9. 二式大艇
直人達は慌てて職員室に駆け込んだ。
職員室にいた京香は、直人を見るなり電話を切る。
「悠紀羽。改めて報告」
「動死体と思しき人影とより大きな人影が多数、本校に向かっています。大きな人影は二メートル半ばほどで金属の外殻に覆われています」
「動死体と何故わかる?」
「私達は以前、青梅や共同溝で動死体を目撃しています。それと同じ動きでした」
「詳しく聞きたいが今はいい。目標は当然ここだろうな」
「進路的に、そう思います」
「今他の教職の方々に避難の準備をしてもらっている。貴様らには迎撃を行ってもらう」
「空からやればすぐケリがつきます」
「いや。水無瀬には上空で待機してもらう」
「何故です!?」
「後で説明する。久世と間宮は銃は撃てるか」
「歩いて射撃するだけなら」
直人が答える。
「よし。久世、間宮は機銃を持って伏せておけ。一機は対地支援。他三機は高度四千で待機。急げ!」
「了解!」
上空待機の理由はまだわからないが、とにかく返事をして職員室から出る。
校庭へ向かうと、既に生徒達が集合、整列しつつあった。その向こうにあるガレージから、装甲車両が一両進み出てくる。三式砲戦車『ホニⅢ』である。
ホニⅢの車体後部からはワイヤーが伸び、ピンと張ったその反対側からは八九式中戦車『イ号』が姿を現した。
二両は一旦停車すると、ツナギの男子生徒達がワイヤーを取り外す。
ワイヤーはそのまま放置され、ホニⅢの戦闘室後部から上半身を出していた生徒がハッチを閉めると、ホニⅢは増速。イ号もそれに続き、二両は校庭から出ていった。
「あいつら出撃するつもりかよ」
「私達も行きましょう」
「よし。詩文が対地支援。みなも茜は俺と来い」
直人達は一斉に御佐機へ憑依し、離陸してく。空はやや暗くなっていた。
「各機、聞こえるか」
「感度良好」
京香の声に返事をする。
「久世と間宮は校庭の外の稜線で伏せろ。自由射撃を許可」
「教官。自動車部の連中が戦車で出ていきました」
「ああ。ここからも確認した。……配置変更。全員四千まで上がれ。四機は北を十二時として時計回りに二十度ずつ別れ飛行しろ」
「了解。俺が十二時。四番機が八十度方向だ。……教官は、例の番の疾風を警戒しているんですね?」
「そうだ。敵が空中戦力を持っていた場合、初動の遅れが致命的になる」
「地上は彼らだけで大丈夫でしょうか」
「わからん。無理そうなら貴様らに戻ってきてもらうしかない。イ号なんて骨董品よく動かしたな自動車部は」
「弾あるんでしょうか」
「砲戦車は自動車部が射撃練習していると聞いたが。この駐屯地、機動歩兵連隊が慌てて引き払ったらしく、あちこち機材が散乱しているからな」
「魅乗りを見つけたらどうすればいいですか?」
「高度にもよるが、まずは数を数えろ」
茜の質問に京香が返す。
高度千メートルほどに薄黒い雲が張っていたが、その外側には西日に照らされた長野の田園風景が広がっていた。
高度を上げていくにつれ、互いの距離も離れていき、隣にいる詩文の影が小さくなる。
十分か十五分くらい飛んだだろうか。詩文から通信が入った。
「機影発見! ……大きいです!」
「大きい? 何機だ」
「一機……雲間から。あ! その周りに御佐機がいます!」
「じゃあ大きいのは御佐機じゃないのか。全機、詩文の元に集合!」
「み、御佐機がこっちに来ます!」
「俺のいる方に退避しろ! 食いつかれるな!」
「二機、降下して追いかけてくる!」
「お前の高度は!?」
「今二千!」
