12. 死に体女
まだ昼間であるからか、山小屋には人影が少ない。とりあえず直人達は四人用と思しき半個室に入り、一息つく。
「直人はん。助けて頂いておおきにでした」
正座した詩文が頭を下げる。
「気にするな。言った通り、お前がいないと困るんだ」
「そう言ってもらえて、嬉しゅうです」
「……教官の言っていたことは、本当なんだな」
「はい。直人はん、知ってたんですね」
「俺が知ったのは今日だ。情報部から教わった」
「情報部。けったいな人らがいるもんですなぁ」
「情報を買い取って秘密にしようとしたが、甘かった。八百円も払う約束しちまった」
「八百円……どうしてそこまでしてくれるんです?」
「そりゃお前、戦える奴が三人より四人いた方がいいだろ」
「ほうですか……。じゃぁあてが男でも同じようにしたんやろか」
「うーむ。まぁ女を守るのは男の務めってところはあるが」
「なんか、義務っぽいなぁ」
「嫌なのか」
「別にぃ」
助けてやったにしては詩文は少し不満気だった。
直人としても本音を言えば、家族を失い、反乱軍の関係者として追われる身になり、やっと見つけた新たな居場所も追い出されることになった詩文が可哀そうで見放せなかった。
だが同情している風に言うと詩文が気にするかと思って、言わないでおく。
「でも、女は守るて、直人はんかっこいいですなぁ」
「そうだろう。街に繰り出せば、きっとモテるはずだ」
「取ったらアカンやろか」
詩文が直人の顔をまじまじと見る。その頬は少し紅が差していた。
「何かついてるか?」
「アカンよなぁ。みなもはん怒るやろし。茜はんにも悪い」
「何言ってんだ」
「あて巡航部にいたいねん」
「ああ。いたらいい。俺思ったんだが、教官はお前が学校に出入りすることは禁止してなかったよな。だったら、毎日部室に来ればいい」
「それは屁理屈じゃないやろか」
「俺は教官がいたずらにお前を邪険にしているとは思えないんだよな」
それは詩文を安心させたいという思いからの言葉ではあったが、実際直人は京香への信頼と尊敬を失っていなかった。
「そやなぁ。明らかに怪しいあての入学を認めてくれたわけやし。あの空軍機は偶然かもしれへんですね」
「そうだ。怪しいと言えば……ちょっと外出るか」
直人と詩文は山小屋から出ると、山頂に向かう山道に入る。
キャンプ場にはテント設営や薪を集める人などがいたが、山道を登るひとはまばらだった。
「お前十四歳だったんだな。良かったなぁ。十四歳で」
「ど、どういう意味やねん! 直人はん、あてがみなもはんや茜はんに見劣りするとか思ってたんやな!」
「そうは言わんが、同い年だとは思えなかった」
「せやねん! 身長はしゃぁないにしても、まだまだ成長期なんです!」
「そうだな。今後に期待だ」
「……みなもはん綺麗やし、茜はんは可愛かっこいい。憧れるわぁ」
「なんだその可愛いかっこいいって」
「可愛いとかっこいいが同居してるねん。茜はんそいういうとこないですか?」
直人は茜の「わーい、あーそんで」という発言を思い起こす。
「まぁ、わからなくもない」
「せやろ? せっかくやから聞いときたいんやけど、直人はんはみなもはんと茜はんどっちがええん?」
「どっちがいいとかじゃなねぇ。俺は部長として贔屓はしねぇ」
「はぁー。直人はんはそういうお人やねんなぁ」
詩文はため息をついたが、それ以上は追及してこなかった。
亮太に当てられた時はビビったが、詩文は深堀りしてこないようで直人は安心する。
考えてみれば、あの時の亮もハッタリだった可能性はある。二分の一だし。だとすればしてやられたわけだ。
「……親父さんのこと、本当なのか?」
直人は努めて柔らかい口調で聞く。
