婚約者
「この数ヵ月で、色々なことがありましたね」
御樹は扇子を眺めながら、そう呟いた。
御琴が死んで、高宮の家に戻ってきて。それでも高宮の家での扱いは相変わらずで。これからも何も変わらないのではないかと、そう思っていた。
「閑斗さんには、感謝してもしきれませんね」
閑斗に言っても否定されるだろうが、閑斗に出会っていなければずっと以前のままだっただろう。それを考えると、閑斗には感謝してもしきれなかった。
「御樹、いるかしら」
そんなことを考えていると、部屋のドアが小さく叩かれた。
「お母さん? どうしましたか」
それが沙樹の声だったので、御樹は扇子を懐にしまい込んだ。
「入ってもいいかしら」
「もちろんです」
御樹が答えると、沙樹はゆっくりと部屋のドアを開けて入ってきた。
「それで、どういったご用件でしょうか」
高宮に戻ってきてからも中々口調や態度が変わらない御樹に、沙樹は何とも言えないような表情を浮かべていた。
御樹もそれには気付いていたが、長いこと鈴川でこういう感じに躾けられたこともあって、以前のように接することは難しかった。
「お客様よ」
それでも沙樹は時間が解決するだろう、と思い直して用件を告げる。
「お客様、ですか。一体、どなたでしょうか」
来客を告げられて、心当たりのない御樹は誰だろうと考える。知人友人は少ないわけではないが、わざわざ訪ねてくるような相手には心当たりが全くなかった。
「敬さんよ」
「敬さん、ですか? あの人がわたしに用件があるなんて、どういう風の吹き回しでしょうか」
その名前を聞いて、御樹はどういうことだと思案した。
風間敬。
風間家の次期当主で、姉である御琴の婚約者だった男性。御琴が死んだことで、高宮との関係も完全に消えたものとばかり思っていた。
「御琴さんが亡くなってから、お葬式にだけ顔を出しただけだったわね。だから、改めて挨拶に来たのかしら」
沙樹は少し考えてから、そう言った。
「それなら、わたしではなくてあの人の方に挨拶に行くのではありませんか」
御樹は高宮の当主でもなければ、敬と何らかの関わりがあったわけでもない。だから、敬が御樹に何かしらの用事があるとは到底思えなかった。
「それは、お葬式の時に済ませたんじゃないかしら。敬さんも孝蔵さんのことは、あまり良く思っていないような節もあったけど」
「あ、そうだったんですか」
沙樹の言葉に、御樹は少しだけ驚いていた。敬とはほとんど接点はなかったが、孝蔵のことをあまり良く思っていないとは思いもしなかった。
「ここで色々と考えても仕方ないわ。それに、あまり待たせたら失礼よ」
「そうですね。直接話をすればわかることですから」
御樹はゆっくりと立ち上がった。
「後でお茶を持っていくわ」
「ありがとうございます」
疑念が拭えたわけではなかったが、直接会って話をする以外にそれを解決できる方法はない。御樹はそう思って思案することを止めた。
「やあ、御樹。久しいな」
客間に行くと、敬がゆったりと座っていた。
「はい、お久しぶりです」
御樹は敬の対面に座る。
「そこまでかしこまらなくてもいい。僕と君は義兄弟の間柄だから」
御樹が丁寧に接すると、敬は笑みを浮かべながらゆっくりと手を振った。
「……そう、でしたね」
以前は憧れに近いものを感じていた相手だったが、今ではそこまでのものは感じられなかった。御琴の婚約者だった、ということもあって、そういう気持ちが強くあったのかもしれない。
「その様子からすると、高宮での扱いは変わらないようだな」
御樹の態度を見てか、敬はそんなことを口にする。御樹の高宮での扱いを知っていたこともあってか、その口調にはいくらかの苛立ちのようなものも混じっていた。
「はは、そうですね」
そう言われて、御樹は苦笑することしかできなかった。高宮での扱いは相変わらずだが、以前よりは少しだけまともになっている。
「君が高宮に戻ってきてからの話は、少しだけ聞いている。戻ってきてから、砕外を三体も倒したようだな。散々出来損ないだの落ちこぼれだの言われていたが、それは間違いだったかもしれないな」
敬は御樹の方を真っ直ぐに見据えると、真剣な表情でそう言った。
「ご存じでしたか。でも、わたし一人の力ではありません。千佳ちゃんにも手伝ってもらった結果でもあります」
それを受け止めて、御樹はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「謙虚だな。もう少し手柄を誇ってもいいだろうに」
