人間の罪、砕外の罪
「どこから話せばいいのかしらね」
亜由美はカップから口を放すと、大きく息を吐いた。
「元は砕外の君が、そこまで話をするのを躊躇するような内容かい」
亜由美が中々話そうとしないので、閑斗は疑念を抱いていた。砕外と人間では感覚が違うから、何を躊躇しているのか全く掴めなかった。
「そう、ね。私は元々砕外。だから、人間のことは全くわからなかったし、理解するつもりはなかった。でも、これは余りに度が過ぎていたわね。それこそ、砕外の私ですら嫌悪するほどだったわ」
だが、亜由美から返ってきたのは予想外の反応だった。
「砕外の君が嫌悪するほど、か。本当に聞かない方が良いのかもしれないね」
「でも、聞かないとは言わないわよね」
「まあ、ね。場合によっては、君を処理しないといけなくなる。でも、話を聞かないとその判断もできないよ」
閑斗はすっと目を細めた。
今は人間として生きているとはいえ、元々は砕外だ。何をやらかしていてもおかしくはない。そして、その内容次第では処理しないといけないとも考えていた。
「あらあら、怖いことを言うのね。でも、この話を聞いて私を処理しようと思うほど、あなたが冷徹だとは思えないけど」
亜由美はおどけるように言う。
その様子からして、閑斗が自分を処理することなどありえない、と本気で思っているようにも見えた。
「俺だって、できればそんなことはしたくないと思っているよ」
閑斗は自分を落ち着かせるように、ゆっくりとカップに口を付けた。
「私がまだ砕外だった頃、守護者と戦うことになったわ。私もそれなりにやれると自負はしていたけど、相手の方が上手だった。まあ、私も生きるためとはいえ何人もの人間を喰らったし、その報復として処理されるのも、仕方のない話よね」
亜由美がそう言うのを聞いて、閑斗は意外そうな顔をして亜由美を見てしまう。
霧業は自分の能力が劣ると認め、格下に見ていた人間の技を会得した。
御琴と出会うきっかけになった砕外は、とにかく残酷さが突出していた。ただ人間を喰らうだけでは飽き足らず、極限まで恐怖を与えてから喰うことを至上の喜びとしていた。
だが、亜由美のように自分が処理されるのも仕方ない、と考えるような砕外は初めてだった。
「あら、私の言葉がそんなに意外かしら」
「まあね。自分が処理されても仕方ない、なんて言う砕外は初めてだよ」
「そう? 話が逸れたわね。それで、私は処理されて、そのまま消滅するはずだった。でも、私は消滅しきれなかった。決して、相手が私を見逃したわけじゃないとは思うわ。本当に、偶然やら色々が重なった結果ね」
「それで、どうなったのかな」
「何とか逃げ延びた私の前に、瀕死のこの身体があった。正直、この身体の生気を喰らっても私が生き延びられるとは思えなかったわ。でも、私は本能的にこの身体に取り付いた……その結果が、今に至るというわけね」
亜由美はそこまで話すと、残っているロールケーキを口にする。
「本当に、この身体の持ち主はこういう物が好きだったのかもしれないわね。口にする度に、どこか穏やかな気分になれるもの」
そして、言葉通りに穏やかな笑みを浮かべていた。
「その話だけだと、君を処理する理由が特に思い当たらないけど」
「まだ、終わりじゃないわ。私は人間、夏目亜由美として生きていくことになった。だから、この身体が生前どんな生活をしていたのか、調べる必要に迫られたわ。その結果、とんでもないことがわかったの」
「とんでもないこと?」
「この身体は、自分が恋人だと思っていた相手に裏切られて、挙句その相手と仲間に輪姦されて、それを苦にして自ら命を絶った」
今まで普通に話をしていた亜由美だったが、この時ばかりは表情や口調が異なっていた。それは相手に対する怒りなのか、それとも“この身体”に対する憐れみなのかはわからなかった。
「どうして、それがわかったのかな」
そこで、閑斗は一つの疑問を口にした。
「たまたま、その相手に遭遇したのよ。そして、そいつがご丁寧に全部話してくれたわ。その時に私に沸き上がった感情は、あなた達で言うところの怒りというものかしらね。気付いたら、そいつを吹き飛ばしていた」
「君は砕外の力を無くしているんじゃなかったのかい」
「そうよ。今は全く力を使えないわ。でも、あの時だけは力を使うことができたの。吹き飛ばしたそいつを脅して、仲間のことを全部聞いて……全員、殺したわ。それも、一思いじゃなくて、相手が殺してくれって懇願するまで苦しめた上で、ね」
