6. 巡航部
翌朝。朝食をとり終えた頃、悠紀羽邸へ電話があった。
「水無瀬さーん。お電話でーす」
女中に言われ、直人は受話器を握る。
誰だろうか。そもそも俺が悠紀羽邸に逗留していることを知っている人間とは……?
「はい。水無瀬です」
「私だ。鳴滝だ」
「教官! どうしたんですか?」
「私は一足先に神楽坂に戻ってきたんだ。今は学校に泊まっている。今朝は見回りと思って学校を一回りしたんだが、巡航部の部室に行ったら知らない男が寝ていたんだ」
「あー……、それはまぁその、そうですね。追っ払っておきます」
「黒板に『水無瀬直人の父です』って書いてあったんだが」
「あー……いや、俺の父かどうかはまだわかりませんよ。確認が取れるまで近寄らないでください」
「率直に言って不法侵入なんだが、妙に生活感があってな……あ!」
「どうしました!?」
「大荷物を持って校門に向かっている」
「相手は不審者ですからね。無暗に追わないでくださいよ!」
「それだと私が当直している意味がないんだが。まぁあれは貴様のお父う――」
「教官は怪我してるんで仕方ないですよ! もしそいつが戻ってきたら教えて下さい! 俺が殺しておきます!」
「そうか……できれば戻ってこないようにしてほしいんだが」
「父親とかよくわかんないんですけど! 通りすがりだと思うんで大丈夫っす!」
「……このことは貴様に任せた」
「了解です」
よし。なんとか誤魔化せたな。
あんな見た目不審者な男が実父であるなどと知られるのは恥ずかしい。
おまけに不法滞在していたなどと、バレたらやっかいだ。
「私は今日悠紀羽家に行く」
「え、教官が来るんですか?」
「ああ。雅楽川少将が貴様についての話を聞きたいと仰るのでな」
「それって教官が立川行くんじゃだめなんですか?」
「民間施設を使った方がGHQへのカモフラージュになっていいそうだ」
「じゃあ予科でもいいですよね」
「そうは思う。大したもてなしもできないことを嫌ったのかもしれないが」
「それはみなものお父さんに言った方がいいですよね」
「そうだな。悠紀羽のお父上に代わってくれ」
「はい。創真さん呼んで下さい!」
近くで控えていた女中に言い、創真を連れてきてもらう。
泉澄と京香が来ることを伝えられて、創真はだいぶ驚いたようだった。
それから昼過ぎ、直人とみなもの案内で、泉澄と京香が悠紀羽邸に足を踏み入れる。
「いや急な話で済まないね悠紀羽君」
「問題ありません。雅楽川少将。客間を準備してあります」
「それはいい。死ぬ前に一度、君の家を見てみたかったんだ」
「はぁ……どうぞこちらへ」
「初めまして、悠紀羽少将閣下。私は鳴滝中尉です。お邪魔いたします」
「みなもの担任だそうだね。娘がお世話になっている」
「はい。今日は急な連絡となり申し訳ありません。気持ちばかりではありますが、菓子折りを用意しました」
「ああ。佳子さん」
「確かに、頂戴いたしました」
女中が菓子折りを受け取り、泉澄と京香が家の奥へ入っていく。
二人を客間に案内すると、家主であるはずの創真だけが退室してくるのが、なんだか違和感がある。
一時間ほどした後、直人が呼び出された。
客間に行ってみると、部屋の前で泉澄に声をかけられる。
「水無瀬君。早衛の改造が、本日中に完了する」
「おお! では明日から」
「明日九時から作戦説明を行う。その後君は早衛を受領し、各務ヶ原へ飛んでもらう」
「各務ヶ原。何故です?」
「ロケットの噴射ノズルの製造を行っているからだ。立川には高温に耐えるような部品を作る設備がなくてね」
「今日中に持ってこれないんですか?」
「それも完成は今夜だそうだ。だったら明日君がそっちに行って、取り付けて戻ってくる方が早い」
