9. 饅頭の恨み
訓練飛行を終え、立川に電話する。
みなもが負傷した旨伝えはしたが、大事の前の小事。戻ってくるべきだったと、呆れたように言われた。
護衛もなしにロケットに点火して、不具合で墜落したらどうするのか。
言われてみれば、そうだ。
君が無事でも機体が大破したら取り返しがつかない。実戦は思い付きで動くと即死する。堕ちるなら晴明と戦った後で頼む。
など。怒った口調ではなかったが、辛辣なことを言われた。
一方その後、みなもの負傷については真摯に謝罪された。
そうした負い目があったから、強い口調では言われなかったのかもしれない。
「鹵獲B17が襲われた時点で、内通者がいる可能性は高かった」
「魅乗りが知ってたわけですからね」
「しかし基地にいる人間にはみなアリバイがあったのだ。通信手も、相互に監視している。全員が魅乗りになっている可能性よりは、通信が傍受されたのだと判断していた」
「どっから漏れたにせよ、俺達の作戦を晴明が知っている可能性が高いですよね」
「無論だ。それは固より、晴明は我々が妨害に来ることを前提にしているだろう」
「そっちに戻った瞬間にまた襲われるとかないですよね」
「先ほど所属の魔導士全員に憑依させたが、皆機体の色は変わっていなかった。問題ない」
「上がってからはお互い様でも、地上でやられるのは腹が立ちますからね」
「申し訳なかった。こちらの落ち度だ。各務ヶ原基地に魅乗りが入り込んでいることは想定していなかった」
「貸しですからね」
「頑張ったのは少女二人だろうが。まぁ、晴明に勝ったなら、何でも頼まれてやるさ」
「よろしくお願いします」
「無事で何よりだ。引き上げてこい」
「負傷したみなもを連れて帰りますが、基地に戻った方がいいですか?」
「いや、試験飛行ができたのなら、成果としては問題ない。直接帰ってよろしい」
「じゃあそうします」
そう言って直人は受話器を置いた。
医務室に戻ると、多少回復したようなみなもを担架に乗せて運ぶ。
「式神持ちとはいえ、一晩寝ていった方がいい」
医者に止められはしたものの、みなもは断る。
「大丈夫です。家に帰りたいので」
そして滑走路にたどり着くと、直人がみなもに問う。
「みなも。憑依できるか」
「ええ。一目連!」
滑走路に、仰向けに寝そべった御佐機が出現する。それからゆっくりと立ち上がった。
負傷した状態で体力を消耗するのは良くないので、自力での飛行は最低限だ。
離陸したらすぐに発動機を停止し、直人が上から腰を支え、茜が足首を支えてみなもを運ぶ形で飛行。
負傷者の輸送であるため高速では飛べず、およそ一時間のゆったりしたフライトだった。
悠紀羽邸にたどり着くと、先に直人と茜が着陸。みなもは何とか自力で着陸し、憑依を解いたところで直人が抱きかかえる。
既に日差しは地平線に近づいていた。
「じゃあ私は帰るから。直人君。後はよろしくね」
「おう。ありがとな」
負傷したみなもを抱えて悠紀羽邸に帰ることは、当然一騒動引き起こした。
「巫女様! そのお怪我は!」
まずは女中が卒倒せんばかりの驚きを見せ、その声を聞いて動転して出てきた創真が悲鳴にも似た声を出す。
「みなも! 怪我しているのか!?」
「お父さん。問題ないわ。すぐに治るから」
「何があった何があった何があった!?」
「布団ないですか」
「佳子さん!」
「はい!」
女中の案内で、みなもの部屋に移動。
そして引かれた布団にみなもを寝かすと直人は部屋から出る。
「佳子さん、みなもの看病を頼む」
「承知しました」
「水無瀬君は私ときたまえ!」
そして今度は創真の私室へ移動する。
和室であり、寝室を兼ねているのだろう。
ちゃぶ台の上には徳利とお猪口。
二つの小皿にはそれぞれ一風変わった肴が入っている。
家族そろっての夕食はまだのはずだが、既に晩酌していたらしい。
創真が胡坐をかいて座るので、直人はその向かいに正座する。
なんとなく、恐縮してしまう。
「水無瀬君。君がついていながらどういうことかね。みなもの夫になろうというのなら、身を挺して守ってくれなきゃ困るよ!」
「申し訳ない。お義父さん。それは――」
「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはないと思うがね!」
