苦労な事だな」
ナノマリナーを生体機械へと改良したのは私の案だが当然一人で出来る事には限界があり、三人に協力してようやく完成した言わば私達の努力の結晶だ……しかしその評価は鼻笑いと嘲笑一つ、今の今まで琴子ちゃんが一人でここに立って集中砲火を浴びていたのだと思うと更に腹が立ってくる。
「では次に四号機消失の一件ですが……」
今の質問一つで私には興味を失ったのか周防研究所の研究員へと質問の矛先が変わった、気分は最悪……だが修吾君の投下先の詳細について突っ込まれなかったのは正直助かった、この場に立たされては手札を全て見られた上で出すカードすら選ばれるのと同じ状況になりかねない。
「……お疲れ様です、大丈夫ですか?」
「全然平気、ちょっとイラっとしたけどね」
少し下がって皆のいる場所に戻ると琴子ちゃんが心配そうに尋ねてきた。勿論平気などではないが琴子ちゃんの顔を見ているだけで気が楽になっているのは本当だ、これでもっと密着出来れば最高なのだが……。
「っ……!?」
そんな事を考えていると不意に右手がほんのりと温かくなった。驚いて隣に立つ琴子ちゃんの方へと目をやると、唇の前に右手の人差し指を一本立てて小さく笑いながらこちらに目を向けている。
薄暗い室内、最悪な場所の筈なのに私達にしか分からないようこっそりと手を繋いだだけでこんなにも心がふわりと軽く浮き上がるものなのかと嬉しくなってしまう……ふと視線を壇上へ戻すと全く話を聞いていなかったがいつの間にか質問が切り替わっていたらしく次に恵ちゃんの名が呼ばれた、内容は予想通りトリトンスーツについてのものだったが彼らの関心はもっぱら両腕のトライデントの毒で巨大深海魚が殺せるのかどうかや管理における安全性というものばかりで、相変わらず私達の工夫した点には目もくれない的外れな質問ばかり……心の中でほくそ笑んでいるのは私だけではない筈だ。
「拍子抜けだな、この程度の質問なら書面で十分だろうに」
「お疲れぇー、っていうかあがり症の恵ちゃんが私よりも上手く質問を躱すってどういう事? おかしくなーい?」
「お前よりも俺の方が要領がいいって事だ、もう少し他人に興味を持てるようになれば今よりはマシになるんじゃないか?」
「うぐっ……うう、後輩が年々生意気になっていくよぉ……」
質問中に感じていた不安は琴子ちゃんの体温によって吹き飛び、恵ちゃんが戻って来る頃にはいつもの調子で軽口を叩けるほどまで回復していた。
「……で? 考えを直すつもりはあるのか?」
「あるわけないじゃん」
「ったく……所長、こんな感じで良かったですか?」
「はい、上出来すぎるぐらいです。あとはこのまま無事に終わってくれたらいいんですけど、あの人達がそう簡単に解放してくれるかどうか……」
「ねぇねぇ琴子ちゃん! あそこでクラゲのジェラートが売ってたから買ってきちゃった、一緒に食べない?」
「帆吊さん……遊びに来た訳ではないんですよ? さっさと研究所に戻って……美味しいですね、これ」
腕を組み、今にもお説教が始まりそうな表情の琴子ちゃんの口に無理矢理ジェラートを乗せたスプーンを突っ込むと一瞬で目の色が変わり、興味深げに私の手に握られたジェラートを眺め始めた。彼女の表情からも緊張が抜けている事が分かりホッとしつつジェラートを一口分掬い上げると、舌に塗り付けるようにスプーンを頬張る……柚子をベースにしたスッキリとした甘さが舌に広がり、喋りすぎて乾いた舌を潤し歯触りのいいコリコリとした触感を満喫していると先程までのイラつきが嘘のように楽しくなってくる。
──結局、あの後は大した質問を無く解散となった。強引に呼び出され、こっちが神経をすり減らして構えた割に終わり方があまりにも唐突過ぎて肩透かしでもくらった気分だ……もちろん尋問のようになるなど願い下げなのだが!
「美味しいよぉ……さぁさぁ琴子ちゃんも、もう一口どーぞ?」
「……まぁ、もう買ってしまったのですから無駄にする訳にもいきませんね」
スプーンを差し出すと少し恥ずかしげではあるが琴子ちゃんがそっと口を開いた。たったそれだけの事なのに堪らない程に可愛く、そして嬉しくなってしまう。
「んむ……ほ、帆吊さん……自分で食べられますから」
「え? あー……はは、そうだよねごめん。琴子ちゃんが可愛くて、つい」
次の一口を用意しようとスプーンを可愛い口の中にジェラートに差し込むと、とうとう恥ずかしさが頂点に達したのか赤くなった顔や口元を手で隠しながら琴子ちゃんがぽつりと呟いた。
そのいじらしい仕草に胸をときめかせながらも餌付けというフィーバータイムが終わってしまった事に心の中で涙を流しながら自分の分を食べようとするとスプーンがさっともぎ取られ、ポカンとする私の前にジェラートが乗った状態で差し出された。
「……こ、琴子ちゃん?」
「これって食べさせる方も結構恥ずかしいんですね……は、早く食べてください」
「待って、写真撮っていい?」
「いいから早く食べてください!」
乱暴に突っ込まれたスプーンは思ったよりも私の喉の奥へと届き、思わずえづきそうになったが琴子ちゃんを悲しませまいと必死に耐え、なんとかえづかずに飲み込んだ……涙の浮かんだ目の端を拭い、何故かスプーンを突き出した姿勢のまま微動だにしない琴子ちゃんの方へと笑いかける。
「もー……琴子ちゃんってば激しいんだからぁ、そういうのも好きだけどさぁ?」
「変な言い方しないでください。それより……さっきから宇垣の姿が見えませんが、どこへ?」
「さっき車取りに行くって言ってたよー? ほら、ここって人多いでしょ? 琴子ちゃんを降ろした後で少し離れた場所に停めたんだよね」
一般開放されているこの一階は週末には人でごった返し、今日のような平日でも多くの人で賑わっている。周りを見れば家族連れは勿論恋人のような二人組もいれば、数人の学生グループのような子達もいる……まぁそんな色々な人達がいる中でも私達のようなスーツ姿の女二人はどうしても目立つのか時々見られているような気がするが、最早気にしない事にする。
「なるほど、ではまだ少しは時間の余裕があるという事ですよね……ならもう一つ買いに行きませんか? 他にはどんな味がありました?」
「……あっは! 他にはねぇ、抹茶とかストロベリーみたいなよくある味もあって……あ、ラズベリーとかもあったよー」
甘い物を食べながら次は何にしようかと話し合う……まるで学生に戻ったかのような振る舞いに思わず吹き出し、溢れんばかりの嬉しさを感じながら思い出せる限りのメニューを口にしていった……それだけでも面白いのに普段研究の事について考えている時と店の前に立ちジェラートのメニューを選んでいる時とで仕草が全く変わらない事に気付き、再び吹き出しそうになってしまう。
「ああ良かったここにいたのか、随分探したよ……いやはやさっきは偏屈爺の相手ご苦労様、随分立派になったもんだねぇ」
人違いであれと心の中で強く願ったが声のする方に顔を向けた先にいた男の視線はまっすぐに私達を……いや、琴子ちゃんを捉えていた。




