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春の散歩

作者: 小野華暉

 時計の針が11を指していた。僕はブルーライトをカットするメガネをかけて、パソコンに向かっていた。

 「じゃあ、お先に。」

 同期である増田はそう言って缶コーヒーを僕の机に置いた。慣れないスーツが息苦しい。こんな時に感謝を言うのが当たり前だが、中学からの友人である彼に言うのは少し照れ臭い。

 「おう。」

 僕はずっとパソコンと戦っていた。増田はいつ見てもスーツが似合わない。

 それから1時間が経った。僕は両腕を頭の上に持って行き、背筋を伸ばした。机の上に置いていた携帯電話が震え、空になった缶のおかげで大きな振動音が響いた。新着メッセージがあり、その発信先は高校の時の友人だった。その瞬間から、頭の中は8年前の記憶に沈んでいった。


 僕は制服のままソファに沈んだ。ギターの弦を交換するために、ペンチを手に取った。何のために弦を張っては切り、また張っては切るのか分からなかった。無意識のまま6弦を切ると、そのまま僕の頬に飛んだ。

 「いてぇ。」

 誰もいない部屋に響いた。少し血が出ていたが、そんな傷で消毒液を塗ったり、絆創膏を貼ったりするのが面倒だった僕は手で拭い、そのまま弦交換を進めた。

 弦を交換し終わると、いつもの定番曲をギターでかき鳴らした。問題はなさそうだと思い、そのままギターとアンプをシールドでつないだ。いつもアンプのイコライザーはいじらないが、今日は少し気分が違った。VOLUMEは3から5に上げ、BASSは2から4、MIDDLEは5のままで、TREBLEは6から3に下げた。いわゆるゴリゴリのロックを奏でる時のセッティングだ。家で弾くときに普段踏まないエフェクターさえ踏んで、オーバードライブとディストーションで思いっきり音を歪ませた。

 気づけば親が帰ってきて、音を下げろと注文が来た。きっと好きなテレビ番組を見たいのだろう。僕はギターを戻し、机について数学の宿題をやり始めた。机についた状態で寝ていたのだと、朝起きた時に気づいた。


 「おはよう。」

 「おはよー。」

 友人との挨拶は無意識にしている。多分お互いそうなのだと思う。挨拶だけで特別いい気分になることなんてない。くだらない学校に毎日行く理由なんてない。

 「おはよう!」

 「おはよー!」

 僕は朝あの子との挨拶だけで調子は絶好調になる。くだらない学校に毎日行く理由はあの子と声を交わすことなのだ。あの子の名前は佐々木ほのか。今夢中になっている人だ。何度も好きになりかけては、その度にあきらめていた。でも今回はなぜかあきらめることができずにいた。茶色がかったあのショートヘアーが靡く度に、僕の胸が締め付けられた。

 少し前までは名前すら知らなかった。それにもかかわらず僕は彼女の目を追いかけ、目が合えばすぐに逸らした。それが楽しかったわけではなく、それくらいしかできなかったのだ。しかしなんとか仲良くなりたいと思い、僕はTwitterに乗って彼女を捜しまわるように、携帯の画面をスクロールした。彼女の顔写真が表示されたとき、彼女の名前を知ることができた。”佐々木ほのか”と、本名で登録していたアカウントを見ていると、ユーザー名に目がいった。いくつかのアルファベットの後に”0830”という4つの数字が並んでいた。この数字は僕にもよく見おぼえがある。なぜかというと僕の誕生日だからだ。まさかとは思い、共通の友人を通して彼女の誕生日を聞いてみた。すると、8月30日生まれだそうだった。僕は何とも分からない感情になった。気になっている人の誕生日が、自分と同じであることを知った時の感情の名前を作りたかった。Twitterというものがある時代に生きていてよかったと思った。そのおかげで彼女の名前と他にすごいものを知れた。


 今日もクラスがにぎやかだ。僕の学科は国際科で、外国人とのふれあいが多くあり、海外について学ぶ授業が多いのだ。そんな授業を受ける生徒たちは、皆個性が強い。よく言えばにぎやかで積極的だが、悪く言えばうるさくてしつこい。僕はこのクラスが好きだ。学園祭の準備をしていても、みんながやってくれて楽だからだ。僕のクラスの模擬店では、世界のいろいろな食べ物を出したいという案から、カレーとピザになった。どちらも準備さえしておけば、簡単に作れるものでとても嬉しかった。

 「はるきは今年もバンドやるん?」

 「やるよー。今年ボーカルもするんよね。」

 はるやが声をかけてきた。はるやは1番の友達だ。彼とは高校に入ってすぐ意気投合し、それから毎日一緒にいる。2人付き合ってるみたい、とよく言われる。彼と一緒にいるのは楽しいが、もちろん僕の気になっている人が一緒にいてくれるなら、それ以上のことはない。でも彼は僕のことを本当によく分かっていてとても楽だ。