「直人はんがどこまで知ってるのかわからへんけど。ほんまや。うちは千年前から朝廷を守る神社の筆頭で、天皇を裏切るなんて選択肢はなかったんです」
詩文は立ち止まって話す。
「統帥権とかあてにはようわからんかったけど、お父さんは市ヶ谷に処刑されてもうた。お母さんは、捕まったきり帰ってこうへん。同じ日本人なのに、なんでそないことするん」
その声は泣いていた。頬にも涙がつたい、手がそれを拭う。
「あては寂しかったんや。長野に来て、友達もおらんし、毎日一人で、何すればええんや」
無意識のうち、直人は詩文を抱きしめていた。頭に手を置いてから状況に気付くが、他にしてやれることは思いつかない。
「直人はん。今だけでええ。傍におって」
「勿論だ。俺は絶対お前を一人にしない。守ってやる」
「それが男の務めだから?」
「そうだ」
「はぁ……いけずやわぁ」
その後三時間ほどかけて、二人は頂上まで行って降りてきた。詩文が登りたいと言ったからだ。
「ええ眺めやなぁ」
「ああ」
「これであても北穂経験者や」
それ以降泣き出しそうな雰囲気はなかったので、直人も一安心して下山する。
夜になると、登山者向けの弁当を買って半個室で食べる。量が少ないので、直人は二つ買っていた。
その間、詩文は様々なことを直人に話した。
京都の花魁のこと。京都御所のこと。好物だという豆大福のこと。御佐機のこと。
「いなり寿司ってあるやろ? あれ、うちの式神が由来やねん」
「稲荷って名前の式神なのか」
「せや。凄く速かったんやで」
「どんな機体だったんだ?」
「強行偵察精霊機の試作機やってん。双子型の液冷発動機積んどった」
「双子型? んなもんあるか」
「ほんまやで。直人はん、見たことないやろ」
「狐も強行偵察する時代か……」
「あ。そこや。お稲荷様はな、狐の神さんじゃないんです」
「そうなのか?」
「稲荷様は穀物の神。狐さんはその眷属や」
「眷属?」
「お使いやな」
「なんで狐なんだ?」
「あても知らんねん。京都の他の神社だと、兎とか、牛とか、猪とかもありますよ」
「干支みたいだな」
「せやなぁ。関係あるのかもしれへんな」
「……そろそろ寝るぞ」
「さよか。あても疲れました」
「明日は朝から様子を見てくる。こんなもんサクッと解決してやる」
「直人はん頭よろしゅうないのに、えらい頼もしいわぁ」
「うるせぇ早く寝ろ」
夜も九時になると、元から薄暗かった山小屋は完全に消灯となり、他の登山客の気配も小さくなる。
直人よりも先に、隣から規則正しい寝息が聞こえてくる。
案外落ち着いてるな。そう思いつつ、直人も眠りについた。
明け方、直人は目が覚める。
なんだ? この何かがはい回るような気配は。しかもたくさん……。
目を開けた直人の目の前に、大きな虫がいた。
蝉か……? いや違うな。見たことのない虫だ。昆虫であることは間違いなさそうだが。
そう思いつつ視線を上に戻した直人は絶句した。天井を虫が埋め尽くしていた。しかもなお増え続けている。
「おい! 起きろ!」
隣で熟睡する詩文の身体を揺する。
それと同時、虫たちが一斉に一か所に集まり、人型になる。そして直人と詩文の枕元にある軍刀を手に取ると、さっと距離を取る。
「安心して寝てももうた……だ、誰なんこん人!?」
そこにいたのは白衣を着た二十代ほどの女。忘れようもない、動死体事件の時に二度、見かけた女だ。
「私の名は立花美保。またの名を死喰虫」
「魅乗りか!」
「私の、勝ちです」
そう言って、美保は走りだす。
「くそ、待て!」
後を追おうとする直人。その前に、刀を持った男の姿があった。
様子がおかしい。目に生気がない。いや、死んでいる。
「ぞんびー」
こいつ動死体か!
