2. 入学希望者
その週の土曜日。直人は京香に呼び出され、疎開先の校舎へと向かう。
他の部員は今頃畑に向かっている途中だろう。
京香は松葉杖をついているので歩くのが大変そうだ。
「あの、俺が運びましょうか」
「何をだ?」
「教官ですけど」
「運ぶ!? 何を言っているんだ!?」
「いや、大変そうだなと」
「運ぶったって、その腕でだろうが」
「そうですけど」
「いらん!」
京香ににべなく断られ、二人は職員室へとたどり着く。土日の朝だけあって、他に人はいなかった。
「俺だけ部活動、ですか?」
直人は話の続きを始める。
「そうだ。本当は一人で飛ばせたくはないんだが、悠紀羽と玉里まで引き抜いては村人が納得しなかったからな」
「御佐機は農作業の道具じゃないんですがね」
「私も御佐機は重機じゃないと言ったんだが、中学を受け入れるのもタダじゃないと言われてはな」
「まぁ、飯が減らされたら困りますけどね」
「ああ。兵站は大事だな」
椅子に座る京香は少し笑う。
「偵察飛行。でしたね」
「ああ。先日、市ヶ谷とGHQが交戦状態に入った事は言ったな」
「はい」
昭和二十年七月十五日。日本は英米に対し再び宣戦布告した。その理由はGHQの御佐機が帝都に侵入し、あろうことか市街地に向けて発砲したからであると報道されている。
それが事実なのか。事実だとしてGHQにどういった思惑があるのか。直人にはわからない。ただ、日本が再び戦時下に入り、大隅半島、湘南海岸、九十九里で激しい戦闘が起きていることは間違いない。
「これに対応するため、中部地方の部隊は殆ど全て神奈川、静岡、近畿地方に移動している」
近畿地方というのは反乱軍残党が中部地方に潜伏しているという情報に対する備えだろう。
「そこにきて、長野県北部で開闢党と名乗る集団が、自治権を求めて発起。市町村を占領して回っているということだ」
「開闢党? なんですそれ」
「反政府組織というのが市ヶ谷の見方だ。反乱軍残党が中核になっているらしく、御佐機すら持っている」
「それを俺に倒せと」
「いやそこまでは言わない。くれぐれも無茶はやめろよ? やっぱり最低でも二人一組で飛ばしたいな……」
「大丈夫っすよ。ヤバいと思ったら逃げてきます」
「そうしろ。命令だぞ。貴様の御佐機なら振り切れるだろう。高高度に逃げ込んでもいい」
「任せて下さい」
「まぁこうしたご時世において市ヶ谷に反感を持つ者達が反旗を翻すのは予想できることだ。だが、今の市ヶ谷にはその一つ一つに対応している余裕はない。巡航部が強化されたのもそうした理由だろう」
「でもはっきり言ってあの二人が戦力になるのに半年はかかりますよ」
「そこは市ヶ谷も大きくは期待していまい。貴様らはあくまで民間人だからな。実際市ヶ谷からの要望にも、反政府勢力の規模と動きの解明としか書かれていない」
「情報収集優先ってことっすね」
「私がこの身体でなければな。一緒に行けたんだが」
「少し良くなりました?」
「骨折だからな。あと二か月はかかる」
「まぁそうですよね」
「いいか水無瀬。貴様は強い。入学時点で平均以上の実力があったが、今や帝国空軍の中でも上位の実力があると私は見ている」
「本当っすか!? 教官に言われると嬉しいですね」
「だから、万が一空戦になっても貴様が墜とされることはそうそうない。故に焦るな。どんな状態になっても大丈夫という自己認識は余裕に繋がる。くれぐれも冷静な判断を」
「了解!」
こうした事情で直人は朝から長野県を低空飛行して回っていた。必要とあらば着陸して街や村で聞き込みをしてもいいと言われている。
これも、俺の戦闘能力。剣の腕前を信頼されてのことだろう。期待に応えたいところだ。
そして飛行すること二時間ほど。直人は魅乗りの気配を一つ、感知していた。
急行する必要はない。偵察が優先であると命令されている。ここは高度を取りながら行こう。時間は余計にかかるが、万が一戦闘になっても圧倒的に有利な状態で始められる。
しばらくして、直人は魅乗りを眼下に捉えた。機影は二つ。魅乗りの気配は変わらず一つであるから、もう一つは人間が憑依する御佐機であろう。
両者の動きからして戦闘に入っている。他に機影は無し。直人は介入を決めた。
敵機一。優位高度。
直人は急降下すると、魅乗りとの距離をぐんぐん狭めていく。赤黒く変色したあの機体は……二式精霊機『鍾馗』!
