第二十七話 フェイク・グリーン
「しっかし、静かだなこの森……肝試しでもしてる気分になってくる」
『あはは、ここじゃあ時間は分からないからね……もしかしたら今は丑三つ時かもよ?』
「止めてくれ縁起でもない、もし幽霊に襲われたらイサナの事を恨んでやるからな」
『あれ? シューゴってもしかしてお化け駄目なの?』
イサナの言葉には返事をせず歩みを進める、先程から耳に届くのはぬかるんだ地面を歩く不愉快な水音と自分の呼吸音のみ……普通の森ならばもっと鳥の鳴き声や草の擦れる音などがするものではないのだろうか? もしかすると聞き逃しているのではと思い立ち止まって少し耳を澄ませてみるが、やはり何の音もしない。
『ねぇねぇ、シューゴってホラー映画とかも駄目なの?』
「ぐぬっ……」
代わりに聞こえてきたのはある意味では幽霊よりも余程厄介な存在の声だった。一度聞き流したというのに何かを察したのか聞こえる声だけでも俺を玩具にして楽しんでいる事がよく分かる。
「……いいか? 映画には様々なジャンルがあるがその大半は見る者に新しい衝撃や情報をくれる、例えばアクションなら強くなった自分のイメージを更に肉付けしてくれるしファンタジーならそれまで思いつきもしなかった魔法や幻想的な現象をより具体的に残してくれる、でもホラーってやつは他のジャンルに比べて極端な話、得る物が少ないんだ。全体的に見れば駄作と評価されるものも一つ一つを切り出していけばこの場面は面白かった、この言い回しは好きだって事が多いがホラーにはそれが殆ど無くどちらかというと精神を擦り減らす事の方が多いんだ、要するにホラー作品を見る事はそれ自体が自分にとってマイナスになる可能性の方が高くてだな?」
『つまり怖いんだね?』
再び静寂が辺りを包み込んだ……いや、微かにだがイサナが小さく笑っている声が耳元で響いている。
『はー……でもいいなぁ、この感じ』
「いいって……何が? 俺がホラー駄目なのがそんなに嬉しいのか?」
『そんなに拗ねないでよー……そうじゃなくて、少しずつでもシューゴの事知れたから嬉しいなって思ってさ?』
「っ……何だよそれ、俺の事なんか知って何が面白いんだ……それよりそっちはどうなんだよ、イサナはホラー映画とか平気なのか?」
『僕はむしろ好きな方だよ。最近は見て無いけど備品の中にも古いホラー作品をまとめたディスクがあるし、今度一緒に見る?』
「ありがたく遠慮する!……待った、果実を見つけたぞ」
足を止めてライトを上に向けるとまっすぐに生えた木の上部に目的のものがあった、エイトが持って来たものとは形は違う見た事の無い果実だ。
『ほんと? 回収出来そう?』
「かなり上の方に生ってるが問題無い……いや待て、なんだこれ」
取りやすそうな位置の果実を探っていると隣の木にもまた形の違う果実が生っている事に気が付いた、それだけではない……いつの間にか周囲の木全てに違う形の果実が生っているではないか! 本来であれば回収対象が増えて喜ぶべきなのだろうが、この光景にはどこか不気味なものを感じる。
「全部違う種類の果実があちこちにある……十、いやもっとか……どうする、全部回収するか?」
『シューゴ、探索時間は帰りの分も含まれてるからね? 二つか三つ回収したらこれ以上進むのは止めて、帰還しよう』
「分かった、それにとりあえず今日はもうこれ以上奥に行く気は無いよ……何て言うかこの森、少し気持ち悪いし」
別にその方面に詳しい訳じゃないが、植物ってやつは同じ場所に同じ種類が密集したりするものではないのだろうか? ここまで違う種類ばかりが並んでいる姿はどう見ても異様としか思えないし、異様と言ってしまうのであればこの森自体が異様そのものだ。
『気持ち悪いって……どういうこと? 変に暑いとか何か変な匂いがするとか、そういう事?』
「いや……そのどっちもスーツを着ていたら分からないし、地面は相変わらずぬかるんでるんだけどそういう事でも無くて……何て言ったらいいのかな、実をつけてる木はあるんだけど動物が食べた形跡も無いし空には鳥の影すらない。マントル海域の環境を考えたらそれが正しいんだけど、虫の一匹も見かけない森なんてあり得るか?……まるで造花の植木鉢の上を歩いてる気分だよ」
造花……自分で発したその単語に酷く納得した。この森は明らかに不自然なのだ、プラスチックの人口果樹園の中を小さくなって歩いていると思うと現状を表すイメージとしてはあまりにもピッタリだった。
「……何か嫌な予感がする、さっさと回収して帰ろう」
『うん、こっちに向かう方角は分かる?』
「ああ、実は違うくせに同じような木ばかりで分かりづらいけどここまでの道ぐらいなら……うわっ!?」
足に巻き付けていたバンドからナイフを引き抜き適当な木から木の実を採取しようとすると島全体が突如大きく揺れた。あまりの衝撃の大きさにバランスを崩した俺はその場に倒れ込み、樹木の一つに体を打ち付けてしまう。
『シューゴ! シューゴ大丈夫!?』
「ああ……今のはなんだ、地震か?」