しまった。こないだみなもにお義父さんと呼ぶように頼まれていたから、つい出てしまった。
「まず何があったのか、説明してもらおうか!」
創真の要求に、直人は今日あったことを話す。
といっても、直人もその場にいたわけではないので、みなもと茜から聞いた話になる。
「なんでみなもと茜君を連れて行った!」
「それは、いた方が心強かったので」
「自分の身くらい自分で守りたまえ!」
「面目ありません」
「女の子を旅に連れて行ったのなら、一目離さず守っていなければならんよ」
「はい」
「せめて安全な場所で待たせるくらいの気遣いが必要だろう」
「お父さん! 直人はその時別の場所にいたの! それに私なら問題ないわ! 明日には直ってる」
突然襖を開けて訴えてきたみなもを、直人が抱え上げて部屋を出る。
その後ろを女中が困った顔でついてきていた。
「巫女様! 寝ていなければいけません。傷に障ります」
「みなもは寝てろ」
「だって直人は悪くないじゃない。理不尽だわ」
「治りが遅いと俺が怒られる」
「……はい」
「巫女様。みかんを剥いて差し上げます」
みなもをあるべき場所に戻した直人は再び創真の部屋に戻る。
「戻りました」
「ああ。まぁ、みなもの怪我の事は、君に怒ることではないというのは、気付いてはいる。だが、それでも言わねば気が済まんかったのだ」
「わかります」
「いーや。わかっとらん。いきなり娘が男を連れてきて結婚すると言い出した父親の気持ちがわかるかね!」
「わかりません!」
「そうだろう!」
創真は徳利を勢いよくテーブルに置く。
「一人娘が男を連れてきて、何故かその父親もついてきて、居候して、どうなってるんだ!」
「親父は明日追い出しておきます」
「いや……いいんだ。今日の昼囲碁などしながら話をしたが、悪い人間ではない」
「ならいいですけど」
直人の言葉の後、しばし沈黙が訪れる。
その後、創真はため息をついた。
「君との結婚を頭ごなしに否定するわけじゃない」
「まぁまだ決まったわけじゃないですし」
「なにぃ!? みなものどこが不満なのかね!?」
いきなり胸倉を掴まれそうになり、反射的にのけ反る。
「うわー! 落ち着いてお義父さん」
「お義父さんじゃないだろう!」
「間違いました!」
「私が言いたいのだな。大事なことはもっと時間をかけてゆっくり考えるべきだということだ」
「仰る通りです」
「なのに、みなもにじっくり考えてから決めるよう言っても、いかに君がかっこいいかを語り出す始末だ」
「そうなんですか」
「そうなんですかじゃない! どんな手を使った!」
「それをみなもから聞いたんじゃないんですか!?」
面倒くせぇな。けっこう酔ってるだろこれ。
「創真様。水無瀬様。お夕食の準備ができました」
女中の声が聞こえ。創真はお猪口の中身を飲み干す。
「最後に言っておく。みなもが、昨日の夜、泣いていた」
「え、それは……」
「命を懸けて戦うのは君だ。だがね、それでも言わせてもらおう。みなもを悲しませるな。必ず生きて帰ってくること。いいね」
「――はい」
「では。夕食に行こうか」
そう言って創真は徳利を持って立ち上がり、直人は先に部屋を出た。
いつもより遅い時間。悠紀羽親子と水無瀬親子の五人で夕食をとる。
「そうだったの。みなもはお婿さんのために戦って偉いわね」
「当然だわ。でも直人はもっと強いのよ」
「そうなの。それならみなもも安心ね」
「ええ。悠紀羽家は安泰だわ」
「でも直人君ってモテるんじゃないからしらぁ? 彼女さんとかいたりしないの?」
みなもの母、志津香がいたずらっぽく笑う。
「いやー、俺は腕力ばっかりなんで」
「左様。この愚息、至らぬところばかりです」
「でもそういうところも女にとっては好印象だったりするんですよ?」
「まぁ強いて言えば、昔近所の地主に直人を婿にくれと言われたことがありましたな」
「まぁ! 本当ですか!?」
「おい親父。俺はその話知らないぞ」
「金に困ってるという話をしたら前金としていくらかくれたのでな。ありがたくもらっておいた」
「そんな……そのお金は?」
「とっくの昔に使い切った」
「問題ありませんわ! お金は悠紀羽家が責任もってお支払いします」
