三つのお願い
「長引けば不利になる、ですか。そんなことを言ってしまっていいのですか。それとも、わたしを油断させるためのお芝居ですか」
閑斗のがあっさりと自分の弱点をさらけ出したので、御樹はその真偽を疑っていた。
「ここで俺がお芝居をする理由はないと思うけど」
「それならそれで、あえて弱点を晒す必要はないでしょう」
「これは、自分を追い込む意味もあるんだよ。実際、砕下の力を長い時間使い続けるのは体にも負担がかかるし。だから、ね」
閑斗から感じられる砕下の気配が、一段と濃くなっていた。
それを感じて、御樹の背筋に悪寒が走った。
「ここで、一気に押し切るよ」
閑斗が一気に詰め寄ってくると、今度は閉じた扇子を御樹に叩きつけてきた。
「速い!?」
その速度が先程までとは段違いで、御樹はかわすことができなかった。やむを得ず、左腕で扇子を受け止める。
痺れるというのが生易しいほどの衝撃が、御樹の左腕を襲った。
しばらくは、左手が使えませんね。いっそのこと、左手は捨てて扇子を受け止める盾にでもした方がいいかもしれませんね。もっとも、まともに動かすのすら怪しいこの状態では、それすら難しいかもしれんが。
御樹は左手を力なく垂らし、代わりに右手を胸の前に構えた。
「左手が使えるようになるまで、時間を稼ぐつもりだろうけど。そうはさせないよ」
御樹の左手が使えないと見るや、閑斗はここぞとばかりに追撃する。
扇子が上から右から左から、間髪入れずに御樹に襲い掛かった。
扇子をまともに受け止めることはできないから、御樹はどうにかそれをかわしていく。だが、完全にかわしきれずに幾度となく扇子が体を掠めていった。
扇子が掠めた箇所に小さな痛みが走ったが、体の動きを阻害するほどではない。
御樹は一旦間合いを離そうと試みるが、閑斗はそうさせまいと動いてくる。
「これなら、どうかな」
閑斗は扇子を御樹の右肩付近に振り下ろしてきた。御樹は咄嗟に右足を振り上げて足の裏で扇子を防いだ。痺れるような衝撃が走るが、靴を履いていることもあって左手のように使えなくなるほどではない。
そのまま扇子を蹴り上げる形になって、御樹の思惑と異なる形で閑斗との間合いが離れた。
「意外と足癖が悪いね……高宮の舞に、そんな動きはなかったと思うけど」
攻めを中断された形になったこともあって、閑斗は仕切り直しとばかりに大きく息を吐いた。
「鈴川の家で、一通りの武術も嗜んできましたから。宮瀬さんは高宮の舞に精通していても、鈴川の武術には詳しくないでしょう」
やはり御琴の舞を間近で見てきただけあって、閑斗は御樹の舞には完全に対処してきている。御樹は敢えて高宮の舞でない動きを取り入れることで、閑斗の虚を突くことを試みたが、思いの外上手くいったようだ。
「これは困ったね。高宮の舞と思っていたら予想外の攻撃が飛んでくるわけか。となると、今までのようにはいかないか」
「そう言う割には、余裕そうですね。まだ奥の手がありそうな感じです」
閑斗が言葉とは裏腹にまだ余裕がありそうな感じだったこともあり、御樹は油断なく構え直した。まだ完全に左手が動くようになっていないが、それでも少しくらいなら動かせそうだった。
「そんなものはないよ。でも」
閑斗は力を振り絞ったのか、今日一番の速さで扇子を突き出した。
御樹はそれをかわしきれずに、右肩にまともに受けてしまった。
「つぅ!」
右肩を襲った激痛に、御樹は顔をしかめていた。
好機とばかりに閑斗は扇子を上から振り下ろした。
「まだです」
御樹は振り下ろされた扇子を白羽取りで受け止める。半ば強引に左手を動かしたので、かなりの激痛に襲われたが、それでも閑斗の扇子を防ぐことができた。
「やるね」
閑斗は扇子を引き戻そうとするが、御樹はそうさせまいと両手に力を入れる。ある程度そうしていたところで、御樹はすっと扇子から手を離した。
