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第十話 ナノマリナー

「第六号観測所は旧深海調査の為に投射された全四基の無人観測所の中で最後に投射された無人観測所ですが……他の三基とはその構造は大きく異なります、まずこれが第三号までの無人観測所の外観です」


「これは……クラゲ?」


 投影機に映し出されたのは饅頭のような頭部から無数の細長い足が伸び、上部がでっぷりと湾曲したまさにクラゲとしか言いようのない外見だった……表面もツヤツヤとしていて観測所という言葉からイメージされるような機械っぽさは一切無く、もし仮にそういう生物だと説明されたなら恐らく俺は何の違和感も感じずに信じてしまうだろう。


「はい、傘部分はハナガサクラゲのものに酷似していますがそれにしては触手が長いので、恐らくはオリジナルの……すみません、話が脱線しました」


 恥ずかしさを誤魔化すように顔を背けて咳払いする青海を見て緊張が緩んだのかつい口元がニヤケてしまった。先程の話で彼女の中に強い使命感のようなものがあるのは間違いないのだろうが、やはりそれ以前に彼女自身が科学者気質で、また海やそこに棲む生物が好きなのだろう……話せば話すだけ違う顔を覗かせる彼女にここまで付いて来た帆吊や宇垣の気持ちが少しだけ分かった気がする、これも一種のカリスマというやつだろうか?


「む……何ですか塩見さん、何か言いたい事があるのであれば……」


「いやいや、それで……そのクラゲ型の観測所がどうしたんですか?」


 ジロリと睨みつける青海の視線を躱しつつ質問をぶつけると、少しの間不満そうにこちらを探るように見つめ──すぐに諦めたように小さなため息を一つつき、投影機に映る映像を切り替えた。


「……これら三号までの観測所の構造は実にシンプルです、カプセル形態で投射後に最大深度まで達するとそのまま深度を維持しつつ傘を展開し、停止。その後は収納された小型のマリンドローンで周囲を観察・撮影し逐一データを研究所に送信するというものでした……しかしここまでの三基はあまり成果を出せず、研究続行の命運を握って造られたのがこの四号機でした」


 そう言って投影機に表示したのは明らかにこれまでとは構造が異なるものだった、相変わらずクラゲの傘のような構造は見てとれるが今までとは違って上下に一つずつ付いており、傘の間には細長いピラミッドの頂点同士を連結した砂時計のような構造をしていた。しばらく見つめて謎の建造物を前にどう言葉で表現したらいいのか考えるも上手い答えが出ず、困惑したまま青海を見ると彼女は苦笑しつつ頷いて四号機の全体図を軽く指でなぞってみせた。


「良く言えば機能的、悪く言えば遊び心を捨てたこの幾何学的な観測所は父の必死さの表れだったのかもしれません……他の三基と違ってこの観測所に関しては父の死後に資料をくまなく探しましたが既に破棄されていたのか名前すらも見つかっておらず、辛うじて残っていたこの映像から予測した内容以外何も分かっていないというのが正直なところです」


『どうです? 修吾はこの全体図を見て何か不思議に思った事は無いですか? 間違いなんて無いので好きに話してみてください』


 そう言われてもクラゲの傘にハンバーガーのように挟まれた砂時計など初めて見た俺に何が分かると言うんだ……そんな言葉が口から出かけたが、それでは話が進まない。


「……真ん中の、その砂時計の周りに伸びてる四本の支柱……のような箇所が随分華奢に見えるんですけど、その姿のまま深海に投射したんですか?」


『砂時計……? ああ、なるほど……ふふ、修吾は面白い着眼点を持っていますね』


 思った事をそのまま言ってしまった俺の言葉にラブが笑い声をもらしながら周囲をフワフワと飛び回った、青海も口元を指で隠しながら小さく笑い……ゆっくりと首を振る。


「いえ、恐らくですが投射前は上下の傘が密着した状態だったのだと思います、投射後に展開してこの姿になったというのが最も有力な仮説かと。それと塩見さんの言うこの四本の支柱は耐圧パイプですね、一見すると確かにただの金属パイプのように見えますが内部には複数の繊維状の電気ケーブルや鋼線、更には衝撃吸収用のジェルなどが組み込まれていて見た目の印象よりも遥かに頑丈なんですよ、それぞれの支柱には発電機も組み込まれていますので支柱が破壊されない限りは電力不足に陥る事もまず無いでしょう」


 まさに技術の塊、改めてとんでもないところへ行くのだと思わず口が開いてしまう……が、ふと疑問が頭を掠める。


「ん……? あれ、そういえばその観測所……何でまだ破壊されずに存在しているんですか?」


 弾けるように浮かんだ言葉に俺以外の三人が嬉しそうに頷いた、何を呆けていたんだ俺は……この観測所は、存在出来る筈が無い!


