第二十三話 暗がりの訪問者
「いやー……俺完全に勘違いしてたんだけどさ、ここで過ごすのって実は結構なサバイバルだったんだなぁ」
「ふふっ、そうだよ? 旅行にでも来たつもりだったの?」
「そういうわけじゃないけどさ……おお、煮付けにするとこんなに柔らかくなるんだなウツボって。洗ってる時は皮がゴムみたいだったのに」
巨大ウツボの煮つけ、一目見ただけでは黒いブヨブヨのゴムのようにしか見えないが箸を少し沈ませただけでも弾けるように肉が裂け、口に含めば弾けるように崩れ溶ける柔らかい食感と共にスープをよく吸った皮はコラーゲンの塊へと変貌しているのがよく分かる……そこにイサナの適度な味付けが加わる事で最高のご馳走へと昇華されていた、この場に炊き立ての白いご飯が無い事だけが非常に悔やまれる。
「シューゴのカプセルの中に調味料の類が色々入ってて本当に助かったよ、塩なら海水から作れなくはないけど他のものに関してはここじゃあ作れないしね……美味しい? 味が濃かったりしない?」
「美味しいよ、煮付けなんて久しぶりに食べたけどこんなに美味しかったなんてすっかり忘れてた……イサナは料理が上手なんだな」
「そんな事無いよ……でも口に合って良かった、自分の分を作る事はあっても誰かの為に作った経験なんてなくてさ……ん、美味しく出来てるね」
イサナも一口煮付けを頬張ると安心したかのように小さく笑った、テーブルには他にも蒲焼や唐揚げが並んでおりどれもこれも美味しそうな匂いを漂わせている。
「無理せず食べれるだけでいいからね、二人分の分量がイマイチ分からなくて作り過ぎちゃったから」
「分かった、しかしどれもこれも美味そうだ……ちなみに、これでどのくらいの肉使ったの?」
「三分の一くらいかな? 残った肉は瞬間冷凍庫に入れておいたからしばらくは持つよ」
「デカかったからなぁ……マリンドローンも一機壊されたし、しばらくは俺達の空腹を満たしてもらわないとな」
数度頷くとそこで会話を切り上げ、冷める前にと本腰を入れて食べ始めた。
皿の上に山盛りに乗った料理の数々を見た時はその量に気圧されたが、イサナの味付けが俺の好みだった事もあり箸は俺の想定を超えて進み続けた……さすがに全部を食べ切る事は出来なかったが、苦しくなった腹を抱えた俺の中には満腹感の他にイサナの手料理を食べられたという幸福感も入っていた事は間違いない、というか後半に至ってはイサナは食事の手を止めて俺を眺めていたような気がするが……さすがにそれは思い上がりというやつだろう、つい舞い上がってしまいそうになるので俺の背後の窓を見ていた事にしておく。
「いっぱい食べたね、片付けてくるからシューゴは少し休んでなよ」
「悪いな……こんな満腹になったのいつぶりだろう」
研究所での生活も大分慣れてきていたし居心地の良さも感じていたが、今感じている安心感や馴染む感覚には自分でも困惑するほどだ。深海という静けさがそうさせるのか、初めて会った瞬間に吐き散らかすという醜態を晒しているにもかかわらず受け入れてもらっているからか……いくつか理由を考えてみたが答えには辿り着けなさそうだ。
「……そういえば俺のドローンはどうだった? やっぱり駄目そうか?」
「そうだねー……修理すれば動きそうだけど、バラして他の子の予備パーツに回した方がいいかも」
「他の子? 例の作業部屋の機械の予備部品って事か?」
「まぁ加工すればそっちにも使えるけど、そうじゃなくて予備のマリンドローンだよ。まだニ十体ぐらいはいるからシューゴが落ち込む事無いって事、僕も五体か六体は駄目にしてるからさ」
「にじゅ……!? そんないるのか!?」
料理の残りを密閉容器に詰めて冷蔵庫に入れ終わったイサナがこちらに振り向きイタズラっぽく笑ってみせた、俺の驚いた顔を見れて満足したのか声を上げて笑うとシンクの前に立ち鼻歌交じりに洗い物を始めた。
