7. 開闢党
飛び立った直人の耳に新たな通信が入る。
「水無瀬。聞こえるか」
「教官!」
「私が職員室から指示を出す。悠紀羽、玉里はいるか」
「はい」
「います」
見れば後方に二人が飛行していた。
「今朝千曲川流域の市町村から救助要請が入った。開闢党と名乗る一団が市民を虐殺している」
「虐殺ですか」
「当該上空では魅乗りが最低二機目撃されている。貴様らはこれを捕捉し、撃退。可能なら撃墜せよ」
「教官。千曲川ってどこですか!?」
「詩文」
「はい。あてが案内します」
「わかるのか」
「先に偵察してきました」
「よし」
そして飛ぶこと十五分ほど。左方眼下に複数の黒煙が見え始めた。
「あれか」
「そうです」
「高度を取る。全機俺に続け」
そう言って直人は一度緩い上昇に移る。
魅乗りはどこだ? ……見つけた。
地面を背景に高速で動く二つの影。色までは見えないが、魅乗りの気配も二つ。間違いない。
「魅乗りを捕捉しました」
「まず魅乗りの撃破が優先だ。無力化できた場合は戦車か装甲車を攻撃しろ」
「それは乗員が魅乗りとは限りませんよね」
「断定はできない。だが太刀で砲身を切るとか横転させるとかやりようはある」
「ですね」
「以降水無瀬の判断を優先していい。無茶はするなよ」
「はい」
「各機武装の使用を許可する。攻撃開始」
「了解!」
敵機二。優位高度。
魅乗りもこちらに気付いているようで、こちらと正対するように旋回しつつ上昇している。
詩文が入ってから、この四機での編隊飛行の練習は行ってきた。
詩文が二番機、みなもが三番機、茜が四番機だ。
機体の特性はバラバラだが、四機小隊での一撃離脱を原則とし、空戦エネルギーを重視する。
今は多少の高度優位があり、数もこちらが多い。こちらの安全性は十分と判断していいだろう。
直人は太刀を右上段に構えて突進する。
こうした状況を想定した訓練も行ってきた。まず直人が敵の太刀を弾き、二番機、三番機が無防備となった敵機を狙う。四番機、すなわち茜は状況を判断し、敵機いずれかに攻撃を行うか、二、三番機の支援に入る。
……なに!?
敵の一番機がバレルロールを行う。その間に二番機がそれを追い越して前方に出現する。と思ったら互いに背中合わせで飛行し、直人との太刀打ち寸前で両機が重なった。
くそっ。
咄嗟に太刀を振り抜いたが魅乗りの太刀によって阻まれる。
魅乗りは二機とも上下に滑るように離れ、詩文、みなもをやり過ごすと、茜を上下から挟み込んだ。
それを急降下にて躱そうとした茜だったが、右脚部に一刀を貰う。
「あったぁぁぁぁ」
茜の悲鳴が無線から入ってくる。咄嗟に受け流す方向に脚を曲げたのは見事な反応だが、装甲の損傷は免れない。
「茜!」
「だ、大丈夫! 飛べるよ!」
早くも直人の背に悪寒が走る。こいつら、手練れなんじゃ……。
「どうした!」
「茜が被弾! 敵は疾風二機!」
「疾風か……」
京香の舌打ちが聞こえてきた。
『疾風』。現在の帝国空軍における主力精霊機。
基本性能は無論のこと、航続距離、操縦性、更には生産性にも優れた傑作機である。
日本の精霊機の中では最優機と言ってよく、殆どの性能が高いレベルで纏まっている。
が、弱点もないではない。
帝国空軍最大の懸案と言える多段式過給機が量産化されたという噂は寡聞にして聞かない。あの疾風も日本精霊機の例に漏れず、高度六千メートルあたりから急速に性能が低下するに違いない。
だが今はそれも厳しい。まず一目連の発動機は高高度に対応していない。適性のある茜も今被弾してしまった。
二号飛燕はまずまずの高高度性能を持つが、上昇しようにも上昇力の低さが足を引っ張る。
「前後の距離。配置。基本に忠実も考え物だな」
今のは……魅乗りの声か!