「だぁーいせいかーい! 被害者や被害額ばかりに目がいって忘れがちな事実だけど、地上に出現した巨大深海魚は少なくとも記録上は一度として生身で歩いている人間を襲ったりはしてない。襲われる時はいつも船の中や車の中、飛行機の中にいた場合のみだからねぇー?」


 いつの間にか背後に回っていた帆吊が俺の両肩を掴んで嬉しそうに激しく揺さぶった、成す術なく前後に揺れる俺を見かねたのか青海が注意して止めさせると、名残惜しそうに帆吊の両手が離れた……胸を押さえて激しくなった俺の動悸に気付いたラブが心配そうに近寄ってきたが心配無いと言っておいた、これはそう……単なる俺の経験の少なさによる女性への免疫の無さってやつだ。


「だ……大丈夫です、話を続けてください」


「そ、そうですか?……では、話を進めますね」


 心配そうな表情を浮かべながらも投影機に手をかざすと観測所の映像が小さく隅に追いやられ、代わりに地上に現れた例の巨大深海魚の写真が現れた。

 マンタのような大きなヒレ、蛇のようにしなやかで長い尾の先端にはびっしりと硬質の棘が生えており、それらよりも見る者の目を捉えて離さないのがブラックホールのように何でも飲み込んでしまいそうなぽっかりと開いた巨大な口だ、地上に現れたこの巨大な深海魚はその大きな口と体で建築物や近付いた車や飛行機、船などあらゆるものを破壊して飲み込み……時折、口元を震わせながら甲高い声で鳴いたという。


「今でもネット上では意見が分かれていますが政府からの発表でもあった通りこの巨大な深海魚が求めるのは私達動物の肉では無く……金属です。コンクリートを飲み込んだ記録もあるようですが、恐らくは内部の鉄筋などが目的だったのではないかと」


「車に乗っていないのに襲われていたーなんて意見もあるけど、今の人間達が金属から完全に離れる事なんて出来ると思う? 可能性としては今や子供まで持っているマグフォンなんかもそうだし、眼鏡や衣服のファスナー……非常食として持ち出した缶詰に反応したのかもね、ベジタリアンならぬメタリアンって感じ?」


「それに加えてこの巨大すぎる体躯です、どこか別の個所を襲った際についでに飲み込まれてしまった人もいるでしょう……私達の一人一人になんて、わざわざ気を配ったりなどしないでしょうし」


 理不尽極まりない話だが、それ程までにこの深海魚の存在は圧倒的なのだ……自分でも気が付かない内に生唾を飲み込むとラブが肩に乗ってそっと首に触れた、ひんやりとした彼女の手が心地いい。


「ともかく……今話した内容を前提とするならば、この四号機が今も現存している事実は明らかに異質だと言えます。それもこの観測所があるのはマントル海域……地上に現れた巨大深海魚以外の深海魚もまず間違いなく存在していると考えるのが自然です、にもかかわらず回収した無人機が取得した微弱な信号からは観測所の破損はせいぜい僅かな経年劣化程度、そして……この信号を更に解析した私達が発見したある生命反応が、旧四号機を現六号機にする決定打になりました」


「……生命、反応?」


 口をあんぐりと開けたまま固まる事しか俺には出来なかった、俺の知識にあったように何号機と発表があったのは全て有人観測所となってからだからだ、しかしまさか……そんな馬鹿なという思いが胸の中で渦を巻く。


「およそ三十年前に投射されたこの観測所には人が乗っており……更には存命している可能性が高いです、今回塩見さんに……いえ、私達に課せられた任務はこの観測員と接触して任期を過ごし、この人物の生死を含めた可能な限りの情報を持ち帰る事です」




「いやぁホント驚きだよねぇ? 巨大深海魚がうようよいるかもしれない海で三十年以上も生きて過ごした人物がいるかも、なんてさー……君はどう思う? 彼か彼女か分からないけど、生きてると思う?」


「……それはもちろん気になりますけど、でも今は俺がこれからどんな目に遭うのかが一番気になってるんですけどね?」


 頭を動かせないので視線で帆吊の方を見るが口元に一本の指を当てて怪しく笑うだけで何も答えてくれない。

 ──青海との話を終え、驚きのあまりやや呆けた状態だった俺に声を掛けた帆吊に言われるがままに医務室へと向かい……ろくな説明も無いままに気が付けば頭と両手足を固定された状態でベッドに横になっていた、試しにジタバタと暴れてみるがビクともしない。


「あはは無駄無駄ぁ、本気で暴れてるゴリラだってその拘束台の上じゃ無力なんだからねぇー」


「いやだからせめて何をするかだけでも教えて……ラブ! ラブはどこに……!?」


『私はここにいますよ修吾、落ち着いてください』


「良かった……いや、というかいるなら助けてくれって!」


 視界に入るように胸の上にそっと降り立ったラブの姿を視界に捉えて一瞬はホッとしたが状況は何も変わっていない、堪らず金切り声を上げて暴れるが疲れるだけで拘束台は軋みすらしない。


