高宮の舞
「奇妙なものだな。たかが扇子一つ構えただけで、先程までとは印象が変わってくる」
扇子を構えた御樹を前にして、霧業はそう口にした。
「別に、わたしは何も変わってはいませんけど」
「確かに、お前という人間は何も変わってはいない。だが、その扇子を受け取ってから、お前の気迫が変わったように見受けられてな」
「……そうかもしれませんね。ここまでお膳立てしてもらったのですから、負けるわけにはいかないと思っています」
御樹は自分でも驚くほど落ち着いていた。そして、閑斗と千佳子のためにも絶対に負けられないと強く思っていた。
「お前に足りなかったのは、その強い意志だったのかもしれないな。いや、本当に厄介なことだ」
霧業は口ではそう言うものの、どこか愉快そうな口調でもあった。
「そう言う割には、どこか楽しそうではありませんか」
「そうかもしれないな。人間の技を学ぶ過程で、強者と戦うということに喜びを感じてしまうようになったかもしれん。まあ、砕下としてはどうかと思うが」
「変わり者ですね、本当に」
霧業が突拍子もないことを言い出したので、御樹は思わずそう口にしていた。その言葉だけを聞くと、砕下というよりも一人の武道家のようだった。
「まあ、オレの場合は生き残るために必死だったからな。崇高な思念など持っちゃいないよ」
「そうですか」
「さて、下らんお喋りはこの辺りにしておこうか」
霧業はすっと腰を落とす。
「そうですね」
御樹も霧業に対応するように構えた。
「行くぞ」
霧業が一気に御樹との間合いを詰める。鋭い突きが御樹に放たれた。
御樹がそれを受け止めるために扇子を広げると、霧業はそれを警戒して突きを止める。
「随分と、扇子を警戒しますね」
「当然だろう。触っただけでダメージを負うようなものに、わざわざ触れに行く馬鹿はいない」
「それもそうですね」
御樹は広げた扇子を水平に薙ぎ払った。
「ちっ」
霧業は大きく飛び退いてそれをかわす。
御樹はそれを追いかけるように踏み込むと、斜め上から扇子を振り下ろした。
「くっ」
霧業は白羽取りの要領で扇子を受け止めた。もちろん、触れるだけでもダメージになるから即座に扇子から手を離した。
御樹は続け様に扇子を振るう。それは無造作に振っているように見えて、全てが一連の動作となって繋がっていた。
「御樹さん、凄い」
その様子はまるで舞っているかのようで、千佳子はそう声を上げていた。
「あれが、御樹ちゃんの舞か。御琴に負けず劣らず、素敵な舞だね」
「そういえば、御琴さんとお付き合いしていたんだよね。御琴さんの舞も見たことがあるの」
閑斗がそう言うので、千佳子は思わず閑斗の顔を見てしまう。
「ああ、そうだね。御琴の舞を見た時は命の危機という状況だったのに、思わず見とれてしまっていたよ」
「やっぱり、御琴さんの方が上手、なの」
閑斗がそう言ったので、千佳子は何ともいえないような微妙な顔でそう聞いた。
「それは、比べること自体がおかしいよ。御琴は御琴で、御樹ちゃんは御樹ちゃんで、それぞれ良さがあるから」
「でも、御琴さんの舞は見とれていたって」
「それは、初めて見たからってのが大きいかな。誰でも、あんな凄い舞を初めて見れば見とれてしまうと思うよ」
「そうなの」
「どうしたのかな。まるで、御琴が御樹ちゃんより上だっていうのが、気に入らないみたいだけど」
納得しないような千佳子に、閑斗はやんわりと聞いた。
「御樹さん、ずっと御琴さんと比べられてて。それで、辛い思いいっぱいしてきたから」
「それで、御樹ちゃんの方が上だって俺に認めさせたかったのかな」
「そう、かも」
「優しいね、倉島君は」
俯き加減に言う千佳子の頭を、閑斗は優しく撫でた。
「撫でないでよ。それに、どっちが上かとか、そういうことにこだわってるのは、高宮の人達と変わらないよ。だから、わたしは優しくなんかない」
「ああ、ごめん。でも、本当に優しくない人は、そんなことは言わないよ」
閑斗は千佳子の頭からそっと手を離した。
「ほんと、あなたは人たらしだと思う」
千佳子はむっとしたような表情になっていた。
「そんな自覚はないんだけどね」
思いがけないことを言われて、閑斗はたまらず苦笑していた。
「だから、御樹さんもあなたに心を許していると思う。御樹さん、高宮に戻ってきてからどこか辛そうだった。でも、しばらくしてから、少しだけ楽になったような、そんな感じになってたの。あなたに出会ったからだと思うよ」
「そう、か。俺は自分が御琴にされたことを、御樹ちゃんにしてあげられたのか」
「どういう、こと」
「そろそろ、決着がつきそうだね」
千佳子の質問に答えたくなかったのか、閑斗は露骨に話を逸らした。その様子から答える気がないと思った千佳子は、それ以上追求することはしなかった。
「終わりにしましょうか」
御樹は広げていた扇子を閉じた。
「やれやれ、本当に扇子一つで形勢が変わるとはな」
霧業は大きく息を吐く。直接的な打撃は受けていないとはいえ、扇子を捌き続けた両腕は傷だらけになっていた。
扇子を捌く動きが鈍くなっているのは、御樹から見ても明らかだった。
「これが人間同士の戦いなら、お互いによくやったと称え合うところだろうが」
「ですが、わたしとあなたは砕下と人間。分かり合えるはずもありません」
御樹は霧業の言葉に共感するとこともあったが、それでも倒さないといけない相手であることに変わりはない。
「違いない、捕食者と被食者が分かり合うなどありえないことだからな」
「抵抗しないのなら、苦痛を伴わずに処理することもできますが」
「ありがたい申し出だが、それはオレの誇りが許さない。最後まで足掻かせてもらおう」
霧業は傷ついた両腕を上にあげた。
「いいでしょう。わたしも全力で相手します」
それに合わせるように、御樹も扇子を構え直した。
動き出したのは、ほぼ同時だった。
霧業は負傷している腕ではなく、足技で攻撃してきた。それが予想の範囲内だったこともあり、御樹は落ち着いて体の軸をずらしてかわしていく。
御樹が扇子を振るうと、霧業は傷ついている腕で防いだ。そして、そのまま御樹の足を払いにいく。
「これで、終わりにします」
御樹は体を反転させて霧業の足払いをかわすと、そのまま霧業の胸元に扇子を突き刺した。
「ぐわぁ!!」
扇子を突き刺された霧業は、悲鳴を上げて倒れ込んだ。胸元には小さいが深く抉られたような穴が開いている。
「負けた、か」
霧業は倒れたままでそう呟いた。
「わたしの、勝ちですね」
御樹は肩を上下させて荒い息を吐いた。
「まさか、お前に倒されるとはな。俺を倒すのは、閑斗の方だろうと思っていたが」
「感謝します。あなたと戦うことで、わたしは少しだけ上に行けたような、そんな気がします」
「人間が砕下に感謝するか。これもまた、奇妙な縁だったな」
それが霧業の最後の言葉になった。