二千。やや下か。そろそろ見えてもいいはずだが。……あれか。
「詩文を捕捉した。詩文から見て二時方向」
「直人はん! 敵がまだついて来ます!」
「俺からも見えてる」
二機、黒い影が上方に見える。
番の疾風だとすれば、やっかいだな。劣位高度の今、率直に言って勝ち目がない。
「私からも見えました! 大きな、四発航空機です!」
みなもの声に京香が返す。
「攻撃できるか?」
「御佐機が二機、こっちに来ます! 同位高度!」
だろうな。直人は思う。
爆撃機や輸送機の護衛には二つのやり方があると早衛部隊で習った。直掩と制空。
直掩とは護衛対象に張り付いて近づいてくる敵機を追い払う方法。制空は積極的に敵機に向かって行って露払いをする方法。
直掩機は護衛対象の上空数百メートルに陣取り、制空機は千メートルかそれ以上に陣取る。
その二つの併用が基本であり、護衛機を十分な数揃えられない状況においても、どちらか片方しか設けないということは原則としてない。
逃げる詩文を二機が追いかけてきたということは、そうしても護衛対象が裸にならないということだ。
そしてその護衛対象というのが、みなもの言う四発航空機なのだろう。
何よりもまず、敵の護衛対象の元に行くのが先決。
「詩文! お前は俺とすれ違った後学校側に飛べ!」
「え!?」
「こいつらに構うな!」
詩文とすれ違うと、そのすぐ後方に二機の魅乗りがいた。赤黒い疾風。
直人は斜め下に降下すると、敵機下方をすり抜けるようにしてすれ違う。魅乗りは全く同じタイミングで左右斜めに旋回し、直人の後方につく。
これは当然。護衛対象の方へ向かっている直人の方を狙うのは当たり前だ。
「詩文は離れて高度を維持しろ!」
「こちら三番機。敵機と交戦。数は二。同位高度」
「機種は?」
「隼!」
直人の問いに茜が答える。
となると、後ろのが番の疾風だろう。ひとまず逃げるしかないな。
「緩降下して振り切れ!」
目標はあくまで四発航空機。護衛に構う暇はない。四発航空機が何なのかはまだわからないが、爆撃機かもしれないし、例え輸送機でも墜落すれば周囲はただじゃ済まない。
降下で速度を稼いでから逃げる直人に対し、魅乗りは頭上から攻撃機動を取って高度を落とさせつつ、しかし深追いはしてこなかった。護衛対象の元に戻るつもりか。
直人の目にも、四発航空機の姿が見えてきた。
「大型機を捕捉」
「主翼は見えるか? 中翼。高翼、パラソル、どれだ」
「……高翼です!」
「二式大艇だな。本校を爆撃する気だろう。以降、それを目標とする」
京香は断言した。
帝国空軍において量産配備されている四発機は二機種しかなく、試作機を含めたとしても、高翼配置の機体は二式大艇だけである。
教官はこれを読んでいたのか……。
確かに、死体ならどれだけやられようと惜しくない。地上に注意を引き付けておいて、空から爆撃する。
俺達も地上支援をしていたら、仮に発見できても間に合わなかっただろう。
「二式大艇には二十ミリがある。御佐機ならあまり気にしなくていいが、上方を水平には飛ぶな。翼をやられる。下方には七・七しか指向できない」
流石教官。的確な指示だ。『だいてい』という読み方も元海軍らしい。あとはこっちがそれを活かせるかだが……。
「目標まで一キロ。攻撃します!」
「みなも、頭上の疾風に注意しろ!」
「ええ、わかってるわ」
二式大艇の上方へと到達した疾風が、みなもと茜に向けて突っ込んでいくのが見える。
――市ヶ谷神道流『燕返し』
魅乗りに背後につかれる刹那、みなもが鋭い旋回で回避する。その横を通過する茜。