均衡していた力がなくなったことで、閑斗の体勢が大きく崩れてしまった。
「しまった」
閑斗は急いで体勢を立て直そうとするが、御樹はその隙を見逃さない。右手の手刀で閑斗の左手首を打ち付けた。
「ぐっ」
その衝撃で、閑斗の左手から扇子が落ちた。
閑斗は扇子を拾おうとするが、御樹は扇子を左足で遠くに蹴り飛ばした。
「俺の負けだね」
扇子を飛ばされた途端に、閑斗はあっさりと負けを認めた。
「どういうことですか。わたしは、まだ宮瀬さんに一撃すら入れられていません。対して、宮瀬さんはわたしに有効打を何回も入れているじゃありませんか」
もちろん御樹は納得できずに、閑斗に食い下がった。
「それに、そろそろ時間切れなんだよ。勝負を決めるために無理に力を使ったからね。そうせざるを得ない状況に追い詰めた、御樹ちゃんが上手だったかな」
閑斗がそう言うと、砕下の気配が消えていた。
「正直納得しかねますが……」
「まあ、俺は砕下に対してはそこそこ戦えるけど、人間相手だとそれほどじゃないんだよね。だから、扇子を飛ばされた時点でもう負け確定、ってとこかな」
閑斗は食い下がってくる御樹を落ち着けるかのように、その両肩に手を置いた。
「わかりました」
完全に納得できたわけではなかったが、御樹はそこで引き下がった。
「それで、俺が負けたから御樹ちゃんのお願いを聞かなきゃいけないわけか」
「あの、実は三つお願いがあるんですけど」
「三つ? そういうことは、最初に言ってくれないかな」
「なら、まだ続けますか」
「……仕方ないね。最初に確認しなかった俺にも非はあるか。でも、最初のお願いはわかっているしね」
閑斗は懐から高宮の剣を取り出すと、御樹に差し出した。
「御樹ちゃんは、これを返してもらいたかったんだよね」
「いいえ」
そこで、御樹は小さく首を振った。そして、自分が遠くに飛ばした御琴の扇子の所まで行くと、それを拾い上げた。
「わたしが欲しいのは、この扇子です」
「……!」
御樹がそう言うと、閑斗の表情が一変した。
「まさか、それが欲しかったなんてね」
そして、絞り出すような声で言う。
「駄目、ですか」
「……本来なら、俺が持つよりは御樹ちゃんが持つのが筋なんだろうね。でも、俺にとっては御琴の形見だから、手放したくなかった」
「宮瀬さん」
苦しそうな閑斗の様子に、もしかしたら、自分は相当酷なことを言っているのではないか、と御樹は感じていた。
「だけど、それだと前に進むことはできないか。いいよ、約束だからね」
だが、閑斗は最終的に御樹の頼みを聞き入れた。
「ありがとうございます」
御樹は大きく頭を下げた。
「それで、残りの二つは何かな。もう扇子以上のお願いはないと思いたいけど」
「……宮瀬さんのこと、名前で呼んでもいいですか」
半ばやけになったような閑斗に、御樹は少しだけ躊躇ってからそう言った。扇子のことをお願いするよりも緊張しているのが嫌でもわかった。
「そんなこと? 御琴も俺のことは名前で呼んでいたし、全然構わないけど……本当に、そんなことでいいのかい」
御樹とは裏腹に、閑斗にとってはさしたることではなかったようで、あっさりと了承されてしまった。
「はい。わたしにとっては、大切なことですから。最後のお願いですが……今度、高宮神社で鎮魂儀式が行われるんですが、わたしがそれを任されたら、見に来てくれませんか」
本当は自分のことをちゃん付けでなく名前で呼んで欲しい、とお願いしたかった。だが、それはお願いすることではく、閑斗が自然にそう呼んでくれるようになるのを待つべきだと思った。
だから、咄嗟に別のことを頼むことにした。
「ああ、もうそんな時期か。いいよ、詳しいことが決まったら教えてくれないかな。絶対に見に行くから」
そこで、閑斗はふっと優し気な笑みを見せた。
「はい、ありがとうございます」
それにつられたのか、御樹も自然と笑顔になっていた。