「いえ、それはわたしの性格的にも難しいですから」
「そうか」
敬はふっと笑顔を見せた。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか。こんな話をするために来た、というわけでもないでしょう」
中々敬が本題に入らないので、御樹は本題に入るように促した。敬と世間話をするのが嫌というわけではないのだが、長話をして後で孝蔵から嫌味を言われることは避けたかった。
「……何も、聞いていないのか」
「どういう、ことですか」
敬の言わんとすることがわからずに、御樹は聞き返していた。
「なるほど、相変わらず当人の意思は無視するということか。御琴の時と同じか」
「……まさか? いや、そんなことは……」
敬の言葉の意味を察して、御樹は一つの結論にたどり着いた。だが、それは到底信じ難いことで、有り得ない話だった。
「君の察した通りだ。御琴の代わりに、僕と君の婚約話が持ち上がっている」
「わたしと、敬さんが、ですか。そんなことって……」
敬から事実を告げられても、御樹はそれを信じ切れずにいた。散々出来損ないだの落ちこぼれだの言われてきていたのに、砕外を数体倒したくらいで評価が覆るとは思えなかった。
「恐らく、僕……というよりは風間家との関わりを繋いでおきたいだけ、だろうな」
「確かに。それなら、辻褄は合いますね」
御樹は納得して頷いた。風間家も砕外に関わっている家としては倉島家と同等、それ以上の権威を持っている。高宮家も相応の権威はあるのだが、それは御琴の存在があったことも大きい。
御琴がいなくなった今では、その権威を維持していくのも困難になっているのだろう。
「正直、僕はこんな面倒事に巻き込まれるのは勘弁願いたいと思っている。御琴との婚約を受け入れたのは、言い方が悪くなるけど長生きできないってわかっていたからだ。だが、御樹が相手になると話は違ってくる」
「そう、ですね」
「そんな顔をするな。僕も御琴も、お互いに納得した上で婚約した。それを御樹が気に病む必要はない」
御樹が複雑そうな顔をしているのを見て、敬は気にするな、というように軽く手を振った。
「いえ……でも、わたしと敬さんが、婚約、ですか」
「面倒な話だな。で、御樹はどうしたい」
「どうしたい、って。どういうことですか」
「僕としては、この話はなかったことにしたい。だが、御樹が受け入れたいというのなら、受け入れてもいいと思う」
戸惑いを隠し切れない御樹に、敬はゆっくりと落ち着かせるような口調で言う。
「でも、敬さんは嫌なんですよね。それなら、断って頂いても構いません」
それで落ち着きを取り戻せた御樹は、しっかりと考えた上でそう返事をした。
「だが、断ると御樹の立場が悪くなるだろう」
「あ、そういうことですか」
敬がそこまで考えてくれていたことに気付いて、御樹はハッとしたように顔を上げた。
「一応、御琴にも君のことをそれとなく頼まれている。だから、君がそうして欲しいのなら、最大限に配慮したい」
「お気遣い、感謝します」
「それで、どうする」
「そうですね……申し出はありがたいのですが、婚約の話はなかったことにして頂いて構いませんよ」
御樹は敬を真っ直ぐに見据えると、はっきりとそう答えた。
「いいのか。君の立場が悪くるかもしれないぞ」
断られたのが意外だったのか、敬は少し驚いた顔をしていた。
「元々、わたしの立場なんか下の下ですし。それが幾分改善されたところで、さして変わりません。それに、わたしも砕外を数体退治しているんですよ。お姉ちゃんほど圧倒的ではないかもしれませんが、わたしにできる範囲でやっていきます」
「そうか。そこまで考えているのなら、もう何も言わない。しばらく会わないうちに、随分と精神的に強くなったようだな」
敬は成長した妹を見るような目で御樹を見る。
「はい、ありがとうございます」
御樹は丁寧に頭を下げた。
「前は自分に自信がなくて、おどおどしていたのにな。今の君はその面影が全くない。何があったのかはわからないが、良い傾向だ」
「わたしはお姉ちゃんと違いますから、無理をしても仕方ありません。それに気付けたから、だと思います」
「そうか。なら、僕はこの辺りで失礼する。また何かあったら、頼ってくれ」
敬はすっと立ち上がると、そのまま客間を出て行った。
「敬さん、ありがとうございます」
御樹は感謝の言葉を口にしつつ、その背中に一礼した。




