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5. 登山

 日本神道と山岳信仰を切り離すことはできない。田んぼの奥の小さな山にさえ、鳥居を見ることができる。古神道においては、山や森を神が宿ったり降臨したりする場所として祀ってきた。


 人工精霊を工場で量産するようになった現代においても、魔導士は山や森の雰囲気を肌で感じ、日本神道の源流を知るべきである。

 この登山訓練には一応、そういう趣旨があるらしい。


 二十世紀も半ばになった今も、例えば直人達がいる穂高岳のような山脈は、人の力ではどうにもならないような雄大さと、神が『鎮座する』、『隠れ住まう』ような神秘性を感じることができる。


「山みたいに神が宿る領域の事を、神奈備かむなびっていうのよね」


 みなもは言う。


「物が依り代で、領域が神奈備ってことか?」

「そういうこと。この辺りだと、穂高見命かしら」

「やっぱり山と同じ名前か」

「山の神様は大概そうよ。見るが『おさめる』という意味だから、穂高を治める神って意味ね」

「つーことは、穂高岳全体にその穂高見命がいるってことか」

「そういうことね」


 ここに来る前、登山道に入る手前にあった明神池には、穂高神社の奥宮が鎮座していた。信州の古い信仰である穂高見命は穂高山脈の総鎮守とされ、格式が高い。


「聞こえますかー!」

「え!?」


 叫んだ直人をみなもが驚いて見る。


「いや、この辺り神様がいるんだろ? ご加護を貰えないかと」

「そのために神社があるのよ!」

「あ、そうか」

「いきなり叫ばないでよ」


 少し呆れたように言うみなもに続いて、健児の声が聞こえた。


「お、直人やまびこか」


 そういうつもりではなかったが、確かに直人の声は反響していた。


「だったら向こうの山に向かった方が良いだろう。やっほー!」


 東へ進んだ健児の叫び声は、長塀岳にぶつかって戻ってくる。


「どうだ」


 健児は笑って直人を見る。


「なんの。それくらい」


 直人は大きく息を吸い込み、山に向かって叫ぶ。


 その声は健児のものよりはっきりと反響してきた、気がした。


「私もやる!」


 そう言った茜が続いて山肌に叫ぶ。


「これも山岳信仰の一種なのかしら」


 みなもがため息混じりに言った。


「やまびこが?」

「貴方の声が反響して戻ってきたでしょう。あれは山や木の精霊の仕業だと言われていたのよ」

「俺の声じゃなかったのか」

「山彦や木霊。妖怪という説もあるわね」

「ただ返事するだけなら可愛いもんだな」

「想像図は猿みたいな生き物だったわ」

「猿じゃないけど、鹿がいるよ」


 茜の指さす先には、確かに二頭の鹿がいた。


 結構な急斜面のようだが、ひよどり越えの例もある。動物の脚力は強靭ということか。


「登山口、見下ろす鹿の、親子かな」

「あら、いいじゃない」


 みなもに褒められて気をよくしたところで、昼休憩となった。


 横尾は上高地と北穂高の中間にある。細かい石が足場の開けた場所で、山小屋の他公衆トイレもあり、大人数での休止にはうってつけだ。


 眼前には緑と灰の北穂高、奥穂高を臨み、夏空とのコントラストも素晴らしい。


 今回の登山で先頭と殿を務めている登山部の連中が山で食う飯は最高だと言っていたが、なるほど。確かに、ただのいなり寿司と卵焼きであるにもかかわらず、正座して食べたくなる逸品に感じる。