全部話し終えて気が抜けたのか、亜由美は大きく息を吐いた。
「君のやったことは、殺人だ。本来ならしかるべき場所でしかるべき罰を受けるべきだろう。でも、砕外の力を使ったのなら、証拠は残っていないだろうね」
思っていたよりも衝撃的な話を聞かされたにも関わらず、閑斗は落ち着いている自分に驚いていた。
「その物言いからすると、私を処分するつもりかしら。別に、構わないわよ。私は一度は死んだわけだし、何かの偶然でこうして生き長らえている。それに、同じ存在のあなたに処分されるのなら、悪くないわ」
「抵抗するつもりはないのかい」
亜由美が自分に処分されることを受け入れているのを見て、閑斗はそう聞かずにはいられなかった。
「あなたの言う通り、私のやったことは人間として許されることじゃないわ。でも、砕外の力を使ったから人間の法律で裁くことはできない。なら、同じ存在のあなたが私を裁くのが筋というものじゃないかしら」
自分が処分されるかもしれないのに、亜由美は穏やかな表情を崩さなかった。まるで、それが当然だと言わんばかりだった。
「いくら同じ存在とはいえ、俺が勝手に君を裁いていいわけじゃない。それに、君が私利私欲で殺人を犯したのならまだしも、君の行動が間違っていたと俺は言い切れない」
閑斗は亜由美を処分することが正しいのか、全くわからずにいた。確かに亜由美がやったことは罪になるだろう。だが、死んだ夏目亜由美の代わりに天誅を下したとも受け取れる。
それに、目の前にいるのは中身は砕外でも人間社会では夏目亜由美という人間だ。果たして、砕外を処理することになるのか、それとも殺人になるのか。
「だから、俺は君を処分することはしない。というよりも、できないと言った方がいいかな」
閑斗はふっと息を吐いた。亜由美を処分するという選択肢は最初からなかったと言っていいかもしれない。
「お人好しね」
その言葉に、亜由美は意外そうな表情を見せた。
「かもしれないね。でも、君はもう砕外じゃなくて人間だ。それに、君はもう人を喰う必要もないし、人を殺すことはしないだろう」
「確かに、あなたの言う通りだけど。でも、いいのかしら。私が砕外の力を使えない、というのも嘘かもしれないわよ」
「本当に騙そうとするなら、そんなことは言わないよね」
「……あなた、人の好さそうな顔をして、本質を見ているのね」
閑斗がそう言うと、亜由美は驚いたような表情になっていた。
「また、会えるかしら」
だが、それを取り繕うと閑斗の顔を真っ直ぐに見据えた。
「君も物好きだね。俺なんかと交流を持っても、良いことはないだろうに」
「私はあなたに興味があるわ。正確には、興味を持ったという方が正しいかしら」
「それは光栄なことだね」
「あら、私は本気よ。あなたのような誠実な人と交際できるのなら、この身体も報われるんじゃないかしら」
「それは、君の意思じゃないだろう。そんないい加減な理由で……」
「それに、私とあなたの子供って、どんな子供が生まれるのか興味があるわ」
閑斗の言葉を遮るように、亜由美はそんなことを言い出した。
「一応、俺も君も人間の体だから、人間の子供が生まれると思うけど」
閑斗は少し呆れたようにそう返した。
「それとも、多数の男に輪姦されたような穢れた女は受け付けないかしら」
「……俺がそういうことをしたいと思うのは、後にも先にも一人だけだよ」
閑斗は亜由美に詰め寄ると、真剣な顔でそう言った。
「へぇ、そんな相手がいるんだ」
「だから、俺のことは諦めてくれないかな。もういなくなった恋人のことを、いつまでも引きずっているような男だよ」
「あら、今は相手がいないのね。なら、私にもチャンスがあるってことでいいのかしら」
「君は人の話を聞いていなかったのかい」
「だから、こういう時は……ああ、そうそう。最初はお友達から、っていうところかしら」
亜由美にそう言われて、閑斗は思わず溜息を漏らしていた。
「それに、私と繋がりを持っていた方がいいと思うわよ。何かのきっかけで、また砕外の力を使えるようになるかもしれないし。そうなった場合、繋がりを持っていた方が何かと都合が良いんじゃないかしら」
「君には負けたよ」
「なら、これからよろしくね、閑斗。あ、私のことは亜由美でいいわよ」
「……よろしく、亜由美」
厄介なことになったな、と思いつつ閑斗は天井を見上げていた。




