#7 8月20日
これ以上ない、憎たらしい笑顔。
麻生地の涼しげなロングスカートをくるくる膝上までまくりあげると、脱いだサンダルをきちんと揃える。
直江はすこし冷たそうにしながら浅瀬へはいってくると「希人、ほんとにセンス、ないんだねーーー」と、愉しそうに笑った。
ぼくはサーフボードをもちあげた「ーーーそれを言うためについてきたの?」
「違うよ、私が成功の女神になるかもしれないと思ってさーーー」と、彼女は笑った。
ふりむくと、美しい夕焼けが穏やかな海をオレンジ一色に染め上げていた。
今日は珍しく、サーファーもまばらだ。
「ねぇ、少し歩こうよーーー」
足元でやわらかな波がたえまなく往き来をしている。潮の香りとともに、ほのかなシャンプーの香りが、くるくる、燐光きらめく。
「あっという間に、一学期、終わっちゃたね」
「ーーーそうだね」
「わたしね、とみちゃんが、すごく好きなの」
「みてれば伝わるよ」
「うん。私、昔からね、ずっと思ってた。どうして、みんな私に冷たくするんだろうって。優しくしてくれないんだろうって。だって私、優しいもん。守る勇気はないけれど、誰かのことを傷つけたくはないもん。自分なりに一生懸命、生きてきたの。努力はしてきてないかもしれないけれど、目の前のことで一生懸命だった。分かるの。たぶん、私、目立ちたがりやなの。人に評価をされたいの。それがもしかしたら誰かの鼻に付くかもしれない、疎まれる原因なのかもしれない。でも、それは、みんな、誰にでもあるはずの欲求。承認欲求というほどじゃない、たぶん、誰にでもある欲求。私、そのために、誰かを押しのけようなんてしない。誰かの気持ちを暗くしようなんてしない。誰かの上に立とうなんてこれっぽちも思わない。私は羨ましいと思っても、疎ましいとは思わない。みんなが輝けるなら、その輝きも浴びたいと思うよ。誇りにさえ思えると思う。人の輝きを疎ましくなんて思わない。なのにーーーみんなが、私に冷たくするの。その意味が私には分からないーーー本当の意味が分からないの」
ガラス粉をまき散らしたかのようにキラキラと光り、白泡が戯れるーーートンビがこわい、トンビがなくよ、トンビだトンビ、トンビにはしゃぐ子供たち。
「私は傲慢?」
「ーーーどうだろう、そうかもしれないね」この屈託のなさは僕にとって無条件に大切だ「でも、仕方がないとも思うよ」
「ーーーどうして?」
「直江は、直江だからーーー」
そう言うと彼女は「ーーーありがとう。そう言ってくれる希人が、私にとっての希人だよ」と微笑んだ
「大丈夫ーーー?」
「うん、大丈夫。だって希人がいるでしょ?誰も優しくしてくれない、なんて酷い世界なんだろうと思ってた。この世界はなんて酷い世界なんだろうってーーー。でもね、とみちゃんは、たぶん、私を愛してくれている。これからも、私が私らしくいれば、そんな私を愛してくれている。クラスの人たちとも、今は、繋がってるなんてことはないけれど、私を傷つける人もいない、やさしい態度を示してくれる。とみちゃんとはきっと、仲良くなれる。こんな私のままでも。でもね、深く繋がることはないと思う。でも、いいの。私のなかで、私が大好きだってことがとても大事な気がするから。私、蒼衣さんも大好き。いつも、優しく見守ってくれる。私は今まで、自分にないものを見すぎてたのかもしれない。たまにね、すごく無性に無性に辛くて、焦って、気持ちが支離滅裂になることがあるけれど、でも、そのたび、一番最後、あなたがいる。すごく深いところにあなたがいてくれる。すごく深いところに希人が繋がってくれていて、いつも、私の存在全てを支えてくれて。お母さんもいる。お父さんもお姉ちゃんも。小さい頃、この世界を酷いとも、素晴らしいとも思わなかった。でも、それから、とても酷い世界なんだと感じて。でも、今は、すごく感謝に溢れてる。希人やみんながいて。私は感謝に溢れてる。だからね、ありがとうーーー。希人いてくれて本当に良かったよ。きっとね、そういう人が一人いるだけで、私の人生はすごく幸せ。だからね——ー」充実からか、その天真爛漫さ、周りの人々への愛情、その表情に一点の曇りなく「———ねぇ、希人。わたし、今とっても自分が好きよ」
と、彼女は笑った。
そっか——。
こんな表情、できるようになったんだ。
僕は知らなかった。
素直に嬉しかった。
ある朝、浜辺を散歩していて、冷たい空気を映し出しながら広がる空と海を見て、ふと救われる、そんな気持ち。
「ほら、希人、もう一度、行ってきなよーーー」その黒い瞳でじっと見据え、風になびく黒髪をめくりあげーーー。
それから何度も波を追いかけては、何度も追い返された。
結局、全く一度も波には乗れず、途中で諦め、ボードのうえ仰向けになって、寝そべっていた。
それから深呼吸をして、夕陽に委ねるように背中からやわらかい水のなかへーーー沈める。
息をすーと吐いてゆく。
鼻から空気が抜けてゆく。
体がただただ沈んでいって、空っぽなのぼくは沈んでく。空気よりも軽く感じられていた、この身が沈む。海へと沈む。質感を感じられるような気がする、自分にも質量がある、その当たりまえな心地よく、このまま、もう、溶けてゆけたなら。海の一部として溶けてゆき、もう、なにも感じない、そうなれれば。
自分を許してくれる人がいるーーー、こわごわ目をあける。
水面は暖球のような光を揺らしながら、底、もう深く暗く。小さな魚、白銀、煌めき、そのまま消える。大きな場所へと、一部になる。もう、ぼくに意味はない。必要ない。そうなるのだろうか。
だんだんと水が、鉄のように冷たくなってきたーーー。
急に息苦しくなる。
一気に鼓動をあげ、肺一杯に酸素を吸い込もうと海面に顔をだす。濡れた髪が目に入る。腕で顔を拭って、目をあける。
父からもらったショートボードは、浜辺のほうへと流される。
直江は麦わら帽子をその手でおさえ、橙色のなか入り混じる、茜色の空を見上げてた。