鍾馗の見た目上の特徴は、前縁が一直線の主翼と、逆三角形のマッシブな体型である。
隼と似た特徴を持つのは、隼と設計チームが同じだからだという。
性能面の特徴として、隼や零精より強力な発動機を積みつつ身長は隼と同程度に抑えることで軽量化し、強烈な上昇力を獲得していることが挙げられる。
半面、逆三角形な体形は隼と同様機体出力に対しては悪影響を及ぼしており機体出力は不満足なものになってしまっている。
鍾馗は現行の疾風と置き換えられるまで陸軍で主に要撃任務を務めていた。直人は早衛部隊時代に模擬空戦を行ったことがある。故におおよその性能は頭に入っていた。
零精や隼に無い強みを持った御佐機ではあるが、強烈な旋回性能があるわけではなく、空戦エネルギー差を覆せる機体出力があるわけでもない。現状では与しやすい相手だ。
対する相手は……飛燕か? 緑と白のまだら迷彩。尾翼に赤い三本線。だが主翼に日の丸が描かれていない。民間機なのか。
魅乗りが急旋回を始めた。こちらに気付いたらしい。
直人はハイ・ヨーヨーで再度魅乗りの後ろにつく。
「え……民間機ですか!?」
飛燕から通信が入る。女の声だ。
「神楽坂予科所属。魅乗りを撃墜する」
「神楽坂予科!? ……おおきにです!」
形勢不利に見えたが、飛燕が特に被弾している様子はない。上手くはぐらかしていたのか。
直人は魅乗りに視線を戻す。空戦エネルギー差は圧倒的。ここは太刀打ちで確実に決める。
背後の直人が迫っていることに気付いた魅乗りは、ダイブにて射線を外す。更にそこから縦旋回。背面飛行からバレルロール。直人に的を絞らせない。
追従するか。いや、低空に追い込んでいけばいい。一旦上昇するか。
実際に直人がそうすると、すかさず魅乗りも上昇を始め、失った高度を取り戻そうとする。
このままだと空戦エネルギー差が減っていく。一度正対するか。
しかし直人が縦のループを描く間に、魅乗りは降下に入り、距離を詰まらせない。
やるな…。直人がそう思った時、魅乗りの右手から飛燕が突っ込んでくるのが見えた。
これだ!
直人は魅乗りの機体二つ分右側めがけて急降下。ここで飛燕が射撃を開始。被弾し始めた時点で魅乗りは右側へと旋回する。そして急降下を続ける直人の目の前に背面を晒した。
勝った。予想通り、敵機は飛燕の腹下を抜けて回避しようとした。
脇構えの太刀をそのまま魅乗りの首に押し当てる。
大重量と高速から生み出される運動エネルギーにより、竹でもかち割るかのように魅乗りの頭部が吹き飛んだ。
「お見事です!」
飛燕に憑依する女から褒められる。
さて、どうするか。鳴滝教官には好きに聞き込みをしていいと言われている。
ならばあの飛燕から事情を聞きたい。
「着陸できますか?」
「おけんたいです」
……長野の方言か?
