剣の処遇
「あ、美味しい」
紅茶を一口飲んで、御樹の口からそう言葉が漏れた。高宮の家も鈴川の家もずっと由緒ある家だったこともあって、こういった洋風な物を口にする機会はほとんどなかった。
さすがに毎日の食事は現代に合わせた物になっていたが、こういった嗜好品に近い物は大抵が緑茶と和菓子、という感じだった。
「それは良かった」
閑斗は手慣れた様子でカップを手に取って口を付ける。
「えっと、これはどうやって食べればいいのでしょうか」
御樹はこういう店でパンケーキを食べたことがなかったので、食べ方とかマナーがあるかもしれない、と閑斗に聞いた。
「特に決まったものはないと思うけど。ナイフで一口大に小さく切ってから、普通に食べればいいよ」
閑斗は手本を見せるように、パンケーキをフォークとナイフで小さく切った。そして、それを口元に運んで咀嚼する。
「程よい甘さだね。これはダージリンとよく合うよ」
そして、カップに口を付けた。
御樹も閑斗に倣って、パンケーキを小さく切って口に運んだ。
「わ、ふわふわですね」
初めてといっていい感覚に、御樹は声を上げた。
そんな御樹を、閑斗は穏やかな笑顔で見ていた。
「どうしたんですか」
閑斗に見られていることに気付いて、御樹はそう聞いた。
「いや、何か反応が初々しくてね。気を悪くさせちゃったかな」
「そういうわけではありませんが、そんなに見られると、ちょっと食べにくいです」
「はは、ごめん」
閑斗は少し笑うと、カップに口を付けた。
「あれ? 宮瀬さんは、左利きだと思っていたのですけど」
閑斗が右手でカップを持っているのを見て、御樹は疑問を抱いていた。霧業と戦う時に扇子を使っていたが、その時は左手で扇子を使っていたはずだった。
そして、今の閑斗は無理して右手でカップを持っているようにも見えなかった。
「よく気付いたね。大抵の人は、俺が中途半端に両手を使っていても気付かないんだけど」
閑斗は意外そうな顔をしていた。
「あの時、扇子は左手で使っていたのに、今は右手でカップを持っていますから」
「よく見ているね。俺は、元々左利きだったんだ。でも、それを矯正されて右利きになった、はずだったんだけど。どういうわけか、一部の動作は右手だとどうしてもできなくてね。こうして、中途半端な両利きができあがりました、ってとこかな」
「そうだったのですか」
「まあ、こうなっちゃったものは仕方ないからね。できるだけ、大事なものを扱う時は、本来の利き手である左手を使おうかな、ってくらいだよ」
「それで、あの時も左手を差し出したのですか」
御樹は閑斗が自分を立ち上がらせようとした時、最初左手を差し出したことを思い出していた。
「まあ、ね。でもよく考えたら他の人にはそんなことわからないわけだし、余計な手間をかけるだけかもしれないね」
閑斗はやや自嘲気味にそう言った。
「でも、わたしはそういうの、嫌いじゃないですよ。口先だけの人よりも、ずっと誠実でいいと思います」
「ありがとう」
閑斗は一瞬目を丸くしたが、すぐに元に戻すとそう言った。
「いえ、わたしこそ出過ぎたことを言ったかもしれません」
「そんなことはないよ。と、いい加減本題に入らないとね」
閑斗はそう言うと、懐から高宮の剣を取り出した。
「あの時は、咄嗟に取り上げちゃったけど。これは元々御樹ちゃんが使うべき物だし、俺が持っていても仕方ないからね」
そして、左手ですっと御樹の前に高宮の剣を差し出した。
「……」
高宮の剣を差し出されて、御樹はそれを受け取っていいのか迷っていた。今の御樹では高宮の剣を使うことはできないが、閑斗が言うように閑斗が持っていても意味はない物だ。
「いえ、これは宮瀬さんが預かっていてください」
少し思案してから、御樹はそう結論を出した。
「いや、俺が持っていても仕方ないよね」
「はい。ですが、今のわたしには分不相応というか、きっと、剣は力を貸してくれないと思います。ですから、宮瀬さんから見て、わたしが剣に相応しいと思うまで、預かっていてくれませんか」
「いや、俺がそんなことを判断するべきじゃないと思うんだけど」
御樹にそう言われて、閑斗は明らかに困惑していた。
「でも、お姉ちゃんのことを身近で見てきた宮瀬さんなら、その判断を任せることもできるかと、そう思っています」
「俺は、御琴と比べてどうこう、っていうつもりはないよ」
「お姉ちゃんが剣を使っていたところ、見たことありますよね」
「……それは、そうだけど」
「ですから、宮瀬さんならそういう判断もできるんじゃないかと。あ、迷惑でしたら断わってくれても構いません」
御樹は一方的に自分の考えだけを押し付けていたことに気付いて、慌ててそう付け加えた。
「わかった。御樹ちゃんの意見を尊重するよ」
閑斗は差し出した高宮の剣を手に取ると、懐にしまい込んだ。
「ありがとうございます」
「できるだけ、早く御樹ちゃんが剣に認められる日が来るのを願っているよ。正直、俺には重い物だからね」
「はい、努力します」
御樹は閑斗を真っ直ぐに見据えると、真摯な表情をして言った。
「期待しているよ」
閑斗はそれを受けて、柔らかい表情で言った。
「さて、話すことも話したし、そろそろ店を出ようか」
二人の皿とカップが空になった頃合いで、閑斗は伝票を取って立ち上がった。
「はい」
御樹もそれに続いて立ち上がる。
「お会計、千八百円になります」
店員がそう言うので、御樹はバックから財布を取り出そうとした。
だが、閑斗が制止するように左手をすっと前に出した。
戸惑う御樹をよそに、閑斗は自分の財布から千円札を二枚出すと、それを店員に差し出した。
「二千円お預かりします。お釣りは二百円になります。ありがとうございました。また、お越しください」
「行こうか」
何か言おうとする御樹を気にも留めず、閑斗は店から出ていった。
「あ、ちょっと」
御樹は慌てて閑斗を追いかける。
「宮瀬さん、どういうつもりですか」
「何かな」
「わたし、自分の分くらいは自分で出しますから」
御樹は閑斗に詰め寄った。確かに良心的な値段ではあったが、一介の高校生が簡単に出せるような金額でもない。
「ああ、そういうこと。いいよ、今回呼び出したのは俺の方だしね」
「でも」
「なら、この前泣かせちゃったお詫び、ってことで。この前、佳奈ちゃんにも御樹を泣かせたら許さない、って言われたしね。その口止めも兼ねて、かな」
優し気な表情でそう言われると、御樹は何も言えなくなっていた。
「でしたら、もう少し付き合ってくれませんか。もう少し、話をしたいですし」
「わかったよ。どこに行こうか」
「でしたら、この前の公園で」