「陣形菱形からシュバルムへ」
直人の指示に、みなもが詩文の隣へ移動し、茜がその左後ろに入る。
シュバルムなら今と同じ技を食らう心配はない。空戦エネルギーではこちらが有利!
直人達は縦の旋回に入り、敵機を正面下方に捉える。
俺達の練度で編隊を組んでの斜め旋回は難しい。しかし上下の動きだけでは背後を取らせてはくれないだろう。ならば。
「ロッテ陣形。第二分隊待機」
「了解」
みなもの返答を聞くと同時に、直人は敵機へと突っ込んでいく。この後敵がどのような対応をしようとも、上空に待機してるみなも、茜がその背後に付く。後の先。
ここで魅乗りは二機に分かれ、左右に斜めの旋回に入る。
燕返しか? 乗ってやる必要はない。
直人は機首を引き起こして宙返りに入る。途中でみなも、茜とすれ違う。
銃を構えた二人は魅乗りを追う。その前方の二機は、互いにクロスするようにS字の旋回を行っている。
必然的に距離が詰まるためみなもは発砲を開始するが、効力射とはならない。
こうして俯瞰して見ると、二機の魅乗りは進行方向が変わるその一瞬に機体を上滑りさせているのがわかる。
ラダーを用いた空力的な動きだが、照準器を覗いているみなもでは気付きにくい。
「引き起こせ!」
直人の声と同時に、みなもと茜が上昇に入る。
次の瞬間、魅乗りが横から突っ込んできた。これは外れ。だが深追いしていた場合は逆に攻撃を受けるか、後ろに付かれていた可能性もある。
――市ヶ谷神道流『五月雨』
同一の敵機に波状攻撃を仕掛ける相互支援の戦術。元は魔導士の質で上回る市ヶ谷機関に対抗するために米海軍が編み出した戦法である。
これは市ヶ谷魔導士の間でも警戒されるようになり、大戦中期には市ヶ谷神道流にも取り入れられた。
効果的な戦法だが両機ともシザーズを円滑に行う必要があり、難易度も相応。
こちらとしては無理に対処しようとするより、深追いを避けた方が無難。直人はそう考えた。
魅乗りがこちらと戦っている間は、地上での犠牲者は抑制される。こちらで航続時間が一番短いのは茜だが、それでも御佐機としては平均的。
茜が離脱する頃には、敵機もそれを追えるほど瑞配の余裕は無くなっているだろう。そういう意味では長期戦も悪くは無い。
問題は時間が経つほど空戦エネルギーの優位が失われ、いずれは逆転されるであろうということだ。
「教官。形勢不利なった時点で離脱します」
「許可する」
よし。今の言葉で後ろの三人に心理的余裕が生まれればいいが。
「全機斜線陣へ」
直人は指示を出す。陣形を変えるのは敵に動きを読まれにくくするためだ。四番機茜の負担が一番大きいが、それを見越しての割り振りである。
「敵機は強いか」
「エースじゃないですかね」
「余裕があれば縦翼の模様を見ておけ」
「了解」
直人達はまたも敵機と正対。高度は有利。今のうちに一太刀でも浴びせておきたい。
「詩文は俺の横。二番機を狙え」
「了解」
敵機を両方同時に狙い、太刀を降らせ、そこをみなも、茜で仕留める。
直人の横に詩文が入ってきた。降下時の加速、突っ込みが良いと言われる飛燕ならではの機動。
敵機は……また重なってやがる! だが俺からは見えにくくとも後ろ後方の二人からは瞭然のはず。問題は――。
魅乗りの片方は鋭い横転をうつと背面飛行。その後ろの魅乗りが覆いかぶさるようにその上を飛ぶ。
は?