「この観測所ってさ、全体の大きさに比べて昇降機の階層が少ないって思わなかった? 作業場から下は殆ど貯水エリアと格納エリアになっててね、貯水エリアはその名の通り常に海水を吸い上げては真水に変換して水道やシャワー……あ、浄水エリアでは水力発電もしてるよ、格納エリアではマリンドローンや色んな用途の機械が置いてあるんだよ。最も一人じゃ要らない用途だったりそもそも今の状況じゃ使えない物もあるから、最悪海鉄が取れなくなった時用にエイトの餌にしてもいいね」
「そりゃ随分と豪勢な餌になりそうだな……他にも何があるのか気になるし、今度俺も見てもいいか?」
「勿論いいよ、格納庫の扉はさっき渡したデバイスで開くからシューゴが使えると思ったなら好きに使って?」
「なるほど、これで開くのか……」
ポケットをまさぐり取り出したのはイサナのものとは色違いの小型デバイス、色が違うだけでボタン配置などは同じなので問題無く仕えるだろう。
「しかし凄いよなここは……もし無人島に持って一つだけ行くなら何って聞かれたら今後は絶対ここって言うわ」
「あはは、その質問だと観測所だけって事にならない? いくらここの施設が凄くてもベッドとかが無いと寝る時辛くない?」
「ああ、そうか……うっかりしてたわ」
「じゃあ改めて、シューゴがもし無人島に何か一つ持って行けるなら何がいい?」
いつの間にか洗い物を終えたイサナがタオルで手を拭きながら戻って来てソファに座る俺の隣に腰掛けた、それにしても何とも平和な話題だ……この質問の答えの定番はやはりサバイバルナイフだろうか? 火を起こすライターなんて答えもアリかもしれない、しかしそれを自分の答えにするのは何となくつまらないような気がして天井を見つめながら他の答えを探していると、隣から小さく笑う声が聞こえた。
「ちなみに……持って行くのは『何』じゃなくて『誰』でもいいよ?」
「……えっ?」
驚きで今まで浮かんでいた考えなど一瞬で吹き飛んだ、呆けたまま視線を下げるとイサナの青い瞳がこちらをジッと見つめていた。
ソファの上に両足を乗せて曲げ、立てた膝の上で腕を組んでそこに頭を乗せた姿勢のまま片方だけ向けられたその瞳には期待の色が含まれているように見えた……見つめられているだけで胸の奥に手を伸ばされているようで、何だか息苦しさすら感じる気がする。
「そ、そうだな……俺はやっぱりトリトンスーツかな! ほら、色々便利だし!」
きっと……いや確実に今手を伸ばして彼の髪や頬に触れたとしても拒絶される事は無いという妙な自信はある、しかしそれ以上に俺は根性が出なかった……ヘタレと言われても反論出来ない。
「……ふーん」
ガッカリされたかのような声色に胸がチクリと痛んだ。思わず顔を逸らしてしまったがやはり不自然だったかと視線をゆっくりと戻すとそこに映ったのは先程よりも目を細め、獲物を捉えた爬虫類のような瞳だった。
『今はまだそれでもいいか』と泳がされているかのような意地の悪いその瞳に、思わず背筋がゾクリとする。
「確かに便利そうだけど……トリトンスーツがあるなら無人島から脱出出来るんじゃない? ここみたいに地上に行くのに空を通る必要が無いんだしさ」
「え? あ……確かに、というか凄い言い方だよなそれ」
「だね、二度と使わない日本語かも」
足を崩してケラケラと笑うイサナに先程までの妖艶さは無かった、安堵からか短く息を吐き出しテーブルに置かれた水を流し込むと塩分で乾いた体は貪欲に吸収していった……自覚は無かったが随分と喉が渇いていたようだ。
「……ん? なん……だぁ!?」
その時背後でノック音が聞こえた気がした、小さな深海魚でも窓にぶつかったのかと振り向き視界に映ったそれが何かすぐに理解出来なかったがゆっくりと窓を覗き込む四つの緑色に光る目とフリル付きの帯のような触手を認識した瞬間、瞬時にそこにいるのが何か理解した……エイトだ!




