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《第五話》好きでいること

「自殺するためにここに来たんだ」


優希は足の力が抜けて膝をついてしまった。


楠木さんの情緒が安定しなかったのもこれで納得がいってしまう。


ここにいる理由も、何か他のことを考えていそうな雰囲気も、心から笑えていないことも、頻繁に星空を見上げては深呼吸をすることも。


つっかえていたものが取れた感覚は、同時に生命の不安定な感覚を呼び起こす。


楠木さんが冗談を言っているとは思えなかった。


空気の重圧に呼吸すらままならない。


「でもね、怖かったの。いざ学校に来てみたら、飛べないんじゃないかって」


「どういうこと……?」


「覚悟は決めたつもり。でも一人じゃ逃げちゃいそうで」


呼吸すら意識しないと出来ないような状況で、優希は楠木さんの言うことが理解出来なかった。


そんな優希を前に、楠木さんは続ける。


「だからここまで連れてきちゃった。優希君には私の見届け人になってもらいたいんだ」


「考えなおして─」


「拒否権はない。優希君が逃げようとしたら、その瞬間に飛ぶから」


言いながら楠木さんは、フェンスを乗り越える素振りを見せる。


フェンスは胸の高さまでしかなく、女子でも難なく乗り越えられるものだ。


「分かった、逃げないから。だから一旦そこから離れて。話をしよう」


楠木さんは少し優希の顔を眺めてから頷き、フェンスから離れた。


例え力ずくで抑えにかかるとしても、素早く乗り越えられては為す術がない。


説得をするためにも、一先ずは落ち着いた場所に来てもらう必要があったのだ。


「優希君なら、私を止めるよね」


膝をついたまま正座の体勢になった優希の前に楠木さんはしゃがみこんだ。


「正直、僕もどうしたらいいのか分からない。楠木さんの気持ちが全部分かる筈もないし、僕が楠木さんを制止する理由も明確じゃない」


眉が上がった楠木さんに対し、優希は続ける。


「もしかしたら、固定概念ってだけの軽い理由かもしれない。それでも僕は、楠木さんに死んで欲しくない。ここで僕が無責任に自殺を止めても、逆に楠木さんを辛い状況に追いやるだけなのかもしれない。ただ…楠木さんともっと話をしたい」


優希自身、何を伝えたいのかはっきりとしていなかった。


突然のことにまだ頭が追いついていなければ、こんな経験生まれて初めてなので考えがまとまらないのだ。


ただ思いのままを口にする。


「僕は今日、楠木さんと会えて良かった。楽しかった。それにこれから友達でいたいと思ってる」


「私もだよ」


「───え?」


「私も優希君と出会えて、話せて、本当に良かったと思ってる。そうじゃなかったらもう今頃飛び降りてるかもしれないし」


楠木さんは膝をついたままの優希を見つめ、それか〜と続ける。


「逆に飛び降りれなかったかもしれない」


「どういうこと…?」


「私さ、絶対今日自殺するんだって決めてここに来たんだけど、なんか段々怖くなってきちゃって。今までもそうだったから、今日も出来ないかもって怖かったんだ」


楠木さんの言葉に、優希の中で引っかかっていたものが、またひとつ解決した。


自殺するなら一人ですればいいのに、わざわざ優希を立ち会わせ、会話をする意味。


さっきも言っていたが、楠木さんは優希に本当に立ち会わせる気らしい。


「独りって寂しいじゃん?だから、最期くらいは誰かと一緒でも、ってのもあるかも。っていうので、今日はもう大丈夫な気がするんだ」


その大丈夫がどんな意味なのかは、聞くまでもなく明確な事だ。


裏を返せば、優希が今日ここにいた所為で楠木さんは自殺してしまうかもしれないということになる。


そう思った途端に優希はとてつもない罪悪感と後悔に襲われた。


もし教科書を取りに来なければ。もしあの時気絶せず、すぐ逃げ帰っていれば。


「優希君の所為とかじゃないからね。そこは勘違いしないで」


優希の思考を読んだかのように楠木さんは語りかける。


「どのみち今日飛んでた可能性は高いんだ。実は日付が変わった今日は、お父さんと陽菜の誕生日でね、ネットで調べたら、恨む相手の誕生日に死ねば相手は一生忘れられない日になるって書いてあって、これだっ!って」


