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第十七話 この海に住む住人の為に

 一つの命というにはあまりにも巨大すぎる、それが間近で巨大深海魚を見た第一印象だった。

 怖いとか逃げようとか、そんな考えはもはや浮かばなかった……第一逃げたところでどうにもならない、あの巨大深海魚にとってここは水を張った浴槽に浮かぶ一本の爪楊枝のようなものなのだから。


「落ち着いてシューゴ……さぁ、僕を見て」


 ハッとしてようやく深海魚から視線を外すと安心したのかイサナがホッと息を吐いた、しかし俺の胸に置かれた手から早鐘を打つ鼓動は伝わっているだろう。


「いい? 驚いてるだろうし怖いだろうけど……絶対に大丈夫だから、僕を信じて」


「で……でも、あいつに襲われたら俺達なんて一瞬で殺されるぞ……!?」


「大丈夫、エイトは絶対に僕達を攻撃したりなんてしないから……だから僕は生き延びてるって言ったよね?」


「うっ……」


 言った、確かに言っていたが……だがこの状況はどう考えてもヤバい、こちらはカメラのお陰で見えているだけで向こうからこちらは見えていない筈なのに、ジッと逸らす事無く向けられる四つの瞳のせいか全てを見透かされているような気すらしてくる……だがイサナの言う通り先程からこちらを見つめているだけで、怒ってるようにも襲おうとしているようにも見えない。


「わ……分かった、分かった信じるよ。でも俺はどうすればいい? 情けない話だけど、マジでビビってるから碌に動ける気がしないぞ?」


「ふふ、それでいいよ。シューゴはそこに立ってるだけでいい」


 そう言うとイサナはポケットからブザーを止めた時と同じデバイスを取り出し、何やら操作をした……すると頭上で大きな音が響き、天井が割れてオレンジ色の光が更に強く差し込み始めた。


「おいおいマジかよ……勘弁してくれ……」


 語彙力も消し飛び、うろたえる俺の言葉も虚しく天井はどんどんと開いていき……やがて俺達と巨大深海魚を隔てる壁は完全に消失した、嫌味なぐらいに爽やかな風に乗って濃い海の匂いが鼻を掠める。


「エイト! 紹介するよ、この人は僕達の新しい仲間……シューゴだよ!」


 イサナの言葉に答えるように巨大深海魚は空に向けて口を開き、甲高い鳥のような鳴き声と共に衝撃波が辺りに響き渡った……圧倒的な存在を前に防御姿勢をとる事も出来ず、へなへなと情けなく床に座り込んでしまう……そんな俺を見つめて巨大深海魚はまるで笑っているかのように短い間隔で小さく鳴き声を繰り返した。


「イサナ……あれは、もしかして笑ってるのか?」


「あれ、じゃなくてエイトだよシューゴ……ちゃんと名前で呼んであげて?」


「その名前って……イサナがつけたのか?」


「そうだよ、八番の爆雷投射機に詰めた金属ゴミを食べさせたのがきっかけで仲良くなったからエイト……最初はゴミじゃなくて本当に爆雷だったんだけどね、エイトにはちっとも効かなかった」


「滅茶苦茶だな……ってうわっ! なんだこれ!」


 気が付かない内にエイトからフリル付きの帯のような触手が何本も伸びて俺の手足に触れていた、思わずそれらを跳ね除け距離をとるが……マズい事をしたのではないかと思わずハッとする。


「大丈夫だよ、エイトはその程度じゃ痛みは感じないし気にもしない……その触手を使ってシューゴの匂いとか形を覚えようとしてるんだよ、少しだけ我慢してみて」


「我慢って……これぬるぬるしてるし、おお?……うおっ!」


 腕や足に絡みつく感触を必死に我慢しようとするが触手の感触が妙な事にはすぐに気が付いた、表面はぬるぬるしていて絡みつかれてもすぐに抜けそうに思えるが実際は更に細かい触手が生えているのか想定よりもがっしりと俺の事を掴み、両手足を触手に絡めとられた俺は少しだけ宙に持ち上げられた。


「良かったねシューゴ、エイトにとってもシューゴは好みの匂いだったみたいだよ」


「好みって……この深海……じゃない、エイトも雌なの?」


「それは分からないけど、ここの海で同じ種類の巨大深海魚は見た事が無いんだ。だからもしかしたら種を絶やさない為に両方の性を持ってるのかもしれない、『つがい』を見つけた時にどっちにも対応出来るようにさ」


「なるほどそれは……お得だな!」


 気が付かない内にパニックになっていたのかもしれない、自分でもよく分からない事を叫んでいたがしかし同時に自分の中にあったエイトに対する恐怖心が消し飛んでいる事にも気が付いた、あまりの恐怖におかしくなったのかとも無意識に全てを諦めたのかとも思ったが、エイトの顔を見れば見る程心が落ち着いていく……俺を落ち着かせようとする穏やかなエイトの気持ちが伝わってくるような、妙な気分だ。


「ふぅー……ええと、イサナも言ったけど俺の名前は塩見修吾……よろしく、エイト」


 体が宙に浮いているので動きづらいが、エイトの触手は俺を拘束しているのではなく支えているだけのようだったので楽に体制を変える事が出来た。

 握手などエイトに理解出来る筈もないのに無意識で右手を差し出していた事に気が付き、慌てて引っ込めようとする前に新たに伸びた触手が右手に優しく絡みついた……ハッとして顔を上げると、エイトがこちらを見つめながら小さく鳴いた。


「エイトって……握手とか分かるの? イサナが教えたとか?」


「ううん、僕は何も教えて無いよ。言葉が通じている……とまではいかないと思うけど、エイトは多分僕達の心の機微とか……感情を読み取ってるのかもしれない」


「そうか……はは、凄いなぁエイトは!」


 全身に触手を絡みつかせながら声を上げて笑うと、それに合わせるようにエイトも甲高い鳴き声を上げた……とんでもない状況だ、地上の誰に話してもこんな話を証拠も無しに信じる人なんていないだろう!