「直人はんどうし、きゃっ」
背後の詩文が小さく悲鳴を上げる。
「この山荘は私の僕が包囲しています」
「……お前が殺したのか」
「正確には私の操る死体が、です。動死体は人を殺しその数を増やします」
「その軍刀。置いて逃げるなら今日は見逃してやるよ」
「水無瀬直人。貴方のことは知っています。我らの目的の障害」
「たりめーだ。妖怪ども」
そう言いつつ辺りを見るが、武器になりそうなものはない。目の前の動死体は、無手で倒すしかない。
「私は日々研究を重ねておりまして、遂に人の死体にも小動物の脳を埋め込むことに成功しました。私にかかればただの死体ですら達人になります」
直人は動死体の一挙手一投足に注意を払う。
奴は言った。この辺りの人間を僕にしたと。ならばこの山荘とその周りは敵だらけだと考えるべきだ。
目の前の動死体を倒して終わりではない。何としてでも刀を奪いたい。
徒手にて敵の武器、特に刀を奪う技は古流剣術に散見される。最も有名なのは柳生新陰流の『無刀取り』であろう。同じく新隠流の系統に属する鶴来タイ捨流や剣法水無瀬流にも、同種の技が伝わっている。
勿論新隠流の専売特許ではなく、神道流の御三家に位置する神道悠紀羽流にも同様の技が存在する。
死体が動いた。刀を振りかぶって突進してくる。速いが、動きは素人。
直人は間合いを詰めて、死体の手と柄を抑えにかかる。
――剣法水無瀬流『犬噛』
元は相手の打ちを外したところで間合いを詰めて、相手の手、または柄を押さえ、刀を奪う技だ。だが直人の動体視力と反射神経を以てすれば素人の打ち込みなど見切るに容易い。
刀を振るスペースは無くなった。盗った!
が、動死体の反応はその上を行った。咄嗟に手を引っ込め、一歩下がりつつ刀を振りかぶる。直人の手は空を切った。
速い!
直人が態勢を立て直す前に、死体が斬り込んでくる。こうなってしまうともう型に持ち込む余裕がない。
相手の大振りな斬撃を躱しつつ、後方に下がっていく。背後の確認などしなかったが、詩文にぶつかることはなかった。
死体の放つ突きの軌道を見る。そこは肋骨が邪魔になって深手にならん!
一気に踏み込んだ直人は右わき腹を負傷しつつ、動死体の腕を掴む。そのまま脚を引っ掛けると、蹴り飛ばすように放り投げる。
どちらかというと柔術に近い。いや、術と呼ぶにはおこがましい強引さだった。
「死ねおらぁ!」
刀を奪った直人は跪く死体の首をはねる。喉仏に引っかかった気がするが、腕力で振りぬいた。
犬噛という技は、相手が刀を奪われることを警戒している場合には使うべきではない。犬噛に限った話ではなく、敵の武器を奪うというのは、相手が警戒している場合失敗する公算が高い。
それに加え、『刀を奪われたくない』と思っている相手なら、無理に奪う必要はない。という教えもある。
奪われたくないと考えている段階で、すでに踏み込めなくなっているからだという。斬られなくて済めば、それで十分だという発想だ。
直人はそうした悟りの境地には程遠いが、ともかく警戒心など毛ほども持たない死体が相手だからこそ成功したと言える。
「待て!」
直人の前が数メートル進むと、山荘のロビーに複数の動死体が現れる。
「一対一では倒せませんか。ならば手段を尽くすまで」
ロビーの反対側では、刀を持った動死体に囲まれ震える登山客の姿があった。
「貴方が抵抗するならば、この山荘にいる人間は皆殺しです」
直人は答えない。刀を構えもしない。それを肯定と受け取ったか、動死体が刀を構え突進してきた。
間合いに入る。直人は踏み込みつつ動死体の刀を跳ね上げると、返す刀で首を薙ぐ。
動死体の弱点は知っている。頭を跳ね飛ばせは動かなくなる。
ここにきて初めて、美保の顔が怒りに歪んだ。
「殺せぇ!」
山荘に一般客の悲鳴が木霊する。
人質を顧みない行動。取り乱しすらしない感情。
降参を是としない日本魔導がここにあった。
ガソリンの匂いが鼻につく。同時に赤い光も見える。山荘に火を放ったらしい。
「人間、死すべし」
歩を進めた直人は足元の刀を蹴り飛ばす。
「詩文、使えぇ!」
叫ぶように言って、直人は動死体へ疾走した。
死体相手にこの歩法がどこまで意味があるかわからないが、直人の日々の鍛錬は確実にものを言った。