一瞬楠木さんが、とんだサイコパスに見えたが、拳を強く握りしめているところを見ると、やっぱりその二人への感情は中途半端なものではない らしい。


明るく気丈に振舞ってはいるが、自殺の話を始めてから楠木さんの足は小刻みに震えだしている。


「楠木さん。僕は君に生きていて欲しい」


「こんなことに巻き込んじゃったばっかりに、ごめんなさい迷惑かけて」


優希の言葉に対する返事はなく、あるのは優希の目を見た真剣な謝罪だった。


楠木さんは優希に頭を下げている。


そして優希は、自身の言葉が塵のように軽いことを痛感していた。


楠木さんが自殺を考え直すような、そんな言葉が見つからない。


自分のエゴを押し付ける以外に、楠木さんの自殺を止める理由がないからだ。




一般論はいつも中身が空っぽだ。


自殺=良くない事。という凝り固まった概念は、どの人間にも呪いのようにへばりついている。


実際、その理由をきちんと説明し、自殺志願者を説得するだけことが出来る大人はどれだけいるだろうか。


例え理由が見つかったとしても、それは「周りの人に迷惑がかかる」や「家族や友人の気持ちを考えろ」など、他人本位を強制するような内容だったり、「生きていればいずれいい事がある」といった不確定なものだったりする。


結局、自殺を視野に入れるまでに追い込まれないとその心境など到底理解できないのだ。


温かい家庭に生まれ、大事に育てられ、出会う人間にも恵まれ、些細な苦悩はあれど凡そ幸せに生きてきた人間には、想像し難いものだろう。


それなのに自殺を止めるというのは、本当に正しい行為といえるのだろうか。



「楠木さんが人生で一番幸せ、一番楽しかったと思うのは、どんな瞬間?」


優希が捻り出したのは、そんな質問だった。


楽しい思い出を蘇らせて、自殺を思いとどまらせようなんて野暮な考えは一切ない。


兎に角正解が分からない問題に、優希は自分なりに解法を模索していく。


「一番って言われるとなんだろう」


優希の突然の質問に若干驚きつつ、女の子らしい柔らかな仕草と共に楠木さんは答える。


「やっぱり家族3人で仲良く暮らしてた時は幸せだったなぁ。でも、陽菜をはじめとした、私と仲良くしてくれた人達と遊んだのも楽しかったかも」


そして楠木さんが口にしたのは、崩れ去った過去の思い出だった。


泣きながら話していた先程までの雰囲気とは違う、懐かしい記憶を惜しむような口調。


例え結末が酷いものでも、それまでの"幸せ"の感情は消えることはない。


優希はまたひとつ、楠木さんを理解したような気がした。


楠木さんは今、精神的に追い詰められ、自殺しか選択肢がないというわけではない。


ただ、人間という存在、人生という儚く脆い瞬きに価値を見出すことができないだけ。


耐え忍び生きることに意味を感じないだけ。


人が生まれながらにして持っている、「死ぬまで生きろ」という概念に、たまたま疑問を抱いただけ。



その瞬間、優希の中で楠木さんの自殺が正当化された気がした。


人が呼吸をするように、食事をとるように、睡眠をとるように。


楠木さんの自殺はごく自然なことであり、それを否定することは楠木さんという人間を否定するようなもの。


「どうかしたの?」


何も答えない優希に楠木さんが向き直った。


彼女に必要なものは制止じゃない。否定じゃない。



「分かったよ」



優希なりの正解を。肯定を。


人を好きでいるという、その本質を。





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