「っ……?」


 顔合わせは済んだとばかりに俺をそっと地面におろしたエイトは最後に一度鳴き声を上げると振り向き、深海へと帰っていった……屋上の端まで移動して柵から身を乗り出しながら波飛沫が収まるまでその光景を見送り、再び天井が戻っていくのをぼんやりと眺めていると不意に刺すような頭痛に襲われた。

 気のせいかとも思ったが段々と脈打つような痛みが広がり、堪らず振り向いた俺の目の前に小型の酸素吸入器が差し出された。


「使って、使い方は分かる?」


「あ、ああ……研究所で教えてもらったから」


 イサナに支えてもらいながら床に腰をおろし、吸入器を口に当てながら呼吸を繰り返していると段々と痛みが和らいでいくのを感じる。


「俺……なんで」


「これが巨大深海魚が地上に行かない理由だよ。ここは空気がすごく薄いんだ、だからシューゴのその頭痛は一種の高山病みたいなものだね」


「空気が……? じゃあレドが最後沈んでいったのは……ここに帰った訳じゃなく……?」


「多分ね、濃すぎる地上の空気はここの住人にとって毒でしかないんだよ。だから地上では例え水中でも長くは生きられない、それを本能的に察しているのか例え飛べる個体でも決して上には行こうとしない……だからレドが地上に現れたのは、竜巻に巻き込まれただけの完全に事故だと僕は思ってるよ」


「って事は、この観測所……というかイサナのここでの役目って地上に上がろうとする深海魚を止める事じゃなくて……」


「そう、竜巻に巻き込まれないようにここに棲む彼らを守る事だよ……エイトと、今はシューゴと一緒にね」




『巨大深海魚と接触、彼らに地上に上がる意志は無く。地上に出現したのは海面に発生する竜巻が原因による事故』


「……こんなもんか? 堅苦しい文面って見てるだけで肩凝るなぁ」


 ベッドの中で自分が打ち込んだ文面を見返しため息を漏らす、研究所の皆とは打ち解けてきていたしこんな堅苦しい言い回しじゃなく海外映画のようにジョークまじりのやり取りが出来れば気分も大分違うのだが……とはいえこのマグフォンは送信専用だし、そもそも上司を相手にそんな言葉遣いが俺に出来るとは思わないが。


「シューゴ、そんな面白い顔してどうしたの?」


「うおっ!……起きてたのか」


 驚きのあまりベッドにマグフォンを落としながら声のした方に顔を向けると梯子を少しのぼった姿勢のままこちらをニヤニヤと見つめるイサナの姿があった。


「僕は元々眠りは浅い方だからね、それで……何してるの? 見た事無いマグフォンだね」


「ああ……これは送信専用のマグフォンだから」


「へぇ、見てもいい?」


 返事を待たずにベッドに上がって来るイサナの為にスペースを空けつつ必要な事は打ち込んだので送信ボタンを押して画面をホームに戻して手渡すと、まるで新しい玩具を見つけたかのように嬉しそうにマグフォンをくるくると回しながら眺め始めた。


「送信専用って……向こうからのメッセージは受信できないの?」


「そうだよ、ここへ来る為に通る転移地点……ワープポイントみたいなのがあるだろ? あそこを通る時に電子的な情報は壊滅的なダメージを受けるんだよ、そのダメージに耐えつつ少しでも向こうに届く可能性を高めるために送信に特化したのがこのマグフォンさ」


「なるほど……え、じゃあ今まで僕が送ってきたデータって……?」


「あー……まぁ殆どが途中で消滅しちゃっただろうな、この観測所の信号だって巨大深海魚が地上に現れた事で転移地点の穴が広がってようやく受信出来たんだしさ」


「えぇー……そういう事かぁ、ここの資料とかを参考に色々試してたのに……」


「でもイサナがいたお陰でこの観測所は今でも無事なんだし、竜巻の事とか、エイトみたいにこっちを理解しようとする深海魚がいる事も分かったんだしさ、だろ?」


 俺が使っている枕に顔を埋め、拗ねたように唸るイサナを必死に慰める。

 そのまましばらくジタバタと暴れるイサナにどうしたものかと困っていると不意に動きが止まり……やや乱れた髪の隙間から青い瞳が俺の姿を捉えた。


「……他にも知りたい? シューゴの知らないこの海の事」


「もちろん、是非知りたいね」


 見ているだけで吸い込まれそうな深い色を宿したその瞳の誘惑に必死に耐えながら頷く、イサナの調子を取り戻したいという気持ちもあるがこの海について知りたいというのも事実だ、持ち帰る情報は多いに越したことは無い。


「じゃあ教えてあげる……けど、その前に僕も一つシューゴに教えて欲しい事があるんだ」


「俺に?……いいけど、それって俺にも分かる事?」


「うん、今この場においてはシューゴしか知らない事……かな」


 イサナはそう言うとのそりと体を起こし、絡みつくように俺の首に手を回し抱き着いた。

 そして慌てる俺に構わず耳元にそっと唇を寄せ……そっと囁いた。


「ね……シューゴは僕のいた時代の何年後から来たの?……今、何年なの?」

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