9. 黒金を追って
大きな巻積雲が浮かんでいる空を十機ほどの御佐機が飛行している。うち一機は直人。その他も早衛に憑依する直人の仲間である。
黒金と同型の御佐機を持つ者達が感知できる黒金の気配を追って直人達は各地を移動し、遂に追撃に成功していた。
黒金の気配は分かるが具体的な距離までは分からない。だが空戦の勝敗は見張りで決まるとは魔導士の鉄則であり、気配が遠くとも索敵は絶対に怠ってはならない。
うろこ雲とは秋の季語だったか。周囲を見渡しつつそんなことを考えていた直人の耳に仲間の声が聞こえてきた。
「目標発見! 高度約六千!」
「どっちだ!」
「右舷下方、雲の切れ間!」
「あれか」
「よく見つけた!」
「距離は、一万くらいか?」
右側下方の雲の切れ間を見た直人も見つけた。黒い機影。逆光などがそう見せるのではなく、本当に黒い機体。
御佐機に憑依した魔導士が肉眼で御佐機を視認できる距離の限界は一万五千メートルと言われている。今は日中とはいえ雲が多く、一万メートル先の敵機を発見できたのは上出来と言える。
「よし直人。指揮を頼むぞ」
「頼むぜ隊長!」
「これより緩降下。雲に入り接近する。俺に続け。ただし気付かれていると思え。黒金も俺達の気配を察知している可能性がある」
「てかまぁ、そんな気がするよな」
「了解」
僚機の返答を聞き、直人は進路を変更した。
直人が隊長を任されているのは、ただ単に一番空戦が上手いからという理由に過ぎない。そもそも直人達の中で指揮官教育を受けた者などいない。
一応、極秘の実験部隊とはいえ軍の一部隊に属するのだから階級は無いと困るということで、魔導士としては最下位である上等兵の階級を与えられていた。
それとは別に、相川隊長を初めとする数人の年長者は伍長という階級を与えられ、訓練の際には小隊長として指揮監督を任されていた。
しかし教官や伍長は皆死んだか行方不明であり、かと言っててんでバラバラに戦うわけにもいかないので直人が隊長を務めている。直人自身も正直に言って『いないよりはマシ』程度だと自負していた。
「よう直人、景気付けに一句読んでくれよ!」
「やめとけ。センスの無い直人の俳句なんて隊伍を乱す」
「侘び寂びを感じろ純也」
「じゃあ一句読んでくれよ」
ふむ。と直人は少し考え、浮かんだ詩を声に乗せる。
「秋の雲、人も眺めぬ、黒い花、盛りを過ぎて、今ぞ散りなむ」
「うーん?」
「どういうことだ?」
「情景を浮かべろ! 想像力の欠如だぞ!」
「黒金が花って柄かよ」
「秋の雲には何の意味が?」
「取ってつけた季語だろ」
仲間達の批評を聞きつつ、直人は後ろを振り返る。雲の中でありながら、編隊に乱れは見られない。
短い者でも一年は所属した早衛部隊の訓練により、実戦に耐える技量は獲得できていると信じる。ならば連携でもって仕留め得る。
高度六千か……微妙な高度だな。雲に蓋をされているというのは戦いにくいものだが。雲に入って隠れつつ一撃離脱をするつもりか?
