思い出
「宮瀬さん、その袖、ちょっとだらしないのではありませんか」
「袖?」
御樹に指摘されて、閑斗は自分の服の袖を見た。
「もう少し、袖の短い上着の方がいいのではないかと」
普通の上着なら手首の辺りで止まっているところだが、閑斗の上着の袖は指の付け根くらいまでの長さがあった。
「ああ、これね。どういうわけか、体に丁度いい上着を着ると窮屈に感じてね。一回りくらい大きな上着を着ているから、こうなっちゃうんだよ」
「そういうことでしたら、仕方ないのかもしれませんけど。邪魔になりませんか」
「慣れればどうということもないよ。この服で砕下と戦うのにも支障はないしね」
「そういうものですか」
御樹は納得できたわけではないが、閑斗がそう言うのならこれ以上の追求は仕方がないと思った。それに、確認したわけではないが霧業と戦った時も同じような上着だったのだろう。
「まあ、御樹ちゃんがそう言うのもわかるけどね」
閑斗はそう言うと、ベンチに腰掛けた。
御樹は少し迷ったものの、閑斗の隣に腰掛ける。
「あの、お姉ちゃんとも、こんな感じで過ごしていたのですか」
「そんなことを気にして、どうしたのかな」
「あのお姉ちゃんが、彼氏さんとどのように過ごしていたかって、上手く想像できなくて……あっ、お姉ちゃんのこと、思い出しちゃうの、辛いですよね」
御樹はそこではっとした。閑斗にとって御琴のことを話すのは心の傷を抉るようなものなのに、それを強要するのは酷なことだと気付いたからだ。
「誰かに話せば、楽になるのかな」
だが、閑斗はそんなことを呟いた。
「えっ」
「今まで、誰にも御琴のことを話したことがなかったからね。まあ、半分くらいは誰かに話せるような内容じゃなかった、ってのもあるけど。御樹ちゃんが良ければ、聞いてくれないかな」
「は、はい」
「何から話そうか。御樹ちゃんは、何が聞きたい」
「えっと、じゃあ、どんなデートをしていたのでしょうか」
「そうだね。今日みたいに喫茶店で談話することが多かったかな。御琴が甘党だった、っていうのはちょっと驚かされたけど。御琴が紅茶に角砂糖を数個入れた時、思わず凝視しちゃったよ」
「あー、そういえば、お姉ちゃん、甘党だったかも」
御樹は思い出すように言った。御琴と一緒にいた期間はそれほど長くはなかったが、甘い物が好きだったことは覚えていた。
「御琴がどうしたの? って聞いてきたから、正直に砂糖そんなに入れるなんて思わなかった、って言っちゃってね。そしたら、御琴、私が砂糖使うのがそんなに意外なのって拗ねちゃって。あの時の御琴は可愛かったな」
「そうですか。お姉ちゃんに、そんな一面があったんですね。ちょっと、見て見たかったかも」
閑斗が楽しそうに言うので、御樹もつられて笑顔になっていた。
「後は、御琴にせがまれて、遊園地に行ったこともあったよ。俺も遊園地なんか行ったことなかったから、どうすればいいのかわからなくてね。俺も行ったことないからわからないよ、っていったら、それなら二人で調べるわよって」
「遊園地で遊ぶお姉ちゃんって、ちょっと想像できませんね。写真とか、ありませんか」
御琴が遊園地で遊ぶ姿が想像できなくて、御樹は思わずそう聞いていた。
「俺がまともにスマホを使えたら、スマホで写真撮ってたと思うけど。御樹ちゃんも知っているように、俺がスマホの勉強始めたの、最近だからね」
「残念です。でも、ちゃんとした恋人をしてたのですね、二人とも」
どこにでもいるような恋人達のやり取りだったので、御樹は意外に思いつつもどこか安心していた。
「そうだね。傍から見れば、俺と御琴は普通の恋人と変わらなかったと思うよ。ただ一つだけ、違っていたことがあったけど」
「それは?」
「二人で砕下と戦っていたこと。最初は、御琴にも反対されたんだけど、俺が少しでも一緒にいたかったから」
それは御樹の予想の範疇だったこともあって、御樹はさして驚くこともなかった。
「そうでしたか」
閑斗の大人しそうな見た目からは想像もできないほど、情熱的な一面を垣間見て、御樹は御琴が閑斗と出会えたことは良かった、と思っていた。ここまで積極的に押すようなことがなければ、御琴は閑斗を拒絶していただろう。
「話したら、少しだけ楽になったような気がするよ」
閑斗はそこで、ふっと息を吐いた。
「宮瀬さんは、思っていたよりも情熱的というか、積極的なのですね。お姉ちゃんは、自分が長くないってわかっていましたから、他の人と関わらないようにしていたと思います。普通に接していたら、お姉ちゃんは宮瀬さんを拒絶していたのではないでしょうか」
「そんな感じはあったね。最初告白した時、私はそんなに長く生きられないし、婚約者だっているのよって断られたし」
「それなのに、お姉ちゃんと付き合っていたのですか」
御琴に婚約者がいたのは事実だったが、閑斗がそれを知った上で御琴と付き合っていたことに御樹は驚かされていた。
「本当に、あの時の俺はどうかしていたというか、周りが見えていなかったというか。それでも構わない、だから付き合って欲しいって言ってたよ。その時の、御琴の呆れたような、それでいて少しだけ嬉しそうな顔は、今でも忘れられないかな」
「ちょっと、お姉ちゃんが羨ましいです。そこまで想ってもらえれば、女の子なら嬉しくないわけありませんから」
「そんなものかな。俺は自分のエゴを押し付けただけじゃないか、って思う時もあるし」
「本当に嫌なら、お姉ちゃんは受け入れなかったと思います。それだけ、自分の意思をはっきりと貫ける人でしたから。だから、宮瀬さんだけのエゴではなかったと、そう思います」
「ありがとう、御樹ちゃん」
「そんな、お礼を言われるようなことは」
「こんな話、できる相手がいなかったからね。少しだけ、気持ちの整理ができた気がするんだ。だから、ありがとう」
閑斗が穏やかな表情で言った。
「はい……み、宮瀬さ……」
そこで、何かがこちらに向かって飛んできていることに気付いて、御樹は警告の声を上げようとした。
だが、それは間に合わずに閑斗の後頭部に直撃していた。
閑斗はたまらず、頭を押さえてその場にうずくまった。
「み、宮瀬さん。大丈夫ですか!?」
閑斗を気遣いつつ、御樹は周囲を見渡した。すると、見慣れた独楽が地面に転がっていた。
「これは……どういうことですか、千佳ちゃん」
その独楽の持ち主に心当たりがあって、御樹はそう言っていた。
「それは、こっちの台詞だよ。御樹さん」
声のした方を見ると、千佳子が鋭い目つきでこちらを見ていた。




