砕下との遭遇
「うまそうな女、ね。砕下にそういった嗜好があるとは知らなかったよ」
御樹が何か言う前に、閑斗が口を開いた。
「ほう、オレ達について知識があるようだな。ここ最近、オレ達を倒して回っている輩がいると聞いていたが、まさかお前か」
砕下がそう言うのを聞いて、御樹は思わず閑斗の方を見ていた。御琴が死んでしまってから、この地域で砕下を倒せるような人間はいなかったはずだ。
「まさか。現に、俺は君が近付いていても全くわからなかったからね。砕下を察知できないのに、どうやって倒すっていうのかな」
閑斗はばっさりと砕下の言葉を否定する。
「そうなると、オレを察知したのはそっちの女か。うまそうな女と思っていたが、中々上手くはいかないものだ」
砕下は御樹に視線をやった。自分を察知できるということは、即ち砕下と戦える力を持っている、ということになる。獲物だと思っていた相手が、一筋縄ではいかないことに気付いたらしい。
「どうせ殺すなら、生い先短い老人を優先してくれないかな。こちらとしても少子高齢化が解決するし、老人の方が人数が多いから、君達も獲物に困らないだろう」
閑斗がとんでもないことを言い出すので、御樹はぎょっとしていた。人の命は全て平等、というのは綺麗事なのもわかるが、それにしても度を過ぎている。
「そんな生命力が少ない老人を喰ったところで、オレ達は満たされんよ。喰うなら若い人間に限る」
「いずれにしても、人間を喰うような君達とは相容れないからね。敵対するのは必然、か」
「そういうことだ。捕食者と被食者が共存などできるはずもない」
砕下がすっと構えた。
「宮瀬さん」
それを見て、御樹は閑斗を庇うように前に立つ。その構えはとても素人のものではなく、何かしらの心得があることが察せられたからだ。
「任せるよ」
閑斗はそう言うと、少し後ろに下がった。
「オレの構えを見て、顔色が変わったな。何かしらの武道をかじっている、と見抜いたか」
「あなたの構え方、どう見ても素人のものではありませんでしたから。砕下が人間の技術を会得している、というのも妙な話ですが」
目の前の砕下が人間の技術を会得していることに、御樹は疑問を抱いた。砕下は人間を自分達の餌だと見下す傾向があるから、人間の技術を会得しようとなど思わない。
「オレは砕下としての能力は大したことがなくてな。生き残るために、色々とやる必要があっただけだ。人間の技術を得たのも、その一つに過ぎんよ」
そう言う砕下からは自嘲するような、それでいて自分は間違っていないという相反する態度が感じられた。
それを聞いて、御樹は目の前の砕下が並々ならぬ相手だと感じていた。自分の事を的確に分析して、弱点を補うためには手段を選ばない。身体能力を頼みに戦う相手よりもずっと厄介だ。
「油断できない相手ですね」
御樹もまた、砕下とは違う形で構えた。
御樹は高宮と鈴川、どちの技で戦うか一瞬だけ迷ったが、鈴川の方を選択した。高宮の方から離れて時間が経っていたし、それならつい最近まで修練していた鈴川の方がましに思えた。
高宮は舞だが、鈴川は武道に近い。砕下の技量次第では不利になるかもしれないが、それを差し引いても鈴川の方が対等に戦えると判断していた。
「お前もそれなりに嗜んでいるようだな。だが、身体能力ではオレの方が上だ。それでも、その技でオレに挑むか」
「やってみなければ、わかりませんよ」
「強気な女だ。まあ、そうでもなければオレと戦うことなどできないか」
強気? これは虚勢ですよ。
御樹は砕下をまっすぐに見据えると、内心でそう答えていた。もちろん、弱みを見せることになるからそんなことは口にしない。
「その強気な顔がどう歪むか、楽しませてもらうとしようか」
砕下が地面を蹴った。一瞬で御樹との間合いを詰めると、腰の入った正拳突きを繰り出した。
それがあまりに型通りだったこともあって、御樹は一瞬反応が遅れてしまう。それでも砕下の拳に一瞬だけ触れると、それを受け流すようにして反転する。
その勢いを利用して、砕下の腰辺り目掛けて回し蹴りを放った。
砕下はそれを肘で受け止めると、一旦間合いを離した。
「思ったよりもやるじゃないか」
砕下は御樹の蹴りを受け止めた右腕を軽く揺らしながら言った。その様子からして、さしたる打撃にはなっていないようだ。
「そういうあなたこそ、あそこまで型通りの正拳突きを放てるとは、思いませんでしたよ」
砕下の動きが思っていたよりも型通りだったこともあり、御樹は思わず称賛していた。どうやって身に付けたかはわからないが、人間であってもあそこまでの技を身に付けるには、きちんとした師に学んで修練を積む必要がある。
砕下に師などいるはずもないから、独力でこれだけの技を身に付けたということだ。
「だが、今の一連の流れで大体わかった。お前の身体能力はオレに及ばない。そして」
砕下が再び間合いを詰めてくる。
今度は一撃で決めようとはせずに、連撃で揺さぶってきた。左右の拳だけではなく、時折蹴りも混ざったその連携を、御樹は凌ぐだけで精一杯になっていた。
「オレの方が技量も上ということだ」
砕下の一撃が、御樹の右肩を捉えた。
「うっ」
その一撃が予想以上に重かったこともあって、御樹は小さく悲鳴を上げた。倒れ込むまではいかなかったものの、思わず数歩ほど後ずさってしまった。
「御樹ちゃん!」
そんな御樹を心配してか、閑斗が声を上げていた。
「大丈夫、です」
御樹は自分を落ち着かせるように胸元に触れた。そこで、ある物の感触に気付いた。
高宮の剣。
これを使えれば、目の前の砕下を倒すことも容易だろう。だが、剣が自分に力を貸してくれるかどうかわからなかった。
だが、このまま戦い続けていてもジリ貧になる一方だ。
御樹は意を決して、高宮の剣を手に取った。
「力を、貸してください」
御樹は剣にそう念じた。だが、剣はこれといった変化は見られなかった。
「あなたまで、わたしのことは認めないと、そう言うのですか」
御樹は愕然として膝をつきそうになるのをどうにか堪えた。
「よくわからないが、使えもしない武器を持ち込んだ迂闊さを悔め」
もちろん、そんな隙を見逃すほど甘い相手ではない。砕下は好機とばかりに御樹に詰め寄ると、鋭い突きを繰り出した。
胸元に放たれたそれどうにか両手で受け止めるも、体勢が万全でなかったこともあって大きく弾き飛ばされてしまった。
「我儘な奴だな。御樹ちゃんだと、不服だっていうのかい」
吹き飛ばされた御樹のすぐそばに、閑斗がいた。
「宮瀬、さん」
まるで剣のことを知っているかのような口ぶりに、御樹は閑斗を見上げていた。
「選手、交代かな」
閑斗は御樹の手から剣をそっと取り上げると、砕下に向かって対峙した。