感謝
「御樹、これから遊びに行かない?」
その日の放課後、佳奈にそう声をかけられた。
「そうですね……あ、今日は、ちょっと用事がありまして」
御樹は最初は佳奈の提案を受けようとしたのだが、思うところがあってそれを断った。
「へぇ、どんな用事なの」
「えっと……」
佳奈としては何気なく言ったつもりだったが、御樹は言葉を詰まらせてしまう。
「あ、なるほど、そういうこと」
御樹の様子を見て、佳奈は意味ありげな表情になっていた。
「な、何がそういうことなんですか」
「べっつにぃ。うん、じゃ、頑張ってね」
佳奈はにやにやと笑うと、手をヒラヒラと振って帰っていった。
「全く、もう」
御樹は小さく息を吐くと、スマホを手に取った。そこから閑斗の連作先を探すと、そこで手が止まった。
「えっと、こういう場合、どんな文章を書けばいいのでしょうか」
御樹はどうやって閑斗を誘ったらいいものか迷ってしまう。下手な文章を書くと深刻な悩みでもあるのかと勘違いされそうだったし、かといって軽い感じで誘うのも違う気がしていた。
「もう、こんなことで考えていても仕方ありませんよね」
御樹は軽く頭を振ると「会って少し話がしたいです」とだけメールに打ち込んだ。
五分もしないうちに、閑斗からメールの返事が来る。
「えっと、この前は紅茶をごちそうしたから、今度はコーヒーをごちそうするよ、ですか」
前と同じように店の名前が添えられていたが、今度はホームページのアドレスも付随していた。閑斗のスマホの操作技術が上達していることが伺えた。
「今度は喫茶店ガシア、ですか。本当に、色々なお店を知っていますね」
御樹はそのまま店のホームページをチェックする。今度は前の時とは異なりシックな雰囲気で、お洒落というよりは落ち着いた感じだった。
「一旦家に帰りましょうか……いえ、この場所だと直接行った方が早いですね」
一度家に帰ろうか迷ったが、学校から直接行った方が近いこともあって、そのまま行くことにする。
二回目ということもあってか、今度はあまり迷うことなく目的の店に辿り着いた。
「なんか、落ち着いた感じのお店ですね。ちょっと、大人の雰囲気がするっていうか」
店の前に立って、御樹はそう呟いた。まだ中学生の自分が入るには、少し抵抗すら感じられるような雰囲気があった。
ここで立ち止まっていても仕方ない、と御樹は店の扉を開いた。
閑斗の通っている学校からは距離があるせいか、今度は御樹の方が先に着いていた。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか」
御樹が入ってきたことに気付いてか、店員がそう声をかけてきた。
「あ、いえ。もう一人の方が、後から来ます」
「そうですか。では、こちらへどうぞ」
御樹がそう言うと、店員は二人がけの席を案内した。
「ありがとうございます」
御樹は店員に礼を言うと、席の奥に座った。
何気なく窓の外を眺めていると、店の扉が開く音が聞こえた。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか」
「いえ、連れが……あ、彼女です」
閑斗は先に来ていた御樹に気付くと、左手を御樹の方に向ける。
「わかりました。では、どうぞ」
店員に案内されて、閑斗は御樹の方に向かってきた。閑斗も学校から直接来たのか、制服のままだった。
「早かったね。俺も結構急いだんだけど」
閑斗は少し意外そうな顔をしながら席に着く。
「いえ、場所的にわたしの方が近いですから」
「確かに学校の場所は御樹ちゃんの方が近いけど、一度家に帰ってから来ると思っていたからね。それなら同じくらいか、少し遅くなる程度かな、って」
「わたしも最初は家に帰ろうと思っていましたが、面倒でしたのでこのまま来ちゃいました」
御樹はそこで小さく舌を出して笑った。
「几帳面だと思っていたけど、そんな一面もあったんだね。でも、啓志女学院の制服は目立つから、あまり褒められた行為じゃないかな。前みたいに、変なのに絡まれるかもしれないし」
閑斗はやれやれ、というようにそう言った。
「わたしもそれは考えましたが、こんな落ち着いた雰囲気のお店で、そういうことはないと思いまして」
「ああ、言われてみればそうか。やっぱり、きちんと考えて行動できるね。と、いうことは、あの時は佳奈ちゃんが無理に連れ出したのかな」