「ラブの言う通り落ち着きなってー。君は観測員になる書類にサインしたんだからさ、これも安全の為に必要な事だよぉ」


「ほ、本当ですか……?……ひっ!」


「うん、ホントホントーふふふー」


 ニヤニヤと笑う帆吊が取り出したのは銃だった……いや、銃口から針のようなものが飛び出しているし妙なカプセル型の何かも脇に付いているし恐らくは注入用の器具か何かなのだろうが、今の帆吊が持つと拷問器具にしか見えない。


『はぁ……いい加減にしないと怒りますよ? それとも所長に報告した方がよろしいですか?』


「……ちぇー、分かったよ。もう、ただのかるーい冗談だってばぁ」


 胸の上で俺を守るように両ヒレを広げるラブとしばらく見つめたかと思うと、降参とばかりに両手を挙げて帆吊が少し離れた。


「しゅ、趣味が悪いですよ……満足したならこれ、外してくれませんか?」


「ごめんごめん、でもこれを注入するのは本当にやらなくちゃいけない事だからもう少し我慢してねぇ?……ちょっとだけ、羨ましかっただけだよー」


「……羨ましい?」


「そ、修吾君……わたしもそう呼んでいいよね? 修吾君は観測員になる条件についてどう思う? 何が条件だと思うかなぁ?」


 台の横に椅子を持ってきた帆吊に先程までの怪しい雰囲気は無く、無邪気な笑顔を向けている。

 観測員となる条件はネット上で色々と言われているがどれも信憑性は低く、当たり障りの無い事ばかりが書かれていた……その中で自分が納得出来るものと言えば……。


「……どれもネットで見たものですけど、結婚していないとか社会的地位がその、低いとか……その辺りはまぁそうかなってぐらいです」


「そっかそっか、まぁきっとそれもあるんだろうねぇ……でも、一番の大前提は『コレ』なんだよ」


 そう言って銃型の注射器にセットされたカプセルを軽く叩くが当然俺に何か分かる筈も無い。


『そのカプセルの中に入っているのはナノマリナーと呼ばれる極小サイズの生体ロボット……いわゆるナノマシンというものです、聞いた事ぐらいはあるのでは?』


「あ、ああ……映画とかでなら、あるけど……」


「このカプセルに詰まってるのはその既存のナノマリナーを更に改良して私が発明した完全生体のナノマリナーだよ、機械のままだと深海魚に狙われちゃうからね。機械と違って強い拒絶反応が出るから適合できる人は限られるんだぁ、だから……機械にしろ生体にしろ、これに適合出来るかが観測員になれるかどうかの本当の前提条件ってワケ」


『血液型の判定や健康診断等で得た血液情報は全て国のデータバンクにありますからね、その中でナノマリナーに適合している人物が観測員候補に選ばれるんですその他の条件は恐らく、研究所によるかと』


「……これを開発した時は本当に嬉しかったんだぁ、これでもっと琴子ちゃんの力になれる!……って思ったのにさぁー、この子達はわたしの血を拒絶したんだよねぇ……ホント、残酷っていうか……上手くいかないっていうか……」


「……青海さんの事、本当に好きなんですね」


 痛々しく笑う帆吊は見ているだけで胸が締め付けられるような思いが湧き上がってくる……ゆっくりと、しかししっかりと頷いた彼女の目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「だーい好き、小さい頃から頭が良かったし傷つく事も気にせずにまっすぐに歩き続ける琴子ちゃんに付いて行くのは大変だったし、琴子ちゃんが止まらないならせめて傷は癒してあげようって医者になったのに、ここじゃああんまりその力は生かせなくて……ほーんと、神様っていじわる……結局わたしは、何の役にも立てないの」


「……そんな事無いと思いますよ、帆吊さんに抱きつかれた時とか青海さん嬉しそうでしたし」


「そうかな……そう見えた?」


 動かない頭を精一杯動かし頷いてみせる……本当のところは嬉しそうかどうかなんて分からない、でも振りほどくような事もせず後ろから抱き着く帆吊に当たらないように資料を動かしたりしていた事からも帆吊の想いは一方通行では無いように思えた、彼女に近い左腕をグッと握りしめると再び頷く。


「やってください帆吊さん……俺の中でまた弱気の虫が騒ぎ出す前に」


「ん……分かった、馴染むまでは違和感とか痛みとかあるかもしれないけど……このナノマリナーは私の意志だし、私達はちゃんと修吾君の味方だからね?」


「ええ、信じてますよ……もし嘘でも、それならそれで最後まで貫き通してください」


「……あはっ、恰好いいんだぁ」


 チクリとした痛みの後に明らかに血液とは違う何かが体中を這い回るような激しい違和感に襲われた、その違和感はやがて心臓に達し……発作のように襲いくる鋭い痛みと共に俺の意識は闇へと吸い込まれた。

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