表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/58

第三話 その心は呆れてしまう程に弱く啼く

「いくら深海研究所だからって、まさか素直に海の中にあるだなんて……」


「ふふ、最初は私もどうかと思いましたが意外と便利なんですよ? 引き上げた深海魚を日の光に当てる事無く研究出来ますしね」


 研究所は半透明でまるで二つ重ねたホットケーキのような構造をしていた、俺達が今いる楕円形の上部の中央には大きな螺旋階段が伸びて下にも同じく楕円形の空間へと繋がっており、周囲にも同じ構造の建造物が四つ程十字を描くように隣接してる。


青海(あおみ)さん、なんでこの建物……床以外が殆ど透明なんですか……?」


「透明な訳ではありませんよ、これは外壁で撮影した海中の映像をそのまま内部に表示しているだけなんです。床以外の壁や天井が全てモニターのようになっていると思って頂けると分かりやすいかと」


「な、るほど……?」


 展望台などに床が透明になっている箇所があったりするがあれの海中版という訳か、確かにこれならどこに何が居ても見逃す要素は無いだろうが……これだけの数のカメラを当たり前のように用意している研究所の規模を考えると頭がクラクラしてくる。


「……とはいえこれは初めての塩見さんに見せたかっただけです、ラブ! 鏡面カメラの表示を壁面のみに戻してくれる?」


『了解、鏡面カメラの表示を変更します』


 研究所内に流れた女性を模した機械音声の返事と共に壁以外に映っていた水中は消え、代わりに無機質な乳白色の材質で出来た天井が姿を現した……お陰で空間の縁取りはハッキリしたが、やはり依然として水中に立っているという臨場感は消えない。


「管理AIですか……徐々に一般家庭にも普及してるとはネットニュースで見てましたけど、本物は初めて見ました……それにしても、随分可愛い名前をつけているんですね」


「ああ、いえ……彼女の名前は別の者がつけたんです。ううん、これについては……いずれお話しますね」


「?……はい」


 これまでとんでもない事をあっさりと口にした彼女と同一人物とは思えない程に言葉を詰まらせる青海に思わず首を傾げてしまう、その脇に立つ宇垣も事情を知っているのか困ったように咳払いをしている。


「……とりあえず雑談はここまでにして本題に入りましょう、所長室で詳しい資料などを……ラブ、帆吊(ほつり)さんの姿が見えないようだけれど彼女の現在地は?」


『はい、帆吊さんは現在より約七十分前に睡眠状態に入ってから現在に至るまで部屋から移動した形跡はありません』


「……あんのバカ! 昨日は早く寝とけって言ったのに、まーた徹夜しやがったな……!」


 ぼそりと呟くと宇垣は片手で顔を覆い天を仰いだ、青海も飽きれたように小さくため息をついている。


「仕方ありません……即座に叩き起こして所長室へ来るように言いなさい、所長命令です」


『仰せのままに、その命令を待っていました』




 こんなトンデモ研究所の所長室なのだから今度はどんな要素で驚かされるのかと身構えたが、通された部屋は壁沿いに小魚の泳ぐ大きな水槽がいくつか置いてある以外は至って普通の部屋だった、気になる点と言えば部屋の中央に鎮座する大きな立体映像用の投影機と水槽に左右を挟まれる形になっている扉ぐらいか。


「そちらは私の私室です、見られて困るものなど何もありませんが……乙女の秘密という事で、覗かないで下さいね?」


「の、覗きませんよ!」


 両手と首を大げさに振って否定すると青海と宇垣が声を上げて笑った、先程からつい無遠慮に部屋中を眺めていたが少しは控えた方がいいらしい……そのまま十分程雑談し、ほどよく緊張もほぐれてきた辺りでやや背の低い女性が躓きそうになりながら部屋に飛び込んで来た。青海のものと同じとは思えないほどにシワの目立つ丈の長い白衣を纏っており髪は乱れ、目の下には濃い隈が遠目でも分かるぐらいに目立っている。


「やっと来ましたか……帆吊さん、今日は大事な日だとこの前から言ってましたよね?」


「ご、ごめんねぇ琴子(ことこ)ちゃん……一応早めにベッドに入ったんだけど、気になる事が沢山出て来ちゃ……って、あっ……」


 最後まで言い終わらない内に帆吊がしまったという表情を浮かべながら自分の口元を両手で覆った、何を間違えたのかすぐには理解出来なかったが、青海が俺の横を抜けて足音荒く帆吊の前に立つと怯えた表情を浮かべて見上げる彼女の頬を両手で摘まみ上げた。


「……よく聞こえませんでしたが、今何と仰いましたか? ほ・つ・り・さ・ん?」


「あう……ごめんなさい琴子ちゃ……青海所長……!」


「……全く、何度言ったら分かるんですか貴方は……その呼び方では恰好がつかないといつも言っているでしょう?」


 ほんのり赤く染まった頬が痛むのか両手で頬を押さえる帆吊に背を向けながら青海が腕を組んで大きなため息をついた、小さい体を更に縮める帆吊の目元にはじんわりと涙が浮かんでいる。