よろよろと立ち上がり、再び採取を試みようとするが周囲を見渡してもどこにもナイフが落ちていない……さっきの衝撃でどこかに飛ばしてしまったらしい。
『地震……? おかしいよ、こっちの計器には何の反応も無いなんて……』
「くそ……今の衝撃でナイフを無くした、ちょっと辺りを探してみる」
『っ……ナイフも採取もいいから今すぐ戻って! 今カメラで島を確認してみたら角度が少しずつ変わってるんだ、多分支えになってた石柱が折れたんだと思う。このまま島が着水したら周囲の海流が激しくなってシューゴが島から出られなくなっちゃう!』
「ええい次から次へと……厄日か、今日は!」
この島に残って漂流でもする羽目になればそれこそ帰還出来るかどうかすら怪しくなってしまう、ナイフの捜索は諦めて急いで踵を返し最初に上った崖の方向に駆け出すが、ぬかるんだ地面のせいか思うような速度が出ない。
「何でここはこんなにぬかるんでるんだ、歩きづらいったらない……ぐっ!」
踏んだところが悪かったのか踏みしめた足がすぐに地面を捉える事は無く、ぬかるんだ土に右足の付け根の辺りまでがあっさりと飲み込まれてしまった……すぐに引き抜こうと地面に両手をついて踏ん張るが、まるで島そのものに噛みつかれてしまったかのようにビクともしない。
「ああちくしょう……深いぬかるみに右足が嵌った! なんなんだよここは!」
『落ち着いてシューゴ! 周りに何か掴めそうなものとか無い?』
「そうは言っても蔓を伸ばしてる植物も無いし、ぬかるみは吸い付いてるみたいに離れないし……おいおい嘘だろ、勘弁してくれ……!」
必死に地面に手をついて踏ん張るが右足が抜ける気配は無い、それどころか地面はどんどんと柔らかくなり左手と左足まで地面に飲み込まれ始めてしまった……! いつか見た底なし沼のように、もがけばもがくほど沈んでいく気がする。
「っ……! どこでもいいから刺されっ……!」
最後の希望とばかりに飛ばした二本のアンカー。しかし果実一つですらナイフを通さない程の硬さなのだ、それを実らせている木となればその強度は計り知れない……そんな俺の心の不安をまるで嘲笑いながら肯定するかのようにアンカーは命中した木々に傷一つつける事無く地面に落下した、力無く横たわる二本のアンカーを見つめていると俺の中で何かが折れてしまったかのように激しい無力感が襲ってくる。
「……イサナ、駄目だ。アンカーも刺さらないしこの島はどんどん俺の体を飲み込んでいってる……もしまたこの島が現れてもイサナは絶対に近付いちゃ駄目だ、いいか? 絶対に俺を助けに行こうともするな」
『シューゴ! シューゴだめ! 諦めないで、何か……何か必ず助かる方法が……!』
通信から聞こえるイサナの悲痛な叫びに胸が痛くなる。不安がるイサナを言い包めて強引に上陸しておいてこのザマなのだ、罪悪感が芽生えない筈が無い。
「……悪いな、また一人にして」
『っ……! やだよぉシューゴ……! シューゴぉ……!』
とうとうイサナが泣きじゃくり始めてしまった、その声を聞いているだけで想いが伝わってくるようでこんな状況でも嬉しくなってしまうのだから人の心とはままならないものだ。
「ん?……はは、容赦ねぇなぁ」
とうとう右手も飲み込まれ、腰まで沈んだ俺は仰向けに仰け反りながらのんびり空を見上げていた……すると徐々にぬかるみに流れが生まれ徐々に体が流されていくのを感じた、何事かと流れの先を見てみるといつの間にやら地面にぽっかりと大穴が開いているではないか……大穴から時折空気の漏れるような音が響き、まるで久々の餌を喜んでいるかのように聞こえる。
『なに……何言ってるのシューゴ……?』
「イサナ、どうやらこの島は上陸した生物を飲み込んで養分にしてるらしい……通りで虫一匹すら見かけなかった筈だ、近付いた生き物は全部この島に喰われたんだな」
流れがあるなら手足が動かせるかもと思ったが相変わらずガッシリと地面に吸い付かれているように土が絡みつき片腕を持ち上げる事すら出来ない、まるで土の一粒一粒が意志を持って俺を拘束しているかのようだ……感触だけならエイトの触手に似ているといえば似ているがこっちには優しさの欠片すら無い、そうこうしている内に大穴の縁が間近になってきた……ここまでどうにか平静を保ってきたが、せり上がる恐怖が今にも口から溢れそうだ。
『シューゴ……僕ね、シューゴの事好きだよ』
「っ!?」
か細く、そっと囁かれたその言葉に喉元までせり上がってきた恐怖が一瞬でかき消え……ハッキリとイサナの声が聞こえる。
『……気持ち悪いよね、ごめんなさい。シューゴが優しいから僕、なんだか調子に乗っちゃって……僕が女の子なら良かったのに、きっと色々と我慢させちゃったよね? でも……本気なんだ』
「イサナ、俺はっ……!」
恐怖を振り切り張り上げた声、しかし言葉が続く事は無く突如体を襲った浮遊感に遮られた。
下を見れば深海よりも暗い島の口の中、絶望と警鐘が脳内で鳴り響き言葉を失った俺に出来たのは闇を見つめながら心の中でイサナへの想いを繰り返す事だけだった。