「それには及ばんよみなも君。先方には直人は死んだと言っておこう」
「そ、それなら問題ありませんわね!」
「詐欺じゃねーか」
「水無瀬君。君の家の問題をうちに持ち込むことはないように」
「お父さん。それだと直人と区別がつかないわ。両方とも下の名前で呼んで」
「な……に」
「ははは。わしとしてはどちらでも構いませんな」
「ま、まぁ考えておこう」
夕食の後、直人は先に風呂を頂く。
のんびり使って訓練飛行の疲れを取り、自室に戻ると、何故か幸人が座っていた。
ちゃぶ台の上のお盆は空になっている。
「おお直人。小腹が空いたんでな。この饅頭はありがたかったぞ」
「てめぇ! 俺の饅頭なくなってんじゃねぇか!」
「お前はもう食べたんだろう」
「一個しか食ってねぇよ!」
「それは残念だったな。さてわしはもう寝るとするよ」
「言いたいことはそれだけか?」
「勿論だ。一言礼を言っておこうと思ってな」
「おらぁ!」
部屋から出て行こうとした幸人の背中に飛び蹴りを食らわせ、吹き飛ばす。
幸人が衝突した襖が敷居から外れた。
「お前。饅頭ごときで父を足蹴に!」
「ガキの頃から食いもん盗られ続けてきたが、今度ばかりはつけを払ってもらうぜ」
「お前の性根が情けないぞ!」
「開き直ってんじゃねー!」
腕力は互角。掌を合わせて組み合った二人は、そのまま膠着状態となる。
「直人! どうしたの?」
襖のあった場所からみなもが現れる。
その瞬間、幸人は力を緩め、つんのめった直人の頭を押して床に叩きつけた。
「親父が俺の饅頭食いやがった」
両手で身体を支える直人が答える。
「お義父様! 仰ってくださればお夜食のご用意もできましたのに」
「みなも君。これは水無瀬家の問題にて口出し無用」
「襖壊しといてそんな」
「襖を壊したのは直人だ」
「あっさり吹っ飛ぶ親父が悪いんだろうが」
「直人! お腹が空いたのなら何か用意するわよ」
「じゃあ代わりの饅頭あんのかよ」
「お饅頭は、もうないんだけど」
「ほれみろ」
「残念だったな直人。飯は食える時に食えと教えていたはずだが」
「それは人んちにたかりに行った時の話だろうが!」
下半身をクラウチングスタートのように曲げ、両腕の力も使って体当たりする。
しかし幸人は不動。強靭な体幹を持つ証拠。
「お義父様! 直人の食べ物を盗るのはやめて下さいまし! 直人は明後日出撃なんです!」
「……なに!?」
「隙あり!」
直人の正拳突きで、今度こそ幸人はよろめいた。
「出撃とは、晴明との対決か」
「そうです」
「そうか……お前が負けるとどうなる!?」
「みんな魅乗りになるんだよ! こないだ説明しただろうが!」
「ぬ……嫌だ! わしは魅乗りになりたくない!」
「好き放題生きてんだから大して変わらないんじゃねーか?」
「わしにはな……水無瀬流復興の夢がある。直人。勝てるんだろうな」
「当たり前だろうが」
「いや。信用ならん」
「俺はな。親父が思ってる以上に強くなってるぜ。今まで強敵を何人も倒してきたんだ」
「ほう……ならば確かめてやろう。稽古のしたくをせい!」
そう言って幸人は部屋から出て行った。
直人もその後に続いて部屋を出る。
しばらくして、二人は借り物の道着に着替えて道場に立った。
お互い身長にあった道着がなく、微妙に丈が足りていないのが悲しい。
それと同じ頃、悠紀羽一家も道場に入ってきた。
「直人。襖は直しておいたわよ」
「あ、はい」
「よいか直人。これは真剣勝負だ」
「竹刀持って真剣もなにもないだろうが」
「このわしに勝てなくば、安部の某には勝てないものと心得よ!」
「なるほどな。一理ある」
「さぁこい!」
大上段に構える幸人に応じて、直人も右上段に構える。
幸人は庇いようのないスチャラカ親父だが、こうして構えをとれば、達人の佇まいだ。
正攻法では、簡単に崩せそうにない。
「なぁ親父……俺はさ、死ぬかもしれないんだ」
「ふん。怖気づいたか?」
「こんな俺にも、心残りはあるんだよ」
「う……なんだ」
「母さんに会いてぇなぁ」
「ぐっ」
「母さん……どうしていなくなっちまったんだ」
「そそそそれはだな」
咄嗟に直人は斬り込んだ。
不意をつかれた幸人だったが、なんとか竹刀で受け止める。
だが、直人の右手は空いていた。
