男女の価値観
「さて、今日のお勧めはアイスだったか。そろそろ暑くなる季節だからね。これはこれで味わいがあって美味しいと思うよ」
閑斗はそう言うと、備えてあったコーヒーミルクを手に取った。慣れた手つきで封を切ると、それをコーヒーに注ぎ込んでプラスチックスプーンで軽くかき混ぜる。
「あ、コーヒーはミルク入れるんですね」
それを見て、御樹は少し意外そうな顔になっていた。閑斗は紅茶の時は砂糖もミルクも入れていなかったから、コーヒーもブラックで飲むものと思いこんでいた。
「以前はブラックも試したこともあったんだけどね。どうにも胃が受け付けてくれなくてさ。それ以来、ブラックで飲むのは止めちゃったよ」
閑斗は軽くスプーンを振って水滴を落とすと、静かにソーサーの上に置いた。
「お、これは……もしかしたら、初めて飲むかもしれないね」
そしてカップに口を付けると、そんなことを口にした。
「へぇ、そうですか」
御樹は少し迷ったが、物は試しとブラックのままで口にすることにした。
「うっ、苦い、ですね」
ある程度苦いことは予想していたが、それが予想以上だったこともあって御樹は思わずそう言っていた。
「御樹ちゃん、無理はしなくていいよ」
「はは、そうですね」
御樹は閑斗に倣って、ミルクの封を切ってコーヒーに注いだ。スプーンで軽くかき混ぜると、焦げ茶色だった色が中和されて柔らかい茶色になっていた。
「あ、これだと大分飲みやすくなりますね」
それを口にして、御樹はほっとしたように一息ついた。最初に飲んだ時に比べて苦みがマイルドになり、ミルクのほのかな甘みとコーヒーの苦みがほどよく混じり合った複雑な味わいだった。
「そうだね。じゃ、こちらのクッキーもいただこうかな。これは……甘すぎなくて後味も良いね。なるほど、今日のコーヒーと合うように作られているわけか」
閑斗はクッキーを口して味を確かめると、確認するようにカップに口を付けた。
「サクサクですね。軽い口触りです」
御樹は初めて感じた食感をゆっくりと味合うように、舌の上で転がした。
「やっぱり本職の人が作ると違うね」
「そうですね。やっぱり、お姉ちゃんは砂糖もミルクも使ってました?」
「そりゃもう、ね。さすがにドン引きするほど使ってはいなかったけど、最初のうちは中々違和感が拭えなくてね。あの冷静沈着な御琴が、甘党だというのはどうにも結びつかなかったから」
閑斗はどこか懐かしむような、それでいて少し寂し気な表情をしていた。
「あっ、ごめんなさい。お姉ちゃんのこと、思い出したしたくありませんよね」
その表情を見て、御樹ははっとしたように言った。
「いや、いいよ。一生忘れることはできないと思うから。それに、前よりも引きずってはいない……って、言い切れないのも事実だけどね」
閑斗はゆっくりと首を振った。
「そう、ですよね。わたしも、お姉ちゃんのこと、大好きでしたから。でも、大好きだったのにコンプレックスもあって、今でも複雑な気持ちです」
「御樹ちゃん……」
そんな御樹に、閑斗はかける言葉が見つからなかった。
「でも、そんな複雑な気持ちも、今なら全部……とまではいきませんけど、大半は受け入れられる、そんな気がしています」
御樹は柔らかい笑顔を見せる。
「そう、か。もう、御樹ちゃんは俺が手助けする必要がなくなったかもしれないね」
閑斗はふっと笑みをこぼすと、懐に手を入れた。
「待って下さい。今はせっかくコーヒーとお菓子を楽しんでいるんですから、その話は無粋じゃありませんか」
閑斗が何をしようとしたのかを察して、御樹は先手を打ってそう言った。
「それもそうだね」
閑斗は御樹が思っていたよりもあっさりと引き下がった。懐に入れた手を戻すと、まだ残っているクッキーを手に取った。
「前も同じようなことありましたけど、あの時はこんなことを考える余裕すらありませんでしたから」
御樹はまだ自分が剣を使うのは早い、と感じていた。それに、閑斗から扇子を譲り受けてしまったから、閑斗には武器がなくなっている。素手でも砕下とやり合えるかもしれないが、それでも何かしらの武器を持っていてもらった方が安心できた。
それを本人が望んでいなかったとしても、だ。
「ああ、確かにあの時は俺もさっさと剣を手放したいと思っていたからね。今から思うと、ちょっと無粋だったことは否めないよ」
そこで、二人は顔を見合わせるとどちらともなく笑い合っていた。