ともあれ直人が着陸すると、少し離れて飛燕も着陸した。それを見た直人は憑依を解く。
飛燕から現れたのは年下に見える少女だった。
なるほど。民間機なのは間違いなさそうだ。
「おおきにです」
現れた少女はそう言った。
大阪か京都の方言っぽいな。
「何故、魅乗りと戦っていた?」
「その前に、神楽坂魔導士予科の人ですなぁ?」
「ああ。そうだけど」
「あては、……詩文和奏と申します」
「俺は水無瀬直人だ」
「よろしゅうおたの申します」
「ん。ああ、よろしく」
なんかテンポが違うな。
「さいぜんの魅乗りは、おそらく開闢党と名乗る集団のものでしょう」
開闢党! 教官の話に合った反政府組織。早くも手掛かりを掴んだぞ。
「それでどうして、お前は戦っていたんだ?」
「開闢党はあっちこっちで惨いことをしてます。あてはむこうの村を守るために戦うてました」
「惨いというと?」
「焼く。殺す。なんでもです」
「なるほど」
魅乗りのやりそうなことだ。盗賊山賊と変わらんな。
「その村にお前の家があるのか?」
「はい。あてが手間取ったとこを助けてもろうて助かりました」
「まぁ楽勝だったな」
「あんさん強いですなぁ」
「お前の射撃も良かったぞ」
「うふふ。あんさん、神楽坂魔導士予科学校の人ですなぁ?」
「ああ。そうだけど」
「実はあて、今度そこに転校するんです」
「え、そうなの!?」
「そやさかい挨拶しに行こう思て。あんさんに案内してほしいんです」
「今神楽坂魔予科は疎開してるんだが、そっちにか?」
「知ってます。かまへんでしょうか」
転校、ね。あり得ない話ではないか? ともかくこいつを連れていけば、開闢党なる組織について、もっと詳しいことがわかるかもな。
「いいだろ。じゃ、俺について来い」
「おおきにです。ところで」
そう言って少女は直人に近づき下から覗き込む。
「あんさん、おいくつ?」
「……十六だけど」
「奇遇やわぁ。あても十六や」
「ほんとか?」
みなもや茜に比べるとだいぶ発育が遅れている気がする。
「あら、いけずやわぁ。人を見た目で判断したらアカンやん」
「まぁ……な」
「せやからあての事は詩文と呼んで欲しいんや。苗字やしええやろ?」
「あいよ」
「あんさんは直人はんやったな。これからよろしゅう」
「ああ。……じゃあ行くか」
「頼むわ」
こうして二人は飛び立った。所詮県内なので予科までは数十分とかからない。
「お前の御佐機、飛燕か?」
「そや。正確には二号飛燕甲型やな」
二号飛燕! 飛燕の改良型が存在したのか。二号というところから、発動機を強化、或いは変更したんだろう。
「直人はんのは、見ない御佐機やな。式神なん?」
「ああ。早衛っていう」
「流石に神楽坂の生徒さんはええの持ってりな」
俺のはかなり特殊だがな。まぁ今は言わないでおこう。
「詩文のは、どうして持ってるんだ? 官給品じゃないのか?」
「これはやな、えーと……あれや。元々うちは式神を持っとったんけど、市ヶ谷に研究用として貸し出してん。その代替品や」
「そういうこともあるのか」
「せや」
「飛燕とはどう変わった?」
「発動機やな。出力が大きくなってん。他は……あまり変わらへんな」
「そんなもんか」
そうこう話しているうちに、兵舎がずらりと並んだ地域が見えてくる。
直人と詩文は練兵場に着陸した。
「うわー。基地って感じやなぁ」
「元は駐屯地だからな」
「誰もおらへん」
「今はみんな農作業だ」
「予科ではそんなんするん」
「ここの自治体がな。俺達を受け入れる条件だったらしい」
校舎へと入った直人は、職員室へと向かう。
「水無瀬戻りました」
中から京香の声が聞こえ、直人は中に入る。
「お疲れだ――誰だその子は」
「転校生だそうです。聞いてないですか?」
「私は何も知らないが」
ここで詩文が一歩前に出る。
「あてはわ、詩文和奏といいます。この学校に入学を希望します!」
「なにぃ!?」
直人と京香の声が重なった。
「お前、転校する予定だって」
「はい。あてはこの学校に入学するつもりです」
「……話が見えん。水無瀬、貴様この子をどこから連れてきた」
「偵察飛行中、この詩文と魅乗りが空戦しているところを発見。魅乗りを撃墜した後事情を聞いたところこの学校に転校する予定だと申し出たので、案内しました」
「すると、その詩文という子も、魔導士というわけか」
「それは、間違いなく。御佐機を持っています」
「詩文君。君は今入学を希望すると言ったが、転校する確約があるのか、ないのか。どちらだ」
京香は詩文を見据える。直人には訝しんでいるように見えた。
確かに。こうなってくると怪しい。まさか開闢党のスパイ!?
