誤解
「千佳ちゃん?」
千佳子の表情が今までに見たことがないようなものだったので、御樹はそれ以上の追求ができなかった。
「どうして、砕下と一緒にいるの。しかも、仲良さそうに話までして」
千佳子はずかずかと近付いてくると、うずくまっている閑斗を指差した。
「えっ? 宮瀬さんが、砕下だなんて……何を言っているのですか」
「気付いてないの? この人、僅かだけど砕下の気配がするよ」
千佳子がそう言うのを聞いて、御樹ははぞっとした。確かに千佳子は砕下の気配を察知する能力に長けていた。他の誰もが気付かなかった砕下を察知したことも、一度や二度ではなかった、と話に聞いていた。
御樹には閑斗から砕下の力を感じることは全くできなかった。さすがに力を解放した時は砕下そのもの、といっていいほどの気配を発していたが、普段の閑斗からは全くといっていいほどそれが感じられない。
「ですが、宮瀬さんからは砕下の気配なんて、全く感じません」
「御樹さんも、わたしの力は知っているよね。わたしが嘘をついているとでも言うの」
「それは……」
千佳子に詰め寄られて、御樹は言葉に詰まってしまう。ここで千佳子が嘘を言う理由は思い当たらないし、閑斗から砕下の気配を感じるというのは間違いないのだろう。
「おめかして出かけるから、どんな相手かと思ってたら、まさか砕下だんて」
「いえ、だから、宮瀬さんは砕下じゃありません。もし砕下なら、こんな無様な姿を晒すわけないでしょう」
御樹は自分でも酷いことを言っているとは思ったが、千佳子を説得するにはやむを得ないと思いそう言った。
「……うーん、で、でも」
御樹の言葉に反論できなかったのか、千佳子は口ごもった。
「随分と酷いことをいうね、御樹ちゃん」
そこで痛みが引いたのか、閑斗はゆっくりと立ち上がった。
「宮瀬さん、大丈夫ですか」
「まあ、何とかね」
御樹に言われて、閑斗は後頭部を軽く数回さすった。
「でも、宮瀬さん。宮瀬さんなら、飛んできた独楽も察知できたのではありませんか。あの時もそうでしたが、あの程度の攻撃など簡単にかわせたのでは」
御樹は閑斗があっさりと独楽をぶつけられたことに、疑問を抱いていた。それに、少し前に御樹と佳奈を庇ってくれた時も、これといって抵抗することもなく殴られていた。
「いや、俺は砕下の力を解放していなければ、並の人間とさして変わらないんだよ。それに、人間相手に砕下の力を使うのもどうかと思うしね」
「そう、だったのですね」
「どういうこと」
閑斗の言葉に、千佳子が閑斗に詰め寄った。
「その前に、君は誰かな。御樹ちゃんの知り合いみたいだけど」
詰め寄ってきた千佳子に、閑斗はそう尋ねる。
「砕下に名乗る名前なんかないよ」
千佳子はまだ閑斗を警戒しているのか、敵愾心をむき出しにしていた。
「千佳ちゃん、この人は」
「御樹さんは黙っていて」
御樹が千佳子を諭そうとしたが、千佳子は聞く耳持たず、といった感じで話を聞こうとしない。
「千佳ちゃん、だったかな」
「砕下に呼ばれる名前はないよ」
閑斗が声をかけると、千佳子はますます敵愾心を露わにする。
「なら、何て呼べばいいかな」
邪険にされているにも関わらず、閑斗は穏やかな態度を崩さなかった。
「倉島、千佳子。名前で呼ぶのも、ちゃん付けで呼ぶのも止めて」
その態度に当てられたのか、千佳子はぶっきらぼうに答えた。
「じゃ、倉島君。俺の話を聞いてくれるかな」
「……」
「俺は、少し前に砕下に喰われかけたことがあってね」
千佳子は何も答えなかったが、閑斗はそれを肯定を受け取って話を進めた。
「それで」
「その時に、逆に砕下の力を喰っちゃったみたいなんだ。だから、俺は必要に応じて砕下の力だけを使うことができる。倉島君が俺に砕下の気配を感じたのも、そのせいだろうね」
「そんな馬鹿げた話、信じろっていうの」
千佳子は閑斗の話が信用できないようだった。
「まあ、そうだよね。なら、証拠を見せようか」
閑斗はそう言うと、一瞬目を閉じた。そして、砕下の力を解放する。
「な、何これ……さっきまで、本当に僅かしか感じなかったのに。これじゃ、砕下そのものじゃない」
千佳子が驚いて目を見開いた。そして、懐から独楽を取り出す。
「待って下さい、千佳ちゃん!」
それを見て、御樹は千佳子を制止すべく声を上げた。
「どうして止めるの、御樹さん。ちょっとイレギュラーかもしれないけど、こいつは砕下だよ」
「まあ、勘違いされても仕方ないね。そう簡単に信じられる話じゃないだろうし」
千佳子の反応を見てか、閑斗は砕下の力を消し去った。
「でも、今までにこんな砕下と出会ったことはあったかな」
「出会ったことは、ないと思う。でも」
千佳子はどう判断していいのか迷っているようだった。
「千佳ちゃん、宮瀬さんは、お姉ちゃんの恋人でもあったんです。そんな人が、砕下のはずがないでしょう」
「御琴さんの? 御琴さんだって、わたしほど砕下を感知できるわけが……でも、あの御琴さんが、砕下を放置するなんて考えられないし」
御琴の名前を出したのが功を奏したのか、千佳子の攻撃的な姿勢が幾分収まっていた。
「千佳ちゃん、すぐに信じられないのも無理はないと思います。ですが、ここはわたしを信じてくれませんか」
「御樹さんが、そこまでいうなら」
御樹が千佳子の両肩にそっと手を当てると、千佳子は渋々ながらも独楽を懐にしまった。
「だけど、それが本当だとして。あなたはそれだけの力を持っている。その気になれば、自分の思い通りに何でもできる力を。そんな危険な人を放置なんかできない」
「千佳ちゃん、宮瀬さんはそんなことをする人じゃ」
「倉島君の危惧も最もだね。でも、この力は身体能力を向上させる程度で、他に何かできるわけでもないから、大したことはできないよ」
「口先だけなら、何とでも言える」
「手厳しいね」
頑な態度を崩さない千佳子に、閑斗は苦笑していた。
「なら、俺が間違いを犯したら、倉島君が俺を処分してくれて構わないよ」
「その言葉、忘れないでよね」
「ちょっと、二人とも」
話の流れが思わぬ方向に行ってしまい、御樹は二人の顔を交互に見た。
「なら、これで話は終わりかな。後は二人だけで話した方がよさそうだから、俺はここで失礼するよ」
「ちょっと、宮瀬さん」
「じゃ、二人とも。さようなら」
御樹が引き留める間もなく、閑斗は走っていってしまった。
「もう……」
そんな閑斗に、御樹は思わず溜息をついてしまう。
「御樹さん」
そんな御樹に、千佳子が真剣な表情で声をかけた。