「騒がしくて申し訳ない、所長と帆吊は幼い頃からの友人らしくてな……まぁ公式な場ならともかく、ここでならそこまで頑なにならなくても良いとは思うんだが……」


「なるほどそれで……僕も、堅苦しいよりは良いと思いますけどね」


「ほ、ほらぁ! 二人ともいいって言ってるよ? ね、昔みたいに『なー』って呼んで欲しいなぁ?」


「なっ……何をバカな事を言ってるんですか、塩見さんも悪ノリしないでください!」


 尚も絡みつこうとする帆吊を睨みつけて大人しくさせると青海は再び俺達三人の前に立ち、わざとらしく大きな音を立てて咳払いした。


「ゴホン!……とにかくこれで全員が揃いましたね、本題に入る前に改めて自己紹介をさせてください」


 一旦言葉を区切ると目を閉じて深く深呼吸し、再びこちらを向いた青海の表情には先程までの緩みの色は微塵も浮かんでいなかった。


「私は青海琴子、この青海研究所の所長をしています……そして私と一緒に塩見さんを迎えた大男が宇垣、遅れてきたその子は帆吊(なぎさ)といいます」


「宇垣だ、俺の名目はエンジニアだが……殆ど雑用係みたいなもんだ、何かあれば俺に言ってくれたら大抵の事はしてやれるから気軽に言ってくれ」


「渚だよー! 私は開発が主な仕事だけど基本的には医務室にいるから、体調が悪い時とか相談事がある時はいつでも言ってねぇ?」


「あ、はい……よろしくお願いします、ええと……新人観測員の塩見修吾(しゅうご)、です」


「はぁーい、よろしくねぇ」


 何とも言えない気恥ずかしさを感じながら慣れない肩書を口にすると帆吊が手をヒラヒラと振り、笑顔で頷いてくれたお蔭で緊張が抜け、少し気持ちが楽になっていくのを感じる。


「というかその……もしかして僕を含めても四人だけ、なんですか? こんなに大きな施設なのに?」


「ええ、この研究所にいる職員はラブを含めても五人のみです……ここは新設されたばかりという理由もありますが、そもそも深海研究所での勤務を希望する者が少なくどこも常に人手不足なので」


「え……深海魚に対する防衛線は人類の最後の希望とかネットでは書かれているのに……ですか?」


 例の危険性の噂もあり観測員の希望者が極端に少ないのは知っていたが、まさか危険の少ない深海研究所の職員すらもそんな現状だったとは……。


「ヒーローになるよりヒーローを褒め称える立場になりたいのは何もお偉方だけって訳じゃないのさ、今や義務とまで言われているんだから俺以外の誰かが成すだろう……国民の全員が全員そんな思いなんだから、こうなっちまうのもある意味で必然ってやつなのかもな」


 心底うんざりしたように言葉を吐き捨てる宇垣に言葉をぶつけようとするが喉まで出かかったその言葉の汚さに吐き出すのを躊躇っていると俺の言わんとせん事を理解したように頷き、青海が俺を慰めるように肩にそっと手を置いた。


「何で私達がそんな奴らの為に命を賭けなくちゃならないんだ……ええその通りです塩見さん、気持ちの大きさに差はあれど私達全員も同じ気持ちを持っています」


「ホント、嫌になるよねぇー? こうするべきだって言ってる人も観測員の任から逃げ出す人を罵倒する人も、みーんな安全なところから言ってるんだよ? 次に巨大深海魚が現れたら今度こそみーんな死んじゃうかもしれないのね」


「……そう、ですね」


 自分が言い淀んだ内容を事も無げに言い放つ二人につい呆気に取られてしまう、こんな事を言ってしまっていいのかと宇垣に視線で問い掛けるが苦笑されてしまった。


「誰かがやらなくちゃならない、俺達の住む地球を守らなきゃならない……覚悟して集まってるとはいえ命を張る事をさも当然のように言われたらそりゃあ腹に据えかねたりもするさ、俺達だって人間なんだからな」


 宇垣の言葉に同意して頷く、俺だっていつもと変わらない日々を過ごそうとしていたら日常が突然一変してこんなところに連れて来られたのだから、さっきから忘れそうになるし実感なんてまだ微塵も湧かないが俺はこれから命を賭けた任務に就くのだ……だが同じ思いを持った人達が傍にいるからだろうか、不思議と俺の中から拒否したい気持ちが最初と比べて随分と薄れている自分がいる……そんな事を考えていると両手を打ち鳴らす乾いた音が部屋に響き、全員の視線が青海に集中した。


「……皆が胸に抱えた思いはそれぞれですが、現在ハッキリとしている事実は帆吊さんの言う通り次に巨大深海魚の出現を許した場合、人類は絶滅してもおかしくないという事です……世界を救えなんて事は言いません、ましてや義務だとも言いません」


 一度言葉を区切り青海の視線がまっすぐに俺の胸を貫いた、胸を締め付けられるほどの決意に満ちたその瞳に思わず体が固くなる。


「私はこの場にいる全員を守りたい……理不尽な状況である事も勝手な事を言っているのも理解していますが、非力な私にどうか……貴方の力を貸して下さい」


 ──重い、重すぎる。

 俺はただの会社員だ、ふざけた国の政策に巻き込まれただけで深海の知識も無ければ技術も無い本当にただの一般市民なんだ。

 青海の決意は本物だ……ほんの二時間程度一緒にいただけだがその点だけはハッキリと伝わった、だからこそ安易な言葉を口にすれば文字通り深海の底に引きずり込まれてしまうだろう……他の二人もそんな目で俺を見ないでくれ、俺は新発売の代わり映えのしないジュース程度の日常の変化で満足できる男なのだ。きっとこの人達なら本気で説明すれば俺に出来る事じゃないと理解してくれるだろう……さぁ言おう、俺には無理だと! そんなご立派な器ではないと!


「あの、俺は……俺は本当に深海の事とか、本当に全然分からないんです」


 口の中がカラカラに乾いているが言葉にはなっている……それでいい、俺以外の観測員候補だってすぐに見つかる筈だ。


「その、だから……俺は、何からしたらいいんですか?」


 塩見修吾……お前という強がりだけの薄っぺらい男には本当に心底ガッカリした、そんな吐き出した言葉とは真逆の感情が胸の中で延々と渦巻いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