いや。そうなると目の前で仲間が撃墜されても動じなかったのはおかしいか。ただ、魅乗りと人間が一緒に活動するということ自体は四か月前の共産主義者によるテロという前例がある。
「誤解を招く言い方だったことを謝罪します。あては今日この場で、入学を希望します」
「そうか。……君、歳は?」
「十六です」
「……ふむ。受験資格は中学二年次を修了していること、だ。君は中学に通ったことがあるのか?」
「あります。京都で。今は家庭の事情で長野に来てますが、魔導士を育てる学校が疎開してくると聞き、是非入りたいと」
「当学がいつまでここにいるかわからない。世情によっては東京に戻るが、その時はどうする?」
「あても帝都に行きます!」
「君の意志はわかった。保護者の了解が取れているなら、近日中に受験案内を出そう。今日は住所を書き残していくように」
「今すぐ、受験させておくれやす!」
「今すぐ? 無茶を言うな」
「一日も早う一人前の魔導士になりたいんです!」
詩文の熱意とは対照的に、京香は考えるように息をつき、直人を見る。
断る助けを求められるかと思ったが、京香の口から出たのは別の言葉だった。
「水無瀬。この子は空戦を行うに足る十分な実力を持っていたんだな?」
「それは、おそらく。よく見ていたわけではありませんが」
「少なくとも基礎的な動きはできていると」
「そうでなければ、とっくに墜とされていたでしょう」
直人がそういうと、京香はしばし黙り込む。期待するような視線を送る詩文と、顔を上げた京香の目が合う。
「現在、当学は一人でも多くの戦える魔導士を必要としている。もし君が当学に入るなら、この水無瀬と一緒に周辺一帯の警邏を行ってもらう。今日のように魅乗りを捕捉した場合、状況によっては積極的に交戦する。構わないか?」
「問題あらしまへん」
「では、今私が言ったことを保護者に伝えなさい。それで許可が出たらなら、明日朝八時半にここに来るように」
「試験をしてくれるんですね!?」
「そうだ。詳しくは水無瀬に聞くと良い。実技の試験官は私がしたいところだが、見ての通りの有様だ。水無瀬、貴様がやれ」
「俺が、試験官ですか」
「そうだ。合否は私が下す。貴様は好きに模擬空戦をすればいい」
「直人はんが試験してくれはるんですか。あてが勝ったら、合格になてますか?」
「はっ。くくく」
京香が抑えたような笑い方をする。だがその目は全く笑っていなかった。
「自分の実力を見誤る奴は長生きしない」
直人にはわかる。今や京香は詩文をお客さん扱いしていない。
「水無瀬! まかり間違っても、勘違いした小娘が当学に入ってこないようにしろ」
「――了解」
その後京香は直人にも明日の朝職員室に来るように言い、二人は職員室を後にした。
「試験の事は直人はんに訊けと仰ってましたね」
「ああ。俺も半年前に入ったからな」
「え、そうなんですか!? 筆記試験はややこしかったですか?」
「内容は中学一、二年の勉強だったけど、まぁ、そこまででもなかったな」
直人は見得を張る。
その後詩文は実技試験についていくつか訊き、直人はそれに答える。
「直人はん明日は手加減して下さいましね」
「教官に怒られるから無理だな」
「あー、いけずやわぁ」
ともあれ詩文は試験を受けられることに納得したのかそれ以上頼みはせず、感謝の言葉を述べて飛び去って行った。