武装した動死体達は確かに達人とも言うべき反射神経を持っていた。だがそれだけだ。
筋骨隆々で戦闘センスにも長けた人間が初めて刀を持ったら剣客に勝てるか。無論否。
ただの棒振り芸で剣術に勝つことはできない。そのための術であり技法であるのだから。
美保の身体の一部が欠けている。その場所を構成していた虫達は地を這い、宙を飛び、息絶えた登山客の口へと入る。寸刻。再びその身体は活動を開始した。直人と詩文を殺す。そのためだけに。
「死体を操る妖怪。それがお前か」
「私の専門は脳科学でして。虫一匹で死体を操ります」
新たに増えた敵を倒し、少し歪んだ刀を捨てて、別の刀を拾う。
外傷はいくつかあるが、いずれも必要経費であり、軽傷だ。
更に一体倒したところで、一瞬美保に視線と剣先を向ける。動死体が庇うようにその間に入る。その隙に直人は入り口へ移動し、そのドアを蹴破った。
さっと視線を屋外にやる。人影無し。
「詩文外に出ろ!」
直人は動死体達を次々と斬り伏せる。脇に回ろうとする動死体も、詩文が牽制するか、手足か首を跳ね飛ばしていた。
御佐機の技量もそうだが、剣の腕前は更に上々。名家の娘というのは伊達ではない。
見れば山荘から脱出に成功している人間も少しいた。
……少し注意を引いてみるか。
「脳科学とか言ってたな。お前医者だったのか?」
その言葉に、美保の顔は憎悪に染まった。
「知性も教養もない。救いようのない人間の一人」
「何?」
「知りませんか? 医者になるには大学を出ないといけないんですよ」
「……ああ。金がなくて行けなかったのか」
「この国は! 男しか! 大学に行けないんですよ!」
今まで静かな口調で話していた美保が初めて叫ぶ。
「それが、魅乗りになった理由か」
「自決した私が目を覚ました時、魅乗りになっていました」
「じゃあお前も動死体か」
「海外ではレブナントと言います」
美保が動死体と共に歩を進めてきたのを見て、直人と詩文は刀を構える。
「他に手はなかったのか?」
「大学も出てない東洋人なんて、ヨーロッパでも雇いませんよ」
「……そうか」
直人は自ら進み出て、動死体へ仕掛ける。ここまでくればわかっている。動死体の動きにはパターンがある。それがあの魅乗りの剣術への知見のなさが原因なのか、同時に複数を操ることの限界なのかはわからないが、互いに生身なら負けることはない。
動死体を倒した直人は刃こぼれした刀を捨て、新しく刀を拾うと美保へ斬りかかる。
「私そのものに戦闘能力はありません」
「お前は魅乗りだ」
美保の首が跳ね飛ぶ。その切り口から、大量の虫が飛び出してきた。その半分は蝉のような虫だが、それ以外にも害虫と忌み嫌われそうな虫が多種混じっている。
見れば地面に落ちた首も大量の虫へと姿を変え、宙を舞っている。
だが、手に持っていた軍刀は落ちた。直人がそれを拾い上げる間に、再び美保は人間の姿を取る。
「私は貴方達を必ず殺します」
「お前らはやっぱりそれか」
「我ら開闢党の、大殺界で」
そう言って再び大量の虫へと姿を変える。咄嗟に魔力を練る直人だったが、こちらには来ず、飛べるものは空をそれ以外は地を這い、森へ山へ姿を消していった。
「詩文怪我は!?」
「あては平気や。ちょっと擦りむいてもうたけど、直人はんの方が」
「俺もかすり傷ばっかだ」
「よかったです。……直人はんのおかげで助かりました」
「いや、あいつの狙いは俺だった。巻き込んじまったな」
直人は火災に包まれる山荘を見る。
消し止める術はない。強いて言えば御佐機で倒壊させてしまうくらいだが、結果的には何も変わらない。
一応生存者がいないか見て回るが、この火勢だ。動けるものは脱出し、中にいる人は皆死んでいるだろう。
動いていた死体も今やただのモノとなり、火葬されるに任せている。
直人はキャンプ場にあるベンチに腰掛けた。
「死喰虫とか言ったな。何か知ってるか?」
「死体を操ると言われている大妖怪やな」
「名のある妖怪なのか。斬っても死なねぇとか反則だろ」
「あても詳しいことは知らないです。虫の集まりとか気色悪いわぁ」
夜明けと共に襲撃してきた動死体と戦っている間に、太陽は完全に姿を現していた。
「寝る場所もないし、詩文の家に行くか」
「わかりました」
休憩して息を整えた二人は、御佐機に憑依してキャンプ場を後にした。