その両脇に二機の魅乗りがついた。茜に浴びせられる十字砲火。
「きゃぁぁぁぁ」
悲鳴を上げつつ、機首を真下に向ける茜。
黒煙じゃ発動機に命中したか。
「茜!」
みなもの心配するような声が上がる。
「お前は真っ直ぐ飛べ!」
咄嗟に急降下に転じたのは茜の反応の良さだ。
悲鳴を上げられたということは、背面は貫通していない。真横からの攻撃だったのが幸いだった。
通常なら絶体絶命だが、今は敵も守るべきものがある。追いはすまい。
直人が二式大艇への攻撃位置につくには、まず高度を上げる必要があった。
二機の疾風はみなもの後方から銃撃を加えている。必中距離とは言えないが、命中弾は出ているだろう。
ここで無暗に旋回や引き起こしをしないのが、日々の訓練の成果だ。
下方にいる直人に対しては、隼が攻撃を仕掛けてきた。
やむを得ず直人は一旦急降下し、時速七〇〇キロを超えた時点で引き起こし、縦のループに入る。隼はこの速度の引き起こしは不可能なはずだ。
機体を水平に戻すと隼二機と正対する。直人は抜刀して、太刀打ち、せず、四十五度のバンクから横滑りで回避し、すれ違う。
頭上を見ると、みなもの後方に二機の疾風、その後方に詩文がいる。互いに後ろに食らいつくドッグファイト。
「目標を攻撃します!」
「発動機から主翼の付け根、或いは操縦士を狙え」
みなもの声に対応して、京香の指示が入る。
四発機が一発で墜落し得る損傷が、主翼の脱落だ。翼桁の破壊も空中分解を狙える。当たらずとも、主翼か胴体には当たる可能性が高い。
発動機は一発破壊しても飛び続けるだろうが、同じ側のもう一つも破壊できれば、最早まともには飛べない。
操縦士は殺害しても代わりの者が引き継ぐだろうが、操縦装置そのものを破壊できる可能性はある。
みなもの銃撃に、右翼内側の発動機が黒煙を上げ始めた。
「発動機一基損傷。みなも、目標の下方に潜り込め!」
二式大艇の自衛機銃が空中に火線を描く。みなもの後方の疾風に機銃を撃つが、下からでは当たらない……。
「詩文はみなもを援護!」
下から見ると、二式大艇の主翼下方に計八発の爆弾が並んでいるのが見える。だがこれを狙うのは効果的ではない。
大型爆弾というものはけっこう頑丈な弾殻で覆われている。
御佐機が装備する機関銃の焼夷、榴弾系統の信管は瞬発か短遅延であり、銃弾が爆弾の内部まで届かない。
届くとすれば徹甲曳光弾だが、単なる鉄の塊であり、爆弾の炸薬まで届いても誘爆しない可能性が高い。
それを承知で撃ちまくり、誘爆を起こせたとしても、周囲にいるみなもと詩文が危ない。
太刀で引っ叩けば信管が作動するかもしれないが、それは自分の死も意味する。
みなもは下方に旋回し、再度上昇して二式大艇を狙う。
「みなも! 一太刀で急降下しろ!」
直人の指示通り、みなもは太刀に切り替え、後方から左主翼を斬り裂く。
速度を失うが、そのまま急降下で離脱していく。
これでいい。みなもは疾風に追い詰められつつあった。どの道あと一回の攻撃が限界であっただろう。
二式大艇は……墜落、しない!
化物か! 主翼に亀裂が入っても落ちないのか。
後続の詩文も抜刀しているが、二機の隼が妨害し二式大艇を狙わせない。
それでも、二式大艇は明らかに減速していた。主翼がいつ吹き飛んでもおかしくないからだ。
二式大艇はあと一息で墜とせる。だが、その後どうする?
護衛対象がいなくなれば、魅乗りは俺達を狙うだろう。その場合速度と耐久性で劣る詩文が危ない。
二式大艇を墜とすのは、詩文の安全を確保してからだ!