「松本隊は目標上千メートルに占位。任意に攻撃」
「了解」
「俺の隊と滝沢隊は俺に続け」
雲から出た。黒金が五千メートル先を飛行している。ただそれとは別にもう二機が黒金の上方から接近していた。
「……魅乗りがいるな」
「黒金の犠牲者か」
黒金と飛行している機体など、魅乗り以外にありえない。
「やっこさん気付いてるかな」
「行くぞ。隊長機より全機。妖怪退治だ」
「応!」
敵機三。優位高度。
黒金。遠間から見た容姿からそう呼ばれるようになった忌むべき存在。奴は未だ戦闘機動に入っていない。その代わり二機の御佐機がこちらに迫っている。距離は既に二千を切った。
「疾風か!?」
「なんかちょっと違うな」
その御佐機は旧陸軍の疾風に比べると若干胴が太く見える。また、翼の形も多少異なる。
「もしかしてあれが紫電か!?」
「直人どうする!?」
直人達の前に姿を現したのは、旧海軍において実質的な零精の後継機となった『紫電』である。赤黒く変色してしまっているが、もともとは緑に塗装された機体だ。
生産開始は四三年。量産当初は不具合が多く、乗りにくいと言われる御佐機であった。しかも新型の発動機が初期不良を起こしており、運転制限のためカタログスペックが発揮できず、あまり評判は宜しくない。というのが直人の持つ知識だった。
しかし実はその後大幅な改良が加えられ、最早別物と化した新型の生産が始まっているのだが、前線配備が始まった段階で停戦を迎えてしまい、知名度が低い。よって直人達は知る由も無かった。
「紫電は鈍重だって噂だ。旋回も零精以下。無視して黒金を狙う!」
「了解!」
直人は太刀を右上段に構えた。二番機も同様。もしヘッドオンをしてくるようなら防御だけ行い、攻撃直後の魅乗りを後続の味方が叩き斬る。避けていくようならそのまま無視する。
果たして、紫電は目の前で旋回を始めた。紫電は鈍重。その認識が致命的に間違っていた事を直人達は思い知らされた。
やや降下気味に旋回した紫電は、極めて鋭い旋回を行い、直人達の後ろについた。
「は?」
短く疑問の言葉を出した三番機が紫電に一刀を貰い、大破した。発動機から腰の翼にかけて破壊する完璧な一刀。
直人は反射的に緩降下に入った。見れば僚機もついてきている。
「何だ今の!?」
無線から声が聞こえるが、直人も同じ気持ちだった。
今の旋回。短い旋回半径から低い翼面加重が伺える。更にはあのような高速旋回ができるということは翼の剛性も十分。だがそれだけか? それだけで今の旋回が可能か?
もしかして魅乗りにされた魔導士の技量が……直人の背中に寒気が這い上がってくる。
「また会ったな、早衛ども」
それをあざ笑うかのように無線から声が聞こえた。相川隊長の声。黒金である。直人は挑発的に応答する。
「言い残したいことがあれば聞いてやるよ。黒金。お前は一体なんだ? 何が望みだ」
「ふっ。黒金とは俺のあだ名か。確かに我ら神とは常に異なる名前で呼ばれるものだ」
「神だと?」
「俺は禍津日神」
何だそれはと問い返したい思いに一瞬駆られたが、そもそもこれは罠のつもりで会話に応じたのである。
直人は後方を確認する。二、三百メートル後ろに紫電がいるが、撃ってくる様子は無い。最高速度はこちらが上。
同じく後方を確認した二番機が再度太刀を右上段に構える。
「俺がやる」
無線からの声に直人は答えず、進路を少しずらす。二番機は一直線に黒金へと突っ込んでいく。
一機の早衛が黒金とのヘッドオンに入ろうとしていた。黒金は脇構え、早衛は右上段に構える。だがその早衛の構えは言わば欺瞞。本命は翼下の四十ミリ機関砲。これこそが直人達が対黒金用に用意した切り札だった。
市ヶ谷機関では四十ミリ以上の口径のものは機関砲と呼称している。その理由として御佐機が装備できる航空機関銃の最大口径が四十ミリ未満だと考えられているからだと、直人が尋ねた教官は答えてくれた。それ以上となると大きすぎる上、反動や精度の観点からも実用的でないとも。
今直人の仲間数名が装備している四十ミリ機関砲も、砲とは言うものの砲弾ではなく小型のロケット弾を射出する特殊なものである。これにより口径の割に軽量で少ない反動を実現しているものの、砲口初速が非常に遅く、精度も悪いという欠点を持つ。しかも一門あたりたった十発しか積めないため、撃ち切るまでに二秒とかからない。
ただ今回に限ってはこれらの欠点は問題にならない。攻撃目標は黒金ただ一機。よって一度に全弾撃ち切ってしまって構わない。
射程についても、ヘッドオンに持ち込み太刀打ちするかの如き至近距離から撃ち込む。
低速ゆえ貫通力は大したことないが、翼部に当たれば撃墜は確実。頭部、肩部でも当たれば昏倒が狙える。もし可能ならば、黒金が怯んだ隙に太刀を浴びせる。
要するに当たりさえすれば飛行能力の低下、或いは一時的な戦闘能力の低下のどちらかは確実と言えるので、そうなれば後は袋叩きにできるという目算だった。
両者はぐんぐん距離を詰める。必中距離まで引きつけて四十ミリを放つという手筈。直人と四番機が両側を固める。
両者の距離が百メートルを切った。今こそ――。
早衛の首が跳ね飛んだ。
何が起きたのか。黒金は既に早衛とすれ違った後で、黒金の太刀の位置からも明らか。黒金の急な加速に反応できず、すれ違う瞬間に斬り上げを食らったのだ。
ジャトーの存在は知っている。だがあそこまで異常な機動ができるというのか!