直人は上下に挟まれていた。同時攻撃。
咄嗟に直人は横転し、切っ先を下の魅乗りに向け、突きを放つ。
死ね! そう思った直人の意思は届かず、切っ先は喉元より下にそれ致命打とはならない。次の瞬間、肩部に衝撃が走る。脇を閉めていなければ、そこを狙われていただろう。
そのまま百八十度回って背面飛行。右腕を伸ばすようにして太刀を上げ、上方からの斬撃を防ぐ。
「兄上!」
聞き覚えのない声。魅乗りだろう。
「問題ない。あのでかいの、やるな」
でかいのとは直人の御佐機『早衛』を指してのことだろう。
「損傷軽微。斜線陣だ」
肩部はほぼ無傷と言っていい。だがこちらの突きも喉元を捉えられず大したダメージにはなっていまい。
一つはっきりしたことがある。敵機の連携力は異常だ。
個々の技量もさることながら、寸分の狂いさえない息の合った機動は二人の戦闘能力を数倍に引き上げている。
彼らが二つ名を持つようなトップエースなのかはわからないが、二機が揃って行動している時の脅威度は二天一式やサイパンの魔人に何ら劣らない。
たかが数か月。詩文に至っては一週間。基本的な編隊飛行の訓練を積んだだけの中学生では相手にならない。
「各機。撃墜は無理だ。墜とそうと思わなくていい」
「そうね。無茶は禁物だわ」
空戦エネルギー差は詰まりつつある。
さて。ではどうやってどうやって離脱するか。部員の安全を第一に考えるのが部長の責務と教官に教わっている。絶対、それは守らねばならない。
が、やられっぱなしというのも面白くない。
状況としてはまだこちらが多少有利。敵機に動かされている状態ではない。……やるか。
「各機ロッテへ。みなも茜は俺の五百上で援護。詩文は続け!」
「了解」
敵機との距離が急速に詰まってくる。敵の狙いは詩文だ。直人は直感で判断する。
左右。上下。どちらから来るか。……左右だな。
ロッテの基本として列機は長機の斜め下方にある。詩文を上下に挟もうとするとその上にいる直人が邪魔になる。
こちらは可能なら先ほど喉元を穿ち損ねた方を狙いたい。
二機の見た目は同じだが、ごっちゃにする直人ではない。
今だ!
直人は機体を横転させると詩文の正面に割り込む。詩文の驚いたような声が聞こえるが、だからこそ敵にも悟られない。
左上段から振り下ろした太刀は魅乗りの太刀と接触。速度と機体出力で上回る直人が押し切り、敵機の背面を叩く。
それとほぼ同時。直人の左翼に衝撃が走る。見れば翼端が吹き飛んでいた。
なんだと!?
意表を突いたと思ったが。……敵は対応力も一流ということか。
だが、これで敵機をすり抜けた!
「直人、どこ行くの!?」
「あの車スクラップに変えてくる!」
直人は機関銃を構える。目標は戦車。或いは装甲車。数は二。魅乗りと人間が共闘していた例はある。中身は反政府テロに加担するただの人間かもしれない。
が、見過ごしたくはない。俺達は魔導士。魔導に生きるのだ。
「詩文。スプリットSで離脱しろ」
「直人はんは!?」
その言葉には返さず、直人は照準器を覗き込む。
テケかハ号だな。どっちにせよ発動機は後方。直人は三十ミリを一連射。照準を修正してもう一連射。車体後方に直撃。車両は炎上し動かなくなる。
あと一両。直人は左に旋回しつつ銃撃する。Gがかかり弾は右に流れていく。三十ミリ弾は車体下部の正面装甲に殺到し、打ち砕いた。
ありゃ変速機に当たったか? まぁどちらにせよもう動けまい。
直人は後ろを振り返る。魅乗りは追ってきていた。詩文はちゃんと反対方向に離脱している。よし。こっちもちゃんと連携できてる。
「教官。帰投命令を」
「よし。全機帰投せよ」
「教官! 直人君が!」
「水無瀬がどうした」
「振り切れます」
「全機撤退だ」
「ええんやろか」
「言い出したら聞かないわよ」
「帰投。命令だ」
