前に進むための対峙
「お義母さん、今日はわたしの我儘を聞いてくれてありがとうございます」
久々に鈴川の家を訪れると、義母が出迎えてくれた。
「構いませんよ、御樹。高宮の都合で振り回されたとはいえ、あなたが私の娘であることに変わりはないのですから。それにしても修練所を貸してくれなんて、急な話で驚きましたよ」
義母は久々に会う御樹にも変わらない態度で応じた。御樹の丁寧な口調もこの義母譲りだった。
「高宮の家だと何かと不都合がありますので。それに、高宮の家がわたしの頼みを聞いてくれるとも思えませんから」
閑斗の存在はイレギュラーにもほどがあるから、高宮の家に知られたら大騒ぎになるのは間違いない。そう考えた御樹は、鈴川の家を頼ることにしたのだった。
「そうですか。あの家も相変わらずのようですね。辛く当たられてはいませんか」
「相変わらずの扱いですが、以前よりは楽になったような、そんな感じです」
心配そうな義母を安心させるように、御樹はそう言った。
実際、高宮での扱いはあまり良いとはいえなかったが、閑斗と出会ったことや千佳子と再会したことなどで前向きになれるようになっていた。
「それなら、良いのですが。辛くなったら、いつでも相談してくださいね。それから、そちらの方は?」
そこで、義母は御樹の隣にいる閑斗に目をやった。
「初めまして、御樹ち……さんの友人の宮瀬閑斗です」
それを受けて、閑斗は頭を下げる。御樹ちゃん、といいかけて訂正したのは、初対面の義母に対して馴れ馴れしいと思ったからだろうか。
「御樹の友人ですか。私は御樹の義母の鈴川莉乃といいます。御樹がお世話になっているようで、ありがとうございます」
莉乃は名乗ると、閑斗に対して丁寧に一礼した。
「いえ、俺の方こそ御樹さんには良くしてもらっていますから」
丁寧に対応されたことに戸惑ったのか、閑斗は両手を前に出して左右に振っていた。
「そうですか。それにしてもこんな素敵な男性と、どこで知り合ったのですか」
そんな閑斗の様子がおかしかったのか、莉乃は優しい笑みを見せた。
「えっ、それは……」
御樹はどこまで説明して良いものか迷っていた。御琴と付き合っていたことまでなら問題はなさそうだが、砕下の力を使える事や高宮の剣を使える事は伏せておいた方が良さそうだった。
「言い難いことなら、無理に言わなくてもいいのですよ」
ある程度のことを察したのか、莉乃はやんわりと言う。
「俺は、御琴とお付き合いさせてもらっていました。それが縁で、御樹さんと知り合いました」
御樹の代わりに閑斗がそう説明した。
「あら、御琴さんと……」
御琴の名前を出されたためか、莉乃の表情が何ともいえないような複雑なものになっていた。
「ということは、砕下のことも知っている、ということでしょうか」
そして、そう続けた。
「はい、俺が砕下に襲われたのを助けてもらったのが、御琴と知り合ったきっかけですから」
「そうでしたか」
閑斗の境遇を忍んでか、莉乃は僅かに目を閉じていた。
「それで、修練所を借りたいとのことでしたが、一体何をするつもりなのですか。宮瀬さんに御樹の鍛錬の相手が務まるようには見えませんが」
「はい、お姉ちゃんの舞を間近で見てきた人に、わたしの舞を見てもらおうと思いまして。自分だと、どうしてもわからないこともありますから」
莉乃の問いに、御樹はそう答えた。閑斗が一般人でもあるにも関わらず砕下と戦うことができる、というのは伏せておくことにした。
「……そう。あなたも、高宮の人間ですものね。御琴さんが亡くなった今、あなたが高宮の舞を継承するのは当然のことです」
莉乃は一瞬だけ寂し気な表情になったが、すぐに取り繕う。
「はい。ですが、お義母さんに教えていただいたことや、ここで過ごしたことは、わたしの一部です。それは、感謝してもしきれません。あなたは、わたしにとってもう一人のお母さんです」
「御樹……ありがとうございます。私にとっても、あなたは大切な娘ですよ」
莉乃はそっと御樹を抱きしめる。
「お義母さん」
突然抱きしめられたこともあって、御樹はなすがままになっていた。
「ごめんなさいね、長々と引き留めてしまって。修練所はいつでも使えるようにしておきましたから」
莉乃は御樹からそっと離れた。
「お義父さんにも、よろしくお伝えください。宮瀬さん、行きましょう」
御樹は一礼すると、閑斗を促して歩き出した。
「では、失礼します」
閑斗も軽く一礼すると、御樹の後を追いかける。
「ここですね」
御樹は修練所の扉に手をかけた。修練所はかなりの広さだったが窓の類はなく、外から中の様子を覗き見ることはできなくなっていた。
これからやろうとしていることを考えれば、都合が良いといえる。
「良いお母さんだね」
「はい。本当の娘でないわたしにも、とても愛情を注いでくれました。お義母さんだけではなく、お義父さんも。それから、他の方々も」
閑斗の言葉に、御樹はそう返した。
高宮の家では両親以外にきつく当たられていたが、鈴川の両親、それから関係者も御樹には普通に接してくれていた。
「それなら、高宮の家には戻りたくなかったんじゃないかな」
「そうですね。高宮の家に戻る時に、葛藤がなかったとは言えません。でも、今はそれを嘆いても仕方ない、と理解していますから」
「御樹ちゃんも、前に進もうと決めたんだね」
「はい」
御樹は頷いた。
御琴を失っても、もがきながら生きようとしている閑斗に比べれば、自分の方がずっとましだとも感じていた。
「じゃ、始めようか。ここなら、俺が砕下の力を使っても問題ないんだよね」
閑斗は懐から扇子を取り出した。
御樹がここを選んだもう一つの理由がそれだった。この修練所は、周囲からの気配を遮断するように作られている。逆に、中から外への気配も遮断できた。
どうしてこんな作りなのかといえば、鈴川は高宮の代わりに内々で厄介事を処理することも多かったらしく、その名残らしい。もっとも、今回に限っては好都合だった。
「はい、お願いします」
御樹がそう言うと、閑斗は砕下の力を解放する。
さすがに慣れてきているとはいえ、いつ見ても異様な光景だ。傍から見れば、御樹が砕下と戦っていると勘違いされてもおかしくない。
「いつ見ても、恐ろしく感じますね。ですが、わたしも全力でいかせてもらいます」
御樹は両手を胸の前で交差させるように構えた。