直人にとって竹刀は軽過ぎるため、片手で振っても身体の軸はぶれない。
すかさず右手で幸人の首を掴むと、右足で顎を蹴り上げる。
のけ反るようにして幸人は吹っ飛んだ。
「鶴来タイ流で『梟木』っていう技らしいぜ」
幸人は両手で受け身を取り、立ち上がる。
「卑怯な!」
「剣法水無瀬流が何を言ってやがる」
「ぬかったわ」
直人は正眼に構えたまま、すり足で進む。
「でも実際、母さんに会いたいってのは本当なんだよ。なぁ、何処にいるとか知らないのか?」
「知らん」
「手紙とか、さ」
「来たものは保管していたが、家に置いてきた」
「じゃぁ俺は、死に際に母親の顔も、言葉すら思い浮かべられないってわけだ」
「ぐっ……それはだな」
またも大股の踏み込み。強襲というより奇襲に近い。
咄嗟に出された竹刀を見越して振り下ろさず、右足で幸人の左足を蹴りつつ、左手で右足を押しのける。
足を開いて体勢を崩す幸人に対し、膝をつきつつ竹刀を脳天に見舞う。
これは応えたのか、幸人は仰向けに倒れた。
「ふん。どうした。調子悪いじゃねーか」
「ぐ……ぐぐぐ」
歯噛みするように幸人が起き上がる。
「これではっきりした……。わしは……わしは直人より弱くなってしまった!」
「……なに?」
「二連敗など、稽古でもあり得なかった!」
言われてみれば、確かにそうだ。
すると俺は親父を超えたということになる。
「寄る年波にゃ勝てないようだな」
「調子に乗ってはならん! 最近は生きるのに精一杯で、鍛錬がおろそかになっていたようだ」
「鍛え直したところで、もう俺には勝てないぜ」
「お前などまだ青二才よ」
「親父には隠居を勧めるぜ」
「直人! 今日を限りにお前のとの親子の縁を切らせてもらう!」
「なにぃ!?」
「お義父様! 直人の出撃を見送らないのですか!?」
「水無瀬一門の男なら、悪党との戦いなど勝って当然」
「でも……せめて戦いが終わってからに」
「わしは修行の旅に出る! お前が日本を守った頃に、また戻ってくるだろう」
「せめて一週間は修行しろ!」
「いいだろう。ならば一週間後に勝負だ! よそのこわっぱ」
「上等だ。よそのおっさん!」
「さらばだ!」
その言葉を最後に、幸人は道場から走り去った。
そしてその五分後。土蔵に入れてあったはずの背嚢を背負い、幸人は悠紀羽邸を出て行った。
「まぁ、悠紀羽君については心配いるまい」
「お父さんまで」
「悔しかったのは事実だろう。故に、素直になれんかっただけだ」
「そうですかね」
「親子の縁を切るなどと言ったところで、所詮は親。子供の事が嫌いになるわけがない」
「確かにそうね」
「……ま、どうでもいいですよ」
「今はそっとしておくのがいいだろう」
「それはそうとお父さん」
「うん?」
「さっきも言ったけど、直人の事は直人君って呼んでよね」
「いきなり過ぎるだろう。もう少し日を置いてもいいはずだ」
「そうしないなら、私お父さんの事嫌いになっちゃうかも」
「う……まぁ、紛らわしいなら仕方あるまい」
「直人。お饅頭はないけど、お煎餅ならあったわよ」
「貰う」
「持ってくるわね」
親子の縁、か。
確かに、悠紀羽親子を見ていると、強い絆を感じる。
みなもがわがままを言うのも、愛されているという自信があるからだろう。
俺も、早衛部隊に入る前はずっと親父と一緒だった。
風を引いた時は、傍にいてくれたっけな。
愛されていたのだとは思う。
だが、それでも碌な父親でなかったことは間違いない。
嫁に逃げられているのがいい証拠だ。
「親子の縁もいいが、母さんのことも大事にしてほしかったな」
「実際、直人のお母さんはどうして出て行ったの?」
「金がなくて、親父が母さんの着物を質に入れたらしい」
「ああ……それは……」
「母さんに会いたいってのは親父を動揺させるための方便だ。嘘じゃないがな」
「それはそうよね」
「まぁ、今はいい。晴明を倒したら、ゆっくり探すとするさ」
「協力するわね」
「助かる」
「お母様の許可も得られたなら……うふふ、完璧だわ」
負けられない戦いを前に、親父との関係などどうでもいい。
しかしまぁ、数多の食べ物を盗られた恨み。晴らすのはとても気持ちがいいだろう。
直人は晴明を倒した後、ついでに親父も叩きのめすことに決めた。