「なるほど」
「なんにせよ。明日九時前に立川飛行場に来ることだ」
「わかりました」
それだけ言って、泉澄は悠紀羽邸の玄関へ去っていった。
残された直人に京香が話しかける。
「水無瀬。ちょっといいか」
「はい」
「話がしたい」
「わかりました」
直人に続いて、みなもも客間に入ってくる。
「教官、私も……」
「構わないさ。貴様の家だからな」
「ありがとうございます」
そう言ってみなもは直人の隣に座る。
「雅楽川少将から話は聞いた。水無瀬。大変なことになったな」
「はい」
「もうなんと言っていいか……この国の命運は貴様にかかっている」
「大丈夫です。この国は俺が守ります」
「そうだな。……雅楽川少将には、私からの貴様の評価を伝えておいた」
「え、どんな感じですか!?」
「貴様の腕は入学時点で空軍の中堅レベルに相当した。だが今やエースの領域に手をかけている」
「おお。ありがとうございます」
「嘘偽りのない本心だ。貴様と改良した愛機なら、あるいは勝てるのではと思ってしまう」
「当然です。必ず勝利の報告をしますよ」
「貴様のその自信はどっから来るんだろうな……」
京香は泣きそうな顔で笑って言った。
「え? いやだって、今までだって勝ってきたでしょう俺」
「今度の敵は今までとはわけが違う。安倍大将閣下だ。いやもう大将閣下はいらないな」
「知ってますよ。でも気合でなんとかします」
「ふふ。馬鹿な奴だと思っていたが、変わらんな貴様は」
「励ましに来たんじゃないんですか!?」
「貴様が負けても、我々は魅乗りになるだけだ。死ぬわけじゃない」
「いやそれだって嫌でしょう」
「まぁ……な。そんなものを背負って戦わないとならないとは、どれだけの不安があるというのだ」
「いやー、不安っちゃ不安ですけど、戦いなんていつもそうですし」
「貴様は命を懸けて戦うのだ。しかも、逃げても良いとさえ言ってやれない。なんで、貴様なんだろうな」
京香は指を目元に当てた。
「きょ、教官! 大丈夫ですって! 普通に考えて日本人が全員魅乗りになるとかあり得ないじゃないっすか! なんとかなりますよ」
「ふふ。貴様は戦闘における本能的な知性は極めて高かったな。私が頼りにしていたのは常に貴様だった」
「俺も教官のことを一番尊敬してます! 教官に空戦を教われてよかった」
「世界史も教えたんだがな。ま、貴様はたまに寝ていたな」
「いや、まぁその、許してください」
「いいさ。晴明を倒したら帳消しだ」
「テストも免除でお願いします」
「それは無理だ」
「いいでしょそんくらい!」
「はは。貴様とはいろいろあったな。ノックもせずに入ってきた時は、背中を任せるのが不安になったものだ」
「え? どこでそんなことを?」
みなもが驚いたように問う。
「宿直室だ。私が泊まっていた」
「何か失礼があったんじゃ」
「着替え途中ではあった。だが、説教したら次からはマシになった」
「はぁ。私からも言って聞かせます」
「俺は子供かよ」
「不安で震えるとか、そういうことがなくて安心した」
「直人はその点は大丈夫です」
「その勇気には感服する」
京香はテーブルの上のお茶を口に含んだ。
「そういえば、久世と間宮が飛べるようになったぞ」
「え、ほんとですか!?」
「ああ。まぁ荷物を持たせると危ないから、輸送は専ら玉里がやっているが」
「今巡航部がこっちにいるんですね」
「長野と帝都を往復しているわけだが、もう何度かこっちに来るだろう」
「なるほど」
「では、私は帰るとしよう」
「学校に行くんですよね」
「そうだが」
「じゃあ俺達も行きます」
「巡航部の様子を見に来るのか」
「はい。外で待っててください」
「ああ。わかった」