「え、ええ。でも、佳奈さんに悪気があったわけじゃないんです。わたしが落ち込んでいたから、励まそうとしてくれていただけで」
佳奈のことを責められたと思って、御樹は慌ててそう弁明した。
「責めているわけじゃないよ。ただ、少しだけ気を付けて欲しいと思っているだけだから。二人共、とても可愛らしいし、変な男が目を付けても無理はないからね」
閑斗は小さく首を振った。
「えっ、か、可愛いなんて……佳奈さんはともかく、わたしは」
不意に可愛いと言われたせいか、御樹は赤面してしまっていた。
「自覚がないのも困りものだね。と、いつまでも店員を待たせるわけにもいかないし、そろそろ注文しようか」
そんな御樹の様子を見て、閑斗は穏やかは笑みを浮かべていた。そして、その表情のまま、御樹にメニューを差し出した。
「えーっと、紅茶よりも種類多くないですか」
あまりの種類の多さに、御樹は目移りしてしまっていた。
「そうだね、豆の種類も多いし、ブレンドまであるから……こういう時は、今日のお勧めっていのが定番かな。それに合いそうなのは、へぇ、自家製のクッキーか。じゃ、これにしようか」
やはり閑斗は手慣れているようで、さして迷うこともなく注文する物を決める。
「やっぱり、手慣れてますね」
「まあ、こういう時は素人が下手に考えるよりも、プロに任せた方がいいからね」
閑斗は軽く手を上げて店員を呼んだ。
「ご注文は何になさいますか」
店員が落ち着いた足取りでやってくる。
「今日のお勧めのブレンドと、自家製クッキーを二つで」
「お勧めのブレンドと、自家製クッキーが二つですね。かしこまりました」
店員は注文を確認すると、そのまま奥へと向かって行った。
「それで、今日はどうしたのかな。まさか、御樹ちゃんから話をしたい、って言われるとは思わなかったけど」
閑斗は穏やかな表情でそう聞いてきた。
「はい。この前、高宮の鎮魂儀式をわたしが執り行いましたよね。閑斗さんだけではなくて、クラスメートの皆さんも見ていて下さったようでして」
御樹はそう答える。
「へぇ。まあ、高宮神社の鎮魂儀式は有名だからね。色んな人が見ていてもおかしくはないか」
「皆さんが、わたしの舞を褒めてくれて……佳奈さんなんか、感極まって抱きついてくる始末で。でも、わたし、とても嬉しくて」
御樹はできるだけ落ち着いて話そうとしたが、途中から言葉が途切れ途切れになってしまう。
「そう、か。俺以外にも……いや、俺や倉島君以外にも、御樹ちゃんを認めてくれる人がいたんだね」
閑斗はおおよそを察したのか、優しい口調でそう言った。
「はい。こんなにたくさんの人に、認めてもらえたことが、本当に嬉しくて」
御樹は自分を落ち着けるように、両手を胸元に当てる。気を抜いたら、また泣いてしまいそうだった。
「御樹ちゃんは、今までずっと一人で頑張ってきたからね。誰にも認めてもらえなくても、ずっと。だから、今はそれを素直に受け入れればいいよ」
「はい。でも、全ては閑斗さんのおかげです。閑斗さんに出会わなければ、わたしはずっと自分を卑下して生きていたと思います」
「俺は、あくまで切っ掛けをあげただけだよ。だから、大したことはしていない。全部、御樹ちゃんが自分で勝ち取ったものだから、俺に気を使う必要はないさ」
「でも、それでも。やっぱり、閑斗さんのおかげです。だから、ありがとうございます」
御樹は深く頭を下げて感謝の意を示した。
「そんな大袈裟な……でも、受け入れないと御樹ちゃんは引きそうにない、か。うん、ならその感謝は受け入れるよ」
閑斗は少し戸惑っていたが、それでもすぐにそう言った。
「はい、そうしてください」
閑斗が素直に感謝を受け入れてくれたこともあって、御樹は笑顔を作った。
「お待たせしました。本日のお勧めと自家製クッキーです」
そこで、店員が注文の品を持ってきた。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「はい、ありがとうございます」
確認する店員に、閑斗はそう応じた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
店員は一礼すると、店の奥へと戻っていく。
「じゃ、冷める前にいただくとしようか」
「はい」
御樹は胸元に当てていた両手をゆっくりと離した。