黒金は腰部から二本の赤い筋を放ちながら加速。凄まじいスピードで旋回していた。
「速過ぎて照準できない!」
「見越しを大きく取れ! 発動機さえ破壊すれば!」
やや狼狽したかのような声が無線から聞こえてくる。
落ち着け。作戦に変更は無い。奴の加速が正面からだと捉え難いというのなら、その前提で行動する。
黒金と交戦中の早衛部隊は更に二つに分かれていた。うち直人が属していない方に黒金が迫る。
「裕治行ったぞ!」
「三百だ! 三百で撃っていい!」
直人の言葉が聞こえたかどうかは不明だが、その早衛は丁度そのくらいの距離で発砲を開始した。
だが、当たらなかった。
横滑りでかわした!? 直人が驚愕したのと同時、今度は左下に潜り込んだ黒金の太刀が早衛の頭部に直撃した。断末魔すらなく早衛が落下していく。
それとは別に雲の上からも通信が入った。
「魅乗りと交戦中!」
「どこだ!」
「雲の影に一機いやがった」
魅乗りは全部で三機か……。黒金が高度を上げようとしないのは、実用上昇高度が六千メートル程度の精霊機と連携するためか。
「禍津日神。人を魅乗りに変えて何がしたい。妖怪帝国でも作るつもりか?」
「当たらずとも遠からず。だがその前にまず大殺界を創り、醜いこの世界を一掃せねばならぬ」
「録でもねぇってことは分かった」
黒金に対し二機の早衛が攻撃に入ろうとしていた。
「俺がやる!」
やや上方に位置取った早衛が太刀を構え突っ込んでいく。だがヘッドオンとはならなかった。黒金は機首引き起こし垂直に近い上昇に入っていた。早衛が三十ミリを発砲するが、黒金の腹部に数発が当たって弾かれる。
早衛はそのまま黒金を追って縦の旋回に入るが、その背後に紫電が迫る。
「後ろにいるぞ! 降下しろ!」
直人の言葉を聞いた早衛は慌てて横転し旋回に入ろうとするが、その曲がり際を斬撃され、墜落する。
更にその後ろの紫電が別の早衛に狙いを定める。
「降下して引き離せ! 俺がやる!」
別の早衛が援護に入ろうとすると紫電は即座に察知して旋回に入った。
「四十ミリが重くて追いつけねぇ!」
早衛はすぐに紫電の旋回の外側に放り出され、片や紫電は上昇に転じる。
こいつら……フラップ旋回してやがる! もしかしてエース部隊か!?
御佐機が旋回する際に、離着陸に使用するフラップを使うと急旋回できることは一般的な知識だ。だが機体の速度が速すぎる状態でフラップを下げるとフラップが吹き飛んでしまい、逆に速度が不十分な状態でフラップを下げると旋回途中で失速、すなわち制御不能に陥るという危険がある。
また緊迫した実戦の最中に、その時の速度や旋回半径に対する最適なフラップ操作を行というのは一朝一夕で身につくものではなく、十分な訓練と実戦経験を経たベテランにのみ許された一種の神業と呼べる技能である。
実際筋が良いと言われた直人も、未だフラップの扱いには自信が無い。
そんな中、簡便な装置が勝手に速度を検知して、自動的に適切な角度にフラップを下げるという装置が開発され、紫電には装備されていた。これを『自動空戦フラップ』という。
御佐機を手足のように扱うベテランの操作には及ばないものの、新米魔導士でもある程度フラップを生かして旋回することができる代物だった。
紫電は同世代機の中では比較的低い翼面加重に加えこの自動空戦フラップを装備することで、零精に迫る旋回性能を実現していた。
だが勿論直人達はそんなこと知るわけがないのであり、敵は手練れの魔導士であると判断することになる。
「全機、四十ミリを投棄しろ!」
「せっかく持って来たのにか!?」
「機体を軽くして上昇しろ!」
「了解!」
直人は指示を出す。はっきり言って四十ミリは通用しない。ならもう固執すべきではない。
紫電から先に落すべきかとも思ったが、どうやら魅乗りは相当な手練れらしい。訓練生程度の俺達が楽に勝てる相手ではない。ならば無視するのが上策。
日本の量産機は高高度性能が低い。高度七千を超えれば紫電はついてこれない!
