#6 7月23日
「あいつ、終わてんな」
「なんだよ、あの気持ち悪りぃ、紫あたまーーー」
「おぃ、こっちふりむいたぜ」
「ムカつくなぁーーー反抗的なんだよ、いちいち目つきがよ。雑魚のくせによ」
「喋ろうとすんなよ、唾が飛ぶんだよ、きもちわりぃーな」
「先輩達にも目ぇつけられてるらしいぜ」
「そりゃそうだろ、あの悪目立ち、あの気にくわねー目つきじゃな」
「ほんとだよ、あいつ、いつまでも迷ってねーで早く買えよ。どんだけ並ぶんだ、この購買ーーー」 食堂の購買、パンや軽食を買おう並ぶ列、いがり肩ちはひたすら悪態をついていた。
「確かにな。いてもいなくても同じだろ?むしろ、いないほうがいいんじゃね」
小川はまた見せつけるように大きく「ーーーてか、なんのために生きてんだ、あいつ?」と、笑った。
ーーー喚き。
平君はその褐色の表情を曇らせて、けれど、その風貌もあいまって、一番、注目を集める存在となっていた。周囲を振りかえることもなく、食堂をあとにするうしろ姿は、その人柄を知らなければ、いささか憮然とした様子にみえたかもしれない。
「あ、朝海がきたぜ」
「一緒にいる人、辰慎さんか?」
「中学が一緒だったらしいぜ、バスケ部で」
「へぇ、すげぇ二人だな…」
ーーー羊たち。
朝海は一緒に食堂へと入ってきた三年の先輩に連れられながら、いつもの入口近く、きつね色のテーブルを囲むように座る、力をもった先輩たちのまえ、立ちながらなにやらこちらを見て話をしていた。
「よう、希人! ちょっと、こっち来いよぉ!」
先輩達と愛想よく会話を交わしながら、遠くから朝海が呼びかけてきた。周りの人間がいっせいに彼をみた。こうやって、呼びかけること、それは誰にでもできることじゃない。
部活が盛んで、上下関係に厳しいこの高校で、こういう“軽い”行動はすぐに〝目〟をつけられる。
それが出来る彼は、つまり、もう、この学年の“顔”なのだ。
同級生の男子のなかには羨ましがってそれをみている人もいるだろう。窓際に座ってる先輩のなかには妬ましく思ってる人もいるだろう。その一挙手一投足、そこにいた多くの人間が少なからず目を引きつけられていた。
羨ましがる人間には裏腹な服従心、妬ましくおもう人間には仕方がない無関心を植え付ける、そのひとつひとつの振る舞い、そこには本能にもとずく彼の計算が散りばめられているようだった。
「おぃ、そこのーーー」ぼくがすこし躊躇していると、一人の先輩がこちらへ手招きをしている。
周囲をわずかに見渡すと、いくつもの視線がぼくへと向けられて、ぼくは愛想笑いで軽い会釈をしながら「ーーーどうも」と、近寄った。
「おまえかぁ、アサと同組の?」
「ーーーはい、そうです」そう言って、朝海をみる。
愉しそうに白い歯をみせ笑いながら、彼の目はしっかり、自分以外のものを見据えてる。
「仲いいんだろ? よく聞いてるよ、こいつほんとにアホだろぉ?」
とりあえずの愛想笑いを続けながら「ーーーそこそこですね」とこたえた。
「希人、おれの中学の先輩、シンちゃん、かっこいいだろ、この人が誘ってくれたからおれ、ここに入ったんだ」
「もちろん知ってます、辰慎さんですよねーーー」
そう言いかけるとた、辰慎さんは「今だに、シンちゃん呼ぶの、お前だけだわ」と、彼の頭をポーンとはたいた。
「まぁまぁ、昔からのよしみでさーーー」まるで、からかうようにおどける朝海をみて、辰慎さんは嬉しそうに、彼の膝を「この野郎っ」とかるく蹴りあげた。
本当に取り入るのがうまい人だ、そう思った。
「希人、おまえ、どこ中?」
呼び捨てされたことに妙にホッとした自分の気弱さが情けなく「ーーー第一南です」と、そう答えた。
「あぁ、そうか。---おまえ言ってたな、大好きな薫ちゃんとおなじ中学だって」
朝海は笑いながら「そうなんだよ、なのに全然、連絡先すら繋いでくんねーんだ」と、彼は腕組みをしてみせた。
「第一南か、珍しいな。ちょっとここからは遠いよな?」
「ーーーはい、だから、あまり受験する人は少ないです」
「うちの代は蒼衣だけか?」
「ーーーそうですね。蒼衣さんには、今、委員でお世話になってます」
「そうか、同じクラスだからよ。今度、話してみるわーーーおまえのことよ」さきほどより、どこか威圧的な空気感を感じて「ありがとうございます。---よろしくお伝えください」と、ぼくは、彼を見た。
朝海が「まぁ、シンちゃん、俺の仲間だからさーーーよろしく頼むよ」と、パッと笑った。 それから一通り先輩たちに対し紹介をされたあと、二人は、先輩たちに礼をして離れた。
同級生のなかでも、いくつかの部活の中心人物がいるテーブルにゆくと「ーーーおぉ、食堂にくるなんて珍しいじゃねーか」と、小川がそう言ってだんご鼻をひくつかせた。
その言葉のはしばしに、以前よりこちらへの敬意が入り混じっていた。
同級生も多いなか、先輩達にこうやって紹介すること、それがそのまま、ぼくの立ち位置を上げること、そう繋がると、朝海には分かっているーーー実際、そこにいた人間に「あぁ、こいつが二番目か…」と刷り込まれた実感が、このテーブルに座っているだけで、ひしひし感じ取とれる。
それぞれが、あまり、ためにならない話を持ちよって、盛り上がっていたーーー。
しばらく経って、このテーブルにおける会話の中心、それは平君になっていた。
ここにいる人間達は、最大限の遊び心を込めて、どう平君を貶めるかを話してる。
まるで一生懸命に。
猫科の動物が狩の訓練のため、ほどよく致命傷を負わせ抵抗力の弱った生餌を子どもたちにあたえる、それを、いたぶることで生き残り方を教えていく、そんな光景を思い出した。
まるで社会にでるまえ、この高校という遊ぶる庭で〝平〟という存在を使って訓練でもするような。
分からないけれど、君は、それでいいのだろうかーーーそう、考えてしまう自分がいる。
その背中を思いだしーーー、傲慢だと感じた。
「俺は、なにもしていない。間違ったことはしてない、愚かなのはおまえらで、ぼくはなにもしていないーーー」そう言い聞かせるような、その背中。
石のように固まったところでなにも変わらない。
自分の感情が揺れている。
イライラしていた。
自分に対する苛立ちか、いや、違う。
これはやっぱり〝平〟に対しての苛立ちだ。
戦おうとしないのに、戦っているつもりでいる〝平〟への、きっと、苛立ちというより、どちらかというと情けなさを感じているのかもしれない。
今、直江はどんな顔をしてるだろうかーーー。