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第二話 青海深海研究所

 観測員として選ばれる要因は全てが公開されている訳ではなく、ネットでは嘘なのか本当なのか分からない条件が溢れているが信憑性の高いものとしてはいくつかある。


『独身であること』


 一番有力なのがこの条件だ、観測員に既婚者が選ばれた事例は無く国を守る為の法案でわざわざ子供の未来を奪うような可能性のある真似はしないだろうという事から、この条件は第一候補だと言われている。


『企業もしくは組織等において一定の階級以下であること』


 次いで有力な条件であり最も反発が強かったのがこの条件だ、反発と言っても当然国のお偉いさんが断言した訳ではないが選抜条件の話題が出る度にこの条件の話が出てはユーザー同士が勝手に言い争っている。

 社会の下っ端である俺にとっても面白くない条件ではあるが、まぁそうだろうなと思ってしまっている自分もおり、仮に断言されたとしても不服ながら納得してしまうだろう……ちなみに、職に就いていない人間もこれに当て嵌まる。

 他にも年齢だとか持病だとか色々言われているがどれも推論の域は出ない、命がかかっているにも関わらずめちゃくちゃな事この上ないこの法案だが利点も多くあるらしく、例えば発表されている内容だと多額の報酬が出たり税金が免除されたりもするらしい。

 観測員だけではなくその家族にも発表されている事以外の特典も様々なものがあるらしいが緘口令が敷かれているらしく、帰還者は元よりその家族も誰一人口を開かないのでネットでの推測に更なる拍車をかけている。

 その報酬のお陰か一時は悪魔の法律とまで言われたこの観測員の選抜が今ではある意味義務のような風潮になっており、拒否したり逃げ出す人を撮影してはネット上でバッシングの標的にする者達で溢れ返っている……俺だって興味本位でその動画を見た事がある、映像には何重にもモザイク処理が施されとても見られたものでは無かったが流れてくる音声はそれ以上に酷いものだった、幼い子供のように泣きじゃくる者や命乞いのような内容を喚く者……そんな彼らの映像を俺は眠りにつく前、ベッドで横になりながら鼻を鳴らして見ていたのだ。

 ──だが実際に自分が彼らと同じ立場になって分かった事が二つある。一つは逃げ出すのにも勇気や根性が必要だということ、そしてもう一つは……俺はそのどちらも持っていなかったという事実をこの数十分で嫌という程理解させられた、目の前の青海という女性は細身だし見るからに科学者然としていて運動能力は高そうには見えず、一緒にいた宇垣という男はガタイも良いしまともにぶつかったらあっさりと捕まってしまうだろうが所詮は一人だ、この辺りに長く住んでいるのは俺の方だし死に物狂いで逃げれば或いは撒く事も可能かもしれない。

 脳内では走行する車内から飛び出し逃げ切っている最強の自分が微笑んでいる、しかし現実の俺は僅かな可能性に対して失敗という結果すら出せずにいる……自分の命がかかっているのに、だ。


「……塩見さん?」


 心配そうな青海(あおみ)の声にハッとする……どうやら考え込みすぎて呆けてしまっていたようだ。


「あ……いえ、そういえば結構かかるんですねー? あとどのくらいかかるんですかねー……なんて」


 無様、下手くそ、大根役者……この程度の誤魔化しすら違和感を消せないのか俺はと自分を殴ってやりたくなる、その証拠とばかりに青海は真剣にこちらを黙って見つめている……マズい、不審に思われて手錠でもされたら本当に逃げ出せなくなってしまう……! やがて青海の手がまっすぐにこちらに伸び、思わず固く目を閉じた。


「っ……むっ……う?」


 やがて頬を掴まれて反射的に開いた口の中へと小さい緑色の粒が投げ込まれた、睡眠薬か何かかと咄嗟に身構えたがすぐに舌の上で徐々に溶けだしたそれは芳醇な香りと濃厚な甘味と共に口一杯に広げ……全身に込めた力がゆっくりと抜ける。


「さっきとは違う味なの、気付きました? 私はいつも三缶ほど鞄に入れてるんです、良ければ一缶プレゼントしますよ?」


 再び目を開くと青海が三本の円柱型の金属製ケースを持ってニコリと笑っていた、青に緑に赤……色とりどりのその缶達は俺がよく行く店のお菓子コーナーにも売っている珍しくもなんともないキャンディーのケースだった、青海が振ってみせたせいでケースの中でキャンディー達が暴れ出し耳障りなオーケストラを奏でている。