 漬物とから揚げも美味しく頂いたが、この量では物足りない。


「なぁみなも、何か食いもんないか?」

「え。そうね。私のから揚げ一つあげてもいいわよ」

「いや、それはいい」

「ごめんなさい。お弁当作りたかったんだけど、今の宿舎調理場がないのよ」

「そういやそうだな」


 仕方ない。夜まで我慢するとしよう。


 食い終わって一息つくと、少し風があることに気付く。

 七月ではあるが、標高が高いせいもあってかそこまで暑くは感じない。


「この風は、穂高の神の、息吹かな。……どうだ?」

「季語がないわね」

「う……。夏の風に変更だ」


 そう言って直人は立ち上がった。


「どこ行くの?」

「俳句詠んでくる」


 弁当をまだ食べているみなもを残し、集団から少し離れた場所に行くと、大きな岩に片足を乗せ、両手をポケットに突っ込んだ亮太を見かける。


「俺達はどこから来て、何処に行くんだろうな」

「北穂高だよ」


 こっちを見もせずに行った亮太に直人は返す。


「ふ……直人か」

「何やってんの?」

「風の意志を、聞いていた」

「お前弁当は?」

「食事は隙を晒す。迅速にとらねばならんだろう」

「早いな。しかし風の意思か。それも山岳信仰なのか?」

「えっ。いや、そうだな。森羅万象を感じ、世界の選択を知る。それが俺のやり方だ」

「世界の選択を知る、か。確かに、それができれば無敵だろうな」


 直人は京香に教わった『八方眼』や、みなもが語った『無明』を思い出す。


「おお。話がわかるじゃないか」

「魔導士だからな」

「俺も考えを改めねばならんようだ。期待しておけ!」


 そう言って去ろうとする亮太を直人は呼び止める。


「おい。首筋にタオル巻いた方がいいぞ」

「……やだよ。かっこ悪い」

「熱中症になるぞ」

「そんなものは、効かん!」


 今度こそ亮太は去っていった。演劇部の集まりの方に行ったらしい。


 それと入れ替わるように現れたみなも、茜としばらく周囲を散策する。一時間で休憩は終わりとなった。


 空になったゴミはこの場で廃棄することができたが、変わりに今日の夕飯の材料である米肉野菜の運搬が命じられる。車で運べるのはここまでだったらしい。


 横尾を出て一時間ほど経ったあたりから、本格的な山道となってきた。


 身体が熱を帯びてきて、今日の体感温度としては一番高い。直人はタオルで顔の汗を拭き、帽子を被り直す。


 今日神楽坂の生徒達が被っている帽子は山岳帽と呼ばれるもので、畑仕事などの屋外作業のため支給された。


 山岳帽は元々、オーストリア=ハンガリー帝国で発案されたものだが、日本には同盟国であるドイツから伝わっている。


 戦前、ドイツ軍の魔導士達が前線勤務用の規格帽として被っているのを見た市ヶ谷魔導士が交流の証として貰ってきたのが始まりとされ、極端に劣悪な環境に身を置く機会は少ない魔導士にとっては丁度良い機能とデザインということで市ヶ谷機関に正式採用された。