だがそれは叶わなかった。上空にいるはずの僚機から通信が入る。
「俊平と孝がやられちまった! 降下する!」
「四十ミリは捨てたか!?」
「捨てた!」
「なら上昇しろ! 向こうはターボチャージャーが無い!」
直人がそう言い終わるのと同時、雲から二機の早衛が飛び出してきた。上空での戦いに敗れたのだ。四対一で。
上空で待機するはずの四人は早衛部隊の中では日が浅く技量拙劣な者達であったが、こうもあっさり上空を取られるとは。やはり敵の魅乗りは相当な猛者なのか。
「う、後ろにつかれた! 助けてくれ!」
「上にも紫電が……昇れない!」
「采配を……隊長! 采配を!」
「落ち着け! 作戦変更! ここで仕留める! 黒金だけを狙え!」
部隊間に狼狽の色が広がってきたのを直人は察知していた。かく言う直人も焦り覚えている。
俺達の技量で上下に挟まれた状態から優位高度を取り返すのは無理だ。だが数はまだこちらの方が多い!
「神かなんだか知らないが、押し包んで討ち取れぬはずがない!」
「そうだ! 奴さえ仕留めれば魅乗りなんざどうとでもなる!」
「一気に行くぞ! かかれ!」
「よ、よし!」
直人の声もあってかなんとか士気崩壊は防ぐことができた。
そして直人も黒金に攻撃をしかけることにした。今までは隊長という立場もあって戦況の俯瞰を優先していたが、黒金のみを狙うと決めたのならその必要性は下がる。
ただ結局直人は戦果を上げることができず、早衛達は戦力を減らしていった。
「後ろにつかれた」
「待て、そっちに曲がるな!」
「なっ」
横転し進行方向を変えた黒金の横一閃が早衛を両断する。
「ま、雅弘!」
「おい前だ前!」
「え、あ、うわぁぁぁぁぁぁぁ」
また一人、魅乗りの太刀に頭を叩き潰されて死んだ。
紫電が……強い! 量産機のくせに!
御佐機なんて乗り手次第。教官の言葉が頭を過ぎり、直人の胃に冷たいものが流れ落ちる。眼前の紫電の縦翼には『ヨ‐105』という番号が描かれているが、それが何か有益な情報をもたらしてくれるわけでもない。
次の犠牲者は黒金に発動機を破壊され、墜落したところを下方の紫電に待ち構えていたかのように斬殺された。
味方は……六機? 俺の指示で何人死んだ? 俺に隊長なんて……相川隊長みたいには……。
直人はこの辺りからは記憶が曖昧でよく覚えてない。パニックに陥っていたのだ。或いは、夢だ……と頭の中で自分に言い聞かせるもう一人の自分を感じていた。
これは夢なんだろう。何故ならこんなことが起こるはずないからだ。目が覚めたら……何もかも忘れているに違いない。夢だと考えれば納得がいく。
「今はもう勝ち目が無い! 仕切り直す必要がある!」
不意に耳に入ってきた無線通信で直人は我に返った。直人に辛うじて残された理性と責任感が思考を現実に引き戻す。
「分かった! 全機離脱せよ!」
この時残っているのは四機。うち一機は被弾しており、二機の紫電がハゲ鷹のように襲いつつある。一方黒金はこちらに向かってきている。情勢はこれが全て。魅乗りと化した紫電は一機だけ墜落したらしい。
思えば、覚悟が足りなかったのかもしれない。
黒金を倒して生還できる。少なくとも俺はそう考えていたし、皆も同じだったのではないか。
今回に限っては間違っていた。初めから刺し違える気で臨むべきだったのだ。自らを神だと名乗る尋常ならざる相手に、普通の戦いに赴くような気持ちで臨むべきではなかった!