 店の準備をできるなりに手伝いつつ、僕とバンドメンバーは練習室に入った。どちらかというと、練習室にこもっていた時間の方が多かった。学園祭で披露する曲を練習するために集まるものの、つまらない話をずっとした。とても気楽だ。

 「ここはベースの音を目立たせたいからギターの音ちょっとだけ小さくしてくれる?」

 ベースボーカルを担当するレイナはそう僕に言ってきた。僕はそう思わなかったけど、対抗するのも面倒くさいから指示に従った。

 「ここのタムはどうかな?ちょっとむずいからアレンジしていい?」

 ドラムのマサヤは言った。控えめな性格のマサヤは、なにか言うときはだいたい断言するのではなく尋ねてくる。僕はドラムのことがよくわからないので何もリアクションせずにいると、軽い許可がアヤノから出た。アヤノはギターのバッキング担当だ。きっと彼女もよくわからなくて適当な返事だったのだろう。


 朝起きて眠たい目をこすり頭を回転させ、学園祭当日であることを理解した僕は、その時一つの目標を立てた。

 高校生活の中でも最も大切な行事の日の朝は、特別な緊張感で教室に向かう。いつもより空気が清々しい気がする。教室に向かっていると、前の方から佐々木ほのかちゃんが歩いてくるのに気付いた。心拍リズムは、歩くリズムの2倍だった。

 「おお!おはよ!小野君!」

 「おーおはよう!」

 僕はいま存在に気づいたように言葉を放った。

 「また後でね!」

 「うん!(また後で写真撮ろ?)」

 僕の今日の目標を達成するための言葉は出てこなかった。

 教室のドアを開けると相変わらずにぎやかでうるさかった。時間通りのチャイムで朝礼をし、時間通りのチャイムで皆は外に出て、時間通りのチャイムで学園祭は開かれた。

 一通り楽しんだ。でも目標は達成できていない。何度も見かけるが、それで終わる。達成できないまま僕はステージに立つ時間になった。

 慣れない野外のステージはとても緊張する。ライブハウスでは、僕らの音楽を聴きにきているが、今日は僕らの音楽を聴くために来ている人でない人たちにも届けることになる。とても怖かったが、いざステージに続く階段をあがると、楽しくなった。皆が僕らのことを見ていて、嬉しくなった。

 2曲を弾き終えた。どちらも完ぺきとは言えなかったが、楽しさがあったので良かった。次が最後の曲になる。これは僕が歌うことになっている。人の前でマイクを通して歌うのは初めてだ。音程間違えたらどうしよう、歌詞が出てこなかったらどうしよう。僕の合図でギターを弾き始めなければならない。どうにでもなれと思いギターを弾き鳴らした。イントロの4小節が終わり、歌いださなければならない。それからのことは覚えていなくて、いつの間にかアウトロになり、曲が終わった。僕はうるさい拍手に照れて、何も思わずマサヤの方を見て笑っていた。

 

 スタートの合図の笛が鳴った。あまりにも大きな音でびっくりし、額の汗が流れた。とても暑い日だ。日柄の良い体育祭日和だ。

 種目の中でも最も目玉なのがフォークダンスだ。練習のときもとても興奮した。同学年全員で200人近くいる生徒たちが、一つの輪になってダンスをする。生徒たちは多る相手をチェンジしながら楽しむ。もちろん目的の相手は一人しかいない。楽しみなフォークダンスはプログラムの最後になっていた。それまでは自分の競技をなるべく必死にやり、友人の出る種目を応援した。

 借り物競争が始まった。クラスメイトの友人が出るので見ていた。ある同級生の男の子の番になり、彼がカプセルを開くと颯爽と誰かを探しに行った。彼が手を引っ張って連れてきた女の子は、佐々木ほのかちゃんだった。僕はその瞬間を見てからはずっと地面を見ていた。指で地面に文字を書いて、その気持ちを紛らわした。気持ちが萎えた日に限って、写真撮ろう、と言いやすかったりもした。憎しみをこめて、思いっきりの笑顔で写真を撮ってやった。その日は家に帰ってすぐにギターを持った。好きなバンドの失恋ソングを思いっきり弾いた。1弦が元気に切れた。


 時計の針が1を指していた。僕の高校の時の友人からのメッセージを返さないといけない。きっと彼はまた僕を飲みに誘って昔話をしたがっているのだろう。そう思いながらメッセージを送り、パソコンを閉じ、眼鏡をはずした。慣れないスーツが息苦しい。外に出ると寒かった。自転車に乗って帰路に立った。チェーンが回る音が妙に懐かしい気がした。


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