「詩文! 二式大艇から離れろ! 後ろに注意!」
「了解や!」
離れていく詩文とは対照的に、直人は二式大艇の左側を縦に旋回する。そして抜刀すると二式大艇に接近、発動機を止めつつ、機体上部に切っ先を突き刺した。
金属で金属を絞め殺すような音がして、直人は二式大艇の上に着地した。
「な、直人はん!?」
「こいつは確実に墜とす! お前は高度を取れ!」
「水無瀬がどうした!? 詩文、報告しろ!」
「直人はんが、飛行機の上に着地しました!」
「なにぃ!?」
直人のこの突拍子もない行動にさすがに戸惑ったのか、四機の魅乗りは一旦二式大艇から離れるように旋回する。その間にも、二式大艇は徐々に高度を落としていた。
この二式大艇は既に死に体。帰還することはまずない。にもかかわらず未だ乗組員が脱出しないのは、最後まで爆撃を狙っての事か。なんという執念。
「直人はん、大丈夫ですか!?」
「問題ない!」
「大艇の上に着地だと!? 状況が見えん!」
二式大艇の後方についた二機の疾風が、太刀を下段に構えて突っ込んでくる。二式大艇から太刀を抜いた直人は身構える。
受け止めるか? いや、この足場では無理だ。ここは飛び降りて――。
そう考えた時、不意に辺りが暗くなる。そして爆音が轟いた。それに驚いた時、既に周囲は豪雨だった。
積乱雲に突っ込んだのか!
魅乗りは追ってはこなかった。魅乗りといえど、積乱雲は怖いらしい。乱気流に揉まれて、ボロボロの二式大艇が軋みを上げている。
これはもう堕ちるな。そう思った直人は二式大艇から飛び降りる。間一髪。またしても爆音が轟く。雷鳴。稲妻が直撃した二式大艇はあちこちから火を噴きだし、間もなく空中分解した。
直人は速やかに降下し、高度千メートルを割り込む。ここで積乱雲からは出ることができた。勿論、雲の下もどしゃ降りだ。
「直人はん!」
「無事だ!」
「魅乗りが、学校の方に向かいました!」
「くそっ、叩き落としてやる!」
「生徒教員の避難は完了した! 後は好きにやれ!」
「教官も逃げて下さい!」
「この脚でか。ははは」
「周りに誰かいないんですか!」
「自動車部が林の中に逃げていくぞ。間宮と久世もか」
「とにかく追い払うしかないか」
「無茶はするなよ。どうせ盲撃ちだ当たりゃせん」
そして魅乗り達による機銃掃射が始まった。
講義棟。生徒達の宿舎。校庭のガレージ。あらゆる建築物が銃弾を浴びる。
焼夷榴弾が炸裂するとパッと火が上がるが、豪雨によりすぐ沈下する。
直人、詩文、そして戦線復帰したみなもが魅乗りを攻撃するが、頭上を積乱雲に抑えられているのに加え、下に学校があるせいで射撃機会が限られる。五分もすると、弾を打ち切ったのか魅乗り達は撤退していった。
それを追うことはしなかった。返り討ちにあう可能性がある。
「教官、無事ですか!」
「私は無事だ! ただ校舎がな……、いや、校舎は守られた。作戦成功。全機帰投せよ」
その言葉が真実かは何を以て無事とするかによるだろう。
二時間ほどして雨がやみ、その後戻ってきた生徒達が目にしたのは半壊した講義棟や兵舎だった。
「お前ら結局防げなかったの?」
「防いだよ!」
「言うほど防いだかこれ」
頑張った割に成果が伴わず、直人は肩を落とす。
雨を目一杯浴びた校舎は中まで水浸しで、夕日を浴びてキラキラ輝いている。
退避していた茜、健児、亮太も合流して勢揃いした巡航部を、松葉杖をついた京香が出迎えた。
「全員無事だな」
京香は満足げに頷く。茜も軽症で、すぐに治るだろう。
「俺達は無事ですが、校舎が……」
「なに。この程度被害の内に入らん」
「え、屋根無くなってますけど」
「問題ない。すぐ直る」
「え、直るんですか?」
「当然だ。すぐに物資を手配する。明日からみんなで工事だ」
京香は朗らかに言った。
それを見て直人は思う。教官は俺達が全員揃って戻ってくることだけを重要視していたのかもしれない。確かに、それが一番大事なことかもな。ものは壊れても直せる。
解散を告げられた直人達は一度部室へ向かう。
雨で洗われた鶏肉を加熱して、焼き鳥に舌鼓をうち、腹も膨れたところで兵舎に帰る。
そして天井に大穴が空いた自室を見て、直人と亮太は絶句した。