不意に舌打ちが聞こえ、直人の隣を飛んでいた早衛が翼を翻した。
「おい! よせ!」
「俺一人残っても、何もできないからな」
その早衛は黒金と正対するかと見せかけて左下方にやり過ごし、急旋回で黒金の後ろを取ろうとした。これには黒金も対処するしかなく、一対一の旋回戦になった。
両機の機体性能は互角。ただし巴戦は機体性能だけで勝負がつくのではなく、魔導士の技量が大きく影響する。そこが一撃離脱合戦との違い。
更には余剰推力も関係する。黒金はジャトーによって旋回で失った速度を回復できる。故に早衛側は下へ下へと追い詰められる他に無いのだ。
「もう十分だ!純也も急降下しろ!」
「分かったからお前さっさと逃げろよ」
「いやしかし」
「やっぱ直人は馬鹿だなぁ、今一番可能性高いのお前じゃん」
別の僚機からも通信が入る。
「俺達は永眠黒金は安眠なんて嫌だぜ? 誰か生き残らにゃ」
直人とて分かっていた。かかる情勢、逆転の可能性など一縷も無いことを。
直人は視界を正面に戻した。機体剛性を生かした急降下はすぐさま時速八百キロを超え、機体の制御が不可能になってしまう一歩手前で機体を引き起こす。
黒金は追ってこなかった。仲間が命と引き換えに引きつけてくれている。
「頼む直人……仇、討ってくれよな」
それが最後の通信だった。
「一人で逃げてきたことを、恥だと思っている。だから俺は黒金を仕留める。俺が倒せば仲間は無駄死にじゃない。共同撃墜だ。黒金という厄災を倒した、早衛部隊には意味がある!」
直人は語気を強めて締めくくった。それが直人の戦いの根幹だからだ。
「亡くなった貴方の仲間に黙祷するわ」
みなもと茜はしばし目を閉じ、哀悼の意を捧げた。
「ありがとう。巻き込みたくなかったから黙ってたんだが、まぁこうして他の人に知ってもらえると皆喜ぶと思う」
「じゃあさ、早衛部隊に入る前はどうしていたの?」
茜の言葉にみなもが、それ聞いて大丈夫なの、とでも言いたげに直人を見る。
「普通だったぞ。俺の家は田舎の剣術道場だった。流派は剣法水無瀬流。親父が師範だった」
「剣術道場。なるほど」
みなもがまたも納得したように頷く。
「へぇー、じゃあ私と同じだね」
茜がにっこり笑う。
「貴方の動きはその水無瀬流によるものよね」
「どんな剣法なの?」
頷く直人に茜が問う。
「水無瀬流は隠流から派生した流派らしい」
隠流は神道流、念流と並んで剣術三源流に数えられる著名な流派で、武芸に携わるものならその概略は知っている。
勿論水無瀬流は隠流の系譜に属するというだけで別物である。水無瀬流もまた直人の祖先が先師の教えに飽き足らなくなり、己の工夫を加えた結果生じたもの。体系も異なれば教え方や重きも異なる。もっとも直人は隠流から派生した他の流派を学んだことはないので、どう違うのかは知らないが。
「もともと田舎剣法ではあったんだが、大陸での戦争が始まって、若い男が減って、門下生も減った。まぁ戦争が無くてもそのうちどっかの大手に吸収されたろう。と、親父は言ってた」
武芸の流派には淘汰もまた存在する。明治維新後はかつての分派乱立は音沙汰止みとなり、マイナーな流派は再び派生元に吸収される傾向にある。
「俺が小学校を卒業する直前、遂に道場が潰れてな。半年ほど畑耕してたら借金のカタに、軍隊、というか市ヶ谷に売られたわけだ」
「ええ……」
みなもも茜も戸惑っていた。
「……さっき実験部隊って言っていたけれど、市ヶ谷は悪い噂も多いわよね……。神楽坂に入っておいて何だけど」
「それはここ半年ほどの話だろ。当時は特に聞かなかったな。確かに実験という話は聞かされてたが、別に身体を弄られるわけじゃない。衣食住は保障されてるし、勉強も教えてくれるし、給金も出る。しかも魔導士だ。だから実は悪い気はしてなかったんだ。あの日まではな」
軍隊という組織に所属し、御佐機を操縦する上で、無学でいいというわけが無い。直人を初め早衛部隊は貧困層の出身者で構成されていたため、訓練や実験の合間を縫って中学校相当の教育が行われた。
「小学校でてから三年ってことは、同い年なんだね」
指を数えていた茜がにこにこしながら言った。
「二人は中学が一緒なんだよな。中等学校ってのは、どんなところなんだ?」
三人の過去についてあれこれ話していると、既に夕暮れを迎えつつあった。
「ああそうそう。明日はもう一度銀座に行くわよ」
「え、そうなの?」
「当たり前でしょう。今日は何も買えなかったわけだし。水無瀬君も来るでしょう?」
「じゃ行くか」
「決定ね」
こたつのとストーブの火、そして電灯を消し、三人は旧校舎を後にした。