「い、いや……結構です」


「残念、宇垣(うがき)は甘い物が苦手みたいだったので塩見さんならキャンディー仲間になれると思ったんですけどね」


 目を細めて笑う青海だったが、それを見た俺の思考は全く別の事を考えていた……俗に言う良い警官と悪い警官ってやつだ、分かりやすく威圧感のある宇垣の存在を植え付けながら物腰の柔らかい青海で俺の警戒を解く……実に見事だ、危うくたった二粒のキャンディーで懐柔されるところだった。


「実は私の研究所はスカウトに出たのは今回が初めてでして……手順にばかり気を取られて、塩見さんに大切な事を言うのを忘れていました」


「……大切な事?」


 俺の心はすっかりやさぐれていた、彼女が何を言おうが俺は所詮国が目を閉じて突っ込んだ腕に不幸にも摘まみ上げられたただのモルモット……目的を果たすまでは餌もくれるしおだててもくれるだろうが、終着点は決まっている。


「塩見さん、貴方はこれから向かう先の研究所で……私を代表とする通称『青海班』の一員になってもらいます!」


「……はい?」




「うぉ……でっかぁ」


「どうです、数回ほどテレビで取り上げられた事もあるんですが見た事はありませんか?」


「いやぁ……俺テレビ見ないので」


「そうですかぁ……やはり今はネット向けの方が、いやでもそうなると……」


 がっくりと肩を落として何やら呟いている青海に背を向けて再び目の前の大きな施設を見上げた、結局車で一時間弱は走って辿り着いたそこは周囲に民家一つ無い林道を抜けた先にあった物々しいゲートの奥にそびえ立ってた。

 三つの大きな円盤型の建物が連結し中央から伸びた高い塔の先端は灯台のようになっている、海が近いのか微かに聞こえる波の音を聞きながら首が痛くなるほどに灯台を見上げていると不意に背中を軽く叩かれた、驚いて視線を下げるといつの間にか宇垣が隣に立っており、視線を逸らして宇垣の奥に停車してあった車のフロントガラスに表示されていたナビゲーションシステムからここの地名を見ようと思ったが反転している為見えづらく、すぐに消えてしまった。


「やる事は多い、まだ状況を飲み込めていないかもしれないが……まずは中に入ってくれ」


「は……はい」


 俺の返事に頷くとまだブツブツ言っていた青海を片手で抱えて研究所へと向かい始めてしまった、俺もその少し後ろを付いて行きながら改めて研究所全体を眺めてみた……外壁は真っ白で研究所っぽいかと言われたらそうかもしれないが、俺にはどちらかと言えば博物館や水族館のように見える。


「……ん?」


 入口の自動ドアに差し掛かったところである物が目に飛び込んできた、誰に見せつけるんだとばかりにデカデカと掲げられたその看板にはやはり大きな字でこう書かれていた……『青海深海研究所』。


「あの宇垣……さん? もしかしてその人って……」


「ん、何だ?……ああ」


 恐る恐る話しかけると振り向いた宇垣がすぐに俺の意図に気付いたように片手で顎を擦りながら頷いた、抱えられたまま一緒にこっちを向いた同じ名を持つ彼女……青海の顔には満面の笑みが浮かんでいる。


「バレちゃいましたかぁー……だって、私達の仲間になる人なんですから代表である私が真っ先に見たかったんですよぉ」




 研究所内は薄暗く、一歩足を踏み入れると肌寒さを感じる程の冷気が体をすり抜けて行った、思わず体を震わせると青海が申し訳無さそうに頬を細い指でひっかき、謝罪の言葉を口にした。


「すみません、資料やサンプルの中には厳しい温度管理が必要なものも多く……特に『彼ら』に地上の温度は高すぎるんですよ」


 彼ら、その言葉が何を指し示しているのかの説明は必要無かった。

 入口から見える奥の壁には円盤型の建物の外周を沿うように巨大な水槽が嵌め込まれ、その中で色とりどりの魚類が自由気ままに泳いでいた……天井から床まで伸びた太い円柱状の水槽の中では大きなクラゲがゆったりと泳いでおり、幻想的なその光景に俺の目は一瞬で奪われてしまう。