直人とみなもは制服に着替えるべく、一旦自室に戻る。
「直人。さっき教官の着替え覗いたって話、わざとじゃないでしょうね!」
「んなわけねーだろ! 緊急時だったんだぜ?」
「はぁ。いろいろと教えないといけないわね。妻として」
「余計なお世話だ!」
神楽坂予科は悠紀羽から電車に乗って三十分ほど。
そこから部室の掃除などして待っていると、発動機音が聞こえてくる。
「来たか」
直人とみなもは校庭に出て、巡航部を出迎えた。
最初に着陸したのは茜だった。
木のコンテナを地面に置くと、憑依を解く。
「みなもに直人君。どうしたの?」
「お前達が来るってきいてな、様子を見に来た」
それに続いて、健児と亮太も着陸態勢に入る。
ドスンという音が聞こえる、不格好な着陸だった。
しかしそれでも、飛べていて着陸もできたのは間違いない。
訓練生は御佐機の脚を壊す事が多い。
そもそも精霊機の損失理由として、着陸時の事故は無視できない割合を占めている。
その点、零精は失速速度が遅く機体が軽い割に脚が強いため非常に着陸しやすい。
操縦のしやすさもあって、とても訓練向きだ。
「飛べるようになったんだな」
「ふはは。才能は隠しきれんな」
「おう。まだ飛んでるだけだがな」
「畑仕事すらできなかった頃を思い出すと、感慨深いな」
「茜。物資輸送お疲れ様。手伝えなくてごめんなさい」
「いいよ。お手伝いそんなに大変じゃないよ」
「手伝いっていうか殆ど俺達が運んでるだろ」
「俺達っていうか玉里がな」
「いや、俺達も地上では手伝ってるから」
「そういや直人と悠紀羽は今何をしてるんだ?」
「え、あーそうだな」
そういやこいつら頭上の匪願が見えてないんだよな。
説明するとややこしいな……。
「こないだ魅乗りと戦った時、機体が壊れちゃったのよ。もう少しで直るんだけど」
「それって帝都に来てから?」
「そうね」
「それで玉里は無傷だったのかよ」
「ああ」
「玉里すげぇな」
若干苦しい嘘だったが、亮太はそれ以上追及してこなかった。
「とりあえずコンテナ運んじゃうね」
そう言って茜は御佐機に憑依し、コンテナを校舎の傍まで持って運ぶ。
既に校舎の傍には大量のコンテナが並べられており、ものによっては防水シートがかけられている。
「わかってたことだが、手伝えることないな」
「御佐機がないとね」
「俺達も、二人で一つくらい持てたらよかったんだが、教官に禁止されてるんだ」
「そっちの方が危なそうだからな。つまりお前らが茜と一緒に飛んでるのは練習のためか」
「あと護衛」
「されてる」
「荷物はあとどのくらいある?」
「多分明日には終わるぞ」
「今日はあと一往復かな」
「そうか」
明日はみなもだけでも手伝わせるか? でもみなもは嫌がるだろうな。
だったらいっそ茜にこっち来てもらうか。引っ越しは明日までに終わらせないといけないわけでもないだろうし。
その後茜達は疎開先とのもう一往復をこなし、時間も夕方となる。
その間に直人は、みなもに明日の各務ヶ原への飛行に茜も誘うよう伝えておいた。
「おい直人銭湯行こう」
憑依を解いた健児が直人を誘う。
「銭湯? 確かに汗かいたな」
「え……私の家お風呂あるんだけど」
「私も」
「なんだよお前らブルジュワかよ」
「家に風呂があっても銭湯もいいもんだと思うがな」
「銭湯というのはな、魂すら浄化するフロンティアなのさ」
「んじゃ行くか」
「はぁ。私達も行きましょ」
「銭湯ってこの辺りにあったっけ」
「今日行くのは新しくできたやつだ」
「ふーん。新しいのはいいことね」
「地脈から湧き出すマナをもらうとしよう」
「水虫とかもらいそう」
お茶の水に新しくできた銭湯は木造ながら茶色を基調としたモダンな雰囲気で新鮮だった。