前の時はどことなくぎこちない感じもあったが、今はこうして自然に接することができている。短い期間だったが、御樹は閑斗に対して敬意以上の何かも感じるようになってきていた。それが何なのかは、今でもわからないが決して嫌な感情ではないことだけは理解できていた。
「あ、もう食べ終わっちゃいましたか」
カップと皿が空になったのを見て、御樹は名残惜しそうに呟いた。気のせいでなければ、前に紅茶とパンケーキを食べた時よりも時間が早く過ぎているようにも思えた。
「じゃ、外に出ようか」
伝票を取ろうとした閑斗の手を、御樹はそっと制した。
「御樹ちゃん?」
閑斗が不思議そうな顔をして御樹を見る。
「今度は、わたしに払わせてください」
「いや、でも……」
思いがけない申し出に、閑斗は戸惑いの表情を見せた。
「わたし、閑斗さんとは対等でいたいと思っていますから。それに、閑斗さんのおかげで、こういった経験もできていますので」
御樹はそう言うと、すっと伝票を手に取った。
「でも、年下の女の子に奢ってもらうというのは、ちょっと格好がつかないな」
完全に納得できなかったのか、閑斗は渋い顔をしていた。
「閑斗さん、今はそういう考え方は古いですよ。それに、高宮の家はずっと女性が戦ってきたんですから、わたしは男性とか女性とか、あまり意識したことがないんです」
御樹は笑顔を作ると、人差し指を立ててからそう言った。どういうわけか、高宮の家はある時期を境に女児しか生まれなくなり、それ以降ずっと女性が砕下と戦うようになっていた。
「そう、か。なら、ここはお言葉に甘えるとするよ」
閑斗は何か思うところがあったのか、言葉の歯切れが悪かった。それでも、御樹の言葉に素直に従うことにする。
「はい、甘えちゃってください」
御樹は立ち上がると、レジに向かって歩き出した。
「お会計、千六百円になります」
御樹が財布から二千円を取り出すと、店員が一瞬怪訝そうな顔になる。年下の少女である御樹が支払いをするのとは思わなかったようだ。
「二千円お預かりします。お釣りは四百円になります」
それでもそれ以上表情に出すことはなく、店員は淡々と業務をこなしていく。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ」
店員の言葉を背にして、二人は店から出た。
「あの店員、御樹ちゃんが支払うのを見て何ともいえないような顔してたね」
「やっぱり、一般的には男性が払うというのが普通なのでしょうか」
閑斗にそう言われて、御樹は小首を傾げる。
「昔は、男の方が女よりも稼げていたからね。必然的に、そうなったと思うけど。今は、女も同じくらい稼げるようになっているけど、その習慣だけは残ってしまった感じかな」
「変な話ですね」
御樹もそういった話は聞いたことがった。だが、高宮の家では男も女もある意味で平等に扱われていたこともあってか、いまいちピンと来なかった。
「ま、それは人によって感じ方は違うからね。奢ってもらうと嬉しいという女も一定数はいるみたいだし。男も気になっている女には奢りたいって思うこともあるし」
「わたしは……対等でいたい相手なら、あまり奢ってもらいたくないなって、そう思います」
御樹は閑斗を真っ直ぐ見据えると、はっきりとそう言い切った。
「なら、これからは俺も御樹ちゃんにはそう接することにするよ」
それを受けて、閑斗はそう答える。
「はい、是非そうしてください」
「じゃ、剣のことだけど……」
「待って下さい」
閑斗がそう言いかけたのを、御樹は手を上げて制した。
「まさか、まだ自分は剣に相応しくないって言うつもりかな」
「いえ、そうじゃなくて……砕下の気配を感じます」
少し責めるような口調の閑斗に、御樹は真剣な顔でそう言った。
「この前倒したばかりなのにね。こんなに短い間隔で出没するなんて、何かあったのかな」
「それはわかりませんが、これを放置するわけにはいきませんよね」
「そうだね。じゃ、御樹ちゃんのお手並み拝見といこうか」
「二人で倒した方が、早く終わりますよね」
「……はは、それもそうか」
閑斗は一瞬驚いたような顔になったが、納得したように笑顔になった。
「はい、よろしくお願いしますね」
「まあ、いつまでも俺に頼るのもよくないと思うけど」
「わたしも、頼り切りになるつもりはないですよ。でも、今は一緒にいるんですから、手伝ってくれても罰は当たらないと思いますよ」
「正論だけに、反論できないのが悔しいね」
御樹が悪戯っぽい笑顔で言うと、閑斗は苦笑していた。
「じゃ、さっさと終わらせましょう」
「ああ」
二人は新しく出現した砕下の元へ向かって行った。