「ここが……研究所なんですか?……水族館の間違いではなくて?」


「ここ……というか地上に見えていた三つの棟は全て将来的に一般公開予定の深海魚専門の水族館エリアです、研究所はこちらになります……どうぞ」


 宇垣の手からするりと降り立ち、指し示したのは目をよく凝らさなければ分からない程海を模した壁の模様に巧妙に隠された扉だった、重い金属音を響かせながら開かれた扉を抜けると見た事もないぐらいに長く下へと伸びたエスカレーターのある狭い空間へと出た。


「暗いので足元に気を付けてくださいね、まぁ例え転んでも宇垣が壁になりますが」


「は、はぁ……」


 クスクスと笑いながら先にエスカレーターに乗った二人に遅れないよう慎重に乗ると緩やかに下降していく……逃げ出すという考えは俺の頭からはもうすっかり抜け落ちていた、まさかとは思うが俺はもしかしてワクワクしているのか?


「……時に、塩見さんは観測員となった人の事故や死亡事例をどの程度ご存じですか?」


「えっ……」


 そのたった一言にのぼせ上がった考えは瞬時に冷え切り、頭から冷水を浴びせられたような感覚が全身を襲う。


「ま……待った、彼はここへ来たばかりだ。さすがに話が急すぎでは……?」


「急? 宇垣、彼が負う事になるかもしれないリスクを知るのに急などという事が?」


「ぐ……それは……」


 宇垣は尚も何かを言いたい風ではあったが反論を許さない青海の口調に言葉を飲み込んだ、そんな宇垣の肩を背伸びしながら軽く叩き、こちらに振り向いた青海の顔からはすっかり笑みが消えていた。


「どうですか塩見さん、今やネットで何でも見られる時代です……関心の有無はともかく、まるで知らないという事は無いですよね?」


「え……っと」


 唇が渇く、声も上擦っているかもしれない……だが、そんな俺の様子を一切からかう事無く静かに青海はこちらを見つめている。


「俺が見た事あるのは……その、腕を無くしたとか精神が錯乱状態になってしまった人の事とか……です、あんまり見ていて気分が良くなかったので詳しくは……その」


「なるほど……おそらくそれは二件目と六件目の事故の事かもしれませんね」


「……事故?」


「はい、巨大深海魚消滅から今日に至るまでの間で世界中の観測所で発生した事故は記録されているのもだけで全部で十一件……腕を無くした人は深海を探索中に誤って毒をもつ貝に擬態する生物に触れてしまい、初期の観測所の設備ではどうする事も出来ずやむなく左腕切断……錯乱状態になった人は深海から引き上げる際に使用するカプセルが故障した影響で血中の酸素濃度が著しく低下し昏睡状態になり、引き上げた後に即座に治療したお陰で一命は取り留めましたが脳に障害が残った……塩見さんが御覧になったのは、恐らくこの二つの事故の事ではないかと」


「だ……だが安心してくれ! 最期の事故が起きてから今日まで十年近く事故は起きていないし、観測所の設備のレベルも比較にならないぐらいに整っている!」


「ええそうです、ここでも他の研究所と同じ仕様の観測所なら……ですが」


「青海!」


 耐え切れなくなったのか宇垣が大きな身振りを加えながら怒声を上げた、あまりの声量に体が跳ねるが青海は静かに宇垣を見つめ……やがて体ごと視線をズラしてこちらを見つめた。


「塩見さん、最初に断言しておきますが……この研究所での観測は貴方の知っているものと環境も何もかも、全てが異なります。ですが重ねて断言しておきますが貴方は決して国や、ましてやこの研究所の生贄などではありません……どちらかと言えばそう、先駆者とでも言うべきでしょうか」


「……先駆者?」


 話し込んでいる内に永遠に続くかと思われたエスカレーターの終着点が見えてきた、順番に降りると正面には大きく頑丈そうな金属製の扉が立ちはだかっていた、その扉を宇垣が開くと俺の前に立った青海が俺の手を取りまっすぐにこちらを見つめる。


「今日から私たちは仲間です塩見さん、貴方が万に一つも不幸な事故に遭わずに観測員としての期間を全う出来るよう私達は全力で貴方をサポートします……塩見さん、ようこそ我が青海深海研究所へ!」

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