 直人達が今被っている緑灰色の帽子も、神楽坂魔導士予科の校章が入っている以外は現空軍の規格帽と同じものだ。


 生徒の服装は長ズボンという指定以外は自由であり、各々私服を着ているが、この統一された帽子と昭五式とあだ名される編み上げ靴によって生徒と一般人の見分けは容易だ。


 左に大きくカーブする登山道を登っていると、正面に北穂高岳山頂が見えてきた。


「土を踏み、足並み揃う、昭五式」


 直人は一句詠んだが、返事が無い。


「みなも。疲れたのか?」

「少しね」

「何か持ってやろうか」

「大丈夫よ。既に持ってもらってるし」


 直人はみなもが配布されたジャガイモを自分の鞄に入れていた。


「確かにちょっと強行軍だな」

「山田君の話だと、この後雨が降るんだって」


 山田というのは、登山部の一人の名前だ。


 登山部は普段の週末は近場の山でキャンプをして楽しんでいるが、休暇の際には幾度も登山に出かけているそうで、この穂高連峰にも登ったことがあるらしい。


 そういう意味でも張り切っているのか、先頭と殿は定期的に交代がてら縦隊を通過しており、体調不良者や怪我人がいないか見て回っている。


 そうした動きには余裕を感じるし、経験に基づく天気予報もそう当てずっぽうではないだろう。


「雨が降り始めたら厄介だろうな」

「滑落したら危ないもんね」


 茜が言うが、実際怪我どころでは済まなさそうな斜面も存在はした。

 今みたいに晴れている時と雨天時では難易度が桁違いだろう。ペースを決める登山部が焦っているのもわかる。


「ま、この分じゃ予定より早くつくだろ。頑張れ」

「ええ、大丈夫よ」


 登るにつれて土草木が減り、石や岩の割合が増してきた。


 陽も徐々に傾き、両側の木々の影が長く伸びる。近くなった雲がうっすらとした影を作り、隊列に被さる。


 皆言葉少なに歩くようになってしばらくして、平坦な地形にたどり着いた。山小屋と思しき建物がある。野営場についたようだ。


 ここ、涸沢カールは氷河によって削り取られた谷のような地形をしており、周りをぐるりと穂高連峰の岩稜に囲まれている。


 夏場らしく様々な高山植物が生えており、山肌を染めていた。


「ここをキャンプ地とする!」


 登山部員の叫び声に呼応する声があちこちから上がり、直人も雄叫びを上げる。


「元気ね……」


 みなもにも呟くだけの元気は残っているらしい。


「あ、お花畑がある」


 茜の言葉の通り、この野営地の周辺には黄色と白の花が大量に咲いていた。


 ここでも一句詠めそうだな。直人がそう思った矢先、先手を打たれる。


「夕暮れに、色彩を増す、花畑。どうかしら」

「う……。結構なお点前で」


 直人がそう言うとみなもは嬉しそうにほほ笑んだ。


「じゃ、夕食の準備しましょ」

「よし!」


 まずやるべきは竈作りだ。飯盒炊爨すいさんはどの小学校でもやっていることだし、場合によっては中学でもやる。したがって手順がわからない者はいなかった。


 適当なくぼみを見つけたら持参のスコップで更に掘り、土を脇に盛る。火起こし場ができたら次はかまどを組む。


 普通はそこらへんの大きめの石で組み立てるが、ここはキャンプ場であり、石レンガが用意してあった。各班二つずつ使えたので石は不足を補う分だけでよく、かまどは簡単に組みあがる。


 次に直人は自分の鞄から飯盒を出し、その蓋を開ける。そして中から肉と野菜を取り出すと、同じく取り出したマントの上に置く。


 最後に、キャンプ場に用意してあった鉄パイプを石レンガに渡し、そこに飯盒を二つぶら下げれば完成だ。


 程なくして、米を研いでいたみなもと薪を集めてきた茜が戻ってくる。


 先に細い枝と枯れ葉を置いたら火を起こすが、この作業は早衛部隊時代の飯炊き当番で幾度となくこなしており、コツも知っている。


 肝心なのは焦らないことだ。火は燃え移った直後に動かすと直ぐに消えてしまう。火が小さいうちに大きい薪を置いても、空気の通り道がなくなって消えてしまう。枯れ葉から小枝に、小枝から細い薪に、細い薪から太い薪に、徐々に燃え移らせていくことが重要だ。


 それこそが大事、なのだが、直人は太い薪も最初から置いてしまうと、軍刀を抜き、炎魔術を発動する。


 即座に立派な焚火ができあがった。あの頃の苦労はもう昔の話だ。


「便利なものだな」


 健児が感心したように言う。


「じゃ、野菜を切るわね」


 そう言ってみなもは直人の鞄に入れてあった私物のまな板の上で、包丁を使い始めた。


 まな板も包丁もキャンプ場の物があるらしいが、その状態はわかったものではなく、私物があるなら持ってくるよう言われていた。


 直人も飯炊き当番の経験からキャンプのお約束、カレーくらいなら作れるのだが、みなもが私に任せろ的な雰囲気を出しているので口も手も出さないでおく。


 直人達の班があっさり火をつけているのを見て、他の班が木材を持って火を貰いに来る。

 しばらく火の受け渡しをしている間に野菜を切り終わっていたので。お湯の入った飯盒に入れ、茹でていく。


 本当は肉は炒めてから入れるべきなのだとみなもは言っていたが、それをやるスペースも道具もない。


「飯盒の蓋に取っ手をつけてフライパンになるようにすればいいのにな」


 亮太がそんなことを言っていた。


 野菜にある程度火が通ったところでルーを投入する。ここで亮太がにやりと笑って小瓶を取り出す。


「闇の精霊より賜りし魂の粉末……。このカレーを至福の一品に変えてやろう」

「変なもの入れないで。さっさとよそっちゃいましょ」

「ぐっ……いやこれは実際俺達のプラーナを増幅させ――」

「スパイスだぞこれ」

「え、スパイスなの?」

「こいつスパイスの調合が趣味なんだとさ。前に食ってみたが、確かに美味い」


 直人は亮太と同じ部屋なので食べ物を入手すると交換と言う形でわけてもらっているのだが、亮太が自信をもっているものに外れは存在しなかった。


「なによ。まぁ、それならまず味見させて」


 みなもは亮太から受け取ったスパイスを指に乗せて舐める。


「……悪くはないわね。でも入れ過ぎないで。茜は辛いの苦手だから」

「香辛料の魔術、とくと味わうがいい!」


 みなもの言葉をどこまで聞いていたかわからない勢いで、亮太はスパイスを飯盒に振りかける。


「あ、いい匂い!」


 茜の言葉に亮太が満足げに頷く。


「ふふっ。人々はこの魔性に逆らえず争うのだ」

「スパイス戦争か。教官が言ってたな」

「同じ重さの銀と同じ価値だったんだよね。じゃあこのカレーは金と同じ値段かな」

「黄金の、カレーと星が光りけり」


 ……季語なかったな。直人がそう思った時、発動機音が聞こえてくる。

 魅乗りの気配はない。発動機音からすれば……。


「なんだ?」

「詩文が来たな」


 健児の言葉に直人が返す。


「丁度良かったわね」

「六人分よそうか」


 時刻は十八時前。どこかに着陸して憑依を解いた詩文が姿を現した。

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