当たり前の話だが、銭湯は男湯と女湯で別れているため、男女で行く意味はあまりない気がする。
脱衣所で下着まで脱いで籠に入れると、健児が驚いたような声を出す。
「直人……黒人のくらいあるじゃないか!」
「は? ああ。黒人の見たことあるのか?」
「ない。イメージだ」
「イメージで言ったら白人もでかそうだよな」
「奴らはしょせん見かけ倒し。大事なのは膨張率よ」
亮太が知った風に答える。
「白人の知ってるのか?」
「知らん」
そして三人は浴室へと足を踏み入れた。
新しいだけあって、木材の香りが残っている。
三人はシャワーで汗を流すと、縦一列になって前の人間の背中を擦る。
適当に洗ったら反転してもう一人擦る。
「おい健児全然泡立たないんだが」
「最近洗ってなかったからな」
「それ先に言えよ……」
「言ってどうなる」
「洗わない」
「言わんくて正解だったな」
「ふざけんなよ」
直人は健児の背中を叩き、終わりにする。
「さて入るか」
湯加減は丁度いい感じだった。
時間が早いからか、三人以外の客は殆どいない。
「銭湯で女湯覗くとか雑誌じゃ見るけど、実際のところ無理だよな」
「渚が言ってたんだが、頑張ればいけそうなところはあるらしい」
亮太が切り出した話題に、健児が応じる。
「どうやるんだ」
「下の方は柵で仕切られてるだけだから牛乳ビン持ち込んで覗く」
「ここじゃ無理だな。できても向こうからバレそうだ」
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ……」
「そんなことせずとも、混浴風呂というものがあるそうじゃないか」
「あれは水着を着て入るものじゃないのか」
「日本も昔は混浴が普通だったらしいけどな」
「マジか。文明開化は失敗だったな」
「あとはまぁー、銭湯に百円札持ってきてお釣り貰う間に更衣室覗くくらいか? まぁここは構造上無理だけどな」
「苦しいところだな。壁一枚隔てるだけだというのに」
「人はエデンに行く術を失ってしまった……」
「そういえば、この後飯はどうだ」
「俺はアテがある」
「どこだよ」
「みなもの家」
「なんだそりゃ」
「いずれバレるから言うけど、俺は今悠紀羽家に居候してるんだよ」
「はぁ!? なにそれどういうこと?」
「直人! どういうことだ!」
「みなもが泊まっていけって言うから。飯も出てくる」
「お、お、お、お前……展開早くね!?」
「いろいろあったんだよ」
「いいいいいろいろぉ?!」
「落ち着け亮。悠紀羽のことが好きだったのか?」
「そういうことじゃねぇよ! この脳筋がぁ!」
「ふん。俺は野球に御佐機と忙しいのでな」
「お前のことはいい! 直人お前どこまで……いや、やっぱいいや」
亮太は急にトーンダウンして、それ以上追及してこなかった。
直人もそれ以上の説明が面倒くさいので、湯船から出て脱衣所に向かった。
秋葉原駅で茜と別れ、飯田橋駅で健児と亮太が降りていく。
「彼らに私達のこと話したの?」
「お前の家に居候しているということは」
「そう。そういえば明日、茜も来るって」
「そいつはいい。模擬空戦の相手になる」
「ロケットを付けたら、立川に戻るのよね」
「その予定だな。とりあえずは各務ヶ原まで一緒に来てくれ。何があるかわからん」
「そうするわ」
直人とみなもは悠紀羽邸に戻り、女中の佳子さんが用意してくれていた夕食を食べる。
みなもは一緒に寝るというのは自重したようで、直人は落ち着いて眠ることができた。
Tips:常世
人間を魅乗りに変えてしまう結界。人工的に生み出された魅乗りには思想を植え付けることが可能なため、特定の思想を持った魅乗りを生み出すことができる。