他の三人が神楽坂予科へと進路を取る中、直人だけが西に飛んでいた。さすがに単機であの二機とヘッドオンする勇気はない。
それに早衛は大気の濃い低高度でも時速七○○キロ出る。仮に疾風が同じ速度が出せたとしても、距離は縮まらない。となれば、先に瑞配切れを起こすのは向こう。
早衛の航続時間。瑞配搭載量は機体の大きさ相応。すなわち極めて大。
空戦とは関係ない地味な性能だが、こうしたところでも生存性の高い御佐機である。
背後の敵機は割とすぐ翼を翻し撤収していった。直人も大きく旋回して進路を変え、神楽坂予科へと向かう。
直人が校庭へと着陸した時、少女三人はちゃんと顔を揃えていた。
「わーい。帰ってきた!」
「直人。無事で良かった」
「直人はん凄いわぁ。御佐機って翼端無くても飛べるんやなぁ」
「空気抵抗が減って寧ろ良かった」
「え、そうなの?」
「いや翼端渦が発生するから多分よくない」
「帰還するだけなら片翼の妖精の例があるけど、戦いを続けるのは無茶だわ」
「さすがに片翼帰還の英雄には勝てんよ」
「そういうわけじゃないけど」
「そうだ。茜は大丈夫だったか?」
「うん。平気だよ」
「尋常でない相手だったが、なんとかなったな」
そんなことを言いつつ、直人達は職員室に入る。
そこには怪我で登山に行けなかった京香が待っていた。
「巡航部。戻りました!」
「ご苦労だった。結果を報告しろ」
「敵機二機は健在。車両二台炎上」
「貴様が最後にやったのはそれか」
「はい」
「全く……。貴様らは民間人だ。勝てぬと思ったらそのまま逃げても誰も怒らん。苦情が来たら、私の命令ということにする」
「尻尾巻いて逃げるとか恥ずかしいじゃないですか。それに教官。俺達の勝ちでは?」
「ふふ、確かに。現場の判断を優先すると言ったのは私だ。問題は無い」
「……ただ、敵が強かったのも事実です。多少ダメージを与えましたが、修理されてしまうかもしれません」
「そこそこ大きな組織の様だからな。その二機の疾風。縦翼に三本線が無かったか?」
「ありました。変色してるんでわかりにくかったですが」
「番いの疾風だな」
「なんですそれ」
「陸軍の一号作戦で活躍した二人の魔導士のあだ名だ」
「二つ名持ちだったんですか!」
「葉山兄弟。市ヶ谷事変の際には尊皇派につき、行方不明となっていたが……魅乗りになっていたのか」
「あの、ご存じであったなら、教えてもらうわけにはいかなかったんでしょうか」
このみなもの発言は、直人も同感だった。
「私も昨日知ったんだ。戦闘中にいきなり伝えると貴様らが萎縮するかと思ってな。先に知りたかったか?」
「いえ。教官の判断に従います」
「そう言ってくれると助かる」
「奴らめちゃくちゃ強いです。今回は四対二だったからなんとかなりましたが……」
「まだ正確には決まっていないが、今度軍が開闢党に対する攻撃を行うらしい」
「さすがに放置してられないってことですかね」
「そういうことだろう。御佐機を何機か寄越すと言っているが、大した規模ではあるまい」
「俺達の力が必要ってことですね」
「だとさ。魅乗りは増えるからな。早いうちに叩くに限る」
「空軍の援護があれば、やれると思います」
「どちらかというと貴様らが援護する形になるが……、腰を砕いていないようで安心した」
「まさか」
「今日の報酬は、きっと自治体から届けられるだろう」
京香の言葉の後、少し沈黙があった。その後、詩文がおずおずと手を上げる。
「あの、もしこっちの方が低高度で出会ってしもたらどうしたらええでしょうか」
「戦うな。以上。……他に質問は?」
京香は問うが、それ以上口を開くものはいなかった。
俺達の現在の実力に合わせ、あらゆる状況を想定してその時取るべき行動が予め決めてある。原則として不利な状況では戦わないというのが巡航部の規則だ。
職員室を出た直人達は涸沢へと戻り下山へ合流。詩文は授